「蒼の夢」 第5部
プロローグ
「規定の量まで後一万というところか」
「前倒しをしても支障はない数かと思いますが?」
はっきりとしない光景の中、二つの声が聞こえて来て、二つの影が水色の空間で揺らめく。
ウォーターカーテンを何重に重ねた向こう側のような水色の世界。
空間に幾つも波紋が生まれ、別の波紋とぶつかり消えて行く。その中で音は二人の声だけ。
波紋に映る影の形を捉えることは困難だが、それは、明らかに人とは違う形をしていた。
おそらくは四つ脚の何か。
「いや、ここは慎重に行く。予定通りに事が進むならば、あちらの時で七百時間もあれば良い」
影の内、少し大きい方が言う。
声は若い男のように聞こえたが、どこか重厚で古びた響きを含んでいた。
「それは少々長いように思います。あの者達が、その間に何もしないということはあり得ない訳ですし」
答えた小さい方の影の声は、少年のような張りのある若い声だった。
「今は好きにさせる。封印が解かれることは折り込み済み、全ての力を手にしても、私に勝てないと知れば、今度こそ諦める」
「――分かりました。では、僕の方は引き続き監視を行います」
「任せたぞ」
二つの影が音もなくその場から消える。
あとは永遠と波紋の変化だけが続いた。
1章.涼風
1
十一月十二日、午後十二時五十分、成田発→ミュンヘン行きの飛行機に達彦達一行は乗った。
十月が行くと行った場所はトルコのリゼ県だが、日本から直接向かう便が無かったため、一度ドイツのミュンヘンを経由して向かう必要があった。
そして、乗り継いで一行は目的の国であるトルコ入りを午後十一時半にした。
時差の関係を考えると十六時間以上飛行機に乗っていたことになる。
「半日以上も飛行機に乗ると肩凝るね」
「私達にそう言う機能はありません」
「気持ちの問題だって」
エセンボーア国際空港から出て、冬でも緑の芝で彩られたコンコースにコート姿の十月とラプリアが立つ。
深夜、周りには黄色いタクシーが何台か停まっていて、また、そろそろ最終となるバスも停留所に停まっていた。
歩く人影はまばらだが、寂しさを感じる程ではない。
「気候は、そんなに日本と変わらないんだな、少し寒いが」
「うん」
同じくコートを着た達彦と蒼が続いて空港から出て来る。
外の気温は約1℃、湿った風も吹いていて、普通の人間なら着込まないと寒い温度だったが、この場にいる五人は薄手のコート一枚で充分だった。
「星は日本よりは見えるな」
達彦が空を見上げる。
日本と見える星座はほとんど変わらないが空が高い気がした。空港ビルの灯りがある分、星が見えにくいが、それでも充分に綺麗な星空が拡がっていた。
そして、明るい空港ビルは白い石と青いガラスで出来た近代的な建物で、中からの灯りで白地の部分が幻想的に照らされている。
周囲には空港施設以外には何もないくらいに広く、コンコースの外の空き地には暗く枯れた草地が誘導灯に照られて浮かび上がっていた。
「蒼ちゃん、達彦さん、待ってください」
最後にやはりコート姿の美佑が出て来る。
全員、大した荷物は持っていない。小さなポーチ程度で、一番目立つのは蒼が背負っている縫いぐるみのウーパールーパーリュックだ。
「ごめん」
蒼が謝って美佑と手を繋ぐ。
「ううん、大丈夫だよ」
指を絡めた美佑が嬉しそうにはにかむ。
「それで、この後はどうするんだ? 十月、知り合いが来ているんじゃなかったのか?」
達彦が十月に問い掛ける。
「あ、完全に人に紛れている子だから、ちょっと待って気配を探る」
十月が目を閉じて周辺の気配を探る。
「近くにいるのか?」
気配を探る能力に優れた達彦が感知した近隣には、自分達以外には人間の気配しかなかった。
「あっち、立体駐車場の中に居るみたい」
指差して言う。
「携帯とか持っていないのか?」
「あるけど、もう向こうも気付いたみたいだし、とりあえず、駐車場まで移動ー」
十月がレッツゴーという感じで歩き出す。
コンコースの直ぐ手前が大規模な立体駐車場になっていて、十月はその中を迷わず進む。
すると、建物の中、車の列の向こうから一人の少女が走って来た。
「お久し振りです~」
微妙に語尾が伸びた日本語で、その少女が言う。
淡い栗色の金髪をセミロングでふんわりとまとめて、やや褐色の肌、顔は美人ではあるが何処か垢抜けない感じで、ダボダボのグレーのコートを着ていた。
「直接は久し振り、元気だった?」
十月が歩み寄って、二人笑顔で抱き合う。
「はいー、お陰様でつつがなく」
「そっか、じゃ、みんなを紹介していい?」
抱擁を解いて、
「あっ、では、まず私からー、ナリシ・エレート・リムシィートと申します、どうかよろしくお願いいたします~」
大袈裟な動きで、ぺこりと頭を下げる。
「名前で分かると思うけど、リムシィート作の『無垢なる物』、ただ、かなり人間に似せてあるから、多分、知っている人じゃないと、気配で人との区別は出来ないと思うよ」
十月が紹介をフォローした。
「確かに」
達彦はナリシを前にしても当人がドールだとは思えない、気配も雰囲気も人間そのものだった。
「じゃ、こちらの紹介ね、まず、この人が山内達彦さん、リブオールの転生体というか、そんな感じの人」
「はい、よろしくですぅ」
「ああ、よろしく」
「次に隣の子が、えっと、苗字は山内でいいの?」
「そうだな、山内蒼だ、リティスを受け継いでいる、あと、リムシィートのドールということは、エシスのことは知っているのか?」
蒼は今、自分が剣に封じているエシスとナリシの制作者が同じことに気付いた。もし、親しい仲だったのだとしたら、この先のことを考えて、予め事情を話して謝っておくべきだろう。
「はい、存じてはいますが、私の方が後に創られたこともあって、あまり面識はないのです。一応、そちらの事情は聞いていますから、エシスのことはお気になさらないでくださいませー」
「そうか、そう言って貰えるなら助かる、では、よろしく」
「はい」
ナリシが微笑んで答える。
「じゃ、次ね、この子がラプリア」
澄ました顔のラプリアを紹介する。
「大戦時の噂は聞いています。よろしくお願いいたしますぅ」
「――」
ラプリアは無言でナリシの上から下までを見て、
「ガードが固すぎます。何層ものエーテル術式による常時情報偽装防衛を確認、個体情報を読み取ることが不可能」
戦闘時に敵を分析するように呟く。
「あー、えーと……」
完全に挨拶を無視された形のナリシが困った顔で固まる。
「まぁ、この子は、こんな子だから気にしないで、基本、蒼ちゃんにべったりだし」
十月がラプリアの肩を掴んで後ろに下がらせる。
「は、はぁ……」
「気を取り直して、最後が美佑ちゃん、蒼ちゃんの眷属」
「はじめまして、立川美佑と言います」
美佑がやや緊張した面持ちできちんとした挨拶をする。
「はじめましてです、長旅でお疲れですかぁ?」
緊張した様子を疲れと読み取ったナリシが聞く。
「いえ、ただ、海外は初めてなので、少し緊張していて」
「そうですか、ここは良いところですよ、用事以外では、ゆっくりしていってください」
「あ、はい、ありがとう御座います」
「じゃ、紹介も一通り済んだし、ナリシ、案内よろしくね」
「はい、分かりました。今日はアンカラ市内のホテルに一泊、明日、またこちらに戻って来て、トラブゾン空港まで飛び、そこから車で一時間強で目的地のリゼですぅ」
「まだまだ結構掛かる訳だな」
達彦が言う。
一気に目的の場所に着かないことは十月から聞いてはいたが、実際に現地で聞くと、少し乗り物にウンザリした気分になる。
「遠い国なんだから、仕方ないだろ?」
蒼は納得している様子だった。
しかし、
「そういうお前だって早く現地に向かいたいんだろ? 降りてから少し早足だぞ」
気にしないと分からないが、蒼の行動はソワソワしていた。
「わ、私は別に――」
蒼が達彦から顔を背けて視線を揺らがせる。
「お二人とも、明日には黒海が見える場所に行きますから、もう少しお待ちください」
「リゼで十月の用事を済ませた後、黒海に出る手段は確保されているのか?」
蒼達の目的の場所は『黒海の何処か』という、現段階では非常に曖昧なものだった。
詳しい座標を知っているのはラプリアと十月だが、二人とも細かい場所については話そうとしなかった。
「中型の高速クルーザーを一隻、港に用意してあります~」
「そりゃ豪華だな」
もっと小さな漁船のような物で向かうのかと、達彦は勝手に想像していた。
「ナリシはリゼで商売をしているところの娘さん、という肩書きだから港の使用権くらいはもっているのよ、ただクルーザーのお金を用意したのは、レーナだけど」
「レーナさんか……」
今は日本にいる筈の『無垢なる物』のまとめ役である少女のことを思い出す。
聞いた話では大富豪の娘という設定で、実際に相当の資産を保有して、それを運用しているらしい。
「船体には保険が掛けてあるから壊していい、って言っていたけど、どうなるかは現場の状況次第かな」
「前にレーナさんと乗って封印座標近辺まで行った時は、クレイドルの私設武装艦が見張っていましたよ」
十月とナリシが物騒な話をする。
「武装艦って……そんなのがいたら、周辺国が慌てるだろ?」
達彦が一般人としての感想を言う。黒海は軍事的にそんなに穏やかな海ではない。
それに対して、美佑以外の四人の顔が『え?』となった。
「ああ、そうか、達彦さんは人間だった時の常識があるからね、艦船が洋上に浮いていると言っても、当然、人の目にも機械の目にも触れないようにエーテル術式によるシールドを張ってる、それに封印から半径百五十メートルは海底から海上まで完全に不干渉領域になっていて、封印が存在していること以外の情報は誰にも分からないの」
「それは思った以上だな」
「封印の門のサイズは、当時の計画のままなら超圧縮空間への入り口にしか過ぎなくて十メートルも無い構造物だけど、それを守っている封印の門番のテリトリーが百五十メートルあって、その特殊な能力が常時展開されている感じかな」
「半径百五十メートルということは、端から端まで最大で三百か、見通せる距離ではあるな」
「封印について詳しいことは、クルーザーに乗ったら話すから、今はこれくらいで、先にホテルに向かおう」
「ああ、分かった」
「ナリシ、車は?」
「あ、こちらですぅ」
一行はナリシが運転する車に30分ほど乗りアンカラ市内に向かい、そこでホテルにチェックインした。
アンカラはトルコの首都であり、イスタンブールには負けるがトルコ第二位の都市だ。市内中心部は近代的な建物が建ち並びネオンを灯す、また広い幅の歩道に落葉樹の街路樹が並んでいる様などは、日本の街と大きく変わらない雰囲気だった。
空に見えていた星も街の灯りに負けて一気に見えなくなる。
ホテルに着くと、そこがどこかという区別が無くなるくらいに普通だった。
どこの国にもありそうな少し高級な外観のホテルビル。
大理石のフロントと洒落たデザインのシャンデリア、品の良い柄の絨毯。
「思ったより異国な感じがないな」
それがフロント前に立つ達彦の感想だった。
ハワイなど行けば南国の空気があるが、アンカラのメインストリートを10分程度走っただけでは、きっと日本と区別が付かない光景だった。
「少し裏入ったら、赤い屋根の五階建てくらいの建物で一杯だったり、首都から少し離れれば、広々とした草地や塩湖がありますが」
「黒海側に出たら、また違うと思うけどね、どの道、ここには一泊だけだから観光している暇はないし」
ナリシと十月が言う。
「一泊か、それで俺だけ別の部屋なのか?」
「不安があるのですか? えっと、言葉に関しては、大丈夫な筈ですよね?」
「いや、そういう不安とかじゃなくて、ここ、それなりに高いだろ? 俺一人の為に別の部屋をとったのか、と思っただけだ」
どこにでもありそうな雰囲気である分、値段の予想も簡単にできた。
日本円のレートは上がっているが、それでも一泊一万円ということはないだろう。
ちなみに言葉の問題は、達彦が得た祖竜の知識で処理出来た。
「その辺の心配はいりません、基本全てレーナさん持ちですからぁ、明日以降の、私の家での分は私持ちですが」
「ここまでのチケットもレーナさん持ちだよな? 本当にいいのか?」
いくら資産家と言っても頼りすぎな気がしていた。
「大丈夫よ、お金なんて概念、私達にはそもそも関係ないもの、人間との円滑な関係のために利用しているだけよ」
「そこまでは割り切るのは無理だな」
達彦は同意を求めてメンバーの顔色を伺う。
その中で一人だけ美佑が頷き返してくれた。
「私もちょっと……遠慮してしまうというか……」
「そんな遠慮いらないのに、世界経済が混乱するからやらないけど、私達は金だって空気から構築出来る訳でしょ? 竜ならもっと凄いことも出来る筈だし」
「でも、やっぱり、お世話になっている訳ですから」
「うーん、価値観の違いで話しても平行線だよね、私としては慣れてもらうしかないと思うのだけど」
十月がお手上げというポーズをする。
「もう、その辺でこの話はいいだろ、二人は、まだこういうことに慣れていない、すぐに慣れろという方が無理だ」
蒼が美佑を庇い十月に自制を促すように言う。
「まぁ、そういうなら……」
「蒼ちゃん……ごめんなさい」
「いや、美佑が謝ることじゃない、感覚のズレは仕方ない」
「けど、私、蒼ちゃんの眷属なんだから、もっと蒼ちゃんの側の気持ちが理解出来ないと」
「その気持ちは嬉しいけど、私達のような壊すとなったら国を滅ぼすような存在と同じ感覚になる必要はない、ただ、人としての尺度を超えた事態に、少しだけ慣れてくれたらいい」
美佑の肩に手を置いて言う。
「……うん、分かった」
「じゃ、いいよね。――達彦も慣れておくこと」
蒼の視線が達彦に向く。
「俺はそんだけかよ」
「話は聞いていた筈だろ? 同じことを言っても意味がない」
「はいはい」
「では、お話は済んだでしょうか? もう遅いですし、今夜はゆっくり休んで下さいませ、明日の朝には出発ですので~」
ナリシがフロントから受け取った鍵をそれぞれに配る。
部屋割りは、蒼とラプリア美佑が同じ部屋、十月とナリシの二人部屋、達彦の一人部屋という分け方で、特に誰からも異論は出なかった。
「各自の荷物出すから、一度、私達の部屋に来て」
蒼が言って、一度、全員が蒼達の部屋に移動する。
部屋の中は、白の壁に木目調の家具でまとめられた高級感と清潔感がある空間で、大きな窓からはアンカラ市街地の夜景を見ることが出来た。
「なら、出すね、サラマンダーお願い」
蒼が背負っていたリュックを床に下ろすと、それが歩き出して、大きく口を開けたと思うと、そこから大きなスーツケースが出て来た。
サラマンダーの口は、今、異空間倉庫と繋がっていて、そこに全員分の荷物がしまわれていた。
次々とスーツケースやらボストンバッグを吐き出して、各自自分の荷物を確認する。
「これでいい? 出し過ぎたのがあればしまうけど?」
「ううん、特に平気、じゃ、また明日ねぇ、ロビー集合でいい?」
「ああ」
「なら、お休み、蒼」
「では、お休みなさいませ~」
十月が荷物を取ってナリシと一緒に割り当てられた部屋に向かう。
「俺も問題ない」
「そう、じゃ、朝はロビーで、何もないと思うけど、何かあったら連絡してくれ」
「分かった」
達彦が部屋から出て行く。
部屋に蒼、美佑、ラプリアの三人になる。
「蒼様、周辺の敵性走査の結果、特に問題はありません、今日はここでゆっくりお休み下さい」
ラプリアがまるでSPのように窓際に立ち、外の気配を伺いながら言う。
「そんなに警戒しなくても」
『いいのです、ラプリアはそういう風にしか出来ない子ですから』
蒼の頭の中で、蒼と身体を共有しているリルラルが諦めた声で言う。
「とにかく、ラプリアもゆっくりしていいから、部屋にお風呂あるみたいだけど、どうする? 入って寝る?」
ラプリアと美佑を見て聞く。
「私は特に必要ありません」
「じゃ、私は入ろうかな」
「わかった、なら、まず美佑から入って、その後、私が入るから」
「うん」
美佑はホテル側が用意した着替えの内、バスローブだけを持って、バスルームに向かった。
「ラプリア、飛行機に乗ってから、ずっとピリピリしてない?」
「一切、対抗組織の動きを感知出来ないからです。クレイドルは元より祖竜からの干渉の皆無、また、ドール達の大半は封印解除に好意的では無い筈」
「一応、レーナとは交戦しない意思は交わしているつもりだけど」
まとめ役のレーナに話を付けてあれば、他のドールが独断で動くことは少ない筈だった。
「いえ、レーナは封印を解くことを認めるとは言っていません。ただ、蒼様との交戦を避けるのが賢明だという判断をしただけです。おそらく、実際に解除するところまで行った場合に協力は得られないと思った方が無難」
「変わっている状況次第という感じのことも言っていた、どのみち、いざと成れば、この剣で無理矢理にでも切り開く」
蒼が自分の太腿に巻いたベルトに差してある短剣をスカートの上から確認する。
ずっと身につけている物で、機内への持ち込み等は、全て力で誤魔化していた。
「私の推測では、その剣の存在が、全ての組織と団体が動かない理由。それがあれば、封印解除に必要な手段を何段階も飛ばすことが可能。最終的に封印の門番と接触した時に、どう対応するかを考えるだけで良くなる」
「つまり、私の出方を見て、それが都合の悪いものになれば、邪魔をしてくるという話?」
「はい、そう考えます」
「となると、どの道今は大丈夫じゃない? 現地に着いてからでしょ?」
ラプリアが今から警戒しておく必要がなおさら無い気がした。
「運命を見ている祖竜からの攻撃は、いつでも考えられます」
「それはそうかも知れないけど、一応、私と達彦の二人がいるのだから、向こうも手出しはしにくいと思うよ」
祖竜と呼ばれる力を持つ竜は全部で五体。
その内一体は身動き出来ない状態にあるため、蒼と達彦に対抗する祖竜は二体。
数の上では釣り合っていることになる。
「油断は禁物、警戒は常時必要という判断に変化は無し」
「そう……」
何を言っても無駄だろうと悟る。
ラプリアはドールである故に疲れ知らずだ。本人が警戒していたいというのを、これ以上無理に止めることもないと思った。
蒼は着替えを準備しつつ、美佑がお風呂から上がって来るのを待つことにした。
2
達彦は自室に入った後、軽くシャワーだけ浴びてベッドに入っていた。
幾ら人では無くなったとはいえ、人間だった時の感覚の方が強くあり、半日以上乗り物に揺られての移動は精神的な疲労感を作りだしていた。
もちろん、今すぐに疲労の全てをリセットさせることも出来たが、それをしないのが人間としての感覚の延長だった。
そして、疲れに飲まれるように約三十分後には、ベッドから寝息が聞こえ始めて来ていた。
「寝たよ、お姉様」
「はい……そうです……ね」
常夜灯が照らす薄暗い空間の中、二人の舌足らずの幼女の声が響いた。
「どうする?」
「……確かめて、みたい」
「それは、私もみてみたい」
部屋の空気が揺れて、二つの影がそこに現れる。
背丈は120センチ程の小柄な影。
その二つの影が達彦が眠るベッドに近付き、そのまま布団の中に潜り込む。
「よく寝てる」
「……うん」
布団の上に達彦以外の二つの膨らみが出来て、それがモゾモゾと蠢く。
「はい、確認」
「……うん」
「…………ふーん」
「………………」
二人の潜めた息づかいが聞こえて、
「ひとまず合格にしても良い人? はーい」
「……はい」
二つの膨らみの一部がピョコっと盛り上がる。
「それでは、このまま味見ー」
「……あじみ」
布団の下のモゾモゾという動きが激しくなって行く。耳を澄ませれば、猫が水を飲む時のような音が聞こえて来て。
「ん……?」
達彦が眠りの世界からこちらに覚醒する。
気付いてすぐ、何か身体が重い気がした。
「え?」
そして、柔らかく湿った何かが身体の一部分をスルっと通り過ぎて、
「なっ!? 何だっ!?」
布団を乱暴に引き剥がして、重い上体を無理矢理起こす。
「わー」
「……わぁ」
二つの気の抜けた声がしてベッドの脇にドスっと何か落ちる音がした。
「ちょ、ちょっと待てっ!??」
状況が掴めないまま、ベッド脇の部屋の照明スイッチを押す。
すると、明るくなった左右のベッド脇に全く見知らぬ子供が二人居た。
右側に居た子は、白とも桜色とも取れる不思議な髪の色をした白いドレスの子。
左側に居た子は、白とも空色とも取れる不思議な髪の色をした黒いドレスの子。
二人のドレスは同じデザインだったが、露出の多い変わった意匠で、とてもその格好で出歩くのは無理だと思えるものだった。
「な、なんだ君たちは?」
問い掛けつつ、大体の想像は付いていた。
間違いなく人ではない、竜、もしくは『無垢なる物』の類。
ただ、その気配は目の前にしても、ほとんど感じないくらいに希薄なものだった。
あまりに薄すぎて何者かという判断も出来ない。
「私はローリスア」
白いドレスの子が幼い感じの高い声で言い、
「わたしは……ローアルナ」
黒いドレスの子が少し顔を赤くして、小さな声でおっとりと名乗った。
その名乗りは『無垢なる物』の名乗りとは違った。十月を例外とすれば『無垢なる物』は親である制作者のファミリーネームを初めに名乗らないことはまずない。
「竜なのか?」
「当たり」
「……あたり」
二人が同時に言う。
竜だとするなら、二人の子供っぽい容姿や、その気配の希薄さは強さの参考にはならない。
「何が目的だ?」
予断無く聞く。
同族とは言え、竜はそれぞれの自意識が強く、意見の対立があれば戦闘行為に繋がることも良くある。
「話の前に自分の姿を確認した方がいい」
「……うん」
「俺の姿……?」
達彦は視線を子供達から自分の身体に戻した。
すると、ほぼ全裸だった。
寝間着替わりに着て寝た筈のスエットはすっかり脱げて、下着もずれていた。
「っな!」
高速で下着を直して、ひとまずスエットの下だけを穿く。
そして、上着を羽織りながら、
「お、お前達、何をした!?」
「ティリの選んだ相手の味見」
「……あじみ」
「ティリ……蒼のことか……」
蒼がリティスの記憶が無い時に名乗っていた名前だった。
「そう、蒼っていうんだ、こっちの方に来る動きがあったから、来てみたんだけど」
「なかなか、会いに戻って来て……くれない」
「蒼とどういう知り合いなんだ?」
「それを話す前に、ここに誰か来る」
「うん、これは人形」
二人が同時に部屋の一カ所を見る。
すると、その場の空間が揺らぎ、そこに全裸で水に濡れたラプリアが現れる。
「侵入後すでに時間が経過している。――こちらの警戒を完全に突破された」
まるで自身の体を隠すようなことをせず、二人に鋭い視線を向ける。
放置すればすぐにでも戦闘モードに入りそうな雰囲気。
「まて、ラプリアっ、この二人は蒼の知り合いらしい」
即座に止める。
「蒼様の?」
「あと、これ――」
達彦が布団の上に重ねていた薄手のブランケットを一枚、ラプリアに投げる。
「少しは隠してくれ」
「――」
ラプリアは無言でそれを受け取って身体に巻いた。
と、そのタイミングで部屋の廊下に繋がる扉が勝手に開く。
「達彦、大丈夫っ! 非認識空間が発生しているけどっ!?」
そして十月が叫びながら入って来る。格好はコートの下に着ていたセーターとミニスカート。
その直後、ナリシも厚手のジャンパースカート姿で現れた。
「次々来る」
「……うん」
二人が見つめ合って頷き合い、共に場所を移動して達彦のベッドの前に並んで立った。
「達彦!」
最後に蒼の声と共に、ホテルのガウンを着た蒼と美佑が現れ、部屋に居る二人の姿を見るなり、
「何で二人が居るんだ!? 私は連絡してないのに!」
とても驚いた顔で叫んだ。
「これだけの強者が固まって移動するんだから、情報は漏れるよ」
「もれる……」
二人の答えに蒼は愕然とした様子で、
「迂闊だった……けど、先生達はギリシャの方に居たのでは?」
「隣の国」
「うん、隣」
「まさか、私の気配に気付いて、飛んで来たの?」
「違うよ、先にこちらに来て待っていた、トルコに来るなら、普通はアンカラに泊まる、だから各ホテルに網を張っていただけ」
「先に、準備していた」
「そう……それで、何の用事があるの?」
蒼が迷惑そうな顔で言う。
「とりあえず、全員の紹介をして欲しい」
「して欲しい」
「紹介か……そうだな」
言われて達彦達の顔を見る。
全員が、どういう状況なのか説明して欲しいという顔だった。
「この二人は私の先生だ、育ての親と言ってもいい」
「親? じゃ、リエグ封印後に育ててくれた相手か?」
達彦が知っている範囲では、蒼は三千年前の大戦時、リエグが封印させる直前にリティスが分離して生まれた存在だ。生まれたばかりの竜は、その時、最初にその存在に気付いた竜が数年の間面倒を見ることが多い。
その間に竜としての使命や力の使い方を教わるのだ。
「ああ、そうだ」
「ということは、必然的に蒼より年齢が上だよな?」
外見上、人間換算した場合一桁にしか見えない二人を見て確認する。
「ああ、この二人は六千年以上存在している、すでに古竜の類だ、というか本当は――」
「だめ、それ以上は禁止」
「ひみつ」
蒼が言い掛けたことを二人が焦った感じで止めた。
「そうだな、それは別にいいか、ともかく、こんな外見でもヨーロッパ圏では最古に近い竜だ」
「私の知識では、竜の発生は一万年前の別次元、その後七千年程度前にこちらの次元のこの星に降り立った、というように把握」
ラプリアが言う。
「俺の知識だと、大体寿命は五千年前後だった筈だが……」
達彦が改めて二人を見る。
何度見ても、死に際の竜には見えないし、そう言った威厳のようなものも感じられない。
竜の外見は仮初めとはいえ、多少は内なる経験の差が出るものだが、それが当てはまらない雰囲気だった。
「私達は、普通の竜とは違うから」
「ちがう……の」
目が合った二人が言った。
非常に気配が薄い点からしても、確かに普通の竜とは違うことだけは確かな気がした。
「じゃ、こちらのメンバーの紹介をするから」
蒼が達彦から順番にメンツを紹介する。出会ってから数時間しか経っていないナリシは自分から名乗った。
「それで、もう一度聞くけど、二人の用事は何なんだ?」
紹介が終わって、再び蒼が聞く。
その顔はやはり迷惑そうだった。
「その前に、ティリは、今この国の周辺に竜達が集まって来ているのを知っているか?」
「異常……事態発生中」
「いや、初耳だ」
竜は使命を守る範囲で、あとは自分勝手に振る舞う者が多い、故に他の竜の行動に干渉することは滅多にない。今回のことで他の勢力の動きはあっても、竜達は無関心を決め込むものだと蒼達は考えていた。
「考えが甘い、祖竜の二体が揃って移動して、しかもリエグの封印に近付くとなれば、それを知った者は、何が起こるのか気になって見に来る」
「興味津々」
「そんなに注目される程のことなのか? こちらは、こちらの勝手で動くつもりだったが」
「自分達の力の強さを分かっていない、大きな争いの可能性があれば、竜達も無関心ではない」
「竜は人を守ることを使命にしているから」
「仮に戦いが発生するとしても、黒海の洋上だ。人を巻き込むようなことはしないつもりだが……」
「それを宣言した訳ではないのだから、不安になる者もいる」
「わたし達だって、よく分からない、ティリは何をする気?」
「聞かれたのなら話す、ただ、それなりに衝撃的な内容だから」
蒼は竜の存在が、祖竜メリアシスクが自らの力を増大させるための駒だという話を最初にして、さらに、そのシステムを破壊する為に祖竜としての真の器を探しにこの地に来たことを二人に説明した。
またシステムを破壊すれば、地球上に竜も魔竜も新たに生まれなくなるため、竜は自ずと滅びることになる話もする。
元々、竜など存在しないのが正しい地球の姿であり、その姿に戻すことが最終的な蒼の夢だった。
「私がメリアシスクのシステムを壊せば、結果的に竜は滅びる、だから、この話をすれば反対する竜もいることは承知している、ただ、現状はメリアシスクの駒でしかない、それを知った上でもメリアシスクに従うというなら、そう言う選択をした竜とも私は戦うつもりだ」
二人の竜を前にして蒼は言い切った。ただ、蒼の口調には二人なら理解してくれるという、期待が滲んでいた。
「分かった」
少しの間の後、ローリスアが静かに頷いて続ける。
「その上で、大局的な視点で聞くことがある。何故そこまでメリアシスクと反目する? 祖竜の一柱として他の存在が強くなることを許せないからか?」
ローリスアが静かに聞いた。
「その気持ちが無いとは言わない」
祖竜は五体が互いに牽制し合っている存在であり、特にメリアシスクとリティスの対立は激しいものがあった。
そのリティスの知識と力を受け継ぐ蒼が、メリアシスクの勝手を許せないというのは宿命とも言える。
だが、蒼にはそれ以外にもメリアシスクと対立する理由があった。
「けど、また別に許せないことがある。メリアシスクは己の野望のために多くの人間を巻き込んでいる、それを止めたい」
「竜として人間達を……守るため?」
今度はローアルナが聞く。
竜の表面上の使命は人間を守るために魔竜を狩ることだ。
「そんな使命的な話じゃない、ただ、竜の勝手で人間達を巻き込んでいる事態を放置出来ない、この世界は人間が主体の世界だ、そこに竜が無用な干渉をするべきではないと、私は思う」
「身内の――ティリから見れば『不始末』の責任を……取ると?」
「そう考えてもらっていい」
蒼が頷くと、改めてローリスアの方が口を開く。
「話は理解した、では、先に私達個人の見解を言う、私達は自然に発生して自然に消えることを繰り返して来ているだけの存在だと認識している」
「だから、その流れからみて……外の意思は無関係」
途中からローアルナが続ける。
竜は例外的な場合を除いて生殖活動で子孫を残すことはない。
基本的にメリアシスクが発生させる意思を持った時に発生する。
「祖竜の思惑によって生まれた存在だとしても、私達個人の思考にまで、その思惑が影響しているとは思えない」
「メリアシスクは……そこまでの強制力を発生させなかった」
「だとすれば、お前の話が嘘でも本当でも、私達個人には関係ない、仮にメリアシスクが消滅する状況になっても、私達が、それに合わせて消えるというのでなければ」
「どう考えても……消えることはないと推測」
「故に、お前が出した結論に対して、反対することも賛成することもない」
「ティリが好きなようにすればいい、でも――」
「この地で、再び大戦規模の戦を引き起こすというのなら、この地を支配する者として放置は出来ない」
「その一点だけ――確認したい」
二人が交互に会話を繋げる。
完全に意識下でリンクしていると思わせる話し方だった。
「私は確かに戦うことになると思う、けれど、それを大規模にしたいとは思っていない」
「望む、望まないに関係なく、お前の行動が火種となり大きな戦いが起きるのなら、結果的に無視は出来ない」
「今、この場で止めることも……考える」
言った二人の雰囲気が急に張り詰めたものに変化する。
そこには敵意は無いが大きな威圧感があった。
自分達の庭を荒らす者がいたとしたら容赦しないという強い意志。
そして、ある種自身の強さに対する自負のようなものを感じることも出来た。
「蒼様」
ラプリアが二人の気配に危険を察して蒼の前に出ようとする。
「大丈夫だ」
蒼が手で制するが、
「大丈夫じゃないわよ、ここには最強の『無垢なる物』と祖竜が二体もいるのよ、貴方達、大きな口をききすぎじゃないの?」
十月が黙っていられないという顔で一歩前に出た。
「私達は別に完全勝利する必要はない、ただ、目的の達成を遅らせればいい」
「それなら……やりようはある」
全く退くつもりはないという顔で十月とにらみ合う。
「生意気ね、その気配の薄さからみて、別の場所に本体がいるタイプだと思うけど、今この瞬間にやられることは無いから余裕という訳?」
「その程度の読みじゃ、私達と渡り合えない」
「むり……」
ローアルナがクスクスと笑いながら呟く。
「そう、だったら――」
十月の周辺に風の流れが発生する。
彼女が力を使う時は、周囲の気圧を下げてしまう反動が出る。
「ちょっと待て、十月」
蒼が十月の正面に立って止める。ローリスア達との間に入る形だ。
「どうして止めるの!?」
「ここで戦いを起こしたら本末転倒だ。先生達二人は私が説得する」
「…………」
膨れた顔で十月が下がる、少しの冷静さは残っていた様子だった。
「先生達は、私が大きな争いを引き起こす行動を取るのを警戒しているのだろ?」
「そう」
「うん」
「ある程度の戦闘行動は、この先、どんなパターンを選択しても発生するとは思う。ただ、仮に私が祖竜としての本来のボディーを手に入れた場合、この場においてメリアシスクと戦うことはない、メリアシスクが居る高次元に乗り込んでケリを付ける」
「向こうが、こちらに来るという可能性もある」
「ティリが強くなる前に」
「その場合は別の策があるが、それは言えない。言ってしまえば、その未来に収束する可能性が変動するから、あくまで今は私の中の運命予測を元にした策だとしか言えない」
「逆を言うと、メリアシスクがこちらに来る可能性も予想されていると?」
「パターンの一つとして無いと言えないだけ、可能性は低い方、メリアシスクは力を集約するために、今は一点から動けないから」
「つまり、どんな場合でも、この地で祖竜同士の決戦を引き起こすつもりはないと?」
「そういうことだ」
「そう……」
ローリスアが聞き、ローアルナが頷く。
「納得してくれたか?」
蒼の問いに二人が一歩下がる。
「私達は納得した」
「私達は……」
ローアルナの視線が膨れたままの顔の十月を見る。
「あ?」
半音上げた発音で十月が返す。
「なんでも……」
素知らぬ顔のローアルナ。
「くっ――」
十月は憎々しげな顔をしてから『べー』と舌を出した。
「もう、先生、挑発しないっ! そんなことすると、もう二度と連絡しないから」
「えー、こまるー」
「それは……いや」
蒼が強く言うと、二人の雰囲気がとても子供っぽいものに変わり、まるで駄々をこねるような様になる。
「だったら、大人しくしていて」
「うー」
「にゃー」
二人がよく分からない唸りを上げたあとに静かになる。
「それで、少し話を戻すが、竜がこの国に集まって来ているというのは、どういう状況なんだ?」
「大人しくしていろ、というのに説明を求める態度」
「矛盾」
「そういう意味で言った訳じゃない、分かるだろ」
「――この国には入ってこないようには言ってある」
「私達が接触した竜は六体」
二人が仕方ないという顔で話す。
「多いな」
現在、存在している竜は全部で祖竜を除き十一体の筈だった。その内六体ということは残っているのは五体。
一体がラクティで、もう一体がフィテア。
その上でここに二体居る。
どれ程の竜が集結しているか、わざわざ考える必要がない数だった。
「全くの無関心と言える存在なんて、余程の変わり者だ」
「世捨て竜」
「六体は完全に足止め状態だと思っていいのか?」
「大丈夫、あくまでこの国の周辺は私達のテリトリーだから、侵入を許可しないといえば、入ってこない」
「大陸では互いのテリトリーは、それなりに絶対」
「分かった」
古竜の域に到達している二人の言葉を、ここは信じるしかない。
「とはいえ、入るなと言われたら、入りたくなるのが心情よね」
十月が横槍を入れて来る。
「何か仕掛けて来るという可能性か?」
「ええ、竜には眷属がいる、それを潜り込ませることくらいはしていると思うけどね」
「それは別に構わない」
「偵察まで不許可には……していない」
「ふーん、まぁ、その辺は貴方達の問題だし、貴方達がいいなら、こちらはどうでもいいけど」
ローリスア達の態度に十月は再び黙った。
「ひとまず、話は大体分かった。先生達の用事は今のことを伝えに来たんだろ? だったら、もう用はないよね?」
「……そんなに帰って欲しいの?」
「邪魔に……されてる」
「先生達の方こそ、こんなことしている場合なのか? という話でもある、用事が済んだのなら帰って欲しい」
蒼が割とはっきりと言う。
その態度には何か事情があるという雰囲気だった。
「ティリは、相変わらず冷たい」
「れいこく」
二人が可愛く怒った顔で酷いことを言う。
「いいから、帰って欲しい」
二人と目を合わせて、さらにはっきりと言う。
「……」
「……」
無言で顔を見合わせる二人。
「帰ってくれるか?」
念押しのように言う。
「いや」
「いや」
声を揃えての否定。
「どうして、そんなにここに居たいんだ?」
「もう、遅いし」
「帰るの……面倒だから」
「くっ――」
蒼がこめかみをピクっと動かした。
「あ、蒼ちゃん、冷静に」
美佑が見ていられず口を出す。
「分かっている」
「とりあえず、今日は泊めてあげたら? 確かに夜遅いし」
「だとして、誰の部屋に泊める? 私達の部屋は満杯だ」
「私とナリシの部屋も満員」
「あ、今から合法的にホテルの部屋を取るのは、ちょっと難しいかも知れないですぅ」
ナリシが割と冷静なことを言う。
「強引な方法なら出来るが、やりたくはないな」
人の記憶に干渉すれば可能だったが、仮に満室だった場合、泊まっている客を深夜に追い出すことになる。
「だとすると――」
蒼達の目が達彦に向かう。
「俺か? しかし、男女はマズイだろ?」
先程、脱がされたこともある。
何をされるか分からない恐ろしさがあった。
「別に、外見通り子供だから問題ない」
蒼が言い切る。
「いや、そうは言っても、さっき――って!」
言い掛けた達彦の手を、いつの間にか近くに居たローアルナが抓る。
「言ったら、だめ」
声に一瞬だけ殺気が乗った。
「っ……分かった」
本気でヤバイ予感がして達彦は黙った。
「それで、何か言いたいことがあるのか?」
蒼が改めて聞く。
「いや……状況的に二人が帰らないというなら仕方ない」
誰かが面倒を見る必要があるとしたら、消去法ではあるが達彦しか居なかった。
「なら、頼む、朝になったら呼んでくれ、その時に出て行くように言うから」
「――分かった」
「わーい、お兄ちゃんと一緒」
「……いっしょ」
二人が笑顔でベッドの上の達彦に飛びつく。
「じゃ、一件落着で撤収だ、おやすみ」
蒼が部屋から出て行き、それに他のメンバーが続いた。
ラプリアは達彦の部屋のブランケットを巻いたまま出て行った。
「じゃ、一緒に寝よう、お兄ちゃん」
「寝よう」
左右から上体を起こしている達彦の腕に身体を絡める。
確かにサイズは子供だが、その目と表情が子供のものではなかった。
「待て、大体、お兄ちゃんって何だ?」
「お兄様の方がいい?」
「兄上様……」
「そういう話じゃない、唐突に馴れ馴れしいだろ」
何故か二人が自分に懐いている気配を達彦は感じていた。
「ティリと結婚するなら、家族のようなもの」
「家族……」
「い、いや、結婚とか」
人間の世界の言葉で言われると、人間だった時の感覚で考えて焦ってしまう。
蒼とは共闘するという約束を交わしているが、最終的にどういう関係を構築するかを考えてはいなかった。
それに達彦には今はラクティという相手が居た。
「違う?」
「まちがった?」
「ああ、違う、今、アイツとはそう言う関係にはない」
「本当に?」
「……ほんと?」
「ああ」
「ふーん」
「……」
二人が達彦の瞳を左右から覗き込む。
二人の瞳の色は、共に赤くそれだけが二人の中で共通する部分だった。
「状況的に完全に脈なしという訳でもないかな」
「新たな魅力に……気づく」
「はあ?」
「今は、まだこれでいい」
「時が……くれば」
「何を言っているんだ?」
二人の言葉は予言めいた響きだった。
「じゃ、寝よう」
「睡眠……」
達彦の言葉に答えることなく、その両手を左右から持って、達彦をベッドに押し倒す。
「なっ、待て、俺は向こうのソファーで寝るっ!」
二人の腕を振り解こうとするが、全く無理。
明らかに子供以上の力で押さえ付けられていた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫」
「……ちょっと、だけ、だから」
「いや、ちょっとって、何だ!?」
「お婿に行けないようなことには、しないから」
「……そこまでは、しない」
「おいぃ!」
渾身の力で引き剥がしに掛かる。
「暴れるから仕方ない」
「……うん」
二人の雰囲気が一瞬で危険なものに変わり、
「うっ!」
直後、達彦は後頭部に衝撃を感じて昏倒した。
そして、部屋の電気が消えた。
3
「――それで、私のラストコアがある場所の調査結果は?」
「はい、私が出向いた範囲では、紀元前の遺跡があるだけの場所としか」
「だとすると、私が行かないと、おそらく何も起きない仕掛けね」
達彦の部屋から戻った十月とナリシは、ソファーに二人並んで座り会話を続けていた。
十月が自分のために用意されているという『無垢なる物』のコアの隠し場所を、現地近郊に住むナリシに探らせた結果の話。
黒海沿岸部は、リエグが黒海にあったことから『無垢なる物』の在住数が多い。
その中で十月の知り合いであり、隠し場所のポイントに近い所に住んでいるのがナリシだった。
「私の住んでいる辺りを含めて、基本的に探索済みですから、今さら、リエグ関係の品が出て来る所があるとは、思っていませんでしたー」
「実際、出て来るかは行ってみないと分からないけど」
「そうですねぇ、それで、十月さんは封印の方はどうするつもりなんですかぁ? レーナさんからの指示等は?」
「それね……判断は保留されているというのが、現状よ」
「そうなのですか、けれど、封印を解くとなれば反発は大きいかと」
「まぁ、だよねー、基本私達は封印を守るのが役目だし、封印を現地で物理的に守っているの、私の妹だし」
十月が少しだけ優しい瞳でナリシ以外の別の空間を見た。
「諸々の情報の開示は、控えているのですかぁ?」
「それは当然、こちらがアドバンテージを持っていたいし」
「どこまで協力するつもりなのですかぁ?」
「現地までは行くわよ、大体、放っておくとクレイドルの方も何かして来るだろうし」
「クレイドルに良いようにされるなら、こちらで解いてしまうということも?」
「向こうに強引にこじ開ける力があった場合、そうなる可能性もあるかな」
「強引というなら、蒼さんが持っている『アレ』は……」
ナリシが心配そうに言う。
「『アレ』に関しては想定外だったかな、ラクティと一体化しているミシリアが持つことで本来あり得ない使い方が出来るようになっている、それに元々、ラプリアの防壁を突破する為の空間断絶機能、そして『無垢なる物』を一撃で停止させる機能を持っているし」
「ラクステリアの剣と同じような力ですよね?」
「あっちは人間にしか使えないし、こっちの方がもっと質が悪い、こちらのコアに干渉する力なんだから、今のラプリアがおかしいのは、その時の傷のせいだって蒼ちゃん達は知らないわけだし」
「元々はあんな風では無かったと?」
「詳しくは知らないけど、元からあんなプログラムだとは思えない、ただ、ラプリアが偽装で壊されたことを考えると、今の形をリティスは想定していた筈。そう考えると今で完成形なんだろうけど」
「祖竜達に破壊されない為にワザと暴走させて、ミシリアにも真実を知らせないまま、トドメの武器である『アレ』に細工をして偽装破壊した、という話ですねぇ、にわかには信じ難い話ですぅ」
「そうだよね、私も知ったのはコアを一個、達彦に返した時にロックが掛かっていた部分のメモリーが解除されて知った訳だし、ラプリア当人や蒼ちゃんですら、暴走はバグだったと思っている筈よ」
バグで暴走したラプリアをミシリアが停止させ、バグるようなドールでは使い物にならないということにして、祖竜の目から隠したのが蒼達が知る偽装だが、そのバグすら偽装の一部だったという話だ。
「メリアシスクを欺くためにリティスが何重にも策を練ったということですねぇ、そこまでして守ったラプリアには、何があるのでしょう?」
「蒼ちゃんから聞いた話だと、最強の眷属として作られた『無垢なる物』というだけで、詳しいことは不明、ラクティが会ったフィテアというリティスの使徒たる竜も詳しいことは知らなかったみたいだし」
「謎だらけですねぇ」
「まぁ、クレイドルに元々居たこともリティスの計算だとすると、相当に大きく今回の封印解除に対して絡んでくる存在だとは思うけど」
ラプリアは『無垢なる物』、クレイドル、竜の三つの派閥に深く係わるドールであり、そんな存在は他には居なかった。
そのことが全く無意味だとは到底思えない。
未来を観ることが出来た祖竜リティスが制作に携わっているとなれば尚更だった。
「何にしても、蒼ちゃんが『アレ』を使って強引に封印を解いて、さらに私の妹と対峙するのはマズイ、『アレ』の力があれば私の妹でもきっと危ないし」
「『封印の石』のことはどの程度までデータが?」
「そんなには知らない、起動前に見ただけだし、ラストコアを手に入れたら分かることもあると思うけど、ただ、私よりは強いと聞いている、そして、基本的には私と同じ防御機能だとも」
「では、ダブルコアシステムを積んでいるのですねぇ」
「いえ、それとは別のを積んでる、お父様の最高傑作を」
「その時点で脅威ですぅ」
「確かにね、今まで封印が破られていないことを考えると、かなり安定したシステムと言える筈」
「でも、クレイドルが封印に攻撃を仕掛けていたのはもう随分前の話ですよねぇ? あまりに被害が大きくて、最近は主に封印の監視だけの筈ですぅ」
「でも、封印があることは確かだし、ここ一年程度でクレイドルの劣化ドール生産能力が上がっているから、私達に知られない範囲でドール達を特攻させている筈」
「探りを入れているということですかぁ?」
「アルジアスが突入する時の為に最新のデータは欲しい筈だし」
「それは確かにあり得ますねぇ」
現在クレイドルにいる魔竜アルジアスは次元に干渉する力を持ち得ていた。
その力を強くすれば、封印に穴をあけることが出来るかも知れない力だ。
「アルジアスの力が強くなったことも、蒼ちゃんが覚醒したことも、色々なことが、今という時に始まるように仕組まれていたことは、分かっていると言っても、少し腹立たしいわね」
まるで他人の意思で盤上の駒にされた気分だった。
そして、駒としては重要ではない駒に配置されている気がすることも、良い気分にはならない原因だ。
「メリアシスク、リティスその両方の未来視の結果が収束するのが、今ということなのですぅ」
「全て二人の計画通りと言えるし、また、おそらく互いに互いが予想しないことも起きている筈」
「もうすでに何が起こるか、分からないのですぅ」
「でも、さっきの小さい竜達が言っていたように、大戦を再び起こすことだけは避けたい」
気に入らない二人だったが、言っていることだけは賛同出来た。
リエグの封印を守る立場からしても、無駄な力の衝突による大破壊は防ぎたいと思えた。
「そうですねぇ、過去の大戦はリエグの力があったからこそ、被害を黒海範囲で抑えることが出来ましたが、今はその抑えがないです、あったとしてもクレイドルが動くくらいで、その力では到底抑えきれません」
「それに人間も増えた、黒海を完全に無人にすることなんて出来ない、祖竜同士が全力を出すようなことになれば、沿岸部を含めて、どれだけの被害が出るか想像も出来ない」
「大きな戦いになることを止めたいとして、私達にそれだけの力があるのか、が問題ですぅ」
「それなんだよね。私とレーナあとマスターに来て貰えば、蒼ちゃん一人くらいなら止められるとは思うけど、ラプリアと達彦がどう動くか分からない……まぁ、達彦はヘタレだから言葉で止められるとしても」
「ラプリアさんですかぁ」
「それにラクティがどう動くかも分からないし、フィテアって言う使徒が行方をくらましているのも気になるのよね」
「ラクティさんは、話を聞く限りでは、蒼さんの側に付くと思いますが」
「そうなる可能性は高いと思うけど、ラクティも心情は穏やかじゃない筈なのよね」
十月は蒼とラクティと達彦の関係に気付いていた。
というより、そういうことに興味が無いのでなければ誰でも気付く。
何か問題が発生したとして、一番強く動くのはラクティだという確信が十月にはあった。
事が穏やかに運ぶ可能性の方が色々な意味で少ない。
だとすれば、その時、ラクティがどう動くのか、そこまでは予想出来なかった。
「あとはもう二人で話していても仕方ないか、基本的な方針は確認出来たし」
「私達の側は、受け身ということですねぇ」
「そうなるよね、あまり嬉しくはない結論だけど」
「状況的に、こちらの力が低いのでは諦めるしかありません」
「それは、ラストコアを私が取り入れて、どの程度力が上がるか、そこかな」
この時を予測して十月の制作者であるオプティーが残した『無垢なる物』最後のコア。
その制作には、達彦の前世とも言える祖竜一柱リブオールが掛かっている。
となれば、メリアシスクの予測ともリティスの予測とも違った可能性が、そこにあると思えた。
十月は全ての『無垢なる物』のベースとなる『始まりのコア』を有している。
十月のコアの解析を十月自身が許さないため、現在『無垢なる物』を新しく製造することが出来ないのだ。
ボディーのみの制作方法などは、別ルートでも伝わっているが、コアの真髄に当たる部分は今は十月のコアの中にしか残っていない。
もちろん、その技術を開示しないのは、リエグの力の封印を担っている立場であるためであり、妹である『封印の石』が、物理的に封印可能な物を守り、姉である十月が外に漏れる可能性がある知識の封印を守っているとも言えた。
「期待出来るものだと、良いのですけどねぇ」
「私としては、強さを期待するとしても」
十月が少し難しい顔をする。
「するとしても?」
「お父様のことだから、変な機能が付いている気がするから、それだけは正直やめて欲しいかな、と思ったりもしている感じかな」
「ああ……」
「今の状態でも、全力時は露出の高い格好に強制的になったりして、正直、相当嫌だから」
強い口調で言う。
「私の父は、そういう機能をつけることはしなかったですが、各ドール性格には拘りがあったみたいですねぇ」
「ぶっちゃけ、変な子が多いよね」
と、急に真顔で十月がナリシのことを見る。
「ひどいですぅ」
ナリシが手を軽くグーにして、十月のことをぽこぽこと叩く。
「叩くってことは、実感あるってことだよねー」
懲りた様子なく十月が手でガードしながら言う。
「もうっ!」
怒った顔になり、ぽこぽこの頻度が増す。
「わー」
それを十月が抱き付いて止めて、そのまま二人ソファーに倒れ込む。
「ただの冗談、冗談、よしよーし」
ナリシの頭を撫でて緩い声を出す。
「ううっー」
「ほーら、落ち着いてー、このままずっと、よしよししてあげてもいいから」
身体を抱き締めて、頭を優しく撫でることを繰り返す。
「そんなことで誤魔化されませんー」
「まぁまぁ、だから冗談だって」
「もう……」
十月の撫で撫でが効いたのか、ナリシの表情から怒りが消えて、その文句の声が小さくなる。
「機嫌直して、ね」
「わ、分かりました。今回は特別ですよぉ」
「ありがとう、ちゅ」
十月がナリシの額の髪を指で避けて、そこに軽くキスをした。
「……と、十月さんは、みんなにこういうことし過ぎです」
ナリシの顔が赤くなる。
「好きな人にしかしないけど?」
「うぅ……」
さらにナリシの顔が赤くなった。
「じゃ、そろそろ、寝ようか」
「……はい」
「なら、おやすみ」
「い、いえ、その前にベッドに行った方が……」
「別に、ここで一緒に寝ようよ、このソファー柔らかいし」
「……わ、分かりました」
二人抱き合う形で、そのまま眠りにつく。
ナリシが手を伸ばして、近くの背の低いテーブルの上にあったリモコンで、部屋の電気を消した。
2章.さざ波
1
翌日、達彦の部屋からローリスアとローアルナの二人の竜の姿は消えていた。
呼んだ客ではなかったこともあり、特に誰も気にすることなく一行はトルコ国内の目的地に向かった。
再びエセンボーア国際空港に移動、そこからトルコの国内線でトラブゾン空港まで短時間のフライト、そこからさらにナリシが用意した七人乗りのSUV車に乗り換えて、目的地であるリゼ県に向かう。
トラブゾンからリゼまでは黒海の沿岸の道を、二時間弱ずっと進むコースで、左手側にずっと濃く青い海が見え続ける観光スポットともいえる街道だった。
また右手側に見える人が生活する景色も、白い石造りと赤い屋根の建造物に大体統一されていて、アンカラの中心部と違って異国に来たという雰囲気を出していた。
海風に潮の匂いが乗り爽やかに吹く。
空は晴れていて、薄い雲が少し見える程度。
「この辺りは観光と漁業が中心の街が多いですぅ」
車を運転しながらナリシが言う。
「海は砂浜があまり無いんだな」
助手席に座る達彦が感想を漏らす。
窓から見える海は港に整備されたところ以外は、石浜といえる場所が多かった。
「川があまり無いと、そうなりますねぇ、でも観光用に整備されたビーチと言える場所もありますぅ、ただ、黒海はいきなり深くなるので、泳げるところは限られますがぁ」
「ふふふ」
すぐ後ろの席に座る十月が怪しく笑う。
「なに?」
その隣に座る蒼が聞く。
「まぁ、着いてからのお楽しみ。リゼに入ってすぐ良いポイントがあるから、そこで車を止めてね」
「本当に止めて良いのですかぁ?」
「まぁ、100パーセント空いているし、良いと思うけど」
「そうですけどぉ」
十月がナリシと二人だけが分かる会話を続ける。
そして、海沿いの道を走り続けて、前方に海岸近くまでせり出して来る針葉樹の山が見えた頃、車は停止した。
「よし、着いたー」
「いや、別段、何も無いと思うが」
蒼が車の中から周囲を見渡す。
山が近くなっただけで、他の景色は大きな変化はない。
特に人通りが増えた訳でも、建物の数が変わった訳でもない、あえて言えば雑居ビル的な建物が増えたくらいで、一帯に続く港町の光景だった。
「海よ、海があるでしょ、ナリシ開けて」
「はいぃ」
十月が蒼の手を引いて車の外に飛び出す。
その後に続いて他のメンバーが車から降りる。
背の低い草木の生えた散策路的な道の向こうに、砂利の浜が小さく拡がっていた。
見た目にとても綺麗な空間で、夏ならば海水浴をする人間もいるだろうが、今は特に人もおらず、海から見て少し上の道を散歩する老人がいるくらいだった。
「さぁ、泳ぐよっ!」
「はぁ?」
十月の提案に蒼が完全に間の抜けた声で答えた。
「泳ぐ?」
やや遅れて車を降りた達彦も、聞き違えたのか? という雰囲気で聞き直す。
「海に来たら泳ぐのが当然でしょ、ここは夏は結構込むんだよ」
「いや、だから、今はどちらかと言うと冬だぞ」
11月のトルコ黒海沿いは、温かくて20℃、平均15℃程度の日が続く。
今日は18℃くらいだ。
内陸よりは気温が高いが泳ぐという温度ではない。
「大丈夫でしょ? 私達は全員、気温とか関係なく出来るし」
「まぁ、それは……」
達彦はひとまず気が合いそうな美佑を見た。
彼女もつい最近までは一般人だったので、同じ意見である可能性が高い。
出来るには出来ても気持ちの問題がある。
「ちょっと厳しいですよね……」
美佑も困り顔だった。
「いやいや、凍ってなければ泳げる」
十月が胸を張って言い切る。
目の前まで流氷が迫っていても、凍結さえしていなければ泳ぐくらいの勢いを感じた。
「けど……水着は?」
美佑が呟く。
荷物に水着が入っているのは十月以外には居ないだろう。
「大丈夫、私が全員分用意してあるから」
「そんなこと頼んでないが」
蒼が真顔で言う。
「頼まれた覚えはないけど、用意したから、はい、サラマンダー、だしてー」
蒼の背中のリュックに言う。
「勝手に使うな」
「いいから、いいから、出してー」
十月がウーパールーパーリュックの頭を撫でると、その下の口が開いて、そこから、ほぼ同サイズの普通の合皮のリュックが出て来た。
出た瞬間を凝視すると割とグロい図だが、それは一瞬ですぐにサラマンダーの口は閉じて、十月の手に合皮リュックが握られた。
「じゃ、着替えタイム、広域非認識領域展開」
軽々しく、周囲の人間からこちらが認識されなくなる力を使う。
これで、どんなに騒ごうと周辺の住人に気付かれることもない。
広域での使用のため、斜面に建っている家々から覗かれても実質、見えないことになる。
「まて、誰も泳ぐとは言ってないぞ」
「私が言っているし、はい、蒼ちゃんはこれねー」
納得出来ない顔の蒼に水着が入っていると思われる袋を手渡しする。
「大体、こんなところで遊んでいる場合じゃ」
袋を無理矢理持たされて文句を言う。
「別に猛烈に急ぐ話でも無いでしょ? それに、私のコアがある場所に移動するには今日はもう時間が足りないから、午後は、これからの時間はナリシの家に向かうだけだし」
「そうは言っても……」
「まぁまぁ」
十月が蒼の肩に手を掛けて、その耳元に顔を近付け、
「可愛い水着だから、アピールにはいいと思うよ」
蒼だけに聞こえる声で呟く。
「な――」
息を飲んで固まる。
「とにかく、折角用意したんだから着てみて、着替えは車の中で一人ずつね」
「……分かった」
蒼が水着の入った袋を手に車の方に向かう。
「じゃ、美佑ちゃんはこれね」
「あ、はい」
美佑は蒼が泳ぐなら、という感じで袋を受け取って同じく車の方に向かった。
向かった先で蒼と着替える順番を決める話を開始する。
「で、あと――」
十月が周囲を見渡して、
「あ、ラプリア、こっち、こっち」
少し離れた所で、道路の方を見ていたラプリアを呼び寄せる。
「――なんでしょう?」
ゆっくりとラプリアが十月の方にやって来る。
「海水浴をすることにしたから、これ水着、もっていないでしょ?」
「……」
ラプリアは一度視線を車の蒼達の方に向けて、
「分かりました、お借りします」
十月が出した水着の袋を受け取った。
「別にあげるから」
「そうですか、では、ありがとう御座います」
言って一礼して、車の方に向かう。
「あとは、私とナリシだけど、ナリシは用意しているんだよね?」
海の方を見ていたナリシに聞く。
「はい、まぁ」
「じゃ、これで……って、一人忘れていたか、達彦、あなたはどうする?」
「俺の分も用意してあるのか?」
それはそれで少しビックリだった。
サイズ等のこともあるし、男物の水着を十月が買いに行く絵が見えなかった。
「仲間はずれという訳にもいかないでしょ?」
「別に気にしないが……」
「あ、用意した水着に不安があるの? 大丈夫、サイズは私が見切って、買いに行ったのは、私のマスターだから」
「そうか、確か……」
十月のマスターの話は一応聞いていた。十月自体は完全に自立しているドールのため、マスターが居なくても特に問題はないが、十月の好きな相手としてマスターの存在が必要な様子だった。
また、余談だが十月のマスターは、レーナのマスターでもあり、相当に複雑な関係が想像出来た。
「恭司くんだよ、とりあえず普通のスポーツタイプって言っておいたから、問題はないと思う」
十月が水着が入った袋を達彦に差し出す。
「じゃ、付き合うか、仕方ない」
全員が泳ぐ状況なら、肌寒いこと以外に特別に否定する要素はない。
その感覚もあくまで人間としてのもので、切り離しは簡単だった。
「それなら、私達が着替えた後で着替えてね」
「ああ」
十月とナリシが連れ立って車の方に向かう。
大体、着替える順番は決まった様子で、美佑、蒼、ラプリア、ナリシ、十月というふうに見受けられた。
「待つか」
座るのに都合が良い岩積みを見付けて、そこに腰掛ける。
車を背後にする位置だ。
女子の着替えに時間が掛かるのは大体分かっていることであり、それなりに待たされるだろう。
待つ間にビーチを観察する。
ナリシが言ったように浜から少し離れた八、九メートル先は、海の色が濃く深くなっていることを示していた。
波は穏やかでゆっくりと砂利の浜を洗っていた。砂山は作れないが浅い部分で遊ぶには適しているように見える。
南国の海という程ではないが、日本の太平洋側の海を少し綺麗にして波を穏やかにしたような雰囲気だった。
夏になれば混むと言った十月の言葉も理解出来る。
今の時期も、寒いことをリセット出来るなら日射しが厳しくない分、過ごしやすい空間ではあった。
そんな感じで時間を潰していると、着替えが終わった様子で背後がワイワイと五月蠅くなった。
「達彦、着替えおわったよー」
十月の呼ぶ声がしたので、岩積みから離れて車の方に向かう。
その場にサンダルを履いた五人の水着姿の女子が並んでいた。
「どう、ナリシ以外は私が選んだ水着よ」
十月が胸を張る。
その十月の水着は、ホルターネックの赤の水玉ビキニで、そこそこある胸の谷間の部分をフリルで飾っていた。
メンバーの中でもっともスタイルの均整が取れているだけあって、かなり似合っている。
長いフワフワした髪は後ろでポニーテールにしていた。
「……いや、まて」
だが、達彦の目はそんな十月より先にラプリアに向けられた。
ラプリアは元の動物が不明な着ぐるみを着て顔だけ口の部分から出していた。
全体の色は茶色系統、着ぐるみの目はクリっとした黒で愛らしい。
他のメンツ、蒼、美佑、ナリシの三人は、それを見て固まっていた。
「アレはなんだ?」
十月に聞く。
「いやー、私は普通の水着を渡した筈なんだけど、出て来たら、ああなってた」
顔の横をポリポリとかきながら言う。
十月が用意したものではないことだけは分かった。
「ラプリア……それは何だ?」
直接聞く。
「特殊潜行装備」
着ぐるみの口の部分にあるラプリアの顔が、とても真顔で答えた。
「マジか?」
「――というのは嘘」
「は?」
「これはウォンバットの着ぐるみ」
「ウォンバット?」
オーストラリアにいる動物のような気がしたが、今、この場で出て来る意味が分からない。
「そう、コアラに近い生き物で、ずんぐりした体型でモフモフしている」
真剣な顔には違いないが、どこか焦がれにも目線を遠くに向ける。
「まぁ、そういう感じだな」
着ぐるみからも、モフモフした愛らしい雰囲気が出ていた。
そして、その着ぐるみを見ていて達彦は既視感を覚えた。
「……」
少し考えて思い出す。それは蒼が持っているサラマンダーのリュックと似ていた。
デフォルメセンスがそっくりだ。
「まさか、それラクティの持ち物か?」
「正解」
僅かに目を驚いた感じに開いて言う。
「なんでそんなものを着たんだ?」
「着替えるシーンと判断、ここで着ないと、この先出番は無い」
「そりゃ、出番ないだろうけど……そもそも、何故、それを拝借して来た?」
着ぐるみを着る状況など普通に考えて無いし、今からの予定を考えると尚更ない。
「宝物庫から好きな物を持って行って良いと許可された。この身体はエシスの物だった為、装備が足りない、その分を補うための処置」
「装備か……」
ラクティは宝物庫に武具関係はほとんど無いと言っていた。となると、何を持って来ているのか聞くのが恐ろしい。
ウォンバットの着ぐるみも、きっと気に入って拝借したのだろう。
ちなみに、失った代わりに手に入れたエシスのボディーの自己への最適化は完了済みで、外見は元のラプリアに完全に戻っていた。
「ひとまず披露は完了した。水着に着替える」
ラクティが着ぐるみの中から一人で出てこようとする。
大体の場合、一人で脱ぎ着することが出来る着ぐるみは少ない。
「手伝うぞ――」
言い掛けた時、
「構成解除――収納」
着ぐるみ全体が光の粒子になって弾けて消滅、その中から水着姿になったラプリアが現れた。
「……」
「また、私の用意したのと違う」
ラプリアの水着は隠すパーツが少ない、ほぼ黒の紐と言って良いタイプの物。
十月よりは劣るが、それでも普通に出ている所は出て、細くなる部分は細いボディでの紐は、主に達彦には直視出来ないものがあった。
「ちょっと待て、十月が用意したのはどうした?」
目線を反らして言う。
「私は空間歪曲防壁による絶対防衛システムが常時展開されているため、市販のものを簡単に『着る』という行為は出来ません、衣類は一度取り込んだ後、投影する形で『着る』ことになります」
「それで、取り込みがまだだから、その水着と?」
理屈は通っているが、達彦はラプリアが簡単に蒼の服を羽織ってみたりするのを見たこともあった。
どこまで可能で、どこからが出来ないのか、実際のところは謎。
ただ、今は十月の用意した水着を着ることは出来ないという様子だった。
「はい」
ラプリアが肯定する。
「じゃ、その水着は以前取り込んだものってことだよな?」
「はい、アルバートの用意したものです」
「どんな趣味だ」
ラプリアの以前のマスターのセンスを疑う。
自分のドールに露出度の高い水着を着せるというのは、どう考えても変態的な行為に分類されるだろう。
多少の露出ならアリかも知れないが、今のラプリアの水着は動いたら、諸々が全て見えてしまいそうだった。
実際、乳房は完全に見えているし、乳首の一部しか隠れていないと言っていい。
「って……」
思わず、詳しく見てしまった自分を恥じる。
「……」
その達彦を蒼がじぃーーーと無言で見ていた。
「――とにかく、そ、それは駄目だ」
軽く咳払いして達彦が言う。
「では、他に泳ぐのに適した状態となると、脱ぐしか」
全く躊躇いなく言う。
「駄目っ!」
蒼が即座に止めた。
「ちょっと、来て」
そのままラプリアを連れて車の中に戻る。
「あー、まぁ、じゃ、残っている二人ー」
十月が場を繕って言う。
「えっと、私達に振られても……」
美佑が困った顔をする。
「この場で唯一の異性、達彦への水着アピールタイムだよ、遠慮しなくていいから」
十月が美佑の後ろに回って、その身体を前に押す。
「遠慮とか……そういう話では……」
そう言う美佑はモジモジと身体を動かす。
着ている水着はビキニスタイルだが、下はスカート状のパレオが付いて色は白。
全体的に清楚な感じを受ける。
「はい、達彦は感想を言う」
達彦をビシっと指差す。
「そうだな……似合っていると思うぞ」
「あ、ありがとう御座います」
顔を赤くして俯く。
それ以上の会話は難しい雰囲気。
「なら、次はナリシ!」
「わ、私は全く関係ないですぅ」
「いいから」
ナリシの背中を押して、同じく前に出す。
その水着は少しエキゾチックな感じのする特殊カットのワンピースだった。
ナリシの身体は十月よりはややぽっちゃりしていて、その分、胸も一番大きい。
十月がスレンダー系の綺麗さとすれば、ナリシはグラマラス系の綺麗さといえる。
一部がきわどくなっている水着のカットも、その豊満な身体によく似合っていた。
「ナリシは脱ぐと凄いタイプだからねー、達彦もそう思うでしょ?」
「その問いに同意するのは、色々とマズイ気がするんだが」
「わ、私のことは良いですからぁ……感想とか、気にしないでくださいぃ」
そこそこ照れている様子で話すが、身体のラインを隠したりはしない。
「まぁ、良く似合うと思う」
褒めないわけにもいかないので、無難に言う。
「それ、美佑の時と同じじゃん」
「いや、他に言葉がない」
「つまんない感想。そっか、本命は蒼ちゃんだからかー、まだ、ちゃんと見てないでしょ」
ニンマリした顔で達彦のことを覗き込む。
「……」
蒼の水着姿は目には入っていたが、ラプリアの衝撃が大きく、蒼の方を注意していなかった、確かビキニ系だったとは思うが、それ以上思い出せない。
「意外とむっつりタイプ?」
達彦の顔に変化がないことを確かめて言う。
「それよりも、蒼がラプリアをどうするつもりなのか、その方が気になる」
「蒼ちゃんの命令なら聞くんでしょ? 多分、何とかするとは思うけど、蒼ちゃんの性格からすると、とても無難な選択になりそう」
「蒼がアークマスターということになっているからな、相当に難しいことでも従うとは思うが」
「で、その蒼ちゃんに命令出来る立場である達彦の言うことにも大体は従うよね?」
「別に俺は、そんな立場でいるつもりはないが」
過去の盟約、そして、現在の知り合い、また保護者的な気持ちとして蒼の手伝いをするつもりではある。
それだけのつもりだった。
「ふーん。まぁ、いいけど」
とても含みのある言い方をして、達彦から顔を逸らす。
それから少しして、車の扉が開いた。
最初にラプリアが出て来る。
「特に問題はないな」
十月が予想したようにとても無難な競泳タイプの水着だった。青地に水色のラインが描かれたデザインで、ラプリアの淡い紫の髪に似合っている。
やや無機質なイメージの彼女には、スポーティーで無駄の無い水着の方が似合うというのもあった。
「ふー」
そして、小さな溜め息と共に蒼が出て来た。
彼女の水着は、桜色のビキニで黒のラインで飾られ、大きめのリボンが付いた割とあざとい感じのするものだった。
カットも大胆と言えば大胆だが、蒼の身体は十歳前後の外見のため、まったくいやらしくは無い。
また長い黒髪はサイドに分けて、お団子状に結い込んである。
「あえて割と目立つ感じのを選んでみたんだけど、どう?」
「……まぁ、可愛いと思うが」
どちらかと言うと地味な配色を好む蒼のセンスとは違い、明るい色の水着は新鮮に見えた。
色の白さも際立ち、整った肉付きの脚も健康的で美しい。
「そう、なら良かった」
十月が満足そうにして、蒼達の方に駆け寄る。
「蒼ちゃん、その水着、気に入ってくれた?」
「特に問題はない」
無愛想な答えだが頬が少し赤くなっていた。
「そっか、じゃあ基本OKかな」
「別に、そんなに泳ぎたいという訳ではないんだが……」
「まぁまぁ」
「それで、何かプランはあるのか?」
「ううん、何も考えてないけど、大体、適当に、海ってそういうものでしょ」
「……」
明るく答える十月に対して蒼が黙り込む。
「とりあえず、海に入ろう」
蒼の手を握って言う。
「……ああ」
蒼と十月が波打ち際に向かう。
その後ろにラプリアが無言で付き従った。
車の近くに達彦とナリシ、美佑の三人が残る。
「一応俺も着替える」
達彦が二人に言って車に向かう。
「分かりましたぁ、美佑さんは、どうなさいますかぁ? お付き合いしますがぁ?」
「そうですね、少しだけ水に入ってみます」
「それなら綺麗な石とか探しましょう」
「はい」
二人は見た目に浅い部分に向かった。
2
達彦がサーフパンツ型の水着に着替えてから三十分を経過した頃、海辺では誰も予想していなかった光景が展開されていた。
沖の深い位置で、女子のメンバー五人が水面に立つ形で浮かんでいた。
そして、その五人を約二十五メートル四方の薄い光の壁が囲む。水面に光の立方体が浮かんでいる状態だ。
その中で水面とイコールの位置にある底辺を半分に仕切り、その真ん中のラインの端に美佑が立ち、蒼とラプリアが達彦から見て右半分、十月とナリシが左半分に陣取っていた。
「じゃあ、こっちの番、いくよーーーっ!!」
十月がかけ声と共にその手に水面から水を集めて直径一メートル程の球を作り、手を振り切って、蒼達の方に撃ち出す。
その時間、僅かに一秒弱。
水球は秒速百メートルの速度で誰も居ないポイントに迫る。
「はぁっ!」
その場に蒼が走り込み、身体を横に倒しながら水球を脚で捕らえ、それをキックで低く打ち返す。水球は不思議と形を崩すこと無く、十月達が居る方へと水面ギリギリを高速で飛ぶ。
「お任せですぅ!」
ナリシが蒼達に背を向けるような体勢で手を横に出して構え、水平に飛んでくる水球を受け、ナリシから見て斜め後ろに打ち上げる。
「はい、貰ったっ!」
打ち上がった水球の速度よりやや速く十月がジャンプして、高い位置から、それを蒼達の側に打ち落とす。
それは蒼とラプリアから離れた位置を狙う球、蒼達が素速く動けると言っても追い付くのは困難な一撃。
「――光学屈折解除」
と、ラプリアが居ない位置から彼女の声がして、水球が迫るその位置にラプリアが突如出現、難なく打ち返し、十月達が居る側の後ろの壁まで跳び、そこでぶつかって弾ける。
「蒼ちゃんチームポイントです」
美佑が右手を挙げて宣言する。
「ちょ、今のは反則よっ!」
十月がラプリアを指差して抗議する。彼女が水球を高い位置から打った時に、ラプリアが居たところには、誰も居なくなっていた。
「ルールは水球の維持以外は基本身体能力での交戦となっています。ラプリアさんの場合、その身体を防御している絶対防衛システムは自意識で切れないため、外側に見せている自己投影像の位置は彼女の任意身体機能だと判断出来ます」
「要するにどのポイントに自分を投影するのもラプリアの自由だと言うのね?」
「はい」
「くぅぅ、そんなのが通るなら、こっちだって」
十月が悔しげに拳を握る。
「では、ポイント側、蒼ちゃんチームからの再開で」
美佑が再び手を挙げて交戦が再開される。
五人がやっているのは、ビーチバレーの特殊版のようなゲームだった。
左右側面と天井をコート外と見なし、それ以外のコート部分を底辺で半分に分け、互いの底面と背面にボールが当たったら一点。それを互いの身体能力のみで防ぐというのがルール。
その気になれば弾丸並の速度で動くことも可能なメンツだったが、そこはある程度抑えて、二十五メートルという敷地の中で楽しく遊べる速度でプレイしていた。
そういう意味では互いに本気ではないのだが、それなりに白熱する勝負になっているように部外者である達彦には見受けられた。
「しかし、このままにしておくと、何時間でも続けそうな気もするな」
本気を出していない分、疲れ知らずの筈だった。
どうにも一時間くらいでは終わりそうにない気配がある。
今日の予定は残りナリシの自宅に向かうだけだが、ここでずっと遊んでいる訳にも行かないだろう。
「適当なところで切り上げさせるか」
呟きつつ、車の方に向かい、中に置いてある携帯端末を取り出す。
それはレーナがくれた物で、見た目は普通のタッチパネル式の多機能携帯電話だが術式が組み込まれていて、通信衛星を勝手に利用して、電波が届く空間なら全世界どこでも電話可能なアイテムだった。
「まぁ、順番から行くとレーナに連絡するのが先か」
一応現地に着いたことを連絡しておくべきだと思った。
すでに昨日の段階で十月がした、と言っていたが、ほぼ目的地の近郊まで来たので改めてだ。
数度のコールの後にレーナに繋がる。時差はプラス七時間、今十五時過ぎなので日本は夜だ。
『はい、何でしょう? 達彦さん』
たおやかなレーナの声。
特に背後に雑音が聞こえない点から、おそらく自宅で受けているのだろう。
「ああ、そっちが遅くなる前に、一応目的の場所の近くまで来たことを伝えようと思って」
『そうですか、何か問題は発生していませんか?』
「今のところ俺以外のメンツは遊んでいるから何も問題はない。ただ、昨日竜が来たことは聞いているか?」
『はい、十月ちゃんから連絡は随時入っていますので』
「そうか」
十月は案外真面目な部分がある。
『他の方が遊んでいるのですよね? 達彦さんは参加しないで連絡係ですか?』
「いや、まぁ、参加しづらい」
『そうですか。おそらくこの先、忙しくなると思いますから、今の内に息抜きするのが正解かも知れませんよ』
「そうかもな、気を遣ってくれてありがとう」
『いえ。あとついでにこちらは、今のところは特に何も無しです。クレイドルの動きを追っていますが、大きく動く様子は、今はありません』
「アルジアスが動くとしたら予兆なんて無いだろ、空間跳躍して来る筈だ」
『彼女単体で動くとは思えません。総力を挙げて仕掛けて来ても当然といえる状況ですから』
「クレイドル側の戦力は予想が出来るのか?」
『物理兵器は多数保有、それを扱う劣化ドールも揃えています。『無垢なる物』はラプリアとエシスが抜けた今、あと最大で二体、一体は蒼ちゃんが会っているシムリナです』
「最大で――ということは、起動しているのを見たことはないとか、そういう話か?」
ラプリアも最近クレイドルで修復されたドールであり、以前は戦力には入っていなかった。
『はい、私が確認した情報では、壊れたコアだけの保有でアフテア・ミース・ユーリ『光の琥珀』が存在します』
「ユーリってことは」
レーナと同じ制作者の名前だった。
『私の姉に当たる古い個体です、ただ、私の起動以前に壊れ、大戦のごたごたで修復されなかったため、会ったことはありません』
「確か古いタイプの方が、マスターとなった人物への絶対忠誠度が高い場合が多いんだよな?」
『ええ、十月ちゃんのような例外を除けばそうなります、後はラプリアのような高機能タイプは特に強い傾向があります』
十月は最初に作られたドールだが、絶対的な忠誠心があるようには見えない。
きっとマスターを裏切ることはないが、それは忠誠から来るものではないだろう。
そして、ラプリアは見ていれば分かる。
「じゃあ、そのアフテアという娘もそういうタイプなのか? ――いや、詳しくは知らないのか?」
『はい、アフテアに関しての情報はメモリーにスペックシートがあるだけです。ただ、私を創ったユーリは真面目な人でした、その性格はドールにも反映されています。自分で言うのも変ですが真面目にマスターに尽くすタイプが多いです』
「そうか、スペック上、特に問題となる機能はあるのか?」
『その質問は私のコアの能力に関係する部分もあるため、今詳しく話すことは出来ません。ただ、単体の戦闘力は平均より相当に下です。それでも、完全に能力が使える状態になっているとしたら、面倒な能力は持っています』
「そうか、まぁ、それなら詳しくは聞かない、大体の推測は出来るし」
単騎での戦闘力が無いという点、レーナと同一系統の個体である点。
その二つから考えれば指揮官タイプか、集団を作り出したり、操ったりすることが出来るタイプではないかと想像出来た。
『すみません』
「いや、そっちもそっちの事情がある訳だから気にはしない」
『そう言ってもらえるなら助かります。基本的にこちらの立場は竜達と交戦状態になることを避けたい、というのが真であり、そちらの思惑全てを肯定する訳ではありませんから』
「分かっている」
利害関係の一致で共に行動している仲だということは、良く分かっているつもりだった。
『他に何か知りたいことはありますか?』
「いや、今はいい、また何かあれば連絡する」
『はい、では』
通話が終了する。
特別に大きなことは、まだ何も起きていないことは分かった。
基本的に変化なしと言っても問題ない。
「――じゃ、次」
個人的な連絡相手に電話をする。
同じく数度のコールで繋がった。
『ん? なに?』
「いや、今、大丈夫か?」
『ええ、もう店の方は閉めた後だから平気よ』
電話の相手は日本で喫茶店の代理マスターをしているラクティだった。
その喫茶店はラプリアの主人のもので、ラプリアと一緒に切り盛りしていたのだが、実質の行方不明で、ラプリアも日本から離れてしまうということで、ラクティがしばらく店を預かっていた。
ラクティが言い出した話ではなかったが、彼女の料理の腕は高く、紅茶を淹れるのもケーキを焼くのも得意だったので、半ばなし崩し的に決まっていた。
「そうか、一応目的地の近郊に着いたから連絡だ」
『大体予定通りみたいね』
「ああ、そっちは変わりないか?」
『特に問題はないわ、まぁ、急に美少女喫茶になってしまったので、戸惑う人はいるみたいだけど』
「手伝いの子達は、どんな感じなんだ?」
『気になるの? 写真転送出来るわよ』
「いや、そこまでしなくていい。『無垢なる物』が来ていると聞いているから、どんな感じなのかと、思っただけだ」
『ああ、そう言う話ね、十月とかラプリアとか見ていたら心配になるものね』
電話の向こうで頷いているラクティの姿が想像出来た。
「まぁな、けど、本来の『無垢なる物』は、ああいう感じではないのだろ?」
『ええ、大戦より前に作られた前期型の子達だから、普通にメイドさんというか、そういう感じね』
「特に人形っぽいとか、そういう感じは?」
『いえ、普通よ。現代に生きているのだから今の知識もあるし、そうね、美佑ちゃんを大人にした感じだと思って』
「美佑か……大体、分かった気がするな」
少し大人しい感じの礼儀正しい子が揃っているということなのだろう。
前期型は、基本的に人の世話をするために制作されたドールで、戦闘力はほとんど持たず、仮にあっても人間相手の護身術程度の力しかないと、こちらに来る前にレーナから聞いていた。
『あと何かあるかしら?』
「お前の体調は、大丈夫なのか?」
ラクティは竜の身でありながら、今は『無垢なる物』の身体を使用していた。
『心配は無用よ、特に問題はないわ』
「何かそっちであった場合に戦えるくらいか?」
『特に私だけを襲う必要は誰にも無いと思うけど、自衛は出来ると思うわよ』
「そうか……ならいい」
『ありがとう、心配してくれて』
「いや、出発が急だったし、色々と」
『そう、でも大丈夫よ。――ところで蒼達はどうしているの?』
「蒼達ならビーチバレーのようなものをやっている」
『は? 今、そっちも晩秋でしょ? むしろ冬?』
ラクティの呆れた声が大きめに受話口から響いた。
「十月が言い出した話だ、気温なんて無視出来る、って感じで」
『確かにそういうノリの子ではあったけど……誰か反対しなかったの?』
「したが、押し切られた」
『相当ね、私の方が写真撮って送って欲しい状況よ、今、撮れる?』
「ああ、少し待ってろ」
通話を一旦保留にして、海上にいる五人に迫る。
大体全員の動きが止まった瞬間を狙って全体を一枚撮り、さらに各自のアップを一枚ずつ撮ってラクティに転送した。
「――送ったぞ」
『あら、流石に特別製ね、遅延無く来たわ』
「状況が理解出来るくらいに撮れているか?」
『大体はね……でも、水着はどうしたの? まさか全員が用意していた、ってことはないでしょ?』
「十月が予め全員分用意していた」
『そこまでするなんて、余程、海で遊びたかったのかしら?』
「さぁな」
そこまでのことは分からない。
『けど、楽しそうね、各自の水着も似合っているみたいだし』
「まぁな」
『それで、ちゃんと蒼のことは褒めてあげたの?』
「何故、そういう話を振る?」
『振ったら駄目?』
からかっているようなラクティの声。
「駄目とか以前の話だ、お前がそれをいう立ち位置ではないだろ?」
達彦とラクティは付き合っている。
その上でラクティの方から、他の女子のことを『褒めているか?』と聞かれるのは、違和感のある話だった。
『そうね、単なる興味よ』
「……蒼に聞こえたかは不明だが、褒め言葉は言った」
十月の問いに答える形で口にした言葉が、蒼の耳に届いているかは分からない。
『ふーん、だったら、もう一度褒めておくこと、私からも可愛いわよって伝えておいて』
「それは絶対か?」
『ええ、絶対よ』
「何のために?」
『可愛い蒼を愛でるためよ』
「意味が分からない」
『いいから、じゃ、あとは特にないみたいだし切るわよ』
「変な指示だけを残すな」
『そんなにおかしな指示ではないと思うわよ。それじゃ、また』
ラクティの方が通話を切った。
再びかけ直すことは可能だが、間違いなくすぐには出ないだろう。
「…………」
携帯端末の画面をしばらく睨んだあと、それを車に戻して波打ち際の岩積みの上に腰掛ける。
その位置から蒼達の姿は良く見ることが出来た。
五人が騒ぐ声が波の音と一緒に達彦の耳に届き、とても盛り上がっている様子だった。
「褒めるか」
ボールを追い掛ける蒼に注目する。
外見は完全に子供でしかない。
今の蒼なら自力で外見を成長させることくらいは出来る筈だった。無理をしたことで竜としての基本構成力が減ったと言っても、それは祖竜として覚醒する前の話だ。
祖竜としての知識を得て、体内に『無垢なる物』のコアを取り込んでいる今、元々リティスの力の器として生まれた蒼の基本構成力は完全に戻っていると思っていいだろう。
それでも外見を元に戻さない理由があるとしたら、元に戻ることは力を使う作業であり、効率の悪いことを行わない蒼の性格によるところが大きい気がした。
他の理由もあるのかも知れないが、達彦には思い付かなかった。
蒼の方も小さいままでは戦闘時に不利などと言った理由が出来たら、元の外見に戻るかも知れないが、現状の蒼の戦闘方法においては、身体のサイズは特別に問題にならない。
背中の器官を剣として分離して対象を取り囲み一斉攻撃。
さらに体内のリルラルの力による竜詩の行使、また祖竜としての力によっての短距離の空間跳躍。
切り札として、時を止める力を後六回使用可能。
基本的に間合いを取っての戦闘方式であるし、近接戦になったとしても、むしろ小さいことを生かして、敵の懐に入り込むような戦い方をする。
「まぁ、無理して戻るようなヤツじゃないか」
仮に元の姿に戻った上での水着姿なら、達彦の気持ちはもっと動いたかも知れない。
今の姿も充分に可愛いが、それはあくまで可愛いだけだ。
祖竜として覚醒した今は違うが、それより前は小さくなった身体に合わせて精神年齢も退行していた。
どう考えたとしても、蒼は自分の歳の離れた妹のようなものでしかないと思う。
だが、昨日から自分の周りで、妙に蒼のことを異性として意識しろ、という動きが続いている気がする。
その流れを全く無視出来るほどに達彦の神経は図太くはなかった。
「全く、ラクティまで何なんだ」
付き合っている相手からも言われるとは思わなかった。
どういうつもりで言った言葉なのか考えてみても分からない。
まさか、浮気を推奨する意味で言ったとも思えない。
「…………」
海を見て考えても、やはり答えは出ない。
となると、褒めるだけ褒めないと、どうにも収まりが悪い気分になって来る。
一言、褒めてしまえば、モヤモヤした気持ちが消えて、ラクティの真意を考える必要もなくなる気がした。
達彦は褒めると決めて、試合が一段落付くのを待った。
3
達彦との電話を終えたラクティは喫茶店があるビルの屋上に上がっていた。
ビルと言っても三階建てで、周りにある雑居ビルよりも随分と低い。
上を見るとビルとビルに囲まれた狭い空が見えた。
「ふぅ」
吐く息が白くなる。
まだ着替えを済ませていないので、店でのメイド服姿の上にコートを羽織っている状態。
十一月下旬の日本の夜は少し冷えていた。
「さて……」
落下防止の柵に身体を預ける。
店を手伝っているドール達は全て帰らせた。入り口も閉めてある。
周囲を見渡して誰の気配も無いことを確認して、右手の人差し指で空間をタッチする。
すると、ラクティの周りに白く発光する小さな文字の羅列が浮かび上がった。
右手が空間に触れる部分にはキーを形作る発光。
「……ん」
文字列は高速で別の文字列に入れ替わって行く。
それを目で追うラクティの顔色は曇っていた。
「思ったより深刻ね」
三分ほど文字の羅列を睨んで、それらを消去する。
「逆算して、その時を考えて用意しておくべきかしらね」
呟き、柵に預けていた体重を戻して屋上の出入り口に向かう。
と、その歩みに合わせて鳴る店内用のパンプスの足音が、出入り口まで数歩の位置でピタリと止まった。
「あら? 誰も呼んだ覚えはないんだけど?」
「鋭いな」
屋上の片隅に、闇に溶けるような別の人物の姿があった。
「そんなに隠れているつもりはなかったように思えるけど?」
「そうかもな」
その人物がラクティに接近する。
出入り口の上部についているランプの灯りに照らされて、その姿が次第にはっきりとして来る。
「あなたはアルバートさんで良いのかしら?」
「詳しくて助かる」
喫茶店の本来の主人であるアルバートが乱暴に羽織ったトレンチコート姿でそこに居た。
「この場所に居る以上、あなたのことくらいは分かって当然でしょ?」
喫茶店のあるビルにラクティが居ることにしたのは、そこがクレイドル側からして都合が良い場所である可能性が高いからだ。
アジトの一つとして完成しているならば、誰にも気付かれずに戻って来ることが出来るようなルートが、予め設置されている可能性もあった。
「なら、俺が戻って来ることを考えて、ここに居たのか?」
「そうとも言えるし、違うとも言えるわ、ただ、誰も来ないとは思っていなかったけれど」
「そうか、なら、こちらの狙いも正しかった訳だ。――単刀直入に言う、情報を交換しないか?」
「何が正しくて、どうして、そういう話になるのかしら? 諸々端折り過ぎよ」
「いや、お前なら分かりそうな気がしただけだ」
「あら、そう」
ラクティはアルバートのはっきりしない物言いを軽く流した。
探り合いになった場合は、先に多く話した方が負けだ。
「まぁいい、話を戻す、情報を交換する気はないか? この意味が分からないという回答は無しだ」
「別にいいわよ」
ラクティは相手の申し出に即答した。
わざわざ接触して来た以上、ここで追い返してしまうのは勿体ない。
「でも、こちらの情報なんて大したものではないわよ」
おそらく大半はクレイドル側が知っていることばかりの筈。
「何をこちらに漏らすかにもよるさ、あと、情報の選別は任せる」
「ふーん、なら、伝達方法は? 貴方は最初から用意して来たのかも知れないけど、こちらがすぐに出来る方法は口頭伝達くらいよ?」
「お前は『無垢なる物』としての力が使える筈だ、外に情報をセーブ出来るデバイスを用意してある」
アルバートがコートのポケットから一昔前のMDに見えるような物を取り出した。
「用意がいいのね」
「情報の移動方法は分かる筈だ」
ラクティに向かってそれを投げる。
「ええ、それは問題ないわ、それで、そちらの情報は?」
キャッチして、自分の中の『無垢なる物』のコアと意識接合する。
「これだ」
同じくポケットから小さな板状の物体を投げて寄越す。
受け取るとサイズの小さい光学メディアディスクの収まったケースだった。
「受け取ったわ、まぁ、データは書き込まれていると信じてあげる」
「そこまで馬鹿なことはしない、この先も可能なら接触させてもらうつもりだからな」
「それは互いに情報が有用だと思えた時に限られると思うけど?」
「そうだな」
「じゃ、これ」
ラクティは情報を転送したデバイスをアルバートに投げて返した。
どういう目的があって動いている相手なのか不明だったが、今は逆に相手の出方を見極める意味でも乗るしかない、それに、今回の事象には多数の思惑が絡んでいる。
その中でより多くの情報を持つことは、全体を知る上で絶対に必要なことであり、ラクティから見てアルバートは、多くを知っている相手のように感じられた。
「――では、いずれまた」
アルバートが後ろに歩き、そのまま闇に消えた。
ただの人間ということになっているが、少なくても何かの術式を使えるか、術を支援してくれる仲間がいるのだろう。
「まずは、これを調べるところからね」
ラクティはディスクを持って、屋上のコンクリートを蹴って近場の雑居ビルの上まで跳躍した。
そのまま自分の居城としているデパートに向かう。
そこそこの距離があったが、安心して作業が出来る空間でデータを開きたかった。
*
かなり古い造りの日本家屋、その一室に長卓型の掘り炬燵が設けられていた。
部屋は障子と襖で仕切られており天井は高く大きな梁が渡してある。中の空間は六畳ほど。
そして、炬燵の長卓の上に、梱包用の茶色い紙に巻かれた長方形の箱が置かれていた。
「ふむ、やっと届いたか」
炬燵に脚を入れている紺の着物姿のアルジアスが箱に手を掛ける。
梱包用の紙を乱暴に破り、中の箱の蓋をじわじわと開けて行く。途中、掛けてあった偽装の術式が光となって砕けて散った。
「ほう、これで再生品か……悪くない出来じゃな」
箱に入っていたのは、柄まで含めて長さ一メートル程度の曲刀。漆黒に赤を散りばめた鞘に収まっており、アルはそれを手に取って鞘から抜いた。
現れた剥き身は片刃刀。
それは、一見シャムシールにも見えたが、鍔は日本刀のような形で刃全体の厚みもそこそこにあった。
「――失礼します、お茶をお持ちしました」
と、障子が開いて、そこから偽エスリートがお盆に急須と茶碗を乗せて現れた。その姿は地味な和服に白のエプロン。
「うむ、そなたも、これを見て行け」
「はい」
偽エスリートは長卓にお盆を置くと、そのまま炬燵の中に脚を入れた。
「これは、黒海周辺の旧リエグ支配地域から発掘した刀身を復元したものじゃ」
「私の感知では、特別に強力な力は感じませんが」
「そうじゃな、天を斬り、地を割るような力はないが、この刃の材質は、おそらくこの刃以外には存在しないものじゃ」
「というと?」
聞きながら湯飲み茶碗に玉露茶を注いで行く。
「――どうぞ」
「うむ、すまん。で、この刀身だが、これは固体物質であって固体金属ではない」
お茶を受け取って答える。
「では、液体なのですか?」
「そうとも言える、液体と固体と気体の三相を同時に維持している、しかも、それを使用者の意思で構造相転移可能なのじゃ」
「気体になった場合、拡散してしまうのでは?」
「使用者の意思によってその構造分子は必要以上には拡散せぬ」
「それで、その刃で何が可能なのですか?」
「竜の攻撃相とぶつかっても打ち負けぬ硬さとしなやかさをもっておる、そして――」
刃を急須に向ける。
すると、その刀身がぐにゃりと曲がって急須の柄に絡む。それをアルが持ち上げて偽エスリートの湯飲み茶碗にお茶を注いだ。
「このように意のまま操れる、物質の総量より伸びたりはせぬが、余の力があれば相手の武器と打ち合った際に絡めて奪うことも容易じゃ」
「現状、珍しいとは思いますが、さして特別に求める程の逸品ではないと思われますが」
偽エスリートが冷静に感想を述べる。
それは、アルジアスの力を知っている上での発言だった。アルは己から溢れる黒い霧からあらゆる武器を無限に作ることが出来た。
全ての武器を使い捨てにする戦い方が一つの基本戦法であり、その中で多少風変わりな一振りの刃を求める理由が分からなかった。
「いや、現状で竜と打ち合うのであれば、余の生み出す武器では打ち負ける。もちろん、強化すれば問題ないが、その力を使うのであれば、別に一本こういった刃物を持っているのも悪くはなかろう?」
「その点は同意しますが、他に何も特別なことはないのですか?」
「いや、今説明したことが全てじゃ、あくまで、表面上の機能説明ではあるがな」
「つまり、裏に応用的な使い方があるということですか?」
「そう思っていれば間違いはないが……今、全てを語っても面白くはない」
アルが玩具を自慢するのを実は堪えている子供のような顔をする。
「そうですか――分かりました」
偽エスリートはあっさりと刃への興味を失ったような態度を取る。
「なんじゃ、食いついて来ぬのぅ」
「まだ仕事が残っていますので、お茶はいただいて行きます」
偽エスリートが、まだ熱いお茶をほとんど一気に飲んで炬燵から出る。
「しかし、お前にシムリナの仕事を引き継いでもらっておるとはいえ、彼奴が抜けた穴は単純に大きい」
刃を箱に戻して呟く。
「現在捜索中です」
「まぁ、アルバートが抜けるのは読んでいたが、シムリナもつるんでいたとは予想外じゃった」
「どの組織の下にいるのかすら分からない点が不安要因、唯一レーナの側に居ないことは確定済みですが」
「祖竜側に情報を漏らしているのは確かだと思うが、完全に祖竜の駒という感じはせぬ」
シールドされた庭園に祖竜ユーシリアが侵入して来たことから、祖竜との繋がりは確定だとアルは考えていたが、仮に祖竜側だけとしか繋がっていないとしたら、それまでの行動が不自然だった。
今、祖竜は二つに割れているような状態だ。ユーシリアやメリアシスク側がリティス側の力になることをするとは思えない。
それなのにアルバートは結果的にリティスである蒼の為になることをしていた。
「では、可能性として、ごく僅かな人数の新たな勢力ということは?」
「そういった勢力があったとして、その目的が分からん、今は封印を解くか、封印を維持するか、二つに一つ筈じゃ?」
「その二つに一つだとするなら、今ある組織に入れば足りると?」
「そう言うことじゃ」
「では、全く違うことに何か意味を見付けて活動している可能性ですか?」
「そこまで考えていたらキリがないと言うべきじゃな」
「しかし、リエグのことを知っているというだけで、かなり限定はされます」
「限定はされるが、その全てを把握出来ている訳ではない。ドールの中にすらレーナを無視している存在もいるらしいし」
「レーナが絶対的ではないのですか?」
「お前の知識はエスリートの一部を受け継いでいる筈じゃが、それは知らぬのか、まぁ、我のコピーも万能ではないからのぅ」
創り出した本人が自嘲気味に呟く。
「知識の部分は、エスリート本人がロックしている部分が多く、その血から生まれた私でも全てを転写することは出来ませんでした。決して、創り手のミスではありません」
「そうか、そう言ってくれるなら、世辞でも嬉しいが。まぁ、レーナの話だったな」
「はい」
「余は竜側である故、クレイドル内のドールに関する情報の全てを知る訳ではないが、一応上層部にいる存在として、聞いたことがある程度の話じゃ」
「どういった話ですか?」
「大戦時、完全に兵器として創られた後期型のドールの中には、自己進化タイプが居た、そいつは理性を持ちつつも、最強を目指すという自我であり、今もどこかで己の改造を続けているらしい」
「そのタイプのドールは一体しかいないのですか?」
「さて、それは不明だ。おそらく一体……ということじゃが、その物に対しての資料は少ない、何しろ、完全に一つの目的のために動き、他の何ともかかわっていないからな」
「最強を目指すなら好戦的なのでは? それこそレーナに勝負を挑むような」
「いや、理性がある故それはない。それにおそらくレーナには勝てるのだろう、だから勝負する必要もない」
「その時点でドールの中では最強なのでは?」
「いや、そいつは、自分が認識出来る存在全ての中で最強を目指している、だから、本当の強者が現れるまでは、自己をただ磨くのみ、ということらしい」
まるで山に籠もる仙人のような存在だと、語りながら思う。
「本当にその存在はいるのですか?」
偽エスリートも同じようなことを思った様子だった。
「居る証拠は、あるような無いようなものだ。ただ『無垢なる物』の情報は、クレイドルかレーナの所に集約されている。その二カ所の情報管理施設に対して、時折、正体不明の『探り』が発生することがある、最初は互いに互いを疑ったが違った。そして、その疑いから、その『探り』が両方にほぼ均等に行われていることも分かった」
「それこそ祖竜サイドとも考えられますが」
「いや、アレは運命を管理しておる故に『探り』をするだけ無駄だ、それに、その『探り』の方法が、解析出来ないエーテルを使った間粒子操作法となれば『無垢なる物』と考えるのが妥当だ」
「その事実があったとして、自己進化タイプのドールが居る話とは繋がらないかと」
「『探られた』情報が、その後何かに利用された形跡が全くないことと、そして、解析出来ぬ術式を使う点じゃ、表層の分析から、おそらく新しい法則を編み出して創りだした式らしい。それには組織単位での研究が必要な筈、しかし、そんな組織は存在しておらぬ、そこで可能性として自己進化型のドールが独自に創っている線が浮上するという話じゃ」
自らを進化させ、新たな理論を組み立てる――その可能性。
「相当な可能性論です」
「ああ、だから断定も出来ん。別の可能性として、クレイドルから離脱した者が創った秘密組織のようなものかもしれんが、未だそれは発見されておらぬ」
「話を戻すと、そういった発見されていない組織まで含めた場合、キリがないと?」
「そうじゃ、そして、仮にそう言った組織があったとしても、現状、二つに一つの状態で、裏でコソコソする理由が普通はない」
「ギリギリまで潜伏して結果を奪い取る目的かも知れません」
「ふっ、そんなことが出来る規模の組織が、今まで隠れていられると思うか?」
「……難しいかと」
「逆にそのことから、アルバート達が巨大な組織に属している可能性はないと見るがな」
「何にせよ、目的不明で動き回られるのは油断出来ません」
「しかし、仮に小さい組織としても、いつまでも隠れてはいまい、ギリギリにかっさらうようなことは出来ないと考える以上、動くのは、もう近い」
「そうなりますね」
「では、話は終わりだ、引き留めて悪かったな、引き続き作業の方を頼むぞ」
「いえ――では、失礼して作業の方に」
偽エスリートが部屋から出て行く。
「さて――余も準備を始めるか」
アルは再び箱から刃を取り出して、それを持って自らも部屋を出た。
3章.導き水
1
蒼ラプリアチームと十月ナリシチームの海での対決は、十月ナリシチームの勝利に終わった。比較的真面目にプレイしていたのが、後半は蒼だけだったということが、蒼ラプリアチームの敗北の原因。
勝負終わった面々は、着替える為に再び車の中に入って着替えの最中。
達彦は最初に着替えて一人、夕日の波打ち際で女子の面々を待っていた。
と、車のドアが開いて一人が出て来る。
そちらに振り返ると蒼だった。
「まぁ、惜しかったな」
近付いてくる蒼にペットボトルのジュースを手渡す。
車の中から持ち出しておいたものだ。
「いや、惜しくなんてない、向こうの反則負けに限りなく近い」
蒼がジュースを受け取る。その姿は水着から、今日、元々着ていた薄手コートにミニスカートという姿になっていた。一日の内で水着からコートへのチェンジというのはあまり無い変化で、すでに何度も見ている服装でも少し意識してしまう。
ミニスカートから覗く白い足は、先程、水着姿で見たのとは、また違った意味で綺麗に見えた。
「その点は一部同意するが、審判は美佑ちゃんだぞ?」
「美佑は身内に厳しい」
「いやー、ラプリアのアレとか、相当甘くみてくれていた気はするが……」
後半のラプリアは特殊能力を実質使いまくりだった。
当然、それに対抗して十月達も使いまくりだった訳だが……。
「ともかく、こんなの納得出来ない」
頬を膨らませてジュースの蓋を乱暴にあけると、中身を勢いよく飲み干して行く。
「まて、それ微炭酸だぞ」
「っ――くっ、くはっ! ゴホッ! ゴホッ!」
達彦が気付いて止めた時には蒼は派手にむせていた。
「大丈夫か?」
「ぁ、はぁ、ごほっ、へ、平気だ」
その後、数回咳をして蒼は落ち着いた。
「気持ちは分かるが、そんなに負けたのが悔しいのか?」
少し冷静さを欠いた蒼の様子は、いつもとは違う気がした。
「それは――」
少し言い淀む形で達彦の方に視線を送り、手に持ったペットボトルを握りしめる。
やがて意を決したように、
「お、お前に負けるところは見られたくなかった」
「なんだ、そんなことか」
雰囲気からもっと重大なことを言うのかと思っていた。
「『なんだ、そんなことか』じゃない、私にとっては重要な話だ、これから共闘するパートナーに弱い所は見せたくなかった」
蒼は真剣な顔でそう言った。
言われれば、気持ちは分からないことはない。しかし、ただの遊びで、そこまで真剣になるのはきっと珍しい。
蒼らしい考え方だ。
「いや、大丈夫だ、そんなことでお前を弱いとは思わない。むしろ、あれだけ周りが無茶する中でルールを守って良く戦ったよ、その正々堂々としたところは好きだぞ」
本心からのフォロー。
「本当にそう思ってくれるのか?」
蒼が軽く驚いた風に大きく開いた目で達彦を見つめる。
「ああ」
「……そうか」
ホッとした表情に切り替わり、残ったジュースを一口飲む。
負けたことに関しての気持ちの整理は付いた様子だった。
「で、話は少し変わるが、さっきの水着姿、撮ってラクティに送ったら『可愛い』と言っておいてくれ、と伝言された」
「撮ったのか?」
「気付かなかったか?」
「ああ、いつ? 試合中か?」
「そうだ。――ほら」
懐から携帯端末を出して、蒼が写った写真を表示する。
「ふーん、まぁ、分かった」
割と淡泊な反応だった。
「それと……」
ラクティに言われたことを告げるとしたら今しかない。
「なんだ?」
まだ何かあるのか? という顔。
「いや、その、いまさらですまないが、お前の水着……似合っていたし可愛かったぞ」
言って恥ずかしさが急にこみ上げてくる。
思わず軽く蒼から目を逸らしてしまう。
「――ぇ」
相当に驚いた様子で、ジュースを握ったまま固まる。
その様子から最初に十月と会話していた時の声は、聞こえていなかったのだと分かる。
「…………ほ、ホントか?」
固まっていた顔を伏せて、握っているボトルに視線を移す。
そのボトルを握る手の先がモジモジと動いていた。
「……あ、ああ」
それだけ答えた後、二人の間で言葉が途切れる。
達彦の中で、蒼の反応は意外なものだった。ラクティの感想を伝えた時と同じで、あっさり流すか、ふざけるな、と怒られる展開を予想していた。
しかし、そのどちらでも無い反応に、続ける言葉が見付からない。
二人の沈黙の間に波の音だけが流れて行く。
と、少しの間のあと、背後で足音がして、
「お待たせしましたぁ、全員着替え終わりましたぁ」
ナリシが二人に声を掛ける。
「あ、ああ」
達彦が振り返って答えた。
蒼の方は少し驚いた様子で、身を軽くすくませた後、俯いたまま振り返る。
「ん? 何かありましたぁ?」
「いや、この後は真っ直ぐナリシの自宅へ?」
「はい、家の者に食事とお風呂の支度をさせていますぅ」
「分かった、ありがとう」
「いえ、ご滞在中のお世話はお任せ下さいー、では車に」
「ああ、――蒼、行くぞ」
「う、うん」
蒼が一つ頷いて、三人一緒に車に戻る。
車内は微かに海の潮の香りがした。全員が席に着いたところで十月が周辺に展開していた術式を解き、ナリシが車を発進させた。
「私の自宅まで、あと十五分ほどですぅ」
車は海沿いの道から少し山側の道に入って白壁の建物の間を進む。
時間は十七時前。
街灯がつき始める時間だった。
白い壁は、薄闇の中その光を反射して、幻想的に光っているのを車の中からでも確認することが出来た。
そして、少し細かい道に入ったところでナリシが車のスピードを落とした。
「ここですぅ」
白い壁の間に車が通れるくらいの門があり、鉄の格子柵の扉が車の接近に対して自動で開く。
中は石畳の空間になっていて、その奥に五階建ての白い建物があった。
入り口までは少しの階段になっていて、扉は重厚な感じがする木製。
その直ぐ手前で車は止まる。
「家では遠慮無くおくつろぎください、家の者は全員、事情を理解していますのでぇ」
ナリシが車から降りて、先に玄関の扉を開ける。
中は外と同じ白い壁で仕切られた空間で、入ってすぐの場所は絨毯の敷かれた広間になっていて、天井は小型で上品なデザインのシャンデリアが吊されていた。
「ナリシの家族はいないのか?」
設定では、この家の娘ということになっている筈だと達彦は思った。
「今は留守にしていますぅ、今のお父様がこの家の持ち主ですが不在がちで、またお内儀さまはすでに他界なさっていますので」
「そうか、立ち入ったことを聞いて悪かった」
「いえ、特に仲が悪いなどと言ったことはないので、お気になさらずに、――では、どうぞ奥へ」
ナリシが先頭を進み、それ以外の五人が後ろに続く。
家の中は広く所々に花瓶の置かれた長い廊下を進む。そして、皮のソファーの置かれた応接間に通された。
「皆様全員の個室は用意させてありますが、その前に相部屋希望の方がいれば、お伺いしますぅ」
「はい」
ラプリアが挙手する。
相方の相手は言わなくても全員が分かる。
「では、ラプリアさんは蒼ちゃんと一緒で、蒼ちゃんは問題ないですかぁ?」
「ああ、別に問題ない」
「――あの? 三人でも部屋の広さは大丈夫ですか?」
美佑が少し遠慮がちに聞く。
「蒼ちゃん大人気ですねぇ、大丈夫ですよぉ、ただ、大部屋の用意には少し時間が掛かるので、その間にお風呂に行って来てもらって構いませんかぁ? 海の潮気を取りたいでしょうし」
全員が力を使えば一瞬で何とか出来る話だったが、特にそういった力を使ったメンツはいない様子だった。
外部に自分の姿を常時投影しているラプリアはよく分からないが。
「分かった、では先にお風呂を使わせてもらう。着替えはどうしたらいい?」
「こちらで用意も出来ますが、全て用意しますか?」
「いや、私はタオルくらいでいい」
「はい、分かりました」
「では、私もタオルはお願いします」
美佑が言って、ラプリアは特に何も言うことはなかった。
「はい、お風呂はすでに準備出来ているので順番で、一緒に入ることも出来る広さですが、三人くらいまでですぅ。――あと、十月さんはどうします?」
「私はシャワーでいいから、確かシャワー室は別にあるよね?」
「はい、ありますよぉ」
「ならそれで。――じゃ、サラマンダー、私のスーツケースを出して」
「ん」
蒼が頷いて、背中に背負っていたサラマンダーを床に置く。
すると口がカパっと開いて、中からピンク色のスーツケースが出て来た。
「ありがとう」
十月がサラマンダーの頭を撫でる。
「ではぁ、最後にお伺いする形になりましたが、達彦さんはどうしますか?」
「まぁ、女子達が終わるのを待つ、とりあえず先に部屋に案内してくれ、それと、サラマンダー、俺の荷物も頼む」
達彦の声に答えて、今度は銀色のスーツケースを吐き出す。
「はい、了解しましたぁ、それなら、私は蒼ちゃん達をお風呂場に案内するので、お二人の案内は家の者がしますぅ」
「分かった」
「うん」
「では、呼んで来ますので少々お待ちください、蒼ちゃん達はこちらへ」
「ああ」
「はい」
ナリシが蒼達三人を従えて部屋から消えた。
「ところでさっき電話していたけど、誰と?」
二人になった途端に、十月が達彦に聞く。
「ああ、レーナとラクティにだ」
「定時報告?」
「まぁ、そんなところだ」
「ふーん、写真を撮っていたよね? 送ったのはラクティの方?」
「そうだ、レーナは別に欲しがるタイプじゃないだろ」
レーナとの付き合いは十月の方が長い。
彼女の性格は良く理解しているだろう。
「資料としてなら欲しがるかも知れないけど、遊んでいるシーンは要らない感じかも、で、ラクティの方は上手くやっているの? 聞いたのでしょ?」
「特に問題はない様子だ」
「そう、彼女、器用そうだからね」
「まぁな」
ラクティはある意味、全てを器用にこなすタイプであり、何か苦手なことがあるのか、と思ってしまうくらいだった。
「一つ言っておくと、仮にラクティのことが本当に大切なら、密に連絡をとった方がいいと思うよ」
「何故?」
「あくまで私が感じた可能性の話だから、それを言って違っていても困るし、理由は言えない。でも、忠告程度に聞いておいて」
「――忠告か、分かった」
何を言わんとしているのか、いまいち分からなかったが、あまり良い方向の話ではない感じがした。
だから、達彦は素直に頷いた。
と、その時、部屋の扉から、家の使用人と思われる若い女性が二人現れて、現地語で二人をそれぞれの場所に案内した。
言葉の問題は、二人とも持っている知識でクリアしていた。
そして、達彦はスーツケースを持って階段を四階分上がり通された部屋で、ひとまずソファーに腰掛けた。
広さは八畳ほどの一間で、中にはベッドと調度品、簡単なデスクと時計、テレビや小型冷蔵庫を備えていて、小規模のホテルの部屋という感じだった。
「まぁ、客間なんだろうな」
ナリシの関係者が色々と泊まることがある部屋なのだろうと思った。
窓際に寄ると少し遠くに、暗くなった海が見えた。
「連絡を密にか……」
服に入れた携帯端末を取り出す。
そう言われても、さっき電話してから、まだ一時間と少ししか経っていない。
いくらなんでも早すぎると思った。
出した携帯端末をしまって、お風呂に呼ばれるのを大人しく待つことにした。
2
「わー、思っていたより全然広いですね」
美佑がタイル張りの浴室に入って言う。
ナリシの自宅のお風呂は天井が高く明るい空間で、壁と床には青と白のタイルが緻密に貼られ、浴槽も白のタイルが綺麗に貼られて作られていた。
その浴槽も広く、三人同時に浸かっても充分に余裕がある。
また、シャワーも二機あり、多人数で入ることを想定してデザインされた空間だった。
「なかなかだな」
特別、綺麗なものを愛でたりしない蒼ですら、美しいと思ってしまうお風呂。
「素敵です、こんな綺麗なお風呂、初めて入ります」
美佑はとてもご機嫌な様子ではしゃぐ。
「防衛システムも、私が気を許しても良いレベルです」
ラプリアが壁に手を当てて、何かを解析して言う。
術式による警備システムでも確認したのだろう。
「じゃ、とにかく、潮を流そう」
蒼がシャワーを捻って自分の身体に頭からお湯掛けて行く。
髪もストレートに解いて全部洗うつもりだった。
「ラプリアさん、私が先でいいかな?」
「……」
美佑の問いにラプリアがコクリと頷いて、美佑がもう一つのシャワーを使う。
「気持ちいい……そんなに海水に浸かった訳でもないけど、髪の毛キシキシするかも」
「シャワーの後、シャンプーで洗い流す必要があるな、私が洗おう」
「それなら蒼ちゃんのは私が洗うね」
「ああ、頼む」
二人が身体と髪を流し終えて、ラプリアと場所を代わり、二人は一度浴槽に浸かった。
「以前にも同じことを聞いたが、シャワーとかどこまで意味があるんだ?」
蒼がコックをひねるラプリアに聞く。
「映像表層の汚れは取れます」
「いや、映像だったら、汚れない気も……」
「深く考えてはいけません」
「……」
考えるだけ深みにはまる謎だった。
ラプリアの外に見えている姿は、実体として存在している映像だと言っていい。
触ったりすることは出来るが、そこに本体が無い場合もある。
本体の外側に展開している場合は、その内側には本体があるが、それを直接触るようなことは出来ない。
あくまで触れているのは、ラプリアが映像の上に極薄で固めた、手近な分子の壁であり、中に本体が居ない時は、分子の壁で作った風船の表面に映像を投影していることになる。
その上で汚れるとしたら、その分子の壁だが、汚れたとしても映像はその上にある訳で、実際には関係ない気もした。
「謎だ……」
眉根を寄せて考え込む。
「蒼ちゃん、そんなに悩まなくても」
「はい、私が全て真実を話しているとは限らない可能性もありますから」
「なら、今の姿が実体なのか?」
「想像にお任せします」
シャワーを浴びながらラプリアが冷静に答える。
「それって、考えて、って言ってるよね?」
美佑がすかさずそう言った。
「そうとも言うかもしれません」
「『かも』じゃないし……ともかく、蒼ちゃんは、もう考えない方がいいから、眉間に皺がよっちゃうよ?」
「うーん」
まだ考えている顔のままの蒼。
『基本、ラプリアはバグっているということを、ご理解下さい』
脳内でリルラルの声が響く。
『バグなのか? 重大情報の開示を意図的にはぐらかしているとかは無いのか?』
『それは私では推測することしか出来ません。ただ、私達を騙すような真似はしない筈です』
『それはそうだと思うけど』
単に自分の中で理解出来ないことがあるのが嫌だった。
さらに、とても身近な存在だという点もあった。
「では、代わりに私に新たに組み込まれた秘密機能を公開します」
ラプリアがシャワーのお湯を止めた。
濡れた身体に張り付く長い髪が、どう見ても本物にしか見えない。
「ラクティの所でパーツを取り入れて増えた機能か?」
「はい、非常に素晴らしい機能です」
「一応聞く、どんな機能なんだ?」
「紅茶センサー、半径三百メートル範囲にある良質な茶葉を察知出来る機能です」
「……無駄に範囲だけ広い」
竜の平均感知距離より余裕で広い。竜の場合はその感知距離圏内であれば、理解感覚範囲として自身の力の行使が大抵可能となるが。
「リゼを訪れるなら絶対必須機能として、ラクティが付けたものです。ここは紅茶の産地として世界的に有名です」
「へー、紅茶っていえばインドだと思ったけど、違うの?」
美佑が興味を持ったように聞く。
「世界五位程度の生産量を誇り、美佑の居た日本ではあまり知られていませんが、ヨーロッパ圏では、好まれている茶葉です」
「そうなんだ」
「まぁ、ラクティが付けたがる機能だろうな……」
それだけの紅茶の産地を訪れるというなら、紅茶好きのラクティが何もしない筈は無かった。個人的に特にお土産は指定されなかったが、おそらくラプリアに頼んでいるのだろう。
「あと、次に追加された機能は、へーゼルナッツが含まれるお菓子の探索機能、こちらの範囲は百五十メートルです」
「それも何かトルコと関係ある訳だな?」
「はい、トルコを代表する輸出品目の一つ。特に日本に入ってくるヘーゼルナッツは九割以上トルコ産です」
「ヘーゼルナッツって、チョコやアイスの中に入っていることがある、アレ?」
美佑が日本人の知識として聞く。
「はい、こちらでも、チョコ菓子に混ぜられていることが多く、こちらは十月のリクエストで取り付けられました」
「あー、そういうことかぁ」
十月はチョコの味しか感知出来ない、故にチョコ系のアイテムの探索に必死になるのは分かる。
ただ、混ぜられているナッツの味はしないのではないか? という疑問はあるが。
「というか、食べ物関係の探索機能が充実して、それでいいのか?」
一応、ラプリアは特殊戦闘型のドールである筈だった。
その戦闘ドールに食品を見付けてくる機能を搭載するのは、全く関係ない機能が増えているようにしか思えない。
「機能が充実することに良いも悪いもありません」
答えながら、ラプリアも浴槽に浸かる。
広い浴槽だが三人はいると流石に空間が減る。三人の身体がそれぞれ触れられる位置に来る。
「――そうか、で、他にも何かあるのか?」
「大戦時に他の『無垢なる物』が、破損その他の理由により捨てた武装を三点取り込んで、現在内部で修復中です」
「武器があったのか?」
その手の物はもっていないとラクティは言っていた。
「見た目が武器ではなく装飾品である物です。また武器としての機能は完全に損なわれた武器の飾り部分なども含まれます、そう言ったものをラクティ様は、かなりの数保持していて、そこから、私が有効使用可能で修復出来るものを選んで収納しました」
「そういうことか、ドールにしか使えない武器で、しかも武器の形をしていないなら、普通は武器とは言わないな」
旅立つ前にラクティが使えそうな物があると言っていた理由も分かった。
「それでどんな武器が使えるの?」
美佑が聞く。
「対象を追尾する武装が一点、自動防衛シールドに短距離の威嚇攻撃能力が備わった物が一点、あとは私の手刀の間合いを伸ばすことに応用可能なブレードの基本パーツです」
「そこそこだな」
役に立つ感じのものが揃っている気がした。
ラプリアは、その身体を覆っている空間歪曲障壁を使って空間ごと対象を斬る手刀を使うことが可能だ。
しかし、物理武装といえるものはそのくらいしかなく、あとは空間に歪みを作り出すことで攻撃や防御を行う以外には、術といえるようなものは使えない。
また、身体能力も特別に目を見張るような部分はなく、反応速度も他のドールより劣るとされている。
それでも大戦時最強と言われたのは、戦うまでもなく近付く存在を戦闘不能にする粒子操作能力を有しているからだ。
その力で『無垢なる物』は基本的に戦うだけの力が出せなくなる。
ラプリアは自分への遠距離からの攻撃をガードだけしていれば、近づく敵は勝手に機能不全になるという、ある意味、毒を放つ花のような存在だった。
無理に接近しなければ無害で美しい花だが、つみ取ろうと接近すれば、その毒の花粉で即死する。
そのラプリアに対して、追尾兵器と防御を固める兵器が追加されたのは、非常に理に適っていた、また、手刀の間合いが伸びるのも充分な強化だ。
「これから対峙する相手に通じる武装である可能性は低いですが」
「そう言うな、祖竜相手なら私全員でも、もしかしたら無駄かも知れない、それに他にも敵が現れることは充分にあり得る」
「封印が解かれる事態になれば、一大混戦になる可能性はありますが」
「封印かぁ、ラプリアさんの力は封印の門番にも効くの? あっ、封印の障壁のようなものがあって接近出来ないのは分かっているから、もし接近したらの話」
美佑が自分の知識をまとめて質問する。
ラプリアがクレイドルに居た以上、その力で封印にアタックしたことはあると思っていた、その上で接近すら出来ず、力を使うことも出来なかったのだと推測していた。
「コアの動力源がエーテルである存在の動きには干渉可能ですが、おそらく『封印の門番』はそう言った『無垢なる物』の基本から外れています」
「ラプリアは封印にアタックしたことがあると聞いたが?」
蒼は前にそんなことを聞いた覚えがあった。
「ロシア側から艦船で接近して観測したことがあるだけです。近付くだけ無駄だと判断しました」
「空間に干渉する力を使っても本体に接近出来ないのか?」
「私の空間干渉能力は、自分が、まずその場をある程度支配することが前提になり発動します。相手の出力が私より大きい場合、その最初の支配が不可能となるため、私の力が発動することはありません、故に、力の大小を無視して空間を切り裂けるアブソリュートの力が必要となります」
「そういう話か」
今、蒼の持つ剣――アブソリュートディストーションはサラマンダーのお腹の中にあった。
本来、蒼の中のリルラルが物体の時間をゆっくりし続けることで、その劣化と中のエシスのコアの消滅を防いでいる武器だが、100%肌身離さずという状況は難しいため、ラクティがリルラルの協力の内に簡易型の時間停滞ケースを作り、その中に保管されていた。
簡易型であるため、一日に一回はリルラルの力を直接送り込む必要があるが、それでも、手放せない状態よりは随分と取り扱いが楽になった。
「じゃ、今のところ、封印の門番の姿を知っているのは、十月さんだけってことなの?」
「はい、私の知る限りでは」
「私の祖竜としての知識の中にも、リルラルの知識にもないな」
「謎だね、一体どんな子なんだろう……十月さんは、システムだって言っていたけど、人の形をしていないとかなのかなぁ?」
「そこは『妹』だと言っていたから、性別が判断出来る人型ではあるとは思うが」
基本的に『無垢なる物』は、全てが十月からの派生と言ってもいいので、美人で雌型であることが多い。
ただ、作者の能力が高い場合、ある意味、基本構造を改造することで、特殊な風貌にしたり、雄型に変えたりした例もある。
レーナのところに一見、犬の縫いぐるみにしか見えないドールがいるが、そう言ったタイプも存在するということだった。
「人型ということ以前に、三千年という時間を一固体で過ごして、それでも尚機能している点から、精神構造が著しく私達と違うか、眠りに付いているような状態でも、封印管理を行える設定になっていると推測は出来ます」
「そっか、誰とも接触していないってことは、一人だもんね」
美佑が少し悲しそうな顔をする。
「そうなることが最初から決まっていて創られたドールだし、ずっと一人でも問題が発生しない対策は取られているだろうな」
数千年にも渡って暗い海の底で一人だけというのは、人間レベルの精神ではとても持たないし、人より多くのことが知覚可能な『無垢なる物』でも、何か精神構造に異常が発生する方が普通だろう。
ラプリアが言ったような対策も考えられたし、もっと別の想像も出来ない方法で個の存在を維持しているのかも知れない。
「そうなると、どっちにしても普通では無い存在ということだよね」
「だろうな、ただ、向こうがどんな反応をするかは、私がアブソリュートで封印の第一層といえる部分を壊して仕掛けるか、それとも、正攻法でコアを十個揃えて道を開くかで、大きく変わる気はするが」
「蒼ちゃんは、どっちにするつもりなの?」
「今はまだ迷っている、ラプリアやリルラルのこともある、一方的に『無垢なる物』達に宣戦布告するようなことになるのは避けたい」
無理矢理に封印を壊す方法を取れば、そうなってしまう可能性が高い。
「そうだよね、無茶すれば十月さんも敵に回ることになるだろうし」
「ああ、元々、私達が勝手なことをしない為の監視の意味で付いて来ている部分もあるだろうし」
「間違いなくそうだと」
ラプリアが断定する。
「あ、ラプリアさんは、どんな状況でもこちらの味方で居てくれるの?」
その断言に対して美佑が聞く。
「はい」
即答。
「あまり良い言い方ではないが『無垢なる物』はマスターに絶対だから、ラプリアのアークマスターとして私がいる内は、何か心配するようなことにはならない」
蒼が答えをフォローする。
それは一体化している『リルラル』にも言えることだった。
裏切りのようなことをすれば互いの消滅に繋がる自殺行為でしかない。
「そっか……変なことを聞いてごめんね」
「問題はありません」
「状況的に美佑が心配する気持ちは分かる、仮に私が強行すれば、おそらくこの四人と、達彦くらいしか味方はいない、だから、そういう疑問があるなら言ってくれて良かった」
「ラクティちゃんは?」
「今のラクティの立場は微妙だ、おそらく、私が無理を通すことをした場合は中立を保つと思う」
ラクティの現状の目的はクレイドルのアルとの対決の筈。
その点ではレーナ達ドール側と共闘出来る、そして、今の彼女の身体が『無垢なる物』であることもドール達との関係を深くしていた。
「じゃ、私がもっとちゃんとしないと駄目だね、蒼ちゃんの眷属なのに、あまり役に立てたことがないし」
「いや……それは」
一時、蒼と美佑は離れていた。その間に起きた事情に関しては、美佑が手伝えることは無かったということになる。
「とりあえず、完全な援護が出来るくらいには頑張る、空間を閉鎖するなら、私が管理するし」
「ああ、状況的に誰が最初に閉鎖して来るか分からないが、そうなったら頼む」
戦闘時に空間を閉鎖するのは、その場の利用可能粒子を支配するのが目的だ。
支配力に絶対の自信があるなら、空間を閉じただけで勝負が決まる。ラプリアはその典型のような存在だ。
そして、もう一つ空間を閉じることには意味がある。
一部の強力な竜やドールが有する短距離の瞬間移動を制限することが可能という点だ。
何個も空間を跳躍可能なアルや、空間操作に能力特化しているラプリアは別として、それ以外の相手ならば、その能力を封じることが出来た。
蒼も一旦、他人に空間を封鎖された場合、その中での瞬間移動に制限を受ける。
祖竜一柱としての力をフルで使えば、それを無効化することも可能だが、それだけに力を使い過ぎてしまうため本格的に逃走するのでもない限り無意味なことだった。
そう言った点から、誰が空間の閉鎖を行い、先に支配権を握るかは、とても重要な話だった。
「現状、空間を遮蔽、支配するなら私が適任かと」
ラプリアが呟く。
「それは確かにそう言える部分もあるけど、ラプリアが閉じた空間はラプリアに有利なだけで、味方が居る場合の戦闘には向かないだろ?」
「蒼様が活動する点でも有利ですが?」
「だから、それだけだ、私はリルラルが中にいるから、それでラプリアが支配した空間でも自由に力を使えるだけだ、他の者は違う」
ラプリアの空間内エネルギー粒子支配力は強すぎて、本来ドールより出力が上の竜すら影響を受ける。
そうなると、他に仲間がいる状態では使い難い力だった。
「その点は認めるしかありません」
少し苦々しい顔をしてラプリアが頷いた。
「この四人で戦闘をすることになった場合、美佑が空間を閉じるのが最良だと思う、美佑は達彦の眷属でもあるわけだから、その点でも基本能力は高い」
「うん、頑張る」
気合いの入った返事をする。
美佑は二体の祖竜の眷属だ。その点を考えれば、ラプリアよりも強力に、そして遙かに柔軟に空間を支配することも可能な筈だった。
眷属はサポート能力に優れる分、空間を遮断する力は元々強い。
理想はアルジアスクラスの空間跳躍者のワープを制限するところまで行くことだが、そこまでは難しいだろうと、蒼は考えていた。
「ともかく頼む、誰と戦闘になるか予想が出来ない状態だが、アル以外の時は基本閉鎖する方向で行く」
「分かった。蒼ちゃんが全力で戦えるようにするから」
「こちらは、なるべく美佑に攻撃が行かないようにするが、もしもの時はラプリアを頼ってくれ、ラプリアも美佑も防御対象に入れること、いい?」
「はい、蒼様の命令とあれば」
「なら、ラプリアさん、改めてよろしくね」
「はい」
「なら、そろそろ髪を洗うか、早くしないと達彦が待っている筈だ」
蒼が言って三人がお風呂から一度あがり、一緒に髪を洗い始めた。
*
「当面のエネルギーの確保に思ったより時間が掛かったのであります」
フィテアが、一見して学校の体育館と思われる構造の場所に白の修道服姿で佇んでいた。
中は真っ暗に近く、外からの月明かりだけが僅かに空間を照らしていた。その僅かな光の中、体育館の中を見渡すと、そこかしこが傷んでいるように見えた。
そこは廃校になった中学の体育館だった。
都市部から離れた山村にあり、過疎により近くの学校に統廃合された形で二年前から使われていない空間。
その本来なら静寂だけが支配する場に、フィテアの他に蒼白い全身鎧を着た一団が並んでいた。
その数はざっと数えても百以上。
顔まで覆う鎧のため、性別も年齢も種族も不明だが、人型でありその大きさも人から逸脱するようなものは居ない。そして、まるで生徒が朝礼で並ぶように整列して、フィテアからの指示を待っていた。
「では、今から敵拠点に直接跳躍するのです。皆の力を私に――」
フィテアが一団の前に立ち指揮者のように手を掲げた。
その手の甲に淡い光が集まり、館内をほのかに照らす。
光は次第に一つの形となって、フィテアの手の甲に張り付き、一つの蒼い宝石になった。
「充分な力なのです。――では、参りましょう」
宝石が強い光を放ち、フィテアとその一団が体育館内から忽然と消えた。
3
「なにかのぅ? 二度続けて同じ方法で接近を許すとは」
一つ事を済ませて、和室の炬燵でテレビを見ていたアルジアスが、唐突に廊下に続く障子の方を見た。
と、その場に偽エスリートが瞬間転移して来る。
「空間の揺れです、対象の特定にはあと五秒ほど掛かります」
「五秒あったら向こうがこちらに着く。一度跳ぶ、付いて来れる存在なら、相手をしてやろう」
「分かりました、お任せします」
「ふむ」
アルが頷いたのと同時に二人の姿が和室から消えた。
そして、一度広い休耕田のような所に出たあと、すぐに偽エスリートがその辺り一帯の空間を異空間に移相転移させ、完全に元の空間と関係を切る。
見通せる闇色の異空間の中に桜の花弁のような光が湧いては消える。
創られた空間の範囲は六十メートル程の半球体形状。
「さて、余等を捕捉して追って来ると思うか?」
「普通は不可能だと思いますが」
「どうだろうな……」
和服姿の二人が臨戦態勢を取って軽く構える。
創り出した異空間の中では、偽エスリートがその場にあるエネルギー粒子のほぼ全てを支配下に置くため、敵が対策もなく、この異空間の位置を察知して、さらに飛び込んで来るのは自殺行為だった。
「ほう、追って来たぞ」
「この気配は竜と複数の人形です」
「竜の方は知り得ている気配、余の所に来るのに理由がある奴じゃな」
「では、私が人形の方の相手を」
「そうじゃな」
アルが黒い霧を身体から発生させ、それが次の瞬間に消え、赤い和装鎧を纏い長い二本の角と黒い硬質の尾を持つ姿に変わる。
合わせて偽エスリートも、その姿を黒い法衣へと変え、頭から一本の赤い角を伸ばす。
「角の支配力の方、どの程度まで戻っておる?」
その角を見てアルが聞く。
数日前に、偽エスリートの攻撃相である頭の角は、達彦の攻撃によって一度折られていた。エスリートは攻撃相である角を使って、空間を支配する能力を持つ存在であり、そのコピーである偽エスリートにも同じことが出来た。
「敵の支配力の強さによります、今は100%ですが、敵に平均以上の力があり、対抗された場合は、私の支配力は七割程度まで落ちます」
「分かった、それならば問題はない、来るのは竜としては並だ」
「来ます、右前方」
偽エスリートが指した方の場が揺らぎ、そこに白の修道服姿のフィテアが鎧の一団を後ろに従えた形で出現した。
ただ、その鎧達の数が百より少なく二十人程になっていた。
アル達との距離は五メートルほど。
「その身体、返して貰いに来たのです」
フィテアがアルに向かって、特に身構える様子なく用件を告げる。
今、アルが使っている身体は、フィテアがその主であるリティスのために用意した身体であり、アルはそれを横取りする形で使用していた。
「そう言われて、すぐに返すことがないのは、分かっている筈であろう?」
「こちらの意思を明確にする必要がある場面だと判断して、先に言ったまでなのです」
「では、そちらも戦う気満々ということか?」
少なくともアルの方はその気だった。
「そちらが抵抗するのであれば、こちらとしては目的のために戦闘行動を取る必要があるだけなのです」
「抵抗しないと思っておるなら、お前の正気を疑うレベルだ」
「分かりました、では、仕方がないのです。――注力、創造」
フィテアが手の甲を上に掲げた。すると、そこに張り付いた宝石が光って直上に光球が発生する。
その光球は一気に膨らみ、サッカーボールくらいのサイズになった。
「なに!?」
すぐにアルと偽エスリートが異常に気付く。
「高エネルギー反応です、自ら生み出した力だと思われますが、量が想定以上です」
空間の支配は揺らいでいない、だとすれば、自身の体から出した力の筈だが、それがフィテアという個の存在をはるかに超える力の量だった。
あり得ないほどの規模の力に二人がたじろいだ瞬間――
「祖竜以外の竜は魔竜を狩るために作られた存在であり、魔竜の概念を消失させる浄化を行うことが可能なのです」
フィテアが光球を上空に放る、すると、それが閉じた空間の中で炸裂した。
場が眩しい光に包まれて全ての光景が白く染まる。
光は十秒以上輝き、収まった時には状況が変化していた。
薄い半透明の膜が偽エスリートとアルを包み、その中で偽エスリートが真紅の器官を背中に展開していた。
「流石に祖竜の複製品というところなのです。こちらの力を一人で中和出来るとは驚きなのです」
手を掲げたまま、フィテアが一人呟く。
その顔は大して驚いた風には見えない。
「くっ、力を大量に集めて維持する方法を持ち得るということですか?」
偽エスリートの方は、明らかに驚愕した顔で聞く。
「はい、その質問には答えても良いのです、推測の通りなのです。私の騎士達は間粒子を結晶化して内部に溜めることが可能なのです。そして、それを私に集めることも可能なのです」
その手に張り付く宝石を見せ付ける。
「そんな技術、聞いた事がないぞ」
アルジアスが目を細める。
その顔には汗が流れて、眉は苦しげに寄せられていた。
クレイドルの幹部として、リエグの技術にも竜の竜詩の派生にも詳しい。そのアルが知らない技術によって、フィテアは力を集めて維持していた。
「はい、リティス様の協力によってオプティーが完成させた技術なのです、力を集める人形がある程度の数必要なことが難ではありますが、これで、力の供給が絶たれるような場所でも、大きな力の行使が可能なのです」
「ふむ、それも、このような事態を予見しての準備という奴か、しかし、リティスも、まさか同盟を組んでいた相手に対して行使することになるとは、思っていなかっただろうがな」
リティスのしたたかさに思わず唸ってしまう。
アルジアスの存在自体が運命予測の外にいるため、誰に向かって行使する力か分からない状態で用意したということになる。
そんなアルの脳内にエスリートから念話が届く。
『ここは私に任せて退いてください、先程の攻撃、中和し続けることは不可能です、防ぎ切れなかった分のダメージが軽微な内に』
『退くのは良いが、お前一人で抑えきれるのか? あの態度からみて、向こうは相当に余裕があるぞ?』
『ええ、そうだと思われます』
『ならば、余と共に跳躍して逃げるのが得策だと思うが?』
『それは跳躍合戦になると思われます、あちらは、おそらく、今のその身体を目印にして跳んで来ています、つまり、こちらが跳んでも付いて来る、そうなった場合、向こうの方が力に余裕がある分、跳べば跳ぶ程に不利に』
『ふむ、やはり、この身体か……まぁ、その可能性を考えて精査したが無駄だったという訳か、何か奴だけが感じる固有波のようなモノを発しているのかも知れんな』
『理由を確定させる時間はありませんが、そう考えるのが妥当かと、だとしたら、私がここで食い止める以外には方法がありません』
『奴らを、この空間内から外に出さないように出来そうか?』
『はい、向こうの力が無尽蔵にあったとしても、この空間の支配権は私にあります』
『分かった、ならば任せる、消えるなよ?』
『この身体に流れる祖竜の血を信用してください』
『――よし、では、余が仕掛ける振りをして、その直後に跳ぶ、後はここを完全に封鎖するのじゃ』
『分かりました』
話がまとまり、偽エスリートが半透明の中和フィールドをキャンセルする。
「二度目は撃たせんっ!」
アルがフィテアに向かって全力で間合いを詰める。
同時に手に黒い霧を纏い、そこから一本の槍を創り出して握る。
「防壁」
フィテアの手に張り付く宝石が光り、彼女を覆う光のシールドが即座に形成される。
「あなたが、この壁を貫く前に次の一撃を用意可能なのです」
「知ったことかっ!」
突進を急に止めて、手にした槍をフィテアが張った光のシールドに向かって投げ付ける。
槍はシールドに当たった途端に弾けてフィテアの周りを黒い霧が覆った。
『では、任せたぞ』
『はい』
その瞬間、アルは偽エスリートが創り出した空間から転移した。そして、偽エスリートはアルが転移したことを確認してから、空間の境界部分を何重にも封じた。
「目的対象の消失を確認なのです。元の空間との差異測定不能、上手く逃がしたというところなのですか?」
黒い霧が晴れて、フィテアが淡々と言う。
表情の読み取れない相手だった。
「この空間の支配権は私にある以上、完全に封じた後は誰にも突破出来ません」
「それは確かにそのように感じているのです」
「あなたが溜めている力が尽きるまで、私があなたをこの場に留めます」
「では、あなたを排除するしか方法がないということになるのです」
「簡単に出来ると思わないでください。――行きます、業火よ舞え」
作戦は単純だった。
防御を強いる攻撃を続けて、相手が力を使い果たすのを待つ。
祖竜エスリートの得意な能力は、竜詩を使った術の使用だ。竜の中で随一の効率で強力な術式を瞬時に行使出来る。
偽者と言えど、本物の血を受け継いでいる以上、同じことが可能だった。
その竜詩に合わせて、フィテアの周りに灼熱の炎が巻き起こった。
「我が騎士達よ、己の思考のままに対象を攻撃するのです」
フィテアは光のシールドを張ったままで、自分の後ろに控える騎士達に命じた。
その二十人程の集団が動き出す。
「――凍り付け」
が、偽エスリートの一言で、動き出した騎士達の足下が凍り、その動きがストップしてしまう。
炎を出しながら、氷も操る器用さだった。
「困りました、これでは消耗戦なのです」
やはり大して困った風なく、炎に覆われたシールドの殻の中で言う。
「最初からそのつもりです」
「自ら手を下すことはあまりしたくないのですが、――天罰の雷よ、紛い物の神の上に降れ」
フィテアがシールドの中で蒼い宝石を光らせる。
瞬時に偽エスリート目掛けて紫電が降り注ぐ。
「効きませんよ」
直撃でそれを喰らいつつも言う。
その姿は雷に飲まれて消えたが、それは一瞬のことで、雷の方が急に空間から消え去る。
「今の私は、身体の回りのエネルギー物質を制御しています、故に何かが伝達するには私の許可がいる、完全に無を渡る力が無い以上、私に竜詩によるエネルギー攻撃は効きません」
「そうですか、では、その力が尽きるまで、こちらは攻撃をするだけなのです」
「その言葉は、そっくりそのままお返しします」
二人の間で竜詩による壮絶な消耗戦が始まった。
*
「くっ、用意の良い奴だ」
異空間外に転移したアルは、自身を囲む騎士達を見て呟いた。
場所はどこかの山中、周囲は夜の闇に飲まれ、星明かりが木々の間に積もった雪を照らす。
足場はとても悪く、アルは宙に浮く形で自分を囲む騎士達と対峙していた。
騎士の方も雪の上に浮いている。
その数は気配を数えて八十程度。
「外に多く残したということは、余の相手をさせる気だったということか」
全ての行動を読まれているようで、とても気分の悪い話だった。
「これは余が逃げればフィテアの元に跳び、余の駒であるエスリートを消すとみて間違いないのぅ」
騎士達はアルに攻撃を仕掛けるタイミングを探っている様子。
アルの方も戦闘態勢のまま転移して来たので、一時、騎士達の動きを威圧で封じるくらいは可能だった。
「面倒じゃが、相手をするしかないのぅ」
手元に取り寄せたシャムシール型の剣を呼び出して、それをおもむろに振りかぶった。
「行くぞ」
剣を振り下ろした瞬間、それは形を変えて極細い糸のような形状になり、暗い木々の間を閃光のように走り抜けた。
糸と変わった剣先の軌道はアルの思いのまま――森の中、バラバラに佇む騎士達の身体を的確に貫きながら輪を描くようにアルの手元に戻って来る。
輪の直径は二十メートル程。
「十五程かっ、ていっ!」
戻って来た切っ先と剣の柄を融合させて、糸を縮めて輪を急速に絞る。
それはその輪の中にあった木々の大半を切断する行為で、また貫いた騎士達の身体を切り裂く行為でもあった。
木々が派手に倒れ、雪煙があがり轟音が山中に響く。
輪の直径は二十メートル程から三メートル程に小さくなり、森の中に同じ高さで木が切られた円形の空間が出来る。
胴体の千切れた騎士達は、そこで光の粒子となって消えた。ドールに属するとフィテアが言っていたが、それよりはるかに脆い。
エネルギーを大量に保存する為の個体という点から、おそらく素体となるボディーすら、エネルギー変換可能な『何か』なのだろう。
そして、縮んだ輪の三メートル程の円内に、切り損ねた騎士、または元々円の中心付近に居た騎士が四体集まる。
「お前達は爆ぜよっ!」
そこにアルが剣を握っていない左手に生み出した炎の塊を放り込んで、剣を完全に元の形に戻す。
雪煙が収まる前に赤い爆発が続けて発生、場に居た四体の騎士が吹き飛び、光となって四散。
剣が糸に変わってから十秒足らずで、騎士達の二割弱が消え去った。
「やはり、後はばらけて距離を取るか」
最初のアルの攻撃を危険だと察した残りの騎士達は、一気にアルから一定の距離をとって、それぞれが森の中にばらけた。
アルが持つ剣は、糸状に伸ばした場合、約百メートルまでは伸びるが、完全にばらけられると、まとめて貫いて殺すようなことは難しくなる。
「その上での術攻撃」
と、アルの頭上に大きな火球が幾つも生成され、全てがアルに向かって降り注ぐ。
ばらけた騎士達、それぞれの術だ。
「かわすのは楽だが」
アルは火球が命中する直前で短距離転移を繰り返して、それを全て空振りに終わらせる。何も無い場所で炎球同士がぶつかり、切られた木々や、まだ無傷の木を吹き飛ばして行く。炎は爆発の勢いでかき消え、辺りが炎上するようなことはないが、アルの転移に合わせて、森の中に虫食いのような穴が開く。
「はっ!」
かわすついでに各騎士との間合いを詰めて、死角から騎士の身体を手にした剣で斬り裂く。
時間は掛かるが確実な対処方法だった。
「ぬ?」
五体を仕留めた所で、炎弾による攻撃が急に止まる。何かする気だと気付いた時には、十体の騎士がアルに向かって突っ込んで来る。
「近付けば、それだけ余の手間が減るだけぞ?」
身体から黒い霧を滲み出させて、そこから四十余りの小剣を生成する。騎士達がかなり接近して来た瞬間に、その剣を四方八方に高速で飛ばす。
剣の軌道までは操れないが、自分に向かって接近して来ている相手が複数いる状況で、全てが外れるということは無い。
最初に感じた脆さなら、小剣の二、三発でも当たれば倒せると考えていた。
暗い森の中で鋭い金属音が響き、アルは手応えを感じた。
「なに――!?」
しかし、騎士の接近は止まらず、損傷を受けた騎士達がアルの前後左右から手を広げた格好で出現して、そのままアルに向かって殺到する。
「取り囲んで自爆する気か!?」
相手の意図に気付いて転移を試みるが――。
「くっ!」
騎士達が自らの身体をエネルギー粒子に変換して、その力で狭い範囲に強干渉し、アルの転移を封じて来ていた。
大出力で空間への強ジャミングを一瞬だけ掛ける行為に、自身の体の全てを使う完全に捨て身の攻撃。
肉体技能で回避するのは、もう無理な距離。
そして、騎士達の身体がアルを中心にして一斉に炸裂した。
炸裂と同時に空間へのジャミングも消えるが、その同時タイミングで転移しても、爆発のダメージを喰らう。
とはいえ、転移せずに全ての爆発ダメージを受けるよりはマシだ。
アルは爆発の中、森の別の場所へ転移した。
「――ちっ」
爆発で汚れた顔を手で拭う。
纏っていた和装鎧の布部分がほぼ千切れ飛び、鎧自体にも損傷が見られた。
剥き出しになった太ももに赤い血が伝う。
ダメージは、全身強打による各部内出血と、爆風に乗った諸々の破片による裂傷が数カ所。
今はまだ動きに大した支障は無いが、次に喰らえば、鎧が損傷したこともあり、今より深刻なダメージになるのは間違い無かった。
「自爆は厄介よのぅ」
残りの騎士は五十体。
一度に十体突入して来るなら、あと五回は自爆攻撃を仕掛けてくる計算だった。
「流石に全員に自爆されると持たぬか、仕方あるまい、ここで手の内を見せたくはないが」
アルが背中に機械と融合した黒色の器官を展開する。
それは、この瞬間まで本気を出していなかった証でもある。
「祖竜達よ、刮目して見るがいい」
この場で戦闘が始まった段階でアルは祖竜達の視線を感じていた、それは蒼達以外の祖竜、ここでは無い場所で運命を覗き見る形で、この戦闘を見物していた。
魔竜としての強力な反発力で、祖竜の運命改変能力には抗っているが、外から観られることまで止めることは出来ない。
故に、ここで大きな力を使えば、その対策を講じられてしまうという問題があったが、この場でやられることも出来ない。
「ドールの亜種で助かった面もあるが、――融合エーテルドライブ起動」
背中に出した黒色の器官の機械部分が明るく輝く。
「アルジアスの名において、内なるアフテア・ミース・ユーリに命じる、汝のコアに封じられし『イシティリアスの糸』を呼び起こせ」
アルの手元に短い光の糸が出現する。
「ドール達の元へ散れ」
糸の先がパッと枝分かれして、五十の光のラインとなって森の中に残る騎士達にまで伸びた。
それは騎士達が回避しても追い掛け、糸くずのように軽やかに、またうざったくまとわりつく。
「支配せよ」
アルのその一言で、騎士達の動きがその場で全て止まり、少し雪から浮いていた分だけ、重力に引かれて雪の中に落下した。
「ふむ、一瞬で片が付いたな」
とてもつまらなそうに言う。
「このエネルギーの塊、お前なら利用出来るか? 保ち続けるのは無理か……いや、五分くらい保存して運べればいい。そうか、それくらいなら出来るか、ならば任せる」
五十に分かれた糸が輝きを増して、その先に繋がる騎士のドール達の姿が霞む。
そして、数秒でその姿が完全に薄れて消えて、光の糸も元の一本に戻る。
「時間が無いな、跳んだ後一気に展開するぞ」
アルの姿がその場から消え、後には多数の爆発の穴と、薙ぎ倒された木々だけが残った。
4章.奔流
1
紅葉の美しい森林の中を蒼達は進んでいた。
ナリシの家で一泊した翌日、朝から十月のために隠されているというラストコアを探す為に、リゼの山岳地帯に入っていた。トレッキングコースが整備された部分もあるが、そう言った観光ルートから思い切り外れた山中が目的のポイントだった。
「ここまで来れば、誰もいないので、全力で移動しても問題ないですぅ」
「どの道、今日中に戻るつもりなら急がないと日が暮れるしね」
ナリシと十月の二人が先導する形で森の中を駆ける。
道は全くないが、季節的に下草は枯れて落ち葉が積もっていたので、木々の間を高速で駆け抜ける分に、それ程の支障はない。
「ハイキングとか、キノコ狩りとか出来そうな雰囲気なのに、一気に走り抜けるだけなんて、もったいない気がします」
美佑が走りながら残念そうにする。
雰囲気としては日本の混成ブナ林という感じの空間。
色付いた木々、秋の緩やかな木漏れ日、場所によって生えている針葉樹の緑。
山に雪が降り積もる直前の季節。
「今回は仕方ない、目的が違う」
蒼が慰めるように言って、一行は先を急ぐ。
全員が人間ではないこともありペースは時速にして五十キロは出ていた。誰かがその移動シーンを目撃すれば何事かと思う風のようなスピードだ。
「もう、見えるのですぅ」
木々が途切れ、前方に白い岸壁が現れた。
「この上の岩棚がポイントですぅ」
森を抜けてナリシが跳躍する。それに続いて全員が跳び、岸壁の中程にある十平方メートル程の岩棚に着地する。
高さは地上から八メートル程の位置、岸壁からテーブルのように飛び出した少しの平面地帯。
そこに注意しないと分からない人工物が存在していた。
まるで車止めのような高さ五十センチ程の石柱が人の身体程度の間隔を開けて二本。
柱には彫刻が施されていたが、風化が激しく最初から目星を付けていないとソレが人工物だと気付く可能性は低い。
「この二本の柱が、一応十月さんが示した座標にあった唯一の遺跡ですぅ、あとのことは分かりません」
「ふーん」
十月が柱から少し距離を取った所で眺める。
今の段階で、十月の方にも柱の方にも何も変化はなかった。
「雰囲気からして何かの門とも思えるが」
蒼が感想を言う。
ただ、門だとしても、石柱の向こうはすぐに岩の壁だ。
「多分、私が何かしないと、何も起こらないということなんだろうけど、何か悪い予感もするから、みんなは一旦降りていて」
「悪い予感?」
意外なことを言うと達彦は思った。ここには情報が正しいなら十月の力になる物が隠されている筈だった。
その場に本人が来て、何か悪いことが起きる可能性は低いだろう。トラップのようなものがあったとしても、本人には効かないのがセオリーな気がした。
「私のお父様が仕掛けたことだから、素直に行く可能性の方が低いと思うし、念のため下がっていて」
「分かった」
十月を残して他の五人が岩棚から地面に降りた。
残った十月が二本の石柱を前にして、一歩ずつ近付く。
「……」
気持ち的には黒●危機一髪だった。
いつどんな仕掛けが発動するのか、全く分からない。
柱の正面まで移動するが何も起きない、周囲のエーテルに変化もない。
触れないと駄目な予感がして、十月が柱の片方に手を伸ばして触れる。
しかし、何も起きず、もう片方にも触れてみるが反応はない。
「これは……」
蒼が言った『門』という言葉通りなのかも知れないと思う。
だとすれば、二つの石柱の間を進むしかないが、その奥はすぐに岩壁だ。
「……」
二つの柱の間に手を差し込む。
「!」
初めての変化が起きた。
指先の空間が波紋のように揺れて、その波紋の中に指が消えた。
突き入れると、手が全て飲み込まれる。
「何だか、入れるみたい、一度姿を消すけど、多分戻るから心配しないで」
岩棚の下にいるメンバーに呼び掛けてから、その波紋の中に進む。
スッと全身が岩壁を前にして、音もなく波紋の中に飲み込まれた。
その先には白い石室があった。
壁に一つの継ぎ目もなく、石全体が淡く光り、部屋の中を照らしている。
縦横高さ六メートルくらいの立方空間。
その中央に床から継ぎ目なく一メートル程伸びる石柱があり、先端部分に金色に輝くクルミ大の宝石が浮かんでいた。
「警戒し過ぎだった?」
思ったよりあっさり目的の物が目の前にあった。
十月が金色の宝石を取るために手を伸ばす。
その途端に、部屋の石面全体から細かいレーザー光線が数万という単位で十月に照射された。防御や反射などしている間は無く、十月の身体がレーザーに焼かれ瞬間的に蒸発してしまう。後に十月の青いフィーヌコアだけが宙に浮く。
『フィーヌコア認識、リズアル・ロントラキリコア封印解除、対応ボディー構築』
室内に性別不明の機械音が古代リエグ語で響いた。
そして、金色のコアが青色のコアの隣まで移動して、その輝きを増す。
光は部屋を白く染める程に強くなり、その光の中で人型の影が出来上がって行く。
やがて光が収まると、そこに一糸まとわぬ姿の十月が佇んでいた。
「滅茶苦茶乱暴なやり方……けど、これが新しい私」
十月が自分の外見を身体を動かして確認する。
特別な変化はないが、どこか所作に優雅な振る舞いがある気がした。
「でも、これは困ったかも、すぐに答えが出る話ではないのに時間はない。ただ私が決めないとならない、その為に今ここに居る、それだけは確か」
封じられていたコアから流れ込んだ情報が十月の心情に変化をもたらす。
「何にしても、戻らないと」
部屋の中央に生える柱の先端に手を軽く置くと、部屋全体の光景が歪む。
その歪んだ世界にノイズが乗り十月の姿も映りの悪いテレビのようにブレる。
ブレた十月の姿は白いドレスを纏ったお姫様のように見えた。
*
「お目覚めになられた様子です」
「規定通りではあるが、随分と待った」
音だけが響く闇色の空間で二つの声が会話する。
「『リズアル・ロントラキリ・オプティー』、全ての始まりであり、この場を収め終わらせる権利を持つもの」
「確認に出向くか、目覚めたのなら、我々のことも分かる筈だ」
「はい」
*
「一旦退けたとは言え、確実にまた来ますよ?」
「そうじゃな」
昼時、アルジアスと偽エスリートが掘り炬燵でうどんを食べていた。
昨夜襲撃して来たフィテアを追い払い、その後寝て起きて、この時間だった。
回復のために寝ていたといえば聞こえは良いが、単にだらだらしているだけにしか見えない空気もあった。
「こんなところで、のんびり遅い朝食を摂っている場合なのですか?」
そのことを偽エスリートが叱咤する。
「どの道、焦る場面ではない。この身体でいる以上はフィテアはこちらの位置を察しているのだろうし」
「では、ずっと受け身でいるのですか?」
「いや、もう少しだ。黒海で動きがあれば動く」
答えて、うどんを啜る。
「『動き』とは、どういう形を予想しているのですか?」
「余が望んでいることは、今の竜の発生法則を定めている祖竜達の消滅だ。それには多くの力を借りる必要がある、その一つとしてリエグの封印解除があるが、誰が最初に仕掛けるかで対処が大きく変わる」
「自身で仕掛ける気はないのですか?」
「封印の門番と一戦交える気はない、今の余なら封印の障壁を飛び越えて中に入ることは出来るが、リエグが封じられた圧縮空間に入るには、そこをブロックしている門番を何とかせぬと無理じゃ。門番についての詳しい情報が無い以上、そこは慎重に行くべきだろう、無駄に戦って消耗すれば、そこを他の勢力に突かれる」
「ですが、アフテアの準備が完了した今、例の道具を使えば『封印の門番』といえど逆らうことは出来ないのでは?」
「アレは天秤ほど万能ではない、そして、余の予想では門番は天秤を保有しているとみている、その場合、勝ち目がない」
「バレスアレアの天秤ですか、あらゆる『相』の状態を変質させることが出来る超干渉兵器」
「力は祖竜達の運命干渉力とほぼ同等じゃからな、仮に祖竜と同時に一つの事象に干渉した場合、どうなるのか想像も出来ん危険な品物じゃ、その力の危険性故に封印前に破壊されたことになっておるが、竜相手に一人で封印を守る存在に持たされていたとしても不思議はない」
「一度、大戦時にレーナが使用した筈ですよね?」
「平和的利用方法だと本人は言ったが、その時の相の移動で奴は、七つの武具をコピーした訳じゃからな、アレは欲しいのぅ」
うどんを食べていた箸で、空中を突くような仕草をする。
「それはそれとして、どうするつもりですか?」
「タイミングじゃ、事が始まる前に動いても、こちらの損が大きい、とはいえ、事が始まってから動いたのでは遅いのじゃ、最良は事が始まる直前に介入する、余の力があればそれも出来る筈じゃ」
「つまり、他の勢力のどれかが封印に干渉したところを狙うということですね」
「そのつもりなのじゃが、フィテアがどこまで付いてこれるのか、見たい気はするの、彼奴のジャンプで、日本からトルコまで飛べるのか」
「何らかの補助が無く、そこまで距離を飛べる存在は祖竜クラスでも無理では?」
「すでに向こうに補助を配置してある可能性は充分にあるぞ?」
「では、一度跳んで、それを探りますか?」
「それも有りじゃが、向こうに行くと、そのまま向こうにおる勢力との戦闘もあり得る故に難しい話だのぅ」
「一手、何か策を講じましょうか?」
「ふむ、まぁ、それが良いじゃろうな、何かあるのか?」
スッと目を細める。
「団結力が強いとは言えない組み合わせで固まっていますから、かき混ぜることは容易です」
「分かった、任せる」
「はい」
偽エスリートが退出する。
「しかし、エグイことになりそうな気もするのぅ」
アルは呟きながら残りのうどんを啜った。
*
蒼達はラストコアを取り込んだ十月と共にナリシの家に戻り、今後の予定を決める話し合いをもっていた。
リビングテーブルを囲み、ナリシ、十月、達彦、美佑が席に着いて、残りの蒼とラプリアは、そこから数歩離れた窓際でティーカップを片手に壁に寄り掛かる。
十月のラストコアがある場所と、封印の座標へのアクセスポイントが、偶々トルコ国内にあったから、ここまで一緒に行動して来たが、十月達と蒼達の目的は実のところ、食い違っている部分が大きい。
本来なら、そのことに付いて話を詰めてから、トルコ入りするのが筋だったのかも知れないが、十月の性格的に触れないで来た部分がある。
「私のラストコアは、過去にこの事態を祖竜リティスとリブオールが予想して、私に残したものだということは、すでに何となく話したような気がするけど、それは確定だった、一応コアにこれからどうするべきかのメッセージが残っていたから」
十月が微妙に言いにくいことを告げる雰囲気で話す。
「それで、私達に協力しろ、とでも刻まれていたのか?」
蒼がそんな雰囲気を無視して急かすように言う。
双方の態度がこれで決まるなら、早く明確にしたいという思いからだった。
「残念ながら違うわ、むしろ逆、封印を死守せよ、というメッセージよ」
十月の発言に場がざわつく。
「なんだと……」
「だから、結果的に封印を解除しようとしている、蒼達との協力は出来ないということになるかな」
「過去の祖竜が残したメッセージの内容が『封印を解くな』というのなら、私が求めているものは封印の中にないということなのか?」
「それについては不明」
「――矛盾しています」
ラプリアが呟く。
確かにその通りだった。蒼達は蒼が得た知識と、現在までの探索結果からリティスの真の器があるとしたら封印の内側しかないという結論が出ていた。
それなのに、その封印を解くことを祖竜が禁止するメッセージを残している。どちらも正しいとするなら話が合わない。
「それはそうだけど、私に伝えられたメッセージは確かに『封印を解くな』というものだから」
「少し考えてみる必要があるな」
達彦が言って腕を組む。
各々、考えつつお茶を飲んだり頬杖をついたりして少しの時間が過ぎる。
そして、
「得た情報が正しいとすれば、可能性は二つだと私は思う」
蒼が自らの考えを話し出す。
「一つはメリアシスクの予知――決定未来創造に対するブラフ。もう一つは封印の中に真の器があったとしても、それを使うなというメッセージだ」
「確かにブラフの線はあるかもね、封印の中に確実に力があるのだとしたら、メリアシスクも放置しない」
十月が同意する。
「でも、そうだとすると、最終的に私達まで困る話になるってことですよね」
美佑がもっともなことを言う。
「その中で何が正しいか見極められないようでは駄目だ、というように解釈することも出来る」
「じゃ、蒼は何が正しいと思うの?」
十月が急に真面目な顔で聞く。その問いは、蒼の回答によっては、この場でのドール達との決別を促すことになるものだった。
「そういう結論の前に、もう一つの可能性の検証をする。封印の中に器があっても使うなというなら、私は真の力を出せないことになる。その状態でメリアシスクと対峙するのは無理だ、ならば別の器ということになり、リティスが言ったラクティの本体という話になる」
ラクティの本体はリティスの器として生まれたという話だ。
「まぁ、リティスの使徒がそれを求めているのだから、実際その解釈の方が正しいかもね、でも、その場合、まずアルジアスと戦い、その後ラクティとも交渉する必要があるってことだよね」
十月が言ったことは、全てその通りの話だった。
ラクティの元の身体を育てて、新たな器として使う計画はリティス当人の物だ。
リティスの使徒たるフィテアは、保険としての器だと語っていたが、実はそれが本命という可能性もある。
ただ、ラクティの元の身体を使うということは、蒼の心情としてはやりたくない話だった。
「この話は、今のところ、フィテア本人から私に対して何も連絡が無いのが気になっている部分だ、もし、フィテアが本当にリティスの意思で動いているなら、真っ先に私の所に来るのが妥当だと思うのだが……」
今の蒼は祖竜リティスの力と知識を有している、知識に関しては、過去の記憶とイコールではないため、リティスの意図が分からない部分があるが、それでも、三分の二はリティスだと言っていい状態。
それなのに、リティスの使徒たるフィテアが何も言ってこないというのは、不可解だった。
「考えられるのは、過去にリティスが『そうしろ』と命令したくらいだが、その意図は不明だな」
達彦が言う。
「仮にフィテアに何らかの力があって、メリアシスクの予測の外にいることが出来るなら、こちらに接触しないことに意味はある、接触すれば情報が漏れるから」
フィテアを信じる前提なら、それくらいしか考えられる理由がない。
そして、フィテアを信じられないとすると、何が目的で動いているのかさっぱり分からなくなる。
「それはそれ以上考えることが出来ないとして、さっきの質問に戻すけど、蒼はどの仮説を元に動く気なの?」
十月が再び真面目な顔で問い掛ける。
話に参加している全員の顔が蒼の方に向けられる。
皆、緊張した面持ちだった。
「今は封印を解かず、別の身体を探す方向で動くことにするつもりだ」
無闇に封印を解くことは間違いなく争いを呼ぶ。それはあくまで最終手段であり、別の可能性があるなら、そちらから確かめる方が無理がない。
「うん、妥当な判断ね、ここで私達が別々の道に行くことが好ましいとは思えないし」
蒼の答えに皆の緊張が解けて、十月の表情も柔らかくなる。
「ああ、この場が物別れに終わった場合、他の勢力につけ込まれるだけだ、今は一緒に居て、最大の力を維持していることに意味があると思う」
この部屋に集まっているメンバー全員に対して真っ向から仕掛けるという存在はいないだろう。
その意味では直接的な戦闘行為を回避するための集団行動とも言えた。
「その点は同意ね、で、他の身体を見繕うということは、アルジアスに仕掛けるの?」
「いや、仮に保険を掛けて器を用意したのなら、一つということは無い気がする、封印の中の物を使わない前提なら、ラクティの分一つだけでは心許ない、だから、まだ何かあるのではないかと、私は思っている」
「そう思うのは良いけど、手掛かりはあるの?」
「今は全くない、だから祖竜の力を使い、運命確定予知を行う、この力は確定した未来を意図的に創り出すことも可能だが、仮にそれが出来なくても、もし、予め別の身体が用意されているのなら、その手掛かりを予知出来る筈だ」
「ちょっと待て、そんな易々と使えるものではないだろ」
達彦が身を乗り出す。
今の蒼の身体で、祖竜としての力を使いすぎれば負担が大きく壊れてしまう――故に真なる器を探している状態なのだ。
「心配するな、全く負担がないとは言わないが、少しくらいなら大丈夫だ」
「その根拠は?」
「すでに多少は祖竜としての力を使って、どの程度から危険かは分かっている」
それは本当のことだった。
「それでも無茶をすることには変わらないだろ」
「だが、無茶をする価値はある」
蒼の決意は固かった。真剣な目で達彦を見つめ、取り下げる気は全くないという意志を込める。
ややあって、
「――分かった、どの道、止めてもやるのだろ?」
達彦が折れた。
「ああ」
確定未来予知は、未来を脳で演算し予測することだ、ただ、人間型の『脳』では出来ることに限度があるため、脳を一時的に素粒子化、その素粒子の流れで演算を行い答えを導き出すという手段をとる。
蒼の中の感覚的には、精神を脳という肉体の器から切り離して、世界を構成する粒子の中に自我を定着させ、世界を導くように予測するということになる。
その導きが完全な時、確定予知という現実を引き寄せることが出来るのだ。
そのことに危険が無い筈はない。
一度、精神を肉体から分離するのだ、失敗すれば肉体を構成している因子が精神の拘束から離れて、すべて崩壊するかも知れない。
竜の肉体はその意思力により間粒子が結束したものだからだ。
今、蒼が探している真の器も、魂が無いまま、リティスの残留意思力が結束させているものの筈だった。
「それで、いつ行う気なんだ?」
「早い方がいいと思う、このまま今夜にも行う」
「随分と思い切りがいいのね」
十月が感心したように言う。
「躊躇うことでもない」
「そう。――ナリシ、この家やこの付近に集中出来そうな場所はある?」
気を利かせて聞く。
「はい、ありますよぉ、この家の地下が良いと思いますぅ」
「すまない、なら、そこを貸して欲しい」
「はいぃ、問題ありません」
「じゃあ、この話はこれで終了ね、あと何かある人はいる?」
ナリシの家だが場を仕切っているのは十月だった。
「一点」
ラプリアが静かな声で言う。
「なに?」
「最後のコアの名称、そして、その機能を話せる範囲で知りたいと考えます」
「戦果として最強を誇る貴方としては気になるということ?」
十月が含みのある言い方をする。
ドールの強さは、使用する道具――エーテルデバイスの差などがあり、一概に比べるのは難しいが、ラプリアは大戦時の最強のドールとされていた。
それは彼女が倒した存在の数が数え切れないからであり、一体のドールが上げた戦果として圧倒的だった。
「共に行動する存在の能力を知っておきたいだけです」
至極当然のように淡々と言う。
「全然動じないのね、まぁ、いいけど。コアの名前はリズアル・ロントラキリ・オプティー『始まりと終わり』、このコア自体は特別な力を有していないけど、元々のフィーヌコアと合わせて、ダブルコアシステムを完全起動出来る状態になる、このシステムによって、空間内の任意転移、リエグ製造の全エーテルデバイスの高位支配権を主に手に入れたことになるかな、あとはまぁ、身体能力の強化とかありがちな力よ」
「理解しました」
ラプリアが短く答える。
「あら、何か他に追加で聞くことはないの?」
十月が拍子抜けしたという顔をする。
「今の情報で必要なことは判明しています」
「そう……」
どこか残念そうな顔で言う。
十月は直接の戦闘記録はほとんど無いが、スペック上は『最強』とされたドールであり、彼女の中には、そのことに対する自負が当然存在していた。
同じく『最強』と言われるラプリアに対して、何の感情も持たずにいることは難しい。それは彼女の性格からも言える話だった。
「十月さんは、心中複雑なのですねぇ? どちらが強いか、はっきりさせたい」
そんな十月に対して、ナリシが茶化すように言う。
「別に、そこまで思っていないけど、単に話の腰を折られたような気持ちになっただけよ」
「そうですか、すみません」
それを聞いてラプリアがぺこりと頭を下げる。
「その態度、素でやっているのだから、こちらが怒ったら負けなのよね」
ラプリアの謝り方は、普通に聞いて嫌味にしか思えないが、彼女の場合、そういう思考を持たず、本当に素直に謝っている分、十月の中でイライラが溜まる。
単純に嫌味を言われた方が、まだ敵意を明確に向けられる分、楽だった。
「まぁ、ここは落ち着いてください、今ここで不和になっても仕方ないですからぁ」
ナリシがなだめる。
「――そうね。じゃ、この場は解散で」
十月が席を立つ。
「あ、蒼さんは、地下室への行き方をお教えするので、付いて来てください」
各自が部屋を離れようとする中でナリシが言う。
「分かった」
後は各々が自身に割り当てられた部屋へと戻った。
2
その日の夜遅く、黒海洋上、その上空千七百メートルの地点に人影が浮かんでいた。
その背から生える翼のような物体の影に、本人の姿は隠れている。月の光に照らされた翼のような物体の色は淡い緑。
「全く貧乏くじを引いたものだ」
『そう言わないでください、先陣を切れるというのは名誉なことですよ』
手元に持った小型端末で誰かと会話していた。
「単に俺の飛行能力の高さで選ばれただけだ」
『とはいえ、竜は基本的に長い間、宙に浮くことを得意としないものが多いですから』
「人形達の真似はしたくないというのだろ?」
『変なプライドが各々ありますから』
「まぁ、今それはいい。――もろもろの最終確認に移るぞ」
『はい、データでは水面上五メートルから相手の認識範囲になります。海中はもちろん、本体がいる位置まで全部です』
「本体までの深さは?」
『海中に浮かぶ巨体な板状物体の上に存在しているため、その上までは約百メートルの位置です』
「そのポイントに居ると思って間違いない訳だな?」
『データではそうなっていますが、実際に観測された例はないため、あくまで推測です』
「俺が突破すれば史上初か」
声音が少しだけ上擦る。
『何だかんだで、嬉しいのではないですか?』
「ふんっ、貧乏くじだと言った筈だ」
軽く怒鳴るような口調で言い返す。
『――では、話を戻します。そちらの力で突破出来る可能性は五割以下です。とはいえ、誰かが、道を開かないと始まらないという結論で、こういうことになった訳ですが』
「放置して、手をこまねいているだけというのは、俺の性に合わない、だから気にすることはない」
『分かりました。それから、この情報を観測したのはクレイドルです、漏れた内部情報であることも分かっていますが、このタイミングでのリークは、仕組まれている可能性も非常に高いと言えます』
「つまり、誰かの手の平の上だと言いたいのだろ?」
『はい、それで、そちらが構わないのであれば、作戦を実行してください』
「別にいいさ、少なくても、手段を得ることが出来たチャンスだ。誰かの思惑だとしても利用するだけだ」
『そうですか、では、お願いします』
「分かった」
そして、通信は切られた。
「では、始めるか」
背から生える薄い緑色の竜の器官が、内側から弱く発光する。
「相手が常時張っている空間歪曲障壁のサイズは、そのテリトリーよりずっと小さい、テリトリーに入って来た存在の進行方向に瞬時に歪曲面を転移させることで、大きなシールドを維持しているように見せ掛けている、故にテリトリー一帯を広範囲に消滅させるような攻撃を仕掛けた場合、その障壁サイズを封印全体を覆うギリギリサイズに縮めることで回避している」
得られた情報をそらんじる。
「その縮める一瞬だけ空間の歪曲面が薄くなる、その時に内部に入り込める唯一のチャンスが生まれるか」
背の器官の発光が強くなり、浮かぶ存在の姿がハッキリと見えるようになる。
それは金髪の好青年だった。映画俳優と言ってもおかしくない顔立ち。
ラフな格好で宙に浮かんで居る。
「――我が手に星の輝きを、二つ星の輝きを」
青年が両手を左右に掲げると、その手の平の上に明るい光球が出現した。
合わせて、背中の器官の輝きが一気に失われる。
「このくらいか」
そして、右手の光球をはるか下の海面に向かって放ち、自らも海面に向かって頭から落下して行く。
速度は最初に勢いを付けた分、光球の方が早い。
先行する光球が水面から十メートル程の位置に達した瞬間、それが眩しい輝きを発して大爆発した。
手の平サイズの光球とは思えない規模の爆発。
高熱と爆風で海の水が蒸発しながら吹き飛び水面が広範囲に陥没する。
同時にキラリと爆発の炎とは異質の光が水面に輝き、その輝きを基点として爆発で拡がる衝撃波が打ち消されて行く。
それは、まるでフィルムの逆回しのような光景で、爆発している空間が、外に拡がる部分と内から消されて行く部分に分かれ、上から見るとドーナツのような形になった。
「今だな」
水面十五メートル程に降下していた青年が、巻き上がる水蒸気の中、左手の光球を現象を打ち消している面に向かって思い切り放った。
光球は即座に水面に当たって弾け爆発したが、最初とは違い爆発の衝撃が周りに拡がらず、直径一メートル程の見えない円柱に囲まれているかのように、細長い爆風と閃光を宙に向かって伸ばす。
その先には落下中の青年が居て、
「――灼熱の星の残骸よ、そのたぎる力の全てを、我が意を向ける一点へ」
湧き上がる炎の柱を手の平で押し返し、それを見かけ上縮めるようにしながら現象を打ち消している水面へと落下する。
キーン、とその場の爆発の轟音を無視して響く音がした。
現象が打ち消されている中心部分の光景が、あり得ない歪み方をして、上から押されている炎の柱を飲み込む。そして、歪みの奥で爆発が発生して、その光景を割れた鏡に世界を映したように反射する。
「――何者にも、この道を曲げること叶わず」
そこへ青年が落下して歪む面へと手の平を突き立てた。
面が手の平の形に押されて、その先に爆発の光による光のラインが形成されそのラインの先に一つ像が現れた。
「――我、その眺望の先にあるものを見通す」
望遠鏡で遠くを眺めるように、青年の視覚に歪みの向こうの景色が届く。
それは、春の花畑のような風景だった。温かい光に包まれた雲の無い空、大地には白やピンクの花が咲き乱れ、どこまでも拡がっている。
その花畑の中に白亜の神殿がぽつり一つだけ建っていて異彩を放っていた。
神殿の内部は、並ぶ大きな柱の間から垣間見ることが可能で、そこに視線を集中させた時――。
「!!」
異様な寒気を背筋に感じて、思わず自分の背後に視線を移した。
そこには、海面から伸びる巨大な影が二つ。
十メートル以上の縦長の影がゆらめき青年に向かって迫る。
「ちっ!」
明らかな敵性を感じ取り、身体を反転させて影に向かって攻撃しようとした瞬間、爆発の輝きに照らされていた海上という光景そのものが消えた。
全てが一瞬で闇に包まれ、青年はその後、何も知覚することなく、この世界から消え去った。
ほぼ同時に爆発の影響も全て消えて、元の何もない海面に戻る。
その後は比較的波の穏やかな水面が、月の光をゆらゆらと揺らすだけだった。
*
早朝、ラクティは早起きして、机の前に座り、お店の開店前にデータのチェックを行っていた。
アルバートから貰ったデータは開いた後、『無垢なる物』のコアに全て転送済みだったが、その引き出し方法に慣れておらず多少戸惑った。
「――これだと、基本的には全てダミーということなの」
そして、一日掛けて得られた結論に愕然としていた。
淹れておいた紅茶を一口飲んで、結論から、この先のことをさらに推論する。
「どの道、本命となるラインはリティスの全能力の復活だとして、彼女が過去に確定予測して進めた準備が、全部嘘だという可能性」
リティスは聡明な祖竜だったと聞いたことがあった。
その彼女がメリアシスクに身体と力と知識を分割されて存在を失ったのが約三千年前。そして、今の蒼はその封印を解くために行動しているリティスの分身のような存在。
その事実をリティスは予想出来なかったのか? という問題が浮上する。
分割されることが予想されていて、それでも分割されたことには、それ以上の別の意味があったのではないかという推測。
分割されて力を失ったという事実を確定させ、メリアシスクの予測を欺くための壮大な芝居。
「リティスは……まだ存在している」
それがラクティが得た推測の上での結論だった。
どういう姿で存在しているかは分からないが、三次元空間で易々と認識出来る姿で存在している可能性は低いように思えた。
仮に姿が一つ固定されているなら、メリアシスクが気付き、すでに何か対策を行っているだろう。
例えば、決まった姿を持たず、空間に意思体を保っているような状態。
「それは幽霊のようなもの……けど」
竜はその魂といえる基本存在力で間粒子を固めて実体として存在している。
一度実体を持った魂は、その実体を失うと霧散して消えてしまうのが常であり、身体を失ったラクティは『無垢なる物』のコアに意識を集めて、基本存在力を維持していた。だから、実体を持たない意識だけの存在というものに竜が成れるとは思えない部分があった。
「いえ、むしろ、だからこそ盲点となって発見されなかったと?」
ただ、その推測が正しいとして、この情報をもたらしたアルバートの真意が不明だった。すでにリティスの存在の確証を得た上での行動なのか、それとも逆にアルバートがリティスと繋がっていて、事態を進行させるために、意図的に情報を開示したのか……。
考える程に謎が深まる。
「何にせよ、まもなく分かる」
リエグの封印をめぐって、リティスが建てた完全復活への計画が、最終段階に進むことは明らかだった。
蒼がリティスとして復活するのか、もしくは、今の蒼達が予想しない形で復活してしまうのか、そのどちらかだろう。
「問題は、このことを蒼に教えることが正しいのかどうか……」
伝えれば、当然、蒼達は混乱することになる。また、事態を把握するために、その場から動けなくなってしまう可能性もあった。
今の段階ではあくまで推論でしかない、場合によっては間違った推測で足止めさせることになる。
しかし、過去から存在しているリティスの意思というものが今もあるとした場合、蒼達の行動は、そのリティスの手の平で踊っているだけの場合もあり得る。
蒼達がしようとしていることの結果が、蒼達の望む形に終わるのではなく、リティスが望む形に終わってしまうという未来。
蒼自身が過去のリティスの意思に迎合するなら、それでも良いかも知れないが、ラクティの勘では、蒼が目指していることと、リティスがやろうとすることは、噛み合わない予感がしていた。
それは完全な勘だ。
リティスという祖竜を詳しく知る訳ではない。
ただ、とても慎重で賢い存在だったことは知り得ていた。かの存在が、現在に張り巡らせた数々の伏線というべき、駒の配置を見ても、そのことは良く分かる。
その性質は今の蒼とは似ていない。
蒼は馬鹿ではないが素直で狡猾などは全くない。
「仮に私の行動の結果まで、リティスの予想範囲に入っているとした場合、ここで教えることも、教えないことも、決まっている訳よね」
そして、その後、どう状況が変化するかも。
「人の予想の上に居ると考えるのは、あまり良い気分ではないわね」
ティーカップの縁を指先で軽く何度か叩く。
一体どうするべきか?
「えっと、向こうは今、深夜よね……まぁ、緊急だから――サラマンダー」
意識下で遠く離れた、見た目縫いぐるみのサラマンダーに呼び掛ける。
電話をしてもいいが『無垢なる物』側の盗聴は充分に考えられた、これは、まず蒼にだけ伝える情報だと判断して、サラマンダーからの返事を待つ。
「あ、今、どんな状況? 寝てる?」
ちなみにサラマンダーとラクティの間に言語のやり取りは本来必要ない、ラクティの方が電話感覚で言葉を口にしているだけだ。
「え? 運命確定予測を行っている最中――新しいボディの手掛かりの探索って」
とてもマズイ予感がした。
まさに蒼がリティスの思惑通りに動かされているイメージ。
「それって、今すぐに止めることは出来ないの? ――無理? もう終わる?」
確定未来予測は、本来の運命軸ではあり得ないことでも現実にしてしまう力だ。
予想する内容によっては世界に与える影響が計り知れないことになる。
祖竜達は、多かれ少なかれ未来予知の能力を持つが、リティスとメリアシスクが持つ力は特に強く、未来を確定させ新たな未来を創造してしまうことすら出来る。
ただ、その予知範囲を広げる程に莫大な力を使うため乱用は出来ない。
ボディの探索というマクロな範囲の話なら力の消費は少なくて済むだろうが、そのことで、リティスが望む未来が確定してしまう可能性もあった。
特に今というタイミングは、色々と出来すぎている。
「これは、すぐに飛んだ方がいいわね」
机の上に置かれた携帯端末を手にして達彦に掛ける。
蒼が未来予測をしているというのなら達彦も起きているだろう。飛ぶにしても、いきなりでは向こうも驚く。
一応電話で断りを入れてから飛ぶことにして、通話が繋がるのを待つ。
『――もしもし、ラクティか? このタイミングってことは、蒼のしていることを分かって?』
達彦が出て、すぐに話が繋がる。
説明の手間が省けて丁度良かった。
「ええ、サラマンダー経由で聞いている、それで、いきなりだけど、そちらに飛んで良い? 事態が急変しそうだから」
『まて、それだが、サラマンダーからある程度離れた場所にも転移出来るのか?』
「え? どういうこと?」
今、どうしてそんな話になるのか理由が分からなかった。
『蒼が儀式を行っている最中に、こちらで別の動きがあり、それを知らせて来た竜がいる、その別の動きがあった場所が封印の直上なんだが、ここから船で八時間は掛かる距離だ、現地まですぐに向かうにしても、全員が超長距離転移は出来ない、だから聞いている』
「そこまで無理、サラマンダー本体から精々十メートル四方が限度、つまり先にサラマンダーだけ運んで貰って、その後、私が飛んだ方が数が揃うという話ね?」
達彦の言いたいことを理解して言う。
サラマンダー本体からかなり離れた場所でも場所さえ分かっていれば転移出来るのか? と聞いているのと等しい質問で答えはノーだった。
『そういうことだ、だったら、こちらの準備が整って現地に飛ぶまで待っていてくれ』
「分かったわ、基本、サラマンダーとリンクしておくから、そちらの連絡は特に必要ないわ」
『ああ、じゃ切る』
「ええ、また」
通話を終えて、サラマンダーとのリンクを強める。
そうすることで、頭の端の方でサラマンダーが見聞きしていることが分かるようになる。あまり長く続けると、自身が混乱して来るので緊急事態用のモードだ。
「時間がある程度は掛かるでしょうから、こちらも準備する時間が出来たという形ね」
机の前から離れて、飛んですぐに戦闘が始まっても良い準備を整える。
3
「私の転移に付いてこれるのはラプリアと美佑。それから単独で飛べるのは十月、達彦は飛べるけど、ナリシだけをここに残して置く訳にも行かないから護衛で残る、それでいい?」
「人選は良いと思うけど、この場から直接転移すると、ちょっと消耗が激し過ぎるかも、私は自分の翼で高速飛行して距離縮めてから飛ぶわ」
十月が手を上げて言う。
深夜、蒼達はナリシ宅のホールに集まっていた。
全員が真剣な面持ちで、それぞれ動きやすい服装をして、いますぐに戦えるという雰囲気。
「分かった。各自の最終確認が出来次第、私達がまずこの場から飛んで現地の様子を見てくる」
「蒼だって、それだけの距離を飛べば相当消耗する筈だ。俺からその分の力を取ってから行けばいい、どうせ残るしな」
達彦が提案する。
一定の関係を結んだ竜は互いの間での力の貸し借りが可能だった。
「分かった、そうさせてもらう、現場には万全で赴きたい」
「なら、すぐに渡す」
「こ、ここでか?」
達彦の発言に蒼が少々ひるんだ。
「何か問題があるのか?」
「お前は――」
言い掛けて、蒼は一つのことに気付いた。蒼の中での力の受け渡し方法はキスのイメージだったが、実際のところ、身体が触れているだけでも力を受け渡すことは可能だった。キスより効率は落ちるが、達彦が平然と言っていることから、達彦の中では単なる身体の接触行為をするつもりなのだろう。
「いや、何でもない。頼む」
「分かった、じゃ――」
達彦が蒼の前に立って、その頭の上に手を置いた。
ジンワリと熱いような心地の良い感覚に全身が包まれる。
考えてみれば、ラクティと交際関係にある達彦が、こんな全員の前で自分とキスする訳がない。
自分の勘違いを恥じつつ、満ちていく力を実感する。
基本的に内部に溜められる力の量には限度があるが、すぐに使ってしまうなら、それを超えて溜めることが可能だった。
ガソリンで動く機械なら使い捨ての外部タンクを背負うようなものだ。
「――ありがとう、もう大丈夫だ」
「俺の戦闘能力はまだ半端だからな、こんな形でしか協力出来なくてすまない」
「得た莫大な知識が、そのまますぐに反映出来るなら私も苦労はしない、達彦の場合はなおさらだ」
元々、人間として生活していた精神構造で、祖竜としての莫大な知識と力を受け継いだのだ、全くその力を使えなかったとしてもおかしくないのに、達彦はアルジアスに手傷を負わせる程の力を使うことが出来る。それだけでも充分過ぎた。
「まぁ、もう少し時間があれば良かったとは思う」
「その点は仕方ない、それに達彦には戦闘力より、祖竜としての絶対変革力に期待している、メリアシスクが定めた未来を変革可能な唯一の力だからな」
「分かっている」
「それならいい、――じゃあ、美佑とラプリアは用意いいか?」
「うん、不安はあるけど、眷属として付き添うのが義務だし、蒼ちゃんとラプリアさんだけ行かせる訳にも行かないから」
両の拳を胸の前で握って気合い充分という顔をする。
「私は、いつでも問題はありません」
「分かった、なら――」
蒼が足下のサラマンダーを抱き上げて、中から短剣アブソリュートディストーションの収まったホルスターを取り出して、それを黒のミニスカートをまくって太腿に巻き付ける。
その後でリュック状に形態を変化させて背負う。
「美佑、ラプリア、手を」
そして両手を伸ばして、美佑とラプリアとそれぞれ手を繋いだ。
「目的ポイントは封印直上から三百メートル南西の位置、ここから三度の転移で到達します、ナビゲートは私とリルラルでします、蒼様は祖竜としての力で転移のみに集中してください」
ラプリアが告げる。
「分かった」
『お任せください』
頭の中でリルラルが答えて、蒼の中での転移への集中が始まる。
海上に飛ぶので、障害物等の計算が少なくてすむのは多少楽だが、距離が長い分、扱う力の量が多く制御が大変だった。
三回連続を、詰まることなくこなすためには最初のジャンプが特に重要だ。
「――よし、じゃ、行ってくる」
「多分、一時間くらいで追い付くから、あまり無理はしないで」
「ああ」
十月に答えたところで、蒼達の身体はその場から消え、次に月明かりの海上へと出現した。
水面から五メートルくらいの位置に一瞬だけ現れてまた消える。
その所作が二回おこなわれて、目的の場所に到着する。
「――空気に私の足場を、友にも同じく」
竜詩の詠唱が響き、蒼と美佑が空中に立つ。ラプリアは『無垢なる物』として背中に翼を出して浮かぶ。
「周辺に特に気配は無し、目視でも何も無い」
「封印を中心とした場合、クレイドルの艦船がいる位置と、この場所は正反対になります」
ラプリアが普段通りに冷静に答える。
「そうだな、それに封印直上まではまだ三百メートルもある、気配を探りつつ近付くしかないか」
「じゃ、ここでラクティ……さんに来てもらった方がいいよね」
美佑が一瞬詰まってラクティのことを言う。彼女が急に大きくなったので『ちゃん』付けで呼びづらいのだった。
「そうだな」
背負っていたサラマンダーを降ろして、空中に浮かべる。
普通に浮かぶのが、サラマンダーの凄いところでもある。
そして、待つこと約一分。
「――はい、お待たせ」
空間を飛び越えて、サラマンダーの隣にラクティが現れた。
金髪をツインテールに結わいて、背中に丸っこい流線型の翼を二つ浮かべ、彼女が好むゴス和装と言われる分野の服装を完全に着こなしての登場だった。
上の着物の色は白地で、裾から上方向に少し水色の染めがあり一部を金糸で飾る。
フリルの付いたスカートも白でふんわりと拡がり、その下の脚を包むオーバーニーソも白だ。
「この時間だと、すでにおはようかしら?」
「ああ、おはよう、遠いところ来てくれてすまない、力の方は大丈夫か?」
蒼は約二百五十キロの跳躍で達彦からの力の供給を受けていた。
地球を半周するくらいの距離を飛んだラクティの負担が気になる。
「私のはサラマンダーを目印にして、距離感の違う異空間を飛んで移動しただけだから、別に問題はないわ。――それよりも、そろいも揃って、決戦前だというのに地味な格好ね?」
ラクティが三人の姿を見て言う。
三人の格好は動きやすいという点はあったが、特別に語ることはない普通の普段着だった。
「衣服で防御力を上げたりする訳ではないからな、単に動きやすいものを選んだだけだ」
「ロマンも夢もないことを言うわね、でも、まぁ、こんなことだろうと思って、三人分の着替えを用意して来たわ」
ラクティがニンマリして言う。
「別に必要ないが……」
迷惑そうな顔で蒼が答える。ラクティに着替えを強制されるのは初めての話ではなかった。
「蒼ちゃん、どんな服かくらいは聞いてみようよ? 私はちょっと興味があるし」
美佑が蒼の服の裾を引っ張る。
「美佑……」
「あら、美佑は話が分かるわね」
蒼がジト目で見つめる中、ラクティが笑顔で美佑に迫る。
「それで、どんな衣装なんですか?」
「何パターンかあるから簡単に希望を聞くわ」
「希望ですか……格好良く戦っている感じで、それでも可愛さがある感じが良いです。あと、出来れば蒼ちゃんとお揃いで」
「そう、そういう希望なら叶えられると思うわ、あと、揃えるのは簡単よ。服のデータはすでに取り込んであるから、展開する時に二人分にして、全く同じだと芸がないから、多少の差は付けるけどね」
「わー、じゃ、お願いします」
「って、美佑、勝手に」
蒼が困った顔で美佑を止める。
「別に、そんなに困ることですか? 私はカッコイイ服を着たいです」
美佑が目をキラキラさせて言う。
ラクティが用意した服に非常に期待している様子だった。
「……分かった」
蒼が折れる。ラクティの性格から考えて、この場であり得ないと思うほど、おかしな衣装は用意しない、だったら構わないか、という気になった。
「なら、蒼と美佑は着替えるとしてラプリアはどうする? 貴方は自分で何とか出来るわよね?」
「必要になればモードをチェンジすることになりますが、今はまだその時ではないと判断します」
「つまり必要ないってことね?」
「そう解釈してください」
「そう、なら、蒼と美佑だけ、パッパっと着替えてしまうわよ、竜詩を使うから変な防御とかしないでね」
「ああ」
「分かりました」
二人がラクティの前で無防備な体勢を取る。
「――衣よ、流体となって、置き換われ」
蒼と美佑の身体が淡い光に包まれて、その光が二人の前に集まりスッと身体から離れる。
一瞬、完全に全裸になるが、その次の瞬間、ラクティの頭上に現れた光の球が二つに分かれて、それぞれの身体を包み込んだ。
「はい、完成」
ラクティの言葉と共に、彼女の手の上には畳まれた二人の元着ていた服が現れて、蒼と美佑の着替えは完了していた。
「これは……凄くいいですっ!」
美佑が自分の服の様子を軽く見たあと、蒼の方に視線を向ける。
お揃いだということを確認すれば、子細は相手の姿を見た方が早い。
「まぁ、動きづらくはないか……」
衣装の構成は上から長袖のボレロ、肩だしのレースビスチェ、抑え気味に拡がるフレアミニのスカートに、オーバーニーソックスにブーツという具合。
二人の配色はそれぞれ違い、蒼はボレロが黒、ビスチェとスカートが赤、ニーソが黒。美佑はボレロが白、ビスチェとスカートがピンク、ニーソが白だった。
ブーツは共に濃い茶。
蒼のアブソリュートは元の位置に巻かれたままだ。
「配色はそれでいい? 変えるのは簡単よ」
「いえ、問題ないです」
「さして気にならない」
「そう。――じゃ」
ラクティがサラマンダーを呼び寄せて、その口の中に二人が着ていた服をしまい、
「本題に移るわよ。蒼が運命確定の力を使ったことは知っているわ、結果はどうなったの? そのことに全く関係なくこの場に飛ぶことになったのではないのでしょ?」
「ああ、もう一つのボディがあるとした場合、そこに到る道筋は、この場に飛ぶことで示されると予想した」
「やっぱり、だとすると……色々とマズイかも知れない、この場に、きっと蒼が想定もしていない存在が来るわよ」
ラクティの顔色が曇る。
「何だ? どういう話だ?」
「リティス本人か、その意志を直接実行する存在よ」
「待て、何を言っている?」
確かにまるで考えていなかった名を告げられた。リティスとは今は蒼自身のことを指し、蒼は自分こそがリティスだと思っていた。
「私が得た情報から考えて、この世界には、まだリティス本人が生きているか、直接の彼女の意志を実行している誰かがいるわ」
「なんだ……それは……では、私は一体?」
「蒼は蒼の意志で動いているでしょ? それとは別に過去から今に至るまでずっとリティスの意思が別に働いていたという話よ」
「それはリティスが運命確定予知をした結果ではないのか?」
「いえ、進行している関係事象に対して、リアルタイムで干渉して来ているとみて、間違いない」
「つまり……私がリティスとして復活することはない、という話なのか?」
聞き返す声が無意識で震えていた。
もし、本当なら――。
「そこまでは何とも言えないわ、蒼に力を集めて、蒼に面倒なことを全部させて、その後、結果のみを奪い取る、という可能性もあるにはあるけど、これは私の推測でしかないの」
「……いきなり、全て信じられる話ではない」
自分の存在意義が揺らぐレベルの話だった。
全てを信じるなら、この場まで来て何を目指すべきかすら分からなくなる。
思わず目の前が暗くなった。
「ショックなのは分かるけど、私はリティスがまだ存在している可能性が高いと思っているわ」
「…………」
気が抜けたようにうなだれる。
「そろそろね――」
そんな蒼の横に美佑が並び、蒼の太腿に巻かれた短剣を流れるような動作で抜き取った。
「美佑?」
ラクティが不審の声を漏らした時――。
「空間歪曲感知、この場に誰か来ます」
ラプリアが警告した。
「え――!?」
ラクティが身構えた時、四人の前方の空間が揺らぎ、そこに機械の羽を持つ存在が出現する。
この時を待っていたように事が動き始める。
「モード――リルラル、対象の体感時間を百十秒凍結」
出現した存在が呟いた途端、四人の内、三人の体感時間が凍結。
蒼、ラクティ、ラプリアは何もすることが出来ずに動きを止めた。
「全て予定通り、ご苦労様。では、貴方のコアの譲渡を」
「はい、リティス様」
一人だけ動ける美佑が、現れた存在に触れられる位置に移動する。そして、その存在に触れると、それは光の粒となって砕け散った。
散り散りになった光が美佑の手の上に集まり、虹色に輝く宝石に姿を変える。
「ミスキル・ユリアル・エルトリア・オーブ、受け取り完了」
虹色の宝石のサイズは五センチ程の楕円球、それを美佑が握り締めて次に手を開いた時には消えていた。
「――コアの融合確認、意識固定構成物質急速進化完了、全能力解放」
美佑の背中から複数の金色の糸のようなものが空間に伸び上がり、複雑な文様をそこに描き出す。
刺繍で細かく縫い上げるような動きで、全体として十メートル程の翼の形を表す。
「コア安定、残りは――」
動きを止めた蒼の前に移動して、その胸の上に手を置く。
「祖竜の力、返して貰うわ」
すると蒼の肉体から何かフワフワとした物が染み出して胸に集まり、それが白く輝く『何か』になって、それを美佑は引き抜いた。
抜かれた『何か』は美佑の手の中で球形になり少しの間モゾモゾしたが、やがて彼女の手からその身体に吸収されて消えた。
「出力安定化――アブソリュートディストーション起動」
金の糸で編み込まれた翼が幅三メートル程に縮小して、蒼から奪ったアブソリュートの刀身が淡く光った。
「始めましょうか」
アブソリュートを構え海上を滑るように移動して封印の直上に移動する。
そこから海面に向かってアブソリュートを突き立て、逆立ちのような視線を作る。
「空間断裂」
切っ先が海面に触れた途端に、そこに空間の亀裂が発生する。
海の水がその亀裂に向かって流れ込み、亀裂は海水を飲み込む毎に拡がって行く。
亀裂が長さ約一メートルに達した時、突然、横方向に大きく拡がり、その向こう側に空中から真下に見た春の花畑のような光景を映した。
「対象座標特定――モード、ミアラ、対象特異点に事象の地平面を配置、無限大歪曲リセット」
美佑の背後に人の背ほどの金色の杭が複数出現して、亀裂の中と周りの海に次々と突入して行く。
「モード、レード、ウィデクスの鎖展開」
今度は翼の付け根から金色の鎖が複数生えて、放射状に拡がり海中に潜る。
その鎖は先に放った杭に結びついて、杭は海中にある封印を守る空間歪曲障壁に物理的に突き刺さる。
「さぁ、全貌を顕わにしなさい――っ!」
美佑が上空に勢いよく飛翔する。鎖はピンっと張られその下に繋がる封印の障壁全体を海中から引き上げて行く。
それは巨大な光を屈折する球体。
直径は約三百メートル、表面に流れる水流に月の光を受けてダイヤのようにキラキラと輝く。
激しい水音をたてながら一気に海上へと引き上げられて、水面に浮く大きなボールのような状態になった。
「そろそろ時間ね」
美佑がアブソリュートを再び構えると、金色の鎖が波打ち、引き上げられた球体を、アブソリュートが作った割れ目から左右に引き裂くように力が掛かる。
その裂け目から金属を軋ませた時のような耳障りな音が鳴り響いた。
そんな中、蒼達が止められた時間――百十秒が経過する。
再び彼女達が認識した光景は百十秒前には全く想像出来ないものだった。
5章.濁流
1
「では、飛ぶかのぅ」
「はい」
アルジアスと偽エスリートが、古い日本家屋の玄関と言える場所に居た。
たたきの前の板の間で戦支度で佇む。
アルは赤い和鎧を纏い、偽エスリートは黒い法衣。
「主とは別れることになるが、今ならまだ付いて来るという選択もあるぞ?」
ウロコに覆われた尾をしならせつつ言う。
「いえ、万全の体勢で戦場に向かってください」
「ふむ、余の力を完全とするために、本物のエスリートを捕らえておる異空間の維持を止める訳じゃが、それは、そのまま主の危機であるぞ?」
「危機ではありますが、本人が復活した瞬間に私が消えるわけではありません、私のことを本人が意識した場合、私の中に流れている本人の血によって、動きに制約が発生するだけです」
「その後、主を消す為にやって来たら、どうにも出来ぬだろ? こういう形で見捨てるようなことになるのは心苦しいのじゃ」
「そのようなこと、元々この時まで補佐するのが役目ですし、本体の足止めが出来ると思えば」
「確かにその点は、主が止めてくれるのなら助かるぞ、戦場にエスリートまで来たら収拾がつかんからな」
「ともかく、今はお跳びください、絶好の時の筈です」
「うむ、向こうは待ってくれぬからな、すまぬが任せるぞ」
「はい、御武運を」
偽エスリートの見送りを受けて、アルは背中に機械と融合した漆黒の器官を広げて異空間に入り込んだ。
そこで、こちらの空間との差異を計算して、リエグ封印の直上の空に出現する。
「ふむ、封印の障壁がこちら側の空間に露出しておるのか、近くに居るのは――」
目に入ったのは引き上げられた巨大な封印障壁の球体。
そして水面に向かって落下しつつ、辺りの気配を探る。
「――ぬ?」
すぐに想定していなかった気配に気付く。
それはとても懐かしい気配、他の三つの気配から離れた位置――丁度アルが降下するポイント付近にいた。
「どういうことかのぅ?」
その懐かしい気配の元へと速度を上げて落下する。
気配の主は、アルの接近を当然気付いていて動かない。
「主はリティスなのか?」
声が届く距離で落下を止め、その少女に呼び掛けた。
「やはり来たのですか、アルジアス、三千年と少し振りですね」
少女はアルの方を向いて微笑んで答えた。
「その身体は、確か蒼の眷属のものか?」
「ええ、ただ、今は詳しく話している時間がありません、蒼達も動き出しますし、封印の門番も、もう直接出て来るしかない状況の筈ですから」
封印の外装には亀裂が入り、内側が顕わになろうとしていた。
「その全部と敵対しておるのか?」
「はい」
当然という響きの返答。
「――分かった、余の欲するものは封印の中にある、門番を敵としているのなら組んでも良いが、一つ聞く、フィテアは主の配下であろう? どこまで直接的な命を出していた?」
フィテアは、今アルジアスが使っている肉体はリティスのものだから返せ、と襲って来た。
どういうことなのか、確認するなら今しかない。
「ああ、フィテアですか、あの子には確かにその身体を持って来て欲しいと言ってありますが、今ここに至って明らかにすると嘘です。彼女が本気で動いてくれないと、保険として育てていた、今の身体の方をメリアシスクが発見する可能性が強かったので」
「えぐい話だのぅ」
フィテアが命を掛けていた行動全てが、敵を欺くための策だったという。
敵を欺くにはまず味方から、というが、それにしても酷い。
「何か迷惑を掛けた様子ですね。それは謝りますが、この場で組んでいただけますか?」
「組むのは良いが、今の話を聞いて、もう一点確認することが増えた。この身体、主は要らぬのか?」
「はい」
一切、躊躇いのない返答。
「そうか、分かった。ならば、組むぞ」
身体を狙っていないというのなら、この場は共闘するのが最善だ。
「はい、お願いします。私はアブソリュートが起動している内に、門番の相手をしますから、貴方は蒼達の方を」
「分かった。で、その剣は後どのくらい起動しておるのじゃ?」
「およそ、半日程度です」
それは、取り込まれているエシスのコアが消滅する時間でもあった。
「それだけあれば、何にせよ決着は付くかのぅ」
「ええ、そうですね」
「それで、どこまで蒼達の相手をすれば良い? 手加減出来ず殺してしまうこともあるぞ?」
「はい、お好きに。ここまで事を運んでくれた段階で用済みです。本来ならご苦労様というべきところかも知れませんが、自分の働きを自分で褒めるような真似はしません」
「ふむ、能率的ではあるが外道な思考じゃな、主の半身であろう?」
「いえ、抜け殻です、必要の無いものが邪魔をするなら排除するだけです」
「そうか、らしいのぅ」
「ええ、無駄話はここまでです」
ひとまずの方策が決められて、二人は引き裂かれて行く封印障壁を注視する。
障壁の裂け目が拡がり中に巨大な銀色の円盤の上に建つ白亜の神殿が姿を現す、建物のサイズは四方十メートル程、円盤の直径は三百メートル弱。
円盤は封印障壁が解かれて行く今、海面に浮かぶ円形の島のようになっていた。
そして、裂け目から完全に球体の障壁が裂けた時、障壁自体が全て消滅した。
「門番が来ますよ」
「ふむ、蒼達も来るな」
「では、蒼達の方は任せます」
「承知した」
アルとリティスが背中合わせの位置を取り、それぞれ迫り来る別々の相手を見据える中、まず、白亜の神殿から一つの影が歩み出る。
「そちらが先のようじゃな」
「ええ」
「ならば、余は出迎えるか」
アルが円盤の縁から離れて、リティスが一人、前から来る存在を待つ。
月の光に照らされて佇むそのものこそ封印の門番。
脚は浮いた状態で、二人の元に滑るように接近して来る。その姿は『無垢なる物』の基本に違わず少女のもの。
頭に大きなウサギの耳のような黄色のリボンを飾り、服はフリルとリボンで飾った白のセパレート。
胸に水晶のペンダントを煌めかせ、スカートは前の方が短く後ろに行くにつれて長くなる構造で、白いストッキングに包まれた太腿を晒していた。
「予測していた全てと違う形――『封印の石』であるリファィア・ラーヌ・オプティーを、楽しませてくれるの?」
あまり抑揚の無い静かな声で『封印の石』は名乗った。
「貴方が使う、完全時空孔はこちらで封じています。その身体を覆っている見えない次元障壁も、この短剣があれば問題にならない。その上で、こちらの要求を飲まないというのなら、一緒に踊ってもらうことになりますよ?」
「――リファィアは封印を守る物、どんな相手に対しても負けはしない」
「分かりました。――では」
リティスが踏み込む。
その動きは尋常な速度ではなかった。人目には残像を残して、その場から消えてリファィアの首筋を狙ってアブソリュートの切っ先を滑らせる。
一切の躊躇いなく殺しに行く攻撃。
アブソリュートの能力を使えば、何処を刺しても、相手の急所までその刀身を伸ばして破壊するが、仮に斬撃が甘く入ったとしても首筋へのダメージは致命的だ。
厳密にはコアが破壊されない限り『無垢なる物』は稼働はするが、人型をしている以上、首を切られて行動に支障が出ないということはない。
さらに相手がどんな防壁を展開していても、それを貫くことが可能な筈だった。
「入りました」
確かな手応えを感じて、リファィアの首筋から血が噴き出した。
溢れかえる血で白い服がまだらに染まって行く。
何重にも重ねて張ってあって防壁は、アブソリュートのたったの一撃で全て破壊された。
その衝撃で空間が歪みリファィアの姿がぶれる。
「その程度なの? それではリファィアを壊すなんて無理」
血にまみれて行く彼女の像とは全く別の位置からその声は聞こえた。
「幻影……?」
首を切られたリファィアが不意に消え去り、リティスの背後に無傷のリファィアが現れた。
「流石に手強いということかしら?」
「あなたの力を見極める――解析」
その頭を飾る大きなリボンが揺れて、そこから銀色の煌めきを周りに散らした。
「あなたは『輝映の虹色石』ミスキル・ユリアル・エルトリア・オーブ、そして、祖竜リティス。ミスキルは自己進化型のコアを搭載、他のコアの特性を学習コピーする能力を有する、その進化の果てに祖竜の素体補助として完成、竜または眷属と一体化することで、その身体を祖竜の素体と変える」
リファィアが、まるで箇条書きのノートを読むように語る。
「それが貴方の力? どこまで私のことが分かるのかしら?」
リティスはコアの特性情報を読み取る能力だと推測した。
「コピー能力の使用は自身の設定した相手の技の難易度によって変化、設定値レベル五十以上の同一の技の使用は連続では不可能、次に使える時まで技のレベルによって一時間から十二時間の時間が必要。現在その制約によって使用不可能な技は、対象時間凍結レベル九十九、対象事象地平面化レベル九十九の二つ、また、レベル九十九に分類される技はこの二つが全て」
「ほとんど読心術ですね」
感心した口調で言う。
予想を超えて、コアの特性だけではなく、自分の考えていることまで読み取られていた。
「リファィアのことを観測後、コピーするまでに必要な時間は概算で三時間と推測している。また、リティスとしての現在の覚醒度は自己認識で八十五パーセント、現状に対して運命確定予知を準備している」
「少々やっかいな力ですね」
自分が『何を』確定させようとしているのかが筒抜けでは、確定させるべき未来に影響が出てしまう。
「一次解析終了――続行して対象リアルトレースモードへ移行」
「それは、私の思考がトレースされていると考えていいのかしら?」
「リファィアの仕事は、リファィアの領域に入ったモノを排除すること――」
質問に答えるつもりはまるで無い様子で呟き、頭のリボンを揺らす。
それが攻撃だと普通は気付くことの出来ない一撃。
「っ、運命確定――現空間からのエネルギー転移を禁止」
リティスが焦った顔で力を使う。
何か起きたようには全く思えない状況で、リファィアの攻撃は行われた。
それはリティスという身体を構成している粒子から、エネルギーだけを別の平行世界へ逃がす攻撃。
まともに喰らえば、その瞬間に身体を構成している粒子の結合力が無くなり空間に霧散することになる。
物体と時空の法則を自由に書き換えて来る攻撃だった。
「これであいこ、貴方はリファィアの無限歪曲空間を平面化して封じた、リファィアは貴方がこの空間から逃げられないようにした」
「では、より観測しやすい方法で、お互い殺し合うしかない状態を望むということですね」
「リファィアは、貴方を排除するだけ」
言った彼女の姿がそこから消えて、突如リティスの背後に出現。金糸が複雑に絡んで構築されている背中の器官に、頭のリボンを伸ばして絡ませる。
「転移!? 互いに出来ない筈では?」
二人が行った時空間への干渉によって、二人の単純な空間転移は不可能になっていた。リファィアは無限に特異点を創り出し、それを意のままに管理することが出来る能力を持つと、リティスは知っていた。
それにより外の物理法則空間から無限のエネルギーを供給され、また敵性を持つ存在を別の次元に放り投げたり、自ら別の次元を跨いで瞬間移動するようなことが出来る。相当にやっかいな力であり、リティスはそれを強制的に現空間に留める『場』をリファィア周辺に作りだした。
特異点が発生しても、この空間に穴を開けられないのなら影響は小さい。
リティスが自分で持つ力でも封じることが可能な範囲での話になる。その上で彼女はリファィアの空間転移を封じていた。
ただ、先程のリファィアの攻撃で、リティスは自らの身体を、この空間に固定したため、自分の転移も出来ない状態になっていた。
転移出来ないという不利は互いに同じになった筈だった。
「だったら、リファィアが転移出来ないという未来を確定すればいい、出来るのなら」
リボンに力がこもり、金糸の編み込みで一つになっている器官が軋む。
糸で形作られているといっても、それなりの強度はある様子で簡単に崩れるというようなことはない。しかし、竜にとっての補給口でありジェネレーターである器官を抑え込まれることは良い状況ではなかった。
「貴方の今の出力を維持するには相当の間粒子が必要になる、これで補給は出来ない」
「間粒子取り込み阻害ですか……」
閉鎖した空間の支配力を使い、相手の使用出来る粒子の量を減らして戦闘不能に追い込む方法は常套策だったが、器官を直接抑え込まれる状態になるのは、考えていなかった。
抑え込まれても、器官は本来出し入れ自由であり、あまり意味がないからだ。
しかし、金糸の器官を体内にしまおうとしても上手く行かなかった。
「収納出来ないことが謎? リファィアのリボンはイシティリアスの糸の上位版、空間と粒子にも干渉出来る、だから、こうして巻き付けていれば、いずれ貴方の身体を奪うことも出来る」
「それは、解説助かります。先程からの力の行使で、その可能性は考えていました」
「おどろいた?」
「いえ、レーナの持つ七大武装より強い武装を、場合によってはレーナすら敵に回す封印の門番が持っていない方がおかしいですから」
「そう……だったら、対策があるの?」
「無策でこの地に来るために三千年もの時間を掛けません」
また、通常の相手なら力で振り解くことも出来る。
「どうするの?」
「こちらの思考が読めるのでしょ? 読んでさらに対策を考えたら?」
「そう……思ったより高性能」
急にリファィアがリボンの拘束を解いて、リティスから離れた位置に転移した。
「賢明な判断ですね」
「触れている物体の能力をその場でコピーして行く力、元々のミスキルだけの時より早まっている」
「わざわざ早くなっているなんてことは思考しなかったから、気付くのに時間が掛かりました?」
「リファィアの力は、リファィアだけのもの」
「そうですか、私の方は別に貴方の能力のコピーが目的ではありませんので、貴方を排除させていただきます」
アブソリュートを構えて、再びリファィアの喉元を狙う攻撃を仕掛ける。
「同じ攻撃なんて無意味、それに、貴方の狙いは読める」
「ええ、分かっています、モード、メリキア――万華鏡」
攻撃の動きにあったリティスの姿が途端に十体に増えた。
それぞれのリティスが四方に分かれ、別々の角度からリファィアを狙う。
「メリキアの万華鏡――変化する鏡像生成、個々に一定の思考があり、それぞれが分離した時のマスターの意志に従って行動する、しかし、あくまで鏡像であり、直接的な攻撃力はそよ風程度しかなく、本体の位置の撹乱に使用される技」
特に攻撃をよける様子なくその場に佇みつつ技の特性を読み取る。
「解説ご苦労さまです、思考がある分身なら、瞬時に本物を見抜くのは難しい筈でしょ?」
「別に見抜く必要はない」
分かれたリティスの一体が無防備なリファィアの喉元を再び切り裂いた。
血しぶきを上げた後、先程と同じく、その姿がその場からかき消える。
「やはり」
二度目の現象で気付くことがあった。
切り付けたリファィアは間違いなく本物であり、それが何らかの方法を使って別の虚像と入れ替わっている。
その時に、本体に付いた傷まで虚像に移して転移していた。
そんなことが可能だとすれば可能性は多くはない。
仕組みが分かれば対応することは出来る。
「――そこです」
リティスの分かれた像が一つに集まり、何もない空間を切り付ける。
「予知したの? でも」
その場に一瞬だけリファィアの姿が映り、その腹にリティスが持つアブソリュートが貫通したが、それと同時にリファィアの像は消え去った。
「リファィアは貴方が予知することも読み取れる」
また別の場所にリファィアの姿がフワッと現れる。
「私は貴方がさらに転移する場所を予知出来る、転移の方法が分かれば、予想範囲も狭まる」
リファィアの後ろの空間から金色の鎖が伸びて彼女の身体を拘束する。
それは現れた瞬間にリティスの背中と繋がり、場に不可視状態で予め配置してあったものだと悟れた。
「予知と読心術のせめぎ合いだと、リファィアの方が一手遅れる」
「そういうことです」
「リファィアが転移する場所を予知、その予知の内容をリファィアが読み取り、転移座標を変更、その変更座標をさらに予知、その新たな予知の内容をリファィアが読み取り、転移座標を変更」
鎖に捕まったままリファィアが呟き続ける。
「どこまで読み取るつもりですか? 不毛ですよ?」
未来予知は祖竜としての基本の力だ。
単一事象で、なおかつ確定させる程の予知でないのなら、何度使っても然したる問題は起きないが、先の先となれば、それだけ実際となる確率は落ちて行く。
どこまでも予知して行くことは、最終的に当てずっぽうと変わらない。
その当てずっぽうの予知を、相手が読み取って転移座標を設定するとなれば、最早、何も考えず行動した方が良いレベルだ。
「けど、このまま捕まっているつもりもない」
リファィアが鎖の拘束の中から転移する。
同時にリティスが予知した転移先に鎖を滑らせつつ、自らは次に予知した転移先に高速移動する。
「外しましたか」
そのどちらにもリファィアは現れず、予知の予知を読まれたことになる。
「今はこれでも」
不毛な予知と読みを繰り広げることは、時間稼ぎという点では意味があった。
一定の時間を得ることが出来れば、リティスはリファィアの全てをコピーすることが可能。
そうなれば形勢は逆転する筈だった。
*
「再戦となる顔ぶれか、今回はどうなるかのぅ」
アルが向かって来る三つの気配を迎え撃つ体勢を取る。
「まずは――」
その手に黒い霧を握り、それが和弓へと変化し、霧から生まれる矢を三本連続で放つ。
「少しリティスから距離を取るか」
戦闘領域が二つ重なるのは厄介だった。
海面のすぐ上を飛翔して、封印から距離を取りつつ、さらに矢を三本打つ。
誘いの意味での牽制攻撃だった。
相手は誘いに乗る形で移動したアルの方に向かって来る。
「まずはこれで良い」
和弓を霧に戻して代わりに腰に差していた片刃の曲刀を抜く。
それを構えたところで、会話可能な距離に、蒼、ラクティ、ラプリアの三人が現れた。
2
「アルジアス、どういうつもりだ!? お前が封印をこじ開けたのか!? 美佑は一体!?」
蒼は動転していた。
時を止められた、と思った瞬間、次に気付いた時には身体から祖竜としての力が抜け、少し先で封印の門番が美佑の姿をした相手と戦っていた。
それだけでも理解が追い付かないのに、アルジアスまでも転移して来ていた。
アルがどこにでも転移出来ることは分かっていたが、今この場に来るとは流石に考えていなかった。
「そこまでの力は余にはない、アレをやったのはリティスじゃ」
「リティス……けど、あの身体は美佑のもので……」
時を止められる直前、美佑の気配が変質したことは気付いていた。
そして、前後の状況を考えるとリティスだというアルの答えも不自然なものではない。
「なんじゃ、この状況を理解していないか? ならば、余が説明してやっても良いぞ、今は向こうの決着待ち故な」
アルが視線を軽く封印の方へと向けた。
戦いの様子までは詳しく分からないが、美佑の身体が相手をしているのが、封印の門番であることは雰囲気で悟れた。
「すぐに、こちらと交戦する気はないというのか?」
「それは主等次第じゃ、余は封印の中の物に用があるだけじゃからな」
「お前の目的は『無垢なる物』のコアを複数使った完全な未来予知、封印の奥に大量のコアがあると考えているのか?」
「無い方がおかしい、コアの数さえ揃えばシステムの基盤は完成しておる。その力があればメリアシスクなど恐れる必要もない、主等の敵も、メリアシスクだというのならば、今からでも再び手を組まぬか?」
「以前にも答えた、断る」
蒼は即答した。
「そこまで強く決別するような事象は、我らの間に特に無かったと思うがのぅ?」
「その身体を使っている時点で充分な理由だ」
「ほう」
アルが蒼の隣に立つラクティを見る。
「やはり、私より上手くその身体を使っている様子ね」
アルの身体は元々ラクティのものだった。ただ、本人には上手く適合しない身体で、結果的に手放してしまった。
「そうかもしれぬな」
「随分と余裕がある様子だけど、さっき言った説明してくれるという話、良かったらお願い出来るかしら?」
ラクティが自分の身体を勝手に使用している相手に対して、穏やかな口調で言う。
「ラクティっ!」
その態度に蒼の方が苛立った声を出してしまう。
「蒼、落ち着いて、今、私達は分かっていないことが多すぎる、情報をくれるというのなら、聞いて損な状況ではないわ」
前に出ようとする蒼を手で制止しつつ言う。
「それは……」
「美佑が離れて、剣も力を失い、状況も分からない、落ち着いていられる時ではないとは思うけど、ここは私に任せて」
『蒼様……今はラクティ様に任せた方がよろしいかと』
頭の中でリルラルが告げる。さらにラクティの横でラプリアが頷いた。
「分かった」
「話はまとまったようだな、それで何から聞きたい? 余が知っている範囲で答えてやるぞ」
「では、あっちで戦っている美佑はリティスで間違いないの?」
アルを飛び越えて後ろの封印の方を指差す。
「余が知り得るリティスの気配と同一という部分では、間違いないと思うが、どうしてあの身体になっているのかは知らぬ」
「では、美佑の意識はないの?」
おそらく、完全に乗っ取られているのだろうと考えつつも聞く。
「さてな、話した感じではリティス単独でしかない感じだったのぅ」
「そう、ならリティスの身体の中に入っている『無垢なる物』のコアについて知っていることは?」
時間を止められる直前『無垢なる物』が転移して来たことは分かっていた。
そして、その気配は戦っているリティスの中に混じっている。
「知らぬコアだな」
「貴方が知らないとなると適合するコアは限られるわね。では次に、リティスの敵はあくまでメリアシスクなの?」
「さてな、お前達のことは用済みだと言っていたが、現状の敵は門番といったところかのぅ」
「門番を倒した後は、メリアシスクに決戦を仕掛けるのでは?」
「そうなったとしても不思議はない」
「では、貴方はメリアシスクという共通の敵がいるから、今、リティスの味方をしているの?」
同じ敵を相手にしているからの味方関係にみえた。
「まぁ、三千年前はそういう関係で戦っておったぞ、その時から余の目的は変わっておらん」
「そう」
この場にいるリティス、アルジアス、蒼達、三者共々がメリアシスクを敵と認識しているが、それぞれに思惑が違う。
その中で自分達がどう動くべきかラクティは考える。
三者の考えが最も異なるのは、封印に対してだ。
リティスもアルジアスも封印を解いて中にあるものを利用しようと考えている。蒼達は封印を守る考えだ。
仮に封印の中にリティスのスペアのボディーがあっても、蒼から祖竜の力が抜けた以上、関係はない。
封印に対しては、完全に封じられていて構わないという立ち位置になっていると言っていい。
その方が『急いで』とメールをした十月とも共闘可能な状況になる。
だとすれば、今は封印が完全に解かれることを防ぐべき。
そして、封印の門番がリティスと交戦している間は、まだ封印の全ては破られていないということだった。
「質問は以上か?」
「いえ、最後に一つ、貴方は状況がどうでもリティスの味方をするの?」
「今はリティスに門番を倒して貰う必要があるからのぅ、お前達が門番を守る側に付くなら、ここで余が足止めする意味はある、それを味方しているというならば、そうじゃな」
「分かったわ――じゃ、こちらでの意見統一をするから、少しだけ待って」
「ふむ」
アルが余裕の態度で頷く。
「いちいち確認することもないかも知れないけど、これから十月が来ることも踏まえて、どうするのが一番だと思う?」
蒼に向けて言う。
「そんなこと決まっている、アルを退けて、可能なら門番に加勢する」
「うん――ということで、貴方を排除する方向に話がまとまったのだけど」
アルの方に向き直る。
「主等は封印を解かぬという方針か、しかし、それでメリアシスクに対抗するだけの力を得られるのか? そこを今一度考えてみてはどうだ?」
アルの態度は好戦的とは言い難く、基本的には戦いは回避したい雰囲気だった。
おそらく、同じ敵を相手にする以上、共闘が可能だという判断があるのだろう。
「貴方がその気でも、リティスはその気ではない気がするのよね、貴方だってリティスに振り回されたのではないの?」
アルがリティスの使徒であるフィテアと戦ったという情報は得ていた。
「まぁ、彼奴はそういう奴だ、利害関係が一致する時だけ組めばそれで良い」
「そう、分かったわ。では、やはり戦うしかない様子ね」
「ふむ、説得は互いに無理ということじゃな」
アルが抜いていた曲刀を構える。
「一旦、私が相手をするわ、蒼は下がっていて」
ラクティが背中に出していた器官を二つから六つに増やす。
「分かった。――ラプリアはラクティのサポートに当たって欲しい」
祖竜としての力を奪われた蒼の状態は良いとは言えない。リルラルがまだ内部に残っていることが、せめてもの救いで、今も内部で能力の立て直しを行っていた。
「はい、了解しました」
ラクティとラプリアが揃って前に出る形で、蒼がその後ろに下がる。
『蒼様、能力の安定化が終了しました、今から状況を説明します』
タイミングよくリルラルの報告が入る。
『頼む』
やり取りは脳内で瞬時に行われて行く。
『失われた力は、大きく三つ、強度次元干渉能力、運命干渉能力、祖竜としての基本存在力です、これによって戦闘時に転移を行う場合、私とラプリアのサポートが必須になりました、また、竜詩の影響力は基本存在力にある程度比例するため、その威力が約七割は減少したと考えて下さい』
『すでに知り得ている知識は残っているから、竜詩自体の使用は出来る訳だな?』
『はい、説明したように威力が低下しただけです』
『分かった、私が転移する時のサポートは、どの程度リルラルやラプリアの行動を制限する?』
『基本的に私が思考をトレースして座標指定を行うので、その時、私は他のことは出来なくなります、また、ラプリアを伴って同一座標に飛ぶことは出来ますが、ラプリアと別々の座標に飛ぶということは出来ません』
『ラプリアだけ飛ばす、私だけ飛ぶは出来るのか?』
『はい、それは可能です』
『分かった。残りの説明は後でいい、――ひとまず、私の器官から、攻撃相として分離した剣を創りたい、出来るか?』
『はい、一度は器官の分離を行っていますから可能かと、一本でよろしいですか?』
『いや、アルが持っている剣が実体なのが気になる、三本ほど生成して欲しい』
『分かりました』
蒼の背中に左右別々の素材の器官が生える。
左側は機械の翼形状、右側は白色の石のプレートで出来た同じく翼形状。
そして、右側の石のプレートのような器官が、まるで枝から三本の剣を生やすような形に変化する。
その剣は即座に分離して蒼の横に並ぶ形で浮き、一本を蒼が掴み、残り二本は前にいる二人の横に飛んだ。
「急ごしらえだが、念のための武装だ」
「器用なことが出来るようになったのね? 借りるわ」
「――特別に必要としないとは思いますが、受け取ります」
二人が蒼の剣を受け取って、ラクティだけが構えた。
剣は長さ1メートル程の両刃、質感は石のままで、ファインセラミックスの刃のように見えた。
「余としては、足止めだけ出来れば良いのじゃが……最後にもう一度だけ聞く、このまま無駄話でもせぬか?」
「本気で言っているの?」
「主とて、自分の身体と戦うことは避けたいであろう?」
「取り返せるなら取り返したいけど、無理なら私が機能停止する義務があると思っているわ」
「そうか――では、致し方ない、初手は譲るぞ、掛かって参れ」
アルはどこまでも余裕の態度。
その理由はラクティには良く分かっていた。
祖竜の器として使える身体に、膨大なエネルギーを溜め込んでいる。
さらにアルジアス個人の力も加わっている今、運命改変能力を抜きにすれば祖竜達より強いと言える。
正面からぶつかれば怪我をするレベルでは済まない。
「そんな風に言われて、正攻法でなくて悪いけど――織り込み済み規模拡大六乗計算発動、全方位空間断裂発動」
決戦に備えて予め用意していた竜詩を一気に発動させた。
背中の六個の流線型の器官が飛び去り、アルを四方から囲む形で浮遊する。
「――ぬっ!」
同時に六つの器官の囲んだ空間に目には見えない無数の空間断裂が形成された。
「まだよ――捉えた範囲全ての水を、私の意思に合わせて凍結しなさい」
海面から怒濤のごとく水柱が立ち上がりアルを飲み込んだと思うと、瞬時に凍結して巨大な氷柱となり、その中にアルを閉じ込める。
明るい月光の中、半透明のブルーの氷の中に赤い鎧を纏うアルの姿がはっきり見えた。
「これで空間を操ることに優れていても、簡単には転移できないし、転移せずに攻撃も出来なくなった筈」
転移するためにこの空間から移動する時、周りにある空間断裂が邪魔をする。
それを無視して飛べば、そこから身体が引き裂かれる。
さらに凍結したことで、動かずに周りを攻撃する術も封じた。
ただ、断裂の破壊を地道に行えば、その内に転移可能にはなってしまう、あくまで一時しのぎの技だ。
「蒼、貴方は十月と二人で封印の方へ向かって、もう転移して来る頃だから」
後ろに振り返って言う。
「その時間を作るために、こんな無茶な力の使い方をしたのか?」
祖竜ではないラクティが空間に干渉する竜詩を行使し、さらに連続で大規模な凍結現象まで引き起こすというのは、準備も必要だし、かなりの量の力を一度に使った筈だった。
「ええ、あと、ラプリアも連れて行って」
ラクティは何気ない様子で言う。
「待て、一人でアルと戦う気なのか?」
大量に力を使い間違いなく疲労している時に、アルと単独で戦うというのは、いくらなんでも無謀だった。
「状況的に先に何とかしなくてはならないのは、美佑の身体を使っているリティスでしょ? あっちを少人数で何とか出来ると思う? それに一人ではないわ」
ラクティの足下にはサラマンダーがぴったりとくっついていた。
「それは……」
「ともかく行って、あと達彦にも連絡を、距離が離れていても事象さえ正確に伝えることが出来れば、リティスの確定運命予知を防ぐことが出来るでしょ?」
「その点は了解だが……」
「大丈夫、仮に門番が味方に付いてくれるということになるなら、それで充分こちらにも勝機はある、そうなれば私も蒼達に合流するから」
ラクティの表情には、周りを心配させる要素が全くなかった。
「……分かった」
何が最善かを考えた場合、ラクティの案が一番良いと思えた。
「じゃ、行って、閉じ込めておけるのは精々十分よ」
「すまない」
「お願いします」
蒼とラプリアの二人が、閉じ込められたアルから離れて先に見える銀色の円盤に向かう。
「まずは成功ね、現在の空間断裂残存率は……八十七%、次を手を用意するだけの時間が稼げるか、ギリギリかも」
二人を見送ったラクティは、その場で瞳を閉じて集中を始めた。
2
『リルラルから位置情報キャッチ――はい、転移完了』
十月が空間転移して現空間に姿を現す。
そこは、封印の円盤の縁から二十五メートル離れた海上だった。
「すまない、急がせた」
すぐ横に居た蒼が声を掛ける。
「お気を付けください、これ以上接近するとリティスが敷いている空間干渉領域に入り、単純な脱出及び空間転移が不可能になります」
同時にラプリアが警告を入れる。
「それは飛んで来る時にリルラルから情報を貰った、美佑のことも聞いている。で、私が来るまで侵入を待っていたのでしょ?」
十月と蒼の中のリルラルは、力を使わずに念話が可能だということを、蒼は数日前に知った。それはドール同士で波長が合う場合に可能な技で、基本的には同じ制作者のドール同士で出来るが、稀に他の制作者のドール同士でも可能だった。
「はい、私達が先に入った時、何か予想外のことが起きるかも知れないので」
「私が居れば、多少は妹ちゃんも言うことを聞いてくれるかも知れないからね――って、何か、決め手に欠ける戦いをしているみたいね」
十月が円盤の上で行われている戦いを眺めて言う。
リティスも門番も外側を気にしている暇はない様子で、門番が連続転移、リティスがその場を狙って攻撃を行い、外すか防がれるということを繰り返していた。
転移が連続している以上、攻撃が連続で当たるということはまずあり得ないため、門番の損傷はゼロに近く、また、逆に門番の方も攻撃に転ずる機会を掴めない様子でリティスの側も無傷だと言えた。
「この戦い、このまま行くと先に消耗した方が負ける。ただ、観測の結果、門番は封印の内側からのエネルギー供給を受けているようにみえる、となると、いかに祖竜とはいえ、リティスの方が先に消耗する」
蒼がラプリアとリルラルの戦況分析を十月に伝える。
「それなら待っていれば良いかも知れないけど、おそらく、違うよね、リティスがその状況に気付かずに戦う筈がない、彼女には戦闘を長引かせる意味が何かある」
「ああ、私もそう思う」
だらだら戦っていても負ける戦いを、無意味に続けるほど馬鹿ではない筈。となれば、何か、こちらが知らない勝利への道があるのだろう。
「うん、まぁ、大体状況は分かった、先に私が入って、妹ちゃんとコンタクトして来る」
「大丈夫なのですか?」
ラプリアが珍しく蒼以外のことを心配する。
「多分ね、お父様が作った子なら、私とのダイレクトリンクは生きているはず、全て私のコピーと言っていいから」
「分かりました、お任せします」
「私からの情報はリルラルに送るから」
「分かった――『了解です』」
蒼が頷き、リルラルが頭の中で了承する。
「それじゃ、私の新戦闘フォームのお披露目ね」
普段着の十月の姿が光に包まれて、下から徐々に別の衣装に変わって行く。
黒のニーソックスに包まれた足下は中世の騎士のような銀の甲冑で膝上まで覆われ、ミニの白いプリーツスカートを穿き、上半身は青白い胸当をリボンで飾り、腕にも脚と同じデザインの防具が装着される。
長い黒髪の色がスッーと薄くなり、ほぼ銀色に変質。その髪の左右にクリスタルで出来た飾りが付く。
その姿はどこかの王族の戦仕度のようにも見えた。
「うん、問題無し、お父様にしてはセンス良い感じね」
「こういう時に上手い感想を言える方ではないが、似合っていると思う」
「そこまで気を遣わなくてもいいよ、蒼が私の彼氏という訳でもないしね」
「そう言えば、十月はマスターと付き合っているのだったな、マスターを放置してこんなところに来ていて良いのか?」
今さらながらだと思いつつも聞く。
「ひとまず、マスターの身の安全はレーナが保証してくれているから、マスターはレーナのマスターでもあるから、色々、複雑といえば複雑だけど、この場所にレーナを来させる訳にも行かなかったし」
「何か問題があるのか?」
「ここまで来たからバラすけど、レーナは特殊な能力を持っている、それは仮に封印が解除された場合、その後の状況を左右する力、だから、こんな封印が解かれるかも知れないという時に、レーナをこの場所に連れてくること自体が危険なことなの」
「再封印するようなものではないのか?」
封印を守る立場にいるからには、その可能性が高いと思えた。
「ううん、逆。封印の内部にあるリエグの力を完全復活させることが出来るカギをレーナは持っている」
「それは……確かにマズイな」
「でしょ? という訳で、私が来ることになったの、一応、理論上最強の『無垢なる物』だし」
ちらりと、実戦最強のドールであるラプリアを見つつ言う。
「妥当な人選だったということか」
「一応ね――じゃ、行ってくる」
「武器はいいのか?」
「大丈夫、私は貴方と同じようなことが出来るから」
十月の右手の平からクリスタルの塊が溢れだして、一本の剣の形になる。
「確かに」
「危なくなったら呼ぶから助けに来てね」
「どの道、連絡した達彦の方の準備が出来れば突入する」
「リティスの運命確定に対する防御ね、私としては、メリアシスクの方も気を付けた方が良いとは思うけど」
「そちらも警戒はしているが、私から祖竜の力が抜けた今、感知出来るのは達彦だけだ」
「達彦の方は、この場の状況を捉えるのに時間が掛かっているの?」
「大体そんな所だ」
「なら、蒼、今、携帯端末持っている?」
「いや、サラマンダーの腹の中だ」
「それなら、私が取り出せます」
蒼が答えたのと同時に、ラプリアが何も無い空間に手を入れて、そこから蒼の携帯端末を取り出した。
「いつの間に、そんなことが出来るように」
サラマンダーのお腹の中の異空間に、ラプリアが離れた場所からアクセスしたということだ。
「事前に打ち合わせておきました、距離が五百メートル以内であれば、離れていても取り出し可能です」
「サラマンダーと打ち合わせたのか?」
「はい」
ラプリアの返答は、とても真面目なものだった。
それ故、蒼の頭の中で、どうやって打ち合わせたのか、という映像が想像出来ず、少々混乱してしまう。
少なくとも、蒼はサラマンダーが喋っているところは見たことがなかった。
また、ラクティ以外と複雑な意思の疎通が可能だということも知らない。
「ともかく、それを貸して、詩編で強化してこの場の光景を実況中継して、達彦の携帯に直接飛ばせるようにするから、そうすれば、この場の状態が分かり易くなるでしょ」
少し唖然としている蒼を放置して、十月がラプリアの手から携帯端末を受け取り、その表面を指先でなぞることで、術式を内包させる。
「はい完了」
携帯端末を空中に置くと、そのまま浮いた。
「今繋げているから、繋がったら達彦からの声が聞こえる筈」
数秒待つと端末から達彦の声が聞こえて来た。
『何だ、いきなりこちらの端末にそちらの状況が映し出されたぞ?』
「ああ、達彦、それ私の力だから、これで状況が判断しやすくなったでしょ? そっちで念じてくれたら、こちらのカメラ位置とズームも変更出来るから、まぁ、やってみて」
『恐ろしく便利な仕様にしたものだな……』
「どう、使えそう?」
『ああ、カメラ位置の移動ズーム共に問題ない』
「そう、なら問題なし、音声が届かない距離に離れた場合、私となら念話出来るから、それでお願い、ただ、今からリティスが敷いている空間干渉領域に入るから、もしかしたら繋がらないかも」
『了解した』
「じゃ、何かあれば呼び掛けてね」
一旦、音声での会話を終える。
「さて、準備も完了したから、行ってくるね」
「あ、ああ、頼む」
「お願いします」
二人の見送りを受けて、十月はリティスの干渉領域に突入した。
*
「え!?」
氷柱の中のアルの姿が瞬時に消えた。
そして、驚き身構えるラクティの前にアルが転移して来る。
「随分と豪快な術を使うものよ、余が封じられるとは思わんかったぞ」
衣服に濡れたりした部分は無く、氷の中に居たとは思えない。
身体的にもダメージがあるようには見えなかった。
「……あまり効果的では無かった様子だけど」
予想より五分以上早い脱出だった。
十月が来るまで持ってくれたのは幸いだったが、まだ次の術の準備が整っていない。
「意外な様子じゃな、『無垢なる物』のコアを体内に持つなら、これが何か分かるであろう?」
アルが手の平を水平にかざす、するとそこから金色の糸が宙に向かって伸びた。
「イシティリアスの糸……けど、それはレーナが」
リエグが作りだした七大武具の内の一つであり、本物は封印され、レプリカをレーナが所有している筈のものだった。
効果はあらゆるものへの干渉。
触れた全てを意のままにすることが出来る糸だった。
「これが大本、確かに封印はされていたが、それは門番が守る大封印ではなく、別の形だったという話じゃ」
「別の形……貴方がそれを使えていることを考えると、まさかオリジナルを保有していたレーナの姉のコアを取り込んだの?」
クレイドルが保管している『無垢なる物』の情報はアルバートから得ていた。
その中にアフテアというレーナの姉に当たるドールがおり、そのアフテアが最初にイシティリアスの糸を所有していたというデータがあった。
アフテアは大戦初期に破壊されたことになっているが、その時にイシティリアスの糸がどうなったのかは不明で、糸自体の所在は、それから大戦後に封印されたというデータしかない。
「流石に察しが良いな。アフテアのコアは余の切り札よ。蒼の奴を見て竜と『無垢なる物』の融合が思った以上に効果的だと思って試してみた、ただ、元々はリティスが研究していたことらしい、その実験の結果は今の主じゃな」
「私の場合、融合というより『無垢なる物』に飲まれているようなものだけど、竜としての身体は存在していないし」
「それでも竜としての力を維持出来るのは研究が上手く行った結果じゃ、余の融合具合は蒼より下じゃが、その分外から気づかれることはない」
「確かに……」
アルの中に『無垢なる物』の気配は感じることが出来なかった。ラクティがコアに飲まれている融合なら、アルはコアを完全に飲み込んだ融合なのかも知れない。
「ともかく、この糸があれば大抵の勝負は勝ってしまう、故に非常につまらぬ、好んで使う気はないのだが、先程の術の前では形振りを構っている場合でもないからのぅ」
どこか白けた顔をして言う。
「それは、私に勝った気でいるということよね?」
その表情にラクティはカチンと来た。
ここでアルを止めることは、ラクティにとっては絶対。
今、蒼達の側に行かせれば間違いなく蒼達を危険に晒す。
「当然であろう? 主にこの糸に対抗出来る手段があるとは思えぬ、大戦時に破壊されたのは、それより上の干渉兵器を使ったモノが居たからじゃぞ?」
「そう……でも、この身体はミシリア・リキス・ユーリ、ユーリが作った最後のドールにして、最強と言われたラプリアを倒すために作られたドール、切り札くらい持っているわ」
「そんな話、聞いたこともないわ、ハッタリなど余には意味がないぞ」
アルが完全に鼻で笑う。
「それは一度しか使ったことがないからよ。――エーテルデバイス起動、インターベンション機構発動」
ラクティの右手首辺りから何本かのケーブルが伸びて、その手に握っている蒼の剣の柄にめり込み一体化して行く。
すると蒼の剣の表面に血管のような盛り上がりが構成されて、白色の刀身が赤く変わった。
「なんじゃ、その技は」
「これは、本当は貴方に使うつもりではなかったのだけど、貴方がイシティリアスの糸を使うなら仕方ないわ、――行くわよ」
本来ならばリティスに対抗するために使うつもりの技だった。
剣を構えてアルに向かって宙を一気に駆ける。
「どんな技かと思えば、ただ向かって来るだけか!?」
曲刀を構えて、ラクティの剣線に合わせる。
二つの剣がぶつかり、つばぜり合いになると思われた時――。
「貴方は次元障壁がない分、ラプリアより簡単よ」
「なんじゃとっ!」
アルが持つ曲刀の刀身が、ラクティの剣と触れ合う部分から急速に赤く変色して行く。
「ふーん、そういう武器だったのね、これ――借りるわ」
曲刀は見る間に赤くなり、同時に変形を開始する。
「この力っ!? 干渉兵器か!?」
元より意のままに形を変えることが出来る剣だ、形が変わること自体は驚くに値しない。
しかし、今、曲刀を意のままに動かしているのはラクティの方だった。
「ええ」
アルは曲刀を捨てて後ろに飛び退こうとしたが、変形した曲刀の動きの方が速かった。縄状に伸びてアルの身体を捕縛して、締め上げる。
「転移っ!」
即座に空間転移を試みるが、周囲の空間に対して自分の力が行き渡らない。
良く見るとラクティの持つ剣から何本もの糸のような薄い光が周囲に伸びて、二人を取り巻く空間全体を、うっすらと赤く染めていた。
「ちぃっ、ならばイシティリアスの糸でっ!」
身体をグルグル巻きにされた状態で、何とか動く手の平に糸を呼び出す。
糸はすぐに縄状に変形した剣に触れるが、それで何か起きることはなかった。
「糸が効かぬだと!?」
「あら? 驚いてばかりね? イシティリアスの糸はユーリが創りだしたものよ? それより後に製造された私に対策がないと思ったの?」
「これは干渉という話ではない、むしろ融合……当然、主への反動も相当の筈じゃ、こんなものは兵器ではない、使い続ければ主の個が揺らぐぞ」
「そうね……アフテアと繋がっているだけあって良く分かっている様子ね。確かにこの力で取り込んだモノとは融合してしまう、だから取り込んだ分だけこちらの負担は増えて、使い続ければ処理出来なくなって自滅するわ」
「それが分かっていて使うというのか?」
「こちらにはこちらの事情があるのよ。――このまま貴方ごとイシティリアスの糸を取り込んでも良いのだけど、それはアフテアまで取り込むことになるのよね」
「それほど簡単に取り込まれると思うなっ!」
「貴方自身が無理でも、アフテアだけでも取り込めば、それを自爆させられるわ」
「させぬわっ!!」
アルの体中から黒い霧が噴き出し、赤い鎧を纏う上にさらに別の何かを形成して行く。
「無駄な足掻きよ」
ラクティは干渉力を強めて溢れて来た黒い霧を支配下に置こうと試みる。
しかし――。
「フッ、この霧は余そのものとも言える、主の意識が触れているのが分かるぞ、意識の強さのせめぎ合いなら負けぬ――ふんっ!」
アルが気合いを入れると、黒い霧が流動して身体を捕らえている縄状に変化した曲刀と激しく擦れ、電気ノコギリで金属を切るような耳障りな音が響く。
「っ!」
黒い霧に対しての干渉は、まるでバリアが張られているかのように不可能で、どうにも出来ない。
アルの意志力の強さを思い知る形になる。
「流石に厳選した逸品だけあって、簡単に切れんのぅ」
「させないわ」
巻き付けた縄状の曲刀を強く絞り上げて、アルの身体に食い込ませて行く。
黒い霧に干渉出来なくても、アル本体にダメージを与えることが出来れば、無駄な行為にはならない。
流動する黒い霧との擦れが苛烈になり、まるで火花が散るように霧が細かく巻きあがって行く。
その中には削られた曲刀の赤い粒も混じっていた。
「もっと柔いブツにしておけば良かったか」
「特別に丈夫なものを選んだのが仇となった様子ね」
「なに、力を集めれば、切れぬことはないっ!」
曲刀を削る音が一段と激しくなり、飛び散る霧と赤い粒子の量が増える。
「くっ!」
マズイと判断したラクティは一度後方に跳んで、剣を構え直す。
そのタイミングで、
「はぁっ!!」
アルが曲刀で出来た縄を千切って解放された。
赤く染まった曲刀は散り散りになり海へと落下して行く。
「少々、手こずったの」
アルの身体を纏う鎧の節々に亀裂が入り、一部は欠け落ちていた。
「多少はダメージになったということかしら?」
「そうじゃな、傷以前に剣は勿体ないことをした……じゃが、まぁ、何とかなる」
アルが目を閉じて集中すると黒い霧が身体を覆い、鎧の壊れた部分を修復して行く。
「まるで無尽蔵ね、貴方の力は」
力の元となっている黒い霧は無限に溢れて来る感すらあった。それを絶つことが出来なければ勝機はない。
「いや、減るには減ったぞ、実のところ、主を相手に余り消耗したくはない、まだ次の敵が控えておるからな」
鎧を完全に修復し終えて眉をひそめる。
「それはこちらだって同じよ」
「では、無駄な力の消耗は避け、互いに剣で決着を付けぬか?」
「貴方がそう言って信じられると思うの?」
空間への干渉を解けば、すぐにでも転移攻撃を掛けて来る可能性を考えていた。
「そうか、ならば仕方ない、周りに干渉領域がある分、多少やりにくくはあるが」
黒い霧が再び噴き出しアルの周りに充満して行く。
その拡がりはすぐに幅十メートル程に達して、巨大な一つの腕となった。腕が出来上がるのと同時に手の平を海面に突っ込み、そこから水の塊を掬い上げ、勢いよくラクティに向かって放って来る。
水の塊は直径三メートル程度の球体――避けられるとラクティは考えて、自分の左手側に跳んだ。
「ただの水と思うな――変質せよ」
水球からビームのように細かい水流が幾つも発射され、それがカーブを描いて避けたラクティの方に向かう。
さらに水であった構成そのものが変化して高エネルギーの照射となる。
「サラマンダー――光壁防御展開」
ラクティの脚にしがみついていたサラマンダーが口を開けると、その前に光の壁が形成されて、エネルギー放射となった無数の水流を受け止めた。
水蒸気とも思える爆煙が上がる中、ラクティがアルに向かって剣を構えて飛び出す。
「剣で戦う気になったかっ?」
アルが黒い霧で即座に剣を生み出して構える。
「剣が得意な方ではないけど、打ち込んで、その霧を少しでも削らないと駄目そうだから」
大きな竜詩を用意している暇を与えてくれる敵ではない、さらに今のような攻撃を何度も耐えられる用意もない。
となれば、アルの術を使わせない意味でも、切り込んで本体に損傷を与えることが、消耗を狙う唯一の方法だった。また、接近して干渉を続ければ、アルの中にあるアフテアに干渉できる可能性も高まる。
「悪い判断ではないぞ」
「行くわよっ!」
上段、やや斜めから斬り掛かる。
その速度は相手が並の竜なら反応できない程の速さ。空気を斬った音が遅れて来るレベルの一撃。
今までのラクティでは出せないレベルの力だったが、対ラプリア用に開発されたミシリアの能力は伊達ではなく、さらに竜詩が得意なラクティが能力強化の術式で底上げしている故の力。
「ぬっ!」
アルが正眼の位置で、ラクティの剣を止める。
「まだまだよっ!」
止められても剣を押し込み、物理的な力でアルの黒い霧から出来ている剣の破壊を狙う。
強度だけなら、蒼の攻撃相であるラクティの剣の方が硬い。
また、同時に強干渉力を使い近距離からアルの身体に直接干渉を行う。
「空間への干渉を維持しつつ、別事象へこれだけの干渉力を注げるのか!?」
「対ラプリア用の力だと言ったでしょ? あの子の能力は、今みせている貴方の力の数倍はあるわ」
「主は一度、この身体でラプリアを破壊している筈だ、それを直したのはクレイドルの施設じゃぞ!?」
アルが信じられないという顔で叫ぶ。
「あの子の力には複数の制約がある、私と戦った時には、その制約リミッターが全て解放されていなかっただけよ、それは、あの子のマスターやあの子自身で外せるものでもなく、唯一運命が交わった時に発動するの」
「制約の上での力か、では、主の力は一体何だ? 大戦時に全力のラプリアを抑え込んだと言うなら、もっと上の制約、或いは、因果律の果てによる縛り」
「そんな大層なものではないわ、大戦時にラプリアを倒したのは、ラプリアコアをこの時代まで存在させるための偽装、あくまでリティスの本心はラプリアを残すことを優先させている、そして、念のためにこのミシリアを作っただけ、ラプリアが存在している時代に同時に存在するようにね」
「一体、何を言っている?」
「貴方が理解する必要はないわ」
ラクティが剣に篭める力をさらに強める。
「くっ!」
アルの手持ちの剣が元の黒い霧になって霧散した、同時に後方に飛び退き、また別の一本を創り出して構える。
「まだまだ余裕の様子ね!」
そこに再びラクティが斬り掛かる。
避ける間は無く受けるしかない一撃。
「何にせよ、主を倒さねば始まらぬか」
剣を受けた瞬間、アルが己の背後から複数の槍を生み出して、ラクティに向かって殺到させた。
「サラマンダー、防御は任せるわ、自己判断でお願いっ!」
声に合わせてラクティの体表面ギリギリの位置で光壁が展開されて、数十本に及ぶ黒い槍を受け止めて弾いた。
弾かれた槍は、まだ力を失った訳ではなく、弾かれた流れから穂先を整え直して、今度はラクティの背後を狙う形で殺到する。
防御を任されたサラマンダーが光壁を生みだし再び全ての槍を弾く。
「相当に万能だな、それは」
「ええ」
「ならば手段を変えるかのぅ」
防壁に阻まれた槍が一カ所に集まり、穂先の幅だけで二メートルはある巨大な槍に姿を変えた。その槍がサラマンダーが展開している光壁に衝突して、内側へと強い侵入力を掛ける。
「一点突破ということね?」
「まぁ、そういうことじゃな」
二人は互いの剣を押し合いながら、それぞれ別々のことを同時に行っていた。
ラクティはアルの肉体への干渉。
アルは巨大な槍の遠隔操作。
どちらとも決め手に欠けている攻撃だったが、それは微妙なバランスの上に成り立つ偶然でもあり、少しでも力の均衡が崩れれば、いつ決着してもおかしくない状態だった。
3
十月がリティスの空間干渉領域に侵入して銀色の円盤の上に乗る。
「金属でもないし、何だろう?」
コツンと脚を覆う鎧の底が円盤と触れて音を立てる。
コンクリートよりは硬く、金属よりは柔らかいような踏み心地だった。
また、面全体が月の光を反射して、夕方くらいの明るさはある場になっている。
「とりあえず」
戦闘中の門番に対しての念話を試みる。
相手との距離は約百メートル。
「こういう場合、はじめまして、なのかな? うーん、まぁ、いいか」
一応、自分の妹にあたる個体だが、会って話したようなことはない、ただ、こちらのデータは持っている筈ではある。
『えっと、聞こえるかな? まっ、戦闘中でテンパっているとは思うけど、聞こえたら返事ぷりーず』
かなりフレンドリーな感じの通信。
そして、数秒後。
『同一波長個体からの通信を感知、貴方は誰?』
『あ、繋がった、忙しい中、返答ありがとう、私はフィーヌ・ロントラキリ・オプティー、貴方はリファィア・ラーヌ・オプティーよね?』
『そう、貴方のコアの波長は、リファィアの一番上の姉?』
『うん、とりあえず、はじめまして、妹ちゃん。で、一応加勢に来たんだけど、何かすることはある?』
『リファィアに加勢を断る理由はない。――現状を圧縮データで転送、あとは自己判断でお願いする形』
『ほいほい』
十月の元に圧縮された戦況データが一瞬で転送された。
それをデコードして状況を把握する。
「ふーん、予想に反して時間を掛けるリティスが有利な状況な訳ね、妹ちゃんのエネルギー切れはないけど、リティスがコピーを終えるまでに、リティスの方の力が切れるのが最良という感じね」
独り言を呟きつつ状況確認を済ませる。
あと二時間くらいの間に、リティスの力を消耗させるか、動きを止めることが出来れば勝ちだ。
「さてと――」
リティスの防御能力は特別に高い感じはしない、ただ、アブソリュートを持っている以上、普通の『無垢なる物』が間合いに入るのは自殺行為だ。
間合いを無視した範囲攻撃でダメージを与えるというのも考えたが、封印がどこかにある以上、それを破壊する可能性がある大きな技は使えない。
戦っている二人も、それを承知の上で地味な攻撃を続けていた。
そこまで考えて、この場のどこに封印があるのかが気になった。
『一つ確認、この足下の銀色の円盤はなに? 壊したらマズイもの?』
『これは、リファィアの力を支えているエーテルデバイス、壊すとリファィアの優位が崩れるから駄目』
『封印という訳ではないのね、だとすると、封印は見えている神殿なの?』
『それは秘密』
絶対的な拒絶というノリの解答が来た。
『そう来るか……まぁ、いいけど、じゃ、逆に聞くけど、神殿は壊していいの?』
『別に問題ない』
『了解、あと、こちらが仮に妹ちゃんを巻き込む攻撃をしても、回避出来るよね?』
『この円盤上ならリファィアは回避出来る』
『じゃ、そのつもりでいて』
念話を終えて作戦を決める。
「リティスが気付いてこちらに来るってこともあるから、あまり溜めは出来ないけど――エーテルデバイス、リリュージのベル範囲限定展開、この音の届く窒素原子よ絶対的な抵抗と化せ」
十月の手に金色のベルが現れて、それがリーンと澄んだ綺麗な音を、十月が定め空間にだけ響かせる。
その音は円盤の上にだけ届いて、音が支配する空間の空気が突如粘土のように重くまとわりつくようになる。
「重ねて、音によりエキゾティック核構成、連続衝突によるプラズマ領域形成」
先程より少し高い音が、今度は短いメロディーのように鳴り、十月の前方の空間が円盤の上の指定範囲で青白く染まった。
指定した範囲をクォークグルーオンプラズマで焼き尽くす攻撃。
四兆度という途方もない温度で範囲内の物質は、燃えるというより分解した筈だった。
「さらに重ねて、音により浮遊素粒子により地球大気再現、鎮火せよ」
さらりと宇宙開闢を再現した範囲空間をいきなり解放することは出来ないので、アフターケアを行った上で、その場を解く。
建っていた神殿は消え去り、リファィアの姿も消えていたが、その気配は残っている、何かしらの方法で回避して、今は見えなくなっているのだろうと思えた。
そして、ターゲットであるリティスは、
「無傷ね……やはり物理攻撃ではダメージは通らない感じかぁ。運命を変化させて回避しているとみて間違いなし」
おそらく、自分に攻撃があたらない未来を創造して回避したのだろう。
因果律を使って攻撃を避けられる場合、どんな攻撃も通ることはない。
ただ、短期間に一対象に連続して因果律の書き換えを行うと、その対象の存在が不安定になるという話を十月は過去に聞いたことがあった。
つまり、絶対的な防御には限りがあることにはなる。
「とはいえ、自分の身を守るためなら、ある程度回数は使ってくるだろうし、こっちも今の出力を連発するエネルギーはないという……」
自分で駄目出ししつつ、十月は結晶で出来た剣を構えた。
リティスがこちらに対して突っ込んで来たからだ。
「これは達彦に何とかしてもらうしかないかな――空間防壁を剣に展開」
リティスが持つアブソリュートを普通に受けた場合、即座に受けた方の剣が切断される。
歪曲した空間を剣にまとわりつかせて、剣そのものを防御する必要があった。
「妨害ですか? 貴方は半分は私に創られたようなものなのですよ?」
十月の手前五メートルでリティスが止まり、アブソリュートの切っ先を十月に向ける。
「だから、貴方を妨害してはいけない、ということにはならないでしょ?」
「大戦時、私は比較的早く退いたため、封印に関しては本意ではない結果になっています、一応、復活の手順だけは整えましたが、どうしても、この封印の内部に用事があります、退いては貰えませんか?」
「こちらに切っ先を突き付けておいて、お願い?」
アブソリュートの一撃は喰らった場合、相当に危険だ。
十月の予測では軽く刺さっただけで致命傷。元々『無垢なる物』のコアを破壊するために創られた剣であり、次元を切る力は十月達からすればオマケの副産物でしかない。
リファィアのような特殊な回避手段を有していない状態では、あと少しリティスに踏み込まれるだけで命の危機だ。
「そうでした、この剣は貴方達からすれば猛毒のようなものでしたね、リファィアがあまりに綺麗に回避するので、失念していました」
リティスが剣を下げる。
「妹はどうやら特殊な回避方法を持つみたいだから」
そうは言っても、それはリティスがアブソリュートディストーションの真の力を解放していないからだ。
何かの偶然で元々の所有者であるミシリア――ラクティの手に渡っていた場合、真の力が解放されていたかも知れないと思うとゾっとする。
「ええ、ですので少々困っています、姉である貴方から説得して貰えませんか?」
時間さえ掛ければ、リティスが有利になる状況の筈だが、流石にこの場の全員を相手にすることになるのは避けたいのかも知れない。
祖竜とはいえ消耗はする、本命であるメリアシスクとの戦いを前にして抑えられる消費は抑えておきたいだろう。
「まず聞きたいことがあるの、こちらからの質問に答えてくれるなら、説得の件を考えてもいいけど」
提案しつつ、何処にいるか分からないリファィアに『不意打ち禁止』を念話で伝播する。
「ありがとう御座います、質問には分かる範囲で答えます」
一見してとても穏和な微笑みを作る。
本心が計り知れない顔だ。
「じゃ、今の貴方は、他人に対する運命改変を行えないというのは正しい?」
リファィアとの最初のコンタクトで転送されて来た情報を確認する。
「はい、私を中心に運命を書き換え過ぎているため、しばらくの時間は私の力が及びません、自分の近々の未来だけなら何とかなりますが、皆さんのを弄るとなると、おそらく空振ることになります、でも、予知は可能ですが」
「だとすると、強制的に対象に攻撃を当てるようなことは出来ない訳ね」
「ええ、そうですね」
「じゃあ次、その身体はいつから乗っ取っていたの?」
「蒼がこの子を眷属にした時からです。祖竜二人分の力を一部とはいえ得ているこの子の身体は魅力的でしたから、元々は蒼の中に私は居たのですが、この子の方に移動して、覚醒するチャンスを待っていました」
「なら美佑が眷属になった後、ずっと演技でもしていたの?」
美佑の中にリティスがいるなど、全く考えもしないことだった。
しかも、もうかなり長い期間。
「いえ、基本的な行動はこの身体の本来の意思のままです。ただ、この身体が常に安全であるようには運命を弄りましたし、なるべく目立たないようにもしていました、それから、下準備のための指示を配下に出したこともありますが、その時の記憶はこの子にはありません」
「配下ね……それは誰?」
「クレイドルの幹部の一人、後は数体のドールとフィテアという竜です」
「そう、そのドールの中には、いま貴方と一体化しているドールも当然含まれるのよね? そのコア、素性が怪しすぎるのだけど?」
クレイドルの幹部といえば心当たりはあったが、リティスが内部に取り込んでいる『無垢なる物』のコアの方は全くの謎だった。
最低でも後期型、しかもかなり強力なドールでなくては、リティスの力に耐えられない筈である。
「私の中にあるコアはミスキル・ユリアル・エルトリア・オーブ、唯一の自己進化型ドールであり、あらゆる分野から情報を集め、他の竜やドールの技を研究して自分のものにすることが出来る存在ですよ。元々は大戦の戦闘記録を取る為にエルトリアによって創られたドールだったのですが、私が拝借して自己進化出来るように改良したの、もちろん三千年後に復活する時のためにです」
「そんなものが何故今まで誰にも見付からなかったのよ?」
一切聞いたことのないドールだった。数年程度隠すなら出来るだろうが、三千年という期間は無理がある。クレイドル、レーナ達、竜達、何処かの勢力が気付くのが普通だ。
「それは、存在が絶対に表に出ない運命改変を行っておいたからです」
「じゃあ、蒼が運命確定予知を使ったから、貴方が過去に定めた運命が壊れて、そのドールが表に出て来たっていう話?」
「察しが良いですね」
その通りですという顔をする。
「蒼が力を使わなかった場合はどうするつもりだった訳?」
完全に狙ったようなタイミングで蒼が力を使ったことが現実ではあるが、そうならない可能性もあった筈だった。
「最悪の場合は美佑を動かすつもりでしたが、それはしなくて済みました、他に色々と用意していた事象が上手く働いたので」
「なら、封印を解くなと、私のロントラキリコアにメッセージを残したのも貴方だったりするの?」
「ええ、勝手に解かれても困りますから、それに今回の場合、蒼を上手く誘導することになりましたし」
「未来を読み切った上で、あらゆるパターンでこの時代に対して伏線を張っていたということかぁ」
未来が読める存在だから当然のことなのか、それともリティスがそれだけ用意周到な性格なのか不明だが、どちらにしても、彼女の願いは三千年という時を経て成就しようとしていた。
「質問はもうありませんか? では、この場から退く件、考えてもらえたでしょうか?」
「うーん……正直、戦いたくはないのよ? けど、貴方が封印を解いた時に、何か良いことが起きる感じが全くしない」
真っ向から戦って勝てるような相手ではない、何より相手のもつ武器が厄介過ぎる。しかし、ここで食い止めないともっと厄介なことになる気がしていた。
『姉さん、会話は終わった?』
タイミングを読んだ感じで、リファィアから念話が入る。
『必要なことは聞いた、一応、作戦は考えたから――送るね』
情報をまとめて一気に転送する。
『作戦了解』
念話を終えて、
「封印を守ることを最優先として、貴方と敵対することにした」
十月が空間歪曲防壁を纏わせたクリスタルの剣を構えた。
「そうですか……残念ですね」
リティスも下げていたアブソリュートを再び身体の前に構える。
「じゃあ、行くよっ!」
最初に動いたのは十月の方。
運命を読む相手と言っても瞬間的に全てが悟れる訳ではない。運命を読み何かする時、考えてから動く程度の僅かな間が出来る。
その間を与えない速度で切り込めば、相手がこちらの攻撃を全て読んで回避するようなことは出来なくなる。また、その場合、先読みを使わず純粋に自身の身体能力で回避した方が効率も良くなる。
だから、十月はリティスが自身の身体能力で回避するしかない高速攻撃を仕掛けた。ソニックウェーブが出る程の速さで一気に距離を縮めて、身体を横方向に回転させながら水平に剣を薙ぐ。光を反射する切っ先の動きが残像となって空間に残る。
「速いだけでは勝てませんよ」
リティスはさらに素早く動き、前に背を屈めて薙ぎを回避、その体勢から十月の下腹部を狙ってアブソリュートを突き入れる。
先端が十月のミニスカートを切り裂いた瞬間、その十月の姿がかき消えた。
「速さだけというつもりはないけどっ!」
リティスの真上の位置に、十月が逆さの体勢で剣を突き立て落ちて来る。
「残像ですか」
前に伸びた体勢で背中側を無防備に晒していたリティスは、身体を振り向くように捻り、振ってくる十月の剣先をアブソリュートで受け流した。
「ここからが本番」
流された反動を使い、空中でバク転、今までリティスが居た位置を飛び越えるように彼女の後方に着地。
そこから剣を前方に真っ直ぐ構えて高速突進。
リティスは難なく反応して、短いアブソリュートの刃先で難なく十月の突きを受け流し、その返しの動きに合わせて前に踏み込み、十月の胸部を狙う。
「っ!」
十月は左手の装甲部分で、迫ってくるリティスのアブソリュートを握る右手の手首を弾くように叩く。
『お願いっ』
『了解』
同時にリファィアに合図を飛ばして、弾いたリティスの右手を狙うように指示する。
「狙いはこれですかっ」
何もない空間から急にリファィアの頭の黄色リボンが伸びて来て、リティスの右手に絡まる。
「美佑、ごめんねっ!」
十月がクリスタル剣を翻して、リボンで固定されたリティスの手首に、その刃を振り下ろした。
アブソリュートを握る手の平が切り落とされて銀色の円盤の上に転がる。
その手の平を黄色のリボンが即座に回収して、また空間に消えてしまう。
リティスは切断面から血をまき散らしながら後ろに跳び、十月から距離を取って着地、
「もっと別のところを斬ることも出来た筈なのに、これは考えていませんでした――細胞活性化、再生開始」
切断面から即座に手を生やした。
その様子から手首から先を切り落とされたことは何ともない様子だった。
「こっちにも色々と事情があるから」
「アブソリュートが、そこまで脅威だということですか……いいでしょう、アレは封印の障壁を切り裂くのが第一目的でしたし、お返しします」
「ありがとう、でも得物が無くなったけど、どうする気?」
「大丈夫です、美佑さんのを出しますから――攻撃相展開」
リティスの頭の左上に白いバラの花のような髪飾りが瞬間形成された。
「それが攻撃相? 粒子干渉型?」
竜の攻撃相は、蒼のように武器になるタイプと、空間にある素粒子に特殊干渉して竜詩を行使する時に有利になるタイプの二タイプが主流だった。
花の髪飾りは、どう見ても武器には見えないものがある。
「そう思うでしょ? でもこれ、武器ですから、しかも、使い手の力があれば強力な――散れ」
花びらが一枚ずつ落ちてリティスの周りに浮遊する。
一つ一つが意志のあるような動きで彼女の周りを漂い、
「行けっ!」
かけ声一つで十月に向かって殺到する。
「うわっ、面倒臭い系、妹ちゃん、任せる」
一つ一つが並の障壁なら容易に突破して来る威力を持っているのは、すぐに分かった。
後方に全力で逃げながら防御をリファィアに任せる。
「なら、これは持って行って」
リファィアが近くに出現して、十月にリティスの切れた手の平を投げて寄越す。
「なっ! 退くものを、いきなり投げないでよっ!」
そう言いながら、握られたアブソリュートの刃に触れないようにキャッチして、
「じゃ私はこれを持って一度下がるね、手伝いがいるなら、外にいる蒼とラプリアを呼ぶけど、どうする?」
「一応呼んで」
「了解、またあとで」
後はリファィアに任せて、円盤の上から高速で海上方向に駆ける。
その間に美佑の手をエーテル分解して消し去りアブソリュートを直接握る。そしてリティスの干渉範囲外に出てから振り返ると、リファィアが花びらの攻撃をモロに喰らって砕け散りつつ、別の場所に出現していた。
「あの防御術は便利よね、流石、封印の門番」
思わず感心してしまう守りの硬さだった。
しばらくはリファィア一人でも持つだろう、リティスがコピー能力を持っていなかったら永遠とガードし続けた可能性もある。
「十月、中はどういう状況だ!?」
そこに蒼とラプリアが飛んで来る。達彦と繋がったままの携帯も一緒だ。
「とりあえず、アブソリュートは取り返して来た」
蒼達の視力なら見えただろうが、リティスから奪い返したアブソリュートを二人に見せる。
「それは見ていた、美佑の手は切れた後、生えた様子だが、問題なかったのか?」
蒼が焦った様子で尋ねる。その気持ちは分かる。
「それは、私には判断出来ないけど、リティスの方は腕の一本や二本、気にしないという感じだったけど」
切断した本人がフォローするというのも変な話だと思ったが、蒼を安心させるように言う。
少なくともリティスは意に介していなかった。
「そうか」
「で、この剣だけど、ラクティに渡してくれる? あっちは苦戦しているみたいだし」
やや離れた位置で戦っているラクティとアルの方に目を向ける。
月明かりの中、詳しい状況までは分からないが、二人とも健在である様子だった。
しかし、それは戦いが膠着していることを意味していた。
「私が戻ると、下手をするとアルから逃げられなくなる、十月が行って来て欲しい」
「そう、なら私が行くけど、それなら先にリティスを止める作戦を話しておくね、達彦も聞こえている?」
『ああ、問題ない』
「じゃ、手短に。ラクティがアブソリュートを手にしたら、おそらくアルはすぐに沈黙する、その後、リティスを狙う訳だけど、彼女は致命傷になるような攻撃は予め予知しているから当てようがない。だから、ラクティがリティスを狙う時、達彦の方でリティスが予知した未来を破壊して欲しい、そうしたら、ラクティの攻撃が通ることになるから」
『リティスが予知した未来を破壊しろと言われても、今の段階で、ラクティの攻撃を確実に避ける未来が決まっているということか?』
「まぁ、大体ね、ラクティ自身の攻撃パターンが例えば十個あったら、その十パターンはすでに読んでいる。そして事が起こる少し前に具体的にどれが来るかを選択して回避行動を取っている、それはラクティがリティスの干渉範囲に入ったくらいで確定する筈」
こちらが自分の意思で行う行動は、ギリギリまで決定されてはいない。
しかし、事象を絞れば予測範囲も収束するという話だ。
『だったら、ラクティが突入したくらいで、俺の方でリティスの力を読んで、その運命の流れを改変すればいいんだな』
「そう、ラクティの攻撃さえ当たれば、リティスの中の厄介な能力が消える筈、そうなれば、この場はしのげる」
「しのげると言える根拠は?」
蒼が手短に説明された上での疑問点を聞く。
「その点は話している時間がないから、でも、戦況が変わることは保証する」
根拠は、簡単に言えばアブソリュートに真の力が眠っているということ。
ただ、それを蒼達に打ち明けることには躊躇いがあった。
真の力を解放するには言いづらい事情が色々とあるからだ。
「分かった、どの道、今は十月が言う以外の方法がない、それで行こう」
「ありがとう、なら、私はラクティの方に行くから、二人は中で私の妹ちゃんのサポートをお願い、ほぼ防御に関しては無敵だけど、もしリティスに捕まると、それだけでマズイことになるから」
「分かった」
「了解しました」
「じゃ、また、後で。――達彦はこの位置から状況を見ていて」
『ああ』
三人がその場で別れて、十月はラクティとアルの戦闘区域に向かった。
5章.濁った静寂
1
「流石に干渉が弱くなって来たようじゃな」
「それはお互い様でしょ? 貴方だって霧をケチるようになっているわよ」
アルとラクティが鍔迫り合いの後、互いに剣をぶつけあって距離を取る。
そこからアルが黒い剣で、いくつもの方向から何度も激しく切り込み、受けるラクティを後ろへと下がらせて行く。
「力では余の方が勝っておる様子じゃな」
「力任せとは、いよいよ余裕が無くなって来たのかしら?」
アルの切り込みの隙を狙い、姿勢を低くして手にした剣を翻し、下から上へと剣先を走らせる。
切り掛かるアルの腕を狙う一撃だ。
「なんのっ!」
アルが己の尻尾をしならせてラクティの剣を握る腕を叩く。
斬撃の軌道が変わり、アルが身体の方に引いた黒い剣とぶつかる。
「まだよっ!」
そこから剣を滑らせて、アルの脇腹を狙う一突き。
「ちっ」
アルは後方に下がりつつ身を捻って避けるが、胴体を覆う鎧の横がスパッと裂けて、一部が海上に落下した。
「力は残っていても、身のこなしが遅くなっているわ」
ラクティが尻尾で叩かれた部分を気にしながら剣を構え直す。一見無傷に見えたがハンマーで殴られたようなショックが残り、剣を握る力が入りにくい。
「そろそろ次の戦いを考えるなら決着したいところじゃな」
「そうね、貴方だけの相手で終わる訳にもいかないし」
この先、戦いに時間を掛ければ致命傷ではない傷が互いに増えるだけだった。
その先にどちらかが力尽きて勝負は決まるだろうが、それでは駄目だ。
まだ、別の敵を相手にしなくてはならない。
出来ることなら、今より消耗する前にアルを倒してしまいたい。
『はーい、聞こえる?』
その時、脳内に十月の声が響く。
気配を意識すると、こちらに向かって来ていた。
『加勢? リティスの方のケリが付いたの?』
『うんん、届け物があるだけ』
『届け物?』
『とりあえず、ちょっとこっち来て』
『え、ええ』
頷きつつ、一度アルから離れる方法を考える。
「――無数の氷よ」
自分の周りに細かい氷の塊を数百個創り出す。
「なんじゃ? 今さら、そんな氷弾、何の意味もないぞ」
アルが小馬鹿にした態度の笑いを浮かべる。
「――意のままに散れ、そして、弾けて霧となれっ!」
意図を理解していないアルの周りに氷の塊が飛び散り、それが一気に弾けて白い霧となった。
ただの霧ではない、まとわりつき気配を拡散する作用が仕込まれている。
結果的にこちらもアルのことが分からなくなるが、アルもラクティを捕捉不可能になる。
数秒の間を作るなら充分の効果だった。
「十月っ!」
すぐに反転して迫って来る十月と合流する。
「はーい、おひさ、ブツはこれよ、ミシリアの愛刀、すでに起動しているから、手にしてエーテルを回せば使い方が分かる筈」
高速移動から急停止した十月がアブソリュートをラクティに差し出す。
「これはアブソリュートディストーション」
ミシリアと融合する以前に一度は使ったことのある剣だ。
特性自体は理解していた。
「あと、私は割と残酷だから、こういう時にどんな犠牲も無視して最良を取るんだけど、一応、使うか使わないか、その強制はしない、使わない場合でも、今の貴方ならアルには勝てるだろうし、その後、リティスの方は私達で何とかするから」
「どういう意味?」
「それは貴方が分かっている筈だけど? 少なくても、これは貴方の覚悟の役には立つから、――はい」
「そう、私の状態を知っているのね、ラストコアの情報?」
ラクティは神妙な顔で差し出されたアブソリュートを受け取る。
「まぁ、封印の門番を除く全ての『無垢なる物』の情報を有しているから」
「じゃ、リティスの中のドールのことも?」
「ああ、そう言えば、そのデータも必要だった、説明しながらアブソリュートに篭めておくから、詳しくはそれを参照して、で、簡単に言うと、アレはモノ自体は大戦前からあったんだけど、実用不可能とされて廃棄されたのをリティスが自分用に弄った子、基本的には他の全てのドールの技をコピーして使用することが出来るけど、私と門番、あとラプリアと貴方の技の一部は、まだコピーされていないから、それを全部覚えられたら最悪ね」
「それ、随分と悪い状況のように思うのだけど? 気のせい?」
全てのドールの技を覚えた祖竜となれば手を着けられないと言っていい。
「門番の技のコピー完了までに後二時間くらいだから、それまでに勝負を決めれば問題ないかな」
「それがタイムリミットということね」
「そういうこと、じゃ、私は戻るね、それを使うなら簡単にリティスのことも止められると思うから、使う場合は思う存分お願い、攻撃は必ず通るようにしておくから」
それだけ言って十月が円盤の方に飛び去る。
詳しく聞きたい話だったが、その暇はなかった。
霧に巻いたアルの足止めがタイムリミットだった。
「ええいっ! やっと晴れたかっ!」
アルが霧を消し去り、黒い剣を構えてラクティに突進する。
「エーテルを篭めればいいのよね」
蒼から貰った剣を一旦帯に差して、アブソリュートを右手に握ってエーテルを流し込む。
「!!」
一気に脳内に剣に関する情報が流れ込んで来た。
さらに、自分の中にあるミシリアコアに秘匿されていた一つの未来の結果を知る。
理解は一瞬だった。
リティスが自らの使徒を使って、わざわざ敵対する可能性の高い相手にミシリアコアを託したことにも理由があった。
「そう――」
全てを理解した上で呟き、迫り来るアルの黒い剣をアブソリュートで払った。
最低限の動きで、黒い剣は切断されて折れた刃が霧散する。
「なっ――それは、アブソリュートか!? また厄介なものを」
「厄介なんて話ではないわよ。――勧告するわ、ここで退かない場合、貴方は後悔することになるわ」
「ほう、また大きく出たな」
アルが次の剣を黒い霧から創り出して構える。
「退くの? 退かないの?」
「剣一本で調子に乗るなっ!」
「答えは分かったわ――アブソリュート能力解放、対象指定アフテア、共振破壊」
アブソリュートの刀身がモーフィングして左右二つに分かれ、まるで音叉のような形になる。
それが人の耳には聞こえないレベルの音波を発した。
「――ぐっ!」
ラクティに切り掛かろうとしていたアルの動きがピタリと止まった。
苦悶の表情で全身の筋肉を強ばらせるが、僅かに身体が震えるだけで、それ以上動かない。
「海に落下されても可哀想だから、浮遊はこちらで掛けておいてあげる――浮いていなさい」
ラクティが簡単な竜詩でアルをその場に浮かせ続ける。
「じゃ、後は一気に行くわ――出力上昇、コアを完全破壊せよ」
音叉型のアブソリュートが目に見えて震え始めた。
耳には音として響かないが、身体にビリビリと音波が伝わる。
そして、動きの止まったアルの中から、何かが弾けるような軽い音が聞こえた。
「コア破壊完了、しばらくはショックで全部の力が使えない筈よ、半身を破壊されたのだから」
アブソリュートの振動が止まる。
「っ……余の中のアフテアコアを破壊したのか、じゃが、あり得ん」
身体の拘束が解けた様子で、信じられないという顔でアルが呟く。
一気に相当に疲弊したようにも見えた。
「普通の方法ではないから、このアブソリュートは全てのドールの外部自爆スイッチのようなものなの、壊せないドールは存在しないわ」
「そこまで危ないものだったとはのぅ、まぁ、仕方ない、余はここまでということじゃな」
アルがあっさりと引き下がる。
その顔には、特に悔しさというようなものは見えなかった。
「ええ、何も出来ないとは思うけど、何もしないなら放置するから、回復したら勝手に逃げるといいわ」
「その計らいは、ありがたく受け取ることとするぞ、命は惜しいからのぅ」
「あら、賢いのね? こういう場合、敵から受ける情けなどいらん、とかいうのが常套句ではないの?」
ラクティが少しからかうような口調で言う。
アルの中に逆らう気持ちがあるか、という部分を試す意味もあった。
「それは生き延びない奴のセリフじゃな」
「そう、なら、私は行くから、後はお好きに」
「ああ、そうさせてもらうぞ」
ラクティがアルの元から飛び去る。
銀の円盤までの距離は、戦っている間に離れたこともあり約四百メートル。
「そう言えば十月が『思いきりやれ』と言っていたわよね」
飛行速度を上げて一気に円盤までの距離を縮めて行く。
アブソリュートのコア破壊の間合いは最高で五メートル、間違いなくリティスの攻撃の間合いの中に飛び込むことになる。
「攻撃が必ず通るということは、そこまで安全に進めるということよね? 本当に信じて平気なのかしら?」
訝しみつつも、円盤の上に突入。
盤上すれすれを滑るように飛び、蒼達がリティスを牽制している状態を確認する。
十月がおそらくエーテルデバイス『アーグルの鳥籠』を使用して、リティスを金色の檻に閉じ込めていた。
それはリティスレベル相手では、持って数秒間だけしか効果が無い技だが、その僅かな時間、リティスの動きを止めたということが重要だった。
「――対象指定ミスキル、共振破壊」
高速で鳥籠に接近しながらアブソリュートの攻撃対象を定めて、その音叉状の刀身を振動させる。
近くに居る蒼達に目配せして、その振動出力を高めた。
十月がラプリアを抱きかかえて即座にその場から離れ、蒼もそれに続いて離れた。
「良い判断ね、エルトリア製のコアは多少影響を受けるし」
「まさか、こんな展開ですか……」
出力が上がるのと同時に、金色の檻を破壊したリティスが呟く。
自分を捕らえていた枷が無くなっても、その場から動けずに居た。
「少しは抵抗出来る様子ね? もう少し出力を上げないと」
アブソリュートの振動が空気を揺らす。
音は聞こえないが、空間に振動波紋が目視可能なレベルまで出力がアップする。
その場にある何もかもがブルブルと震えていた。
「っ――くっ!」
そして、リティスから何かが弾ける音が響き、その顔に悔しさが滲む。
リティスが維持していた空間への干渉が消え、背中に伸びていた金糸の器官が砂山が崩れるように消滅する。
彼女の内部にあるミスキルコアが完全に破壊されたことをラクティは確信した。
破片から再生するとしても、すぐにとは行かない。
「これで、いくら祖竜であると言っても、しばらくはまともに動けない筈」
警戒したまま、動きを止めたリティスに近付く。
「ええ、確かにそうですね」
「では、リエグの封印解除は諦めて退いて貰えるかしら?」
「フフ」
突如リティスが不敵に笑う。
「なに?」
何かの策を残している可能性を疑う。幾つもの未来を読んで三千年も掛けて備えて来た相手だ。何かあったとしてもおかしくはない。
「いえ、私の動きを止めたこと、今すぐに後悔することになりますよ、――ほら、もう来ました」
「どういう――っ!?」
ラクティは周囲の空間に歪みを感じ、リティスの言った言葉の意味を悟る。
その場に蒼から聞いていた――ユーシリアの使徒たるソウルナイツが出現したからだ。
歪みは全部で五つ。
その内の四つにドラゴンと言える姿のソウルナイツが現れ、最後の一つから非武装のユーシリアが出現した。
ユーシリアは長衣を纏う少年の姿の祖竜だ。
「本当にご苦労様です、皆様方、リティスを止めてくれたこと感謝しますよ」
ゆっくりとラクティと動きを止めたリティスの前に歩み寄る。
同時に十月、蒼、ラプリア、門番の前にソウルナイツが高速で割り込み、四人の動きを牽制する。
一体一体が並の竜より強い相手だ。
「ユーシリア……」
ラクティが苦々しい顔で近付いて来るユーシリアを睨む。
「初めての対面の筈ですが、存じてくれていて、ありがとう御座います」
「このタイミングを待っていたの?」
「ええ」
嬉しそうに、はっきりと頷く。
ラクティは自分の失念を悔やむしかなかった。
可能性として、メリアシスクがこの戦いの結末を予想してユーシリアを寄越して来ることを考えていなかった。
リティスの計画は完全にメリアシスクの裏をかいていると信じていた部分があり、メリアシスクのこの場への介入は完全に予想していなかった。
「当然、狙いはリティスよね、彼女をどうするの? 彼女の身体はちょっと訳ありで貴方に渡す訳には行かないのだけど」
「その点は心配する必要はありません、僕が用事があるのは、リティスの基本存在力ですから、今の状態なら、それだけを喰らうことが出来る」
「喰らうって……」
そういうことが出来るのが竜ではあるが、ユーシリアが喰らうというのは驚いた。
メリアシスクに献上する流れだと勝手に思っていた。
「時間は取りません、僕が喰らえば、その身体は元の意識を取り戻すでしょうし、邪魔はしないで貰えますか?」
ユーシリアは、あくまで紳士的な態度だ。
敵意も全く感じられない。
「リティスの存在を喰らった後、貴方は、どうするつもりなの?」
「そうですね、運命確定予知を使い、貴方達がメリアシスク様に絶対に対面出来ないようにします、そうすれば、その段階でメリアシスク様の願いは叶うことになる」
「そう」
絶対的な余裕から本当のことを話している――そう思えた。
故に実行された場合は蒼の敗北が決まる。
メリアシスク当人と二重で『接触不可』を運命に織り込まれてしまえば、達彦の改変力を持ってしても覆すことは出来ない。
戦う前に戦えなくされてしまうのだ。
「理解して貰えましたか?」
「理解も何も、今の話を聞いたら、素直に貴方にリティスを渡すことは出来ないわ」
そんな終わり方をラクティは望んでいない。
ラクティが音叉型のままのアブソリュートを構える。
「その剣は竜に対しては単なる防御無視程度の効果しかないのでは? それに貴方の身体も」
「お節介なことはいわないで、それと竜に対しても、この剣が役立つところを見せてあげるわ」
「全くのこけおどしですね、その剣にもう先がないことくらいは、すでに調べてあります」
「だったら調べ方が足りなかったということよ――アブソリュート、エシスコア、リリース」
柄の根本に埋まった赤い宝石からエシスのコアが出現する。
小石くらいの大きさの黄色いトパーズだ。
「サラマンダー、預かっていて」
それを脚にくっついているサラマンダーの口に中に放り込む。
「コアを解放したら刀身が崩れる筈では? 何がしたいのか分かりませんが」
「ええ、崩れるわ、だから――こうして」
ラクティが言葉の途中で自分の鳩尾に手刀を突き立てて、そのまま体内に手を埋没させた。
手は体組織を溶かすように内部に入り込み、一滴の血も流れることなく、そこから黒く透き通る宝石を取り出す。
「透明な闇石――私、ミシリアのコアよ」
親指の先くらいのその宝石の表面を良く見ると、細かいヒビが入っていた。
そのコアをアブソリュートの柄に埋め込まれた赤い宝石に重ねる。
「貴方、死ぬ気なのですか?」
「さぁ? アブソリュート、真の姿を晒しなさい」
赤い宝石に飲み込まれるように、黒く透明なミシリアのコアが消え去り、アブソリュートの形状が変化する。
刀身が三メートル程まで伸び、身幅も五十センチまで拡張。さらに、刃の素材が黒い水晶に代わり、両刀の中央に系統樹のような文様が浮かぶ。
「ふーん、これも織り込み済みってことね、分かったわ――軽く力試しと行きましょうか」
ラクティは自分だけで頷いて、その巨大な剣を右手一本で易々と振り上げた。
すると、切っ先の周りに抱えるサイズの四つの光球が出現して、
「はっ!」
刀身を素早く振り下ろすと、それぞれが四体のソウルナイツに向かって飛んだ。
ソウルナイツ達は迫り来る光球に対して、それぞれが口から紅蓮の炎を噴いて対抗しようとしたが、その炎がまるで強風で煽られたように自分達に向かって吹き戻り、そんな無様な状態の中で光球の直撃を喰らう。
光球は激しく爆発して、ソウルナイツ達の姿は炎と閃光の中に消え、そのまま一片も残らずに消滅した。
「なにっ!?」
ユーシリアの顔にはっきりと驚きが浮かぶ。
「自身の能力――絶対反射を付与していたのに、あっさりとやられて意外?」
振り下ろした切っ先をユーシリアに向ける。
「まさか、その剣は――でしたら」
ユーシリアの姿がその場から消えて、即座に止まったままのリティスの前に転移する。
「させる訳ないでしょっ!」
ラクティが身体の向きを変えて、リティスの側に転移したユーシリアに対してアブソリュートから光弾を放つ。
再び激しい爆発が起きて、ユーシリアの身体がリティスの前から飛ばされる。
「くっ!! ――ならば!」
その状態で体勢を整えて空中に浮き、
「高比重実弾召喚、シュートっ!」
自らの前方に白い金属球を大量に出現させて超高速で撃ち出した。
秒速三千メートルを超えるこぶし大の物体の殺到。
一つでも喰らえば、その部分だけでなく身体の広範囲が吹き飛ぶ。
「この程度っ!」
ラクティは金属球が浮かんだと当時にアブソリュートを眼前に立てて、それを受ける体勢を取る。
そして、金属球が飛来してアブソリュートに衝突する瞬間、それら全てが百八十度反転して、同一の速度を保ちユーシリアへと向かう。
「っ!!」
ユーシリアが手をかざして前面の空間に力を注ぐ。
そこに金属球が到達すると、その速度を急激に落として空中でほぼ停止したような状態になる。
全ての球の動きを止めて、それらを消し去る。
「それだけ? ではこちらから行くわ」
ラクティが足場となる銀の円盤を蹴って宙に飛び上がり、その勢いでユーシリアに斬り掛かる。
「物理防壁展開っ」
ユーシリアの声に合わせてラクティの斬撃上に透明な壁が瞬時に形成された。
「はぁっ!!」
ラクティは壁を完全に無視して、そのまま大剣と化したアブソリュートを振り下ろす。壁と刃がぶつかり、まるでゼリーを切り裂くように手応えすらあまり無く壁が切断され、ラクティはそのまま突進、再びアブソリュートを構えてユーシリアを狙って薙ぐ。
「ぐぁっ!」
ユーシリアはかわすように動いたが間に合わず、左手と腹部を切り裂かれた。
「トドメっ!!」
ラクティは流れるような動作で剣を引き、ユーシリアの体勢の崩れたところを狙って、彼の胸部にアブソリュートを突き入れる。
巨大な刃がユーシリアの胸を貫き、そのまま空中で停止した。
「っ……全ての力の逆転操作能力ですか……ぬかりました、転移も封じられては……」
一滴の血も流れない状態で、ユーシリアの顔が多少歪む。
「ぬかったという割には、まだ余裕があるみたいだけど?」
竜の身体は自らの意思力で構築したものだ。
確かに肉体に縛られる部分もあるが、それでも竜のタイプによっては肉体の大きな損傷が、そのまま致命傷にならない場合もある。
「そう思うのであれば、このままさらにバラバラにしていただいても構いませんよ」
「分かったわ」
ユーシリアの胸を貫いている剣を上に跳ね上げて、その上半身と首と頭を切り裂こうとした。
「っ!?」
確かに、気持ちの上では『そう』動かした筈だった。
しかし、実際にはユーシリアから大剣を引き抜き、二個の光球を切っ先付近に発生させ、一つを自分に向けて飛ばして、もう一つを下方にいるリティスに向かって飛ばしていた。
「なっ!?」
「光壁展開っ!」
それを見ていた蒼と十月がそれぞれ動く。蒼が飛来する光球の前に立ち塞がり、それを己の攻撃相で真っ二つに切断、そして、二つに分かれて、尚もリティスに迫るそれを十月が術式による光の壁で防ぎ、光球の破片は壁ごと炸裂する。
またラクティは自分に向かって飛んで来た光球を身体をひねることで回避しようとした。距離的に近すぎて、防御の術式が間に合う状態ではなかった。
身体の左側を光球が通り抜けて爆発する。
「っ!!」
その爆炎が収まると同時に、
「ラクティ、どういうことだっ!?」
蒼が声を張り上げて怒鳴る。
彼女の身体は美佑のものだ、その心もユーシリアの話が本当ならば、まだその場にあるということになる。
だとすれば、今ここで肉体が大きく損傷するような攻撃はマズイ。
「い……今のは、私ではないわ、おそらく……メリアシスクの決定未来創造」
ラクティは目の前のユーシリアを見据えながら、震える声で答えた。
左手が肩から吹き飛んで消失。
その傷口から血が溢れて、白い衣装を染め上げて行く状態。
「はい、今の力はメリアシスク様の助力です、こんなところで、その力を僕のために使うことになってしまったのは大変に遺憾です」
ユーシリアが大剣の抜けた胸の傷から不気味な黄色いモヤを漏らしながら告げた。
「つまり、この場で貴方を殺せない……ということ?」
ラクティの脚にしがみついていたサラマンダーが、即座に左肩の位置に浮遊して、その傷口に力を送り始める。
見る間に血は止まったが、ダメージは軽度とは言えない状態だった。
「はい、それとリティス当人が己の力を使用出来ないようにして、僕がこの場から撤退出来る道筋を定めて頂きました」
「くっ」
完全にラクティが手を出す手段を失ったことを意味していた。さらに、リティス当人がコア破損のショックから回復して反撃する可能性も絶たれる。
「では、リティスの力を戴いて帰ります」
ユーシリアがゆっくりと銀色の円盤の上に降りてリティスの元に近づく。
「待って」
その前に十月が立ち塞がった。
「なんでしょうか?」
「こちらにはメリアシスクが決めた未来を壊す手段があるわ、それを実行されたくなかったら、取り引きをしましょう?」
「そんな手段があるという根拠がありませんが?」
「そう、だったら、リブオールがこの場を観ていると言えば分かる?」
「ああ、その可能性を考えていませんでした、分かりました、条件はなんですか?」
「リティスの力を吸収することは諦めて撤退だけしてくれない?」
十月が手にするクリスタルの剣を突き付ける。
それは戦闘になれば勝つという意思表示に見えた。
「ふむ、分かりました、その条件を飲みましょう」
ユーシリアの承諾は驚く程にあっさりと行われた。
おそらく、祖竜といえど、この場の全てを敵に回すのは得策ではないと判断したのだろう。リティスの力を封じた今、その力の回収は何時でも出来るという算段かも知れない。
「だったら、すぐに帰って、こっちに見送りをする理由はないから
「ええ、それでは――」
あっさりとユーシリアの姿がその場から消えた。
同時に浮いていたラクティが円盤の上に降りて来る。
「ラクティっ!」
すぐに門番を除く三人がラクティの元に駆け寄った。
「とても、大丈夫そうじゃ……ない感じ?」
「そうね」
十月の問い掛けに頷いて答える。
その顔は少し苦笑していた。
「さっき、ミシリアコアを取り出していただろ、早く戻さないと」
蒼が焦った口調で言う。
「いえ、戻しても意味はないわ、壊れ掛けだったものをアブソリュートのエネルギーに利用したから、もう、数十分しか持たないと思うし」
「なんだとっ!?」
あり得ないという顔で後ろに一歩よろめく。
「ちょっと蒼、貴方が倒れそうになってどうするのよ?」
ラクティが残った右手を伸ばして姿勢を崩した蒼を支える。
「すまない、けど、コアが持たないということは……」
「ええ、この意識もまもなく消滅するわ、ボディーはドールの物だから残るけど」
ラクティは当然だという顔で答えた。
「どうしてそんなことにっ!?」
「だから落ち着いて、貴方が焦ってどうするのよ?」
勢い込む蒼をなだめる。
「焦るなって無茶言うなっ!」
怒っている顔で蒼が叫ぶ。
「焦ってどうにかなることではないわ、元々ミシリアコアは、竜の基本存在力を全て内包するには完全ではなかったの、いずれはこうなったわ」
「じゃあ……最初から、どうして言ってくれなかった?」
「言ってもどうにかなることではないからよ」
「そんな……何か出来たかも知れないだろ」
「いえ、無駄よ、だから、せめてこの戦いで全力を出そうと思っただけよ」
融合直後には何とも無かったが、徐々にミシリアコアに歪みが発生していることにラクティは気付いた。内包した竜の存在量にコアが悲鳴をあげていた。
そして、ミシリアコアは壊れる直前だけ、あり得ない出力が出るように設計されていた。
「くぅ……」
蒼が泣きそうな顔で言葉を失う。
「ひとまず、最後の仕事をするわ」
ラクティはそんな蒼をおいてラプリアに向き直り、アブソリュートを元の短剣の形に瞬時に戻して彼女を手招きした。
「はい、なんでしょう?」
「ラプリア、この剣でリティスを軽く刺して、そうすれば、貴方の中にある仕掛けが作動して本当のリティスの意図が分かる筈だから」
「本当のリティス……ですか?」
ラプリアが疑問だという顔をする。
「え? リティスって、そこの美佑のことでしょ?」
十月が立ったままのリティスを指した。
「まぁ、やれば分かるから、ラプリアお願い」
「刺して大丈夫なのですか?」
「ええ、それは保証するわ」
「――分かりました」
ラプリアがアブソリュートを受け取り、美佑の身体のリティスの前に立つ。
「では、失礼します」
そして、ズブリと躊躇いなく、その切っ先をリティスの胸元に突き立てた。
その途端に、リティスの身体の回りに金色の糸で作られた複雑な文様が浮かび上がり、その文様がラプリアの周りに移動して、彼女の中に吸収された。
さらにアブソリュートの刀身が崩れて光の粒となって消滅。
そこにミシリアコアは残らなかった。
「――え? 今、私は?」
キョトンとした顔で美佑が言う。
「美佑なのか?」
蒼が駆け寄る。
「あ、うん、私、海の上まで来て、それでどうなったんだったっけ?」
「何も覚えていないのか、何処か痛いところとかあるか?」
「ううん、それは平気、それでどうなっているの?」
「今は状況としては安全になっていると思うが、私にも良く分からない」
「蒼、美佑、ひとまずラプリアの方に注目して」
ラクティが割って入り、二人に言う。
ラプリアは直立していた。そして、その無表情な顔から、さらに表情が抜けた。
「最終シークエンス承認、現状より二百二十六分の間のメリアシスクサイドからの運命干渉確率をゼロ収束、外部コンタクト用インターフェース構築」
ラプリアの呟きに合わせて、その右肩の上に手の平サイズの何かが構築されて行く。それは三頭身程度にディフォルメされた人型の物体であり、その背中には蒼く半透明な三対の器官を生やした竜だった。
「全データおよび全能力統合――はじめまして、皆様、そして、本当にご迷惑をお掛けしました、祖竜リティスとしてお詫び申し上げます」
その小さな竜が可愛い声で喋った。
今までの彼女とは違い、穏和で丁寧な口調だ。
「保管データ展開終了、通常モードに移行します」
続けてラプリアの顔が普通に戻る。
「えっと……状況を説明してくれる人希望」
十月が呆けた顔で手を上げた。
「説明も何も見たままよ、ラプリアの肩に乗っかっているのが本当のリティスよ」
ラクティには全て分かっていることだった。
「じゃあ、美佑の身体を乗っ取っていたのは?」
「あっちはメリアシスクの運命干渉を引きつける囮だったのよ、本人が本当に自分がリティスだと思っていないと、メリアシスクを騙すのは無理だから」
「それはもう消え去ったの?」
「ええ、そう言う運命になっていたから、ただ使っていた力は祖竜の力そのものだから、それを美佑から回収して、ラプリアの中に保存されていたリティスの本当の意識と融合させたの」
「はい? じゃ、ラプリアがリティスだったということ?」
「それは違うわ、ラプリア当人も自分の中にリティスが居ることは知らなかったし、その意識が表に出たことは今まで一度もない、今まで使徒や支持者を動かしていたのは美佑の中のリティス、仮にコピーリティスとでも言う存在ね」
「ややこしい話ね、で、本当のリティスの意思とコピーリティスの意思は、同一なの? だとしたら、まだ戦いは全然終わっていないことになるんだけど?」
十月達から見て、封印を突破する意思のある存在は基本的に敵だ。
「それは本人から聞いて……っ」
ラクティがそう言って、その場にしゃがみ込んでしまう。
「ラクティっ」
すぐに蒼が駆け寄って肩を支えた。
「そろそろ、身体の維持が厳しい感じね、このボディー自体は『無垢なる物』の素体だから崩れることはないけど、動かすのが大変になって来たわ」
「ほ、本当に消えてしまうのか?」
「基本存在力を留めておく『依り代』が無いから、そうなるしかない状態ね」
「残っている力で肉体を再構築すれば良い」
「それは無理、私の場合、本来の肉体がまだあるから、それが残っている状態で別の肉体を作ることは出来ないわ」
意識を入れる器を二つ作り出すことは、意識の不安定な分離を誘うことになり、行ったとしても正気を保てる保証がなかった。
「……!!」
「今は、とりあえず私よりリティスの話を聞いて、貴方にとても関係があることなのだから、私も後三十分くらいは消えないし」
「――分かった」
蒼がラプリアの肩に居るリティスに視線を合わせた。
少し離れた位置で封印の門番も話を聞く体勢を取っていた。
達彦が操る携帯も、十月の誘いで近くまで飛んで来る。
「――では」
そして、真なるリティスが語り始めた。
2
計画は、それに協力してくれる存在に全容を明かすことなく、部分を全てだと思わせて実行させることで完遂するようになっていた。
リティスの使徒フィテアは、ラクティの元の身体がリティスの真の器だと思い行動し、十月はアブソリュートをラクティに渡すことで全てをねじ伏せる力が入るものだと思っていて、美佑の中に居たコピーリティスは封印を解くことが自身の目的だと思考していた。
そして、リティスの力を宿していた蒼は自らの力で、その祖竜の力を守り切り、ラプリアは蒼を守護することが自分の任務だと考えていた。
またラクティはアブソリュートの真の力を解放するまで、リティスの真意を知ることは無かった。
それら全てはメリアシスクの目を欺くための策であり、リティスの力がその本当の意識と融合する為の計画の過程。
美佑の中でコピーリティスの意識が覚醒した後、メリアシスクの運命干渉能力――決定未来創造を惹き付け、さらに、その後の直接干渉を一時的に退けたと確定した段階で、ラプリアがアブソリュートで美佑を刺すことがプロセスの締め括り。
結果、全ての力を持ったリティスが復活した。
「私に貴方達と交戦する意思はありませんし、封印を解くつもりもありません、この封印を解くことは、リエグの人達の意志に反しますから。それから、この封印の中に私の真の身体のようなものは存在しません」
リティスは最初にそう語り、自分が復活するための計画を全員に説明した。
その過程で出た犠牲に関しては、心からの謝罪を述べたが、それで納得出来ないと思う者も居た。
「身勝手過ぎる、それでラクティを殺していい理由にはならないっ!」
大体を語ったリティスに対して蒼が言い放つ。
「そうですね、ですがフォローという訳ではありませんが、一応の道筋はすでに付けてあります、その為にアルジアスを呼びました、もう来るかと」
リティスが指した方からアルジアスが接近して来る。
内包したアフテアコアの破損のショックから、ある程度は回復した様子だった。
「何故あいつを?」
「アルジアスの身体はラクティのもの、理由はそれだけでは足りませんか?」
蒼の問い掛けにリティスが答えた時、アルジアスが場に飛んで来て制動を掛けた。
「また随分な姿になったものじゃな、リティスよ、して、何用じゃ?」
「これが現状において最適化された姿なだけです。用事は簡単です、その身体をラクティに返してもらえませんか?」
「無駄よ、返されても私にその身体は扱えない、もって一ヶ月もすればまた消滅することになる……意味がないわ」
立ち上がることの出来ないラクティがアルが何か言うより先に事実を述べた。
元々、アルが使っている自身の体に適応出来るなら、今のような事態にはなっていない。
「ええ、承知しています、ですので、貴方が存在出来る方法を提示します、それはアルジアスとの融合です。二人で一つの身体を使えば問題は解決します」
「なっ――」
「なんじゃと!?」
リティスの提案にラクティとアルが半ば唖然とする。
竜と魔竜は、仕組まれていたとはいえ、もう何千年も対立して来た仲だ。
また魔竜は人を喰らわなければ、その存在を維持出来ないという問題もある。
「問題はエネルギー源ですね、二人とも随分と消耗した様子ですし。――ラプリア、封印にダイレクトリンクを開いて下さい、データは転送しました」
「はい――リエグ大封印にリンク、プロテクト規定ルートによって突破」
「ちょ、貴方、封印にアクセス出来るの!?」
十月が焦る。
それが出来るのは唯一リファィアだけの筈だった。
「封印の基本システムの作成には私が関わっていますから、リファィアを介さない別ルートでのアクセス経路を知っているだけです、もちろん、封印の浅い層だけに通るルートですが」
リティスが事も無げに言う。
しかし、それは聞いた話と矛盾する内容に思えた。
「それはおかしくない? 貴方は大戦時リエグ封印反対派であるクレイドルと魔竜側に付いて、他の祖竜から制裁を受け分割封印されたんでしょ?」
十月が持っている知識で聞く。
「それはさっきまで美佑の中に居た移し身の私の行動です、私は大戦以前に人格と力を分離し、移し身に力を渡して移し身自身がリティス当人だと思うように仕向け、勝手にさせたので」
「は? じゃ、その移し身が勝手やって他の祖竜に反目をくらい封印されたの? 意味が分からないのだけど」
「それは違います、私の未来予測の結果、私の力がメリアシスクに抑え込まれるという未来を変更出来ないと悟り、それを何とか回避する方法としてダミーにメリアシスクの力を向かわせて、ダミーの方が三千年間封印されただけです、その間私が力を使えないという事実は確定してしまいましたが、三千年後の今、万全の状態でメリアシスクと戦えます」
「要するに、貴方からすればリエグの封印もクレイドルも全てどうでも良くて、メリアシスクとの決戦だけが目的だということ?」
混乱する話だが、十月はそう解釈した。
「はい、そう思って貰って構いません、移し身がしたことにも責任は取りますが、基本的には私とはかなり違った考えで行動していたことになります、その方がメリアシスクの目を惹き付け易いと判断したので」
「うーむ、では、余から良いか?」
アルがモヤモヤした顔で聞く。
「はい」
「大戦時に余と共に戦ったのは、今のお主の意志とは関係ないと、そういうことなのか?」
「そうなりますが、言ったように移し身がしたことにも責任は取ります、ですので、クレイドルが欲しい『無垢なる物』の完全な制作方法を提供することも考えます、それがあれば、リエグ大封印に固執する必要もない筈ですよね?」
「ほう、まぁ、その条件は悪くないが――」
アルが十月の方を見る。
「そんなこと勝手に約束されても困るんだけど? クレイドルの世界征服に協力するつもり?」
十月がアルの視線を受けつつリティスを睨む。
クレイドルと『無垢なる物』の対立を考えれば当然のことだ。
「別に大したことではないと思いますよ、クレイドルが未来予知の力を備えても、未来を創り出すには到らない、私がいる以上暴走させることもないですし、ある意味、メリアシスクとの戦いのサポートにはなります」
「利用出来るものは、何でも利用して自分の戦いに勝ちに行くってこと?」
「ええ、それに私とメリアシスク、どちらかが残ると考えた時、貴方達はどちらに付くのですか?」
「……」
思わず黙り込んでしまう問い掛けだった。
十月の側から考えた場合、人をエサとしか思っていないメリアシスクがこのまま居座る方が迷惑だと言えた。
「まだハッキリとは確定という訳ではありませんが、メリアシスクはより高位次元の神になるため、この星全ての高レベル思考体を利用するつもりです、場合によっては人類滅亡ということもあり得ます。私の目的は蒼の口から語られていると思いますが、竜と魔竜のシステムを破壊し、この星を人間の手に戻すことです」
「それは真実なの?」
「ええ」
「ちょっと待って、レーナに確認を取る――回線直結」
十月が頭の左右から伸びるクリスタルの飾りに手を当てて瞳を閉じた。
直接人工衛星まで電波を飛ばしてレーナの携帯に繋げ、そのまま脳内でレーナと通話可能な状態を作る。
『あ、レーナ、とりあえず相談があるんだけど、情報を送るから即座に検討して』
『ええ、分かったわ』
高速でデータの受け渡しを終えてレーナの返答を待つ。
レーナの方も、いつ何があっても良いように待機していた様子だった。
時間にして一分程度で、
『分かりました、リティスの提案を飲みます』
『そう、じゃ、そう伝える、ありがと』
『いえ、では、また』
レーナとの通信を終えて、再び瞳を開く。
「話は決まりましたか?」
「この場では貴方の提案を飲む、それで決まり、封印に関しては貴方が出来る範囲で好きにすればいい」
「分かりました、では――ラプリア、封印内部に温存されている間粒子を一定量取り出して結晶化して」
「了解しました――大封印よりエネルギー抽出、結晶化プロセス開始」
「結晶化はすぐに終わります、それをアルジアスに埋め込めば、おそらく貴方が戦闘で失った力の四倍は回復する筈、それだけあれば、しばらくは食事を摂る必要はなくなるかと」
「それが事実なら、まぁ、そうなるが、仮にそれを使い切った後は?」
「ラクティが中に入れば、器官が吸収する間粒子の運用効率が徐々に上がる筈ですから、最終的には人を喰らう必要はなくなるかと」
「融合前提で話されてものぅ?」
アルがへたり込んでいるラクティの方を見た。
「そうね……融合したら意識の状態はどうなるの?」
「互いに互いを尊重するなら両方残るかと、反目する場合は、どちらかが主意識となって片方を封じる可能性はありますが、それは二人の問題ですね」
割と軽い感じでリティスが答える。
「互いの意識が残るって、結婚するより重い話じゃない?」
一つの身体を二つの意識で使用するというのは、互いの仲の良さが絶対に必要になる。
「まぁ、この場合、余の判断次第じゃろうな、このまま主を放置しても余の方に損失はない故な」
「あ、一つ言い忘れていましたが、融合の道筋を付けた段階で、融合の決定権は本来の身体の持ち主であるラクティの側にありますから、アルジアス、貴方の意志は関係ないですよ」
ニコリと笑ってリティスが付け加えた。
「なにっ!」
その一言にアルが激しく狼狽して、蒼の目つきが一気に鋭くなった。
「つまり、アルを捕まえておけば、後はラクティが無理矢理乗っ取ることも出来ると」
「ええ、そうですね」
「なら話は簡単だな」
蒼がアルの方ににじり寄る。
「待って、蒼、貴方がそこまで必死になることもないでしょ?」
勢い込む蒼をラクティが止める。
「じゃ、ラクティは、このまま消えるのを選ぶというのか?」
「そんな極端な話ではなくて、まず、アルジアスがどう思っているか、それが知りたいわ」
「いや、余は状況的に逃げられぬ立場のような気がするが、自由意志以前の話としてじゃ」
「そんなことも無いわ、このまま私が消えた後、その身体でみんなに協力してくれるなら、それでも良いし」
「そんな簡単な話ではないじゃろ? 仮に主がこのまま消えた場合、残って責められるのは確実に余じゃ」
「そういう風にならないように言ってから消えるから、その心配はないわよ」
「じゃがなぁ……」
アルが蒼を見る。
蒼はもの凄い目つきでアルを睨んでいた。
是が非にでも融合させたいという目。
「それで融合についてはどう思っているの? 貴方が嫌なら私の方は無理に融合しようとは思わないけど」
「ふむ、本音を言いにくい空気じゃが、この場合、混ぜるな危険という気がするのぅ」
かなり遠慮した口調で言う。
「そうね、すんなり一つの身体に同居というのは難しいでしょうね――」
ラクティが同意した時、
「!?」
場に異様な気配が空から出現した、全員、すぐに臨戦態勢を取って上空を注意しながらばらける。
動けないラクティは蒼が抱えて飛んだ。
そして、次の瞬間、空から巨大な白い石柱が大量に湧き、銀の円盤の上に自由落下して来る。
石柱のサイズは直径は二メートル長さ十八メートル程、それが数百本。
視界を埋め尽くす重質量物体の落下。
轟音と共に銀盤は砕け、その下の海へと波に飲まれて柱と共に沈んで行く。
余りの衝撃に海が渦巻く。
あまりに唐突で圧倒的な現象に、誰もが逃げる以外のことは出来なかった。
月の光を反射していた銀盤が消えたことで周囲の光度が一気に下がり、散り散りに逃げた全員の位置の確認が目視で難しくなる。
「仕方ないなー、不便だし――夜闇を照らす光よ頭上に」
海上から五十メートルくらい飛び上がった十月が術式を使い、明るく光る球を頭上に打ち上げた。
パッと周囲の空間が夕方程度には明るくなる。
「みんな無事!」
呼び掛けつつ気配を探る。
一応、十月の感覚で全員の気配はすぐに確認出来た。
軽く飛んで達彦の携帯を回収する。
『何だったんだ? 今のは!?』
『多分、メリアシスクの攻撃だけど、そっちで感じ取れない?』
『何か干渉している感じはあるが、そこにいるリティスと混線し過ぎて、先が読めない、リティス本体に対する干渉は無いが、二人が色々と違う未来を予知しまくっている』
『ふーん、じゃ、あとはリティスに聞いた方が早いか、一度通話は切るね』
『ああ』
携帯を自分の懐にしまい、近くにいたリファィアの元に飛ぶ。
「姉さん、今の攻撃は運命変動攻撃、銀盤――バレスアレアの天秤を破壊することだけが目的のもの」
「バレスアレアね、銀盤が封印という訳ではなかったの?」
十月は銀盤が封印本体だと思っていたが、それは違った様子だった。
「封印は無事、ですが、リファィアの絶対防御が破壊された」
「天秤を使った防御だとは思っていたけど、あの銀色の円盤全部が天秤だったの?」
本来の天秤がどんな形をしているのかは知らなかった。
レーナが所有しているのは、あくまでコピーでしかない。
「はい、銀盤が天秤の一つ皿、もう片方は封印の中に、ただ、片皿を破壊されたら、それで使用不能になるかと」
「ふーん、じゃ無事だという封印は一体どこにあるの? いい加減話したら?」
銀盤では無いとしたら何となく予想は出来た。
「姉さんが、私の護衛に付いてくれるのなら、考える」
「付くわよ、封印を守るのは義務だし」
「了解――封印はこれ」
リファィアが首から提げているクリスタルのペンダントを手にした。
それは柘榴石のような菱形十二面体で、それなりに厚みがある飾り。
「やっぱりね、それさえあればいいの?」
「いえ、守り手であるリファィアも必要、この形状に維持出来るのはリファィアだけ」
「分かったわ、じゃ、妹ちゃんとそのペンダントを死守すればいいのね」
「はい」
リファィアが頷いて十月の背中の後ろに回った。
浮いている状態ではあまり意味はないが、ガードされている体勢なのだろう。
「十月ー!」
蒼がラクティを抱えて隣に来る。
その後ろにリティスを肩に乗せたラプリアと美佑、アルが続いた。
「そっちは無事?」
「ああ、ただ、リティスが次の攻撃を予想している、直接致命的な物はリティスの運命干渉で回避してくれるみたいだが、防げないのが来る」
「今の柱みたいのが、もっと大量に来るとか?」
「転移で何か飛ばして来るのは確かだが、何かまでは予測出来ないとのことだ」
「そう」
攻撃があると分かっている時点で、何も分からないよりは対処方法がある。
「リティスを殺すことは出来ないのに仕掛けてくるということは、私達の殲滅が目的なのかしら? 今さら牽制する意味もないし」
ラクティが少し弱々しい声で状況を分析した。
リティスが述べたように、メリアシスクのリティスに対する直接干渉は、しばらくの間は出来ない。
そして、間接的な攻撃で殺せるほどリティスは弱くない。
それでもメリアシスク側が攻撃を仕掛けてくる理由があるとすれば、蒼達が邪魔だということだろう。
ユーシリアが不自然なくらいあっさりと戻ったことも、その後、全体攻撃をする算段があったなら頷ける。
「とりあえず、バレスアレアの天秤は邪魔だったみたいね、アレは規格外だし」
「天秤? まさか今まで乗っていた銀盤のこと?」
「そうらしいけど、妹ちゃん曰く、――って次が来た感じよ!」
少し前方の空間に大きな歪みを観測した。
話は中断されて全員が、その歪みに注目する。
その直後、視界が揺らぐような空間振動を伴い、巨大な物体がその場に転移出現した。
「な――また、何を送って来たのよ」
「ロボット……?」
三十メートルほど先に現れた存在に全員が戸惑う。
それはガラスのような素材で出来た、非常に不安定な構造の二足歩行の巨人だった。
四肢に当たるパーツを一応有しているが、先に向かい細く尖ったブレードのような手足で、足の先が海面に触れて波紋を描いていた。
全体の高さは二十メートルと言うところだが、手が生えているポイントが高いため、手を伸ばした間合いが十五メートルはあるように見えた。
頭と思われるパーツは小さく目や鼻のようなものは付いていない。
「対象観測――組成成分が既知のあらゆる物質に該当しません」
「おそらく、完全に派生から違う別宇宙から呼び出した『何か』です、この場に呼んだことを踏まえれば、間違いなく攻撃力を有した物体だとは思いますが」
ラプリアとその肩にいるリティスが現れた物体の解説をする。
「それって、こっちの物理攻撃が通じるの? 全く違う物理法則で動いている物体ってことでしょ?」
十月が聞き返す。
「この次元に来ている以上、ある程度はこちらの物理法則には捕らわれている筈ですが、攻撃してみないことには実際には判断出来ないかと」
「そう、だったら、まず私から――爆裂炎弾召喚、シュートっ!!」
十月が掲げたクリスタルの剣の周りに複数の炎弾を作り出し、巨人に向けて剣を振り下ろし放つ。
炎弾は螺旋を描きながら二手に別れて、巨人を左右から狙った。
ズン!
巨人の腕が想像以上の速さで動き、重い振動波で炎弾を掻き消す。
あまりの速さに何が起きたのか見えないくらいだった。
そのまま腕を水平に持ち上げて、自分の身体の前で平行に揃える。
巨人から見て十月達は少し上に浮いていた。
揃えた腕を持ち上げて、十月達が浮いている方向に向ける。
「これはマズイです、私が防御しますっ!!」
リティスが焦った声を上げて、十月達の前に光壁を何重にも張り巡らせた。
同時に――。
ゴォォォォォ!!
ガラスの腕の間に閃光が発生して、そのまま極太の極光として十月達に向けて放たれる。
リティスが張った光壁と極光が衝突して数十枚があっさり砕かれ、最後の一枚で、
「曲げてみせますっ!!」
小さいリティスが両手を前に伸ばして、自身から見れば相当手前にある光壁の面の角度を変えた。
極光はその壁を貫く前に、曲げられた面に沿って上空へと抜けた。
光は衰えることなく天を貫き、漂っていた雲を蒸発させ、そのまま外気圏を抜け宇宙まで到達する。
通り抜けた部分の大気を完全に燃やしたため、そこに空気が渦巻くような対流を作り、上空におかしな形に雲が発生した。
「バカ出力ね、私の最大火力に匹敵する感じ」
十月が感想を漏らす。
彼女も、同じくらいの攻撃を特殊なエーテルデバイスの力を借りて放ったが、同じことが出来る相手が敵としてやって来るとは思っていなかった。
「次、来ます、連射出来る様子です」
「各自散ってっ! 今の速度なら狙われた後、ギリギリで回避出来る筈」
十月の合図で全員がバラバラの方向に逃げる。
そして、巨人が狙いを定めたのはリファィアだった。
「リファィアなの?」
轟音と共に極光が放たれ、その光がリファィアを飲み込む直前、彼女は瞬間移動して、それを回避した。
が、その極光が抜ける方向を考えない避け方で、巨人から見て斜め下、海面に向けて高エネルギー光線が放たれる。
「な、アホかっ!! 空間歪曲極大障壁っ!!」
即座に反応したのはアルだった。
海中に別次元に通じる歪んだ障壁を作り、それで極光を受け止め別次元に力を逃がす。
それでも水面から五十メートルは極光が焼いたため、大規模な爆発が起こる。
直撃部分は海水が分子崩壊して大穴が空き、その周りの水は瞬間的に蒸発して衝撃波に乗って周囲に飛散する。
「リリュージのベル――音により、大気と海の正常化を」
十月が左手にエーテルデバイスである鐘を呼び出して、澄んだ音を鳴り響かせた。
その音が場に行き渡ると爆発の影響が嘘のように静まって行く。
「ちょっと、妹ちゃんっ! 考えて避けてよっ!」
「フォローは、姉さんがしてくれると思った」
リファィアは悪びれた様子なく言う。
「間に合わなかったんだけど……アルジアスが動かなかったら、地球に大穴が空いていたかも」
十月が流石に唖然とした顔になる。
「その場合は私が運命を変更して、海中から海上に抜けるようにしましたが、何度も出来ることではないです、今も、メリアシスクと運命軸で喧嘩している最中ですので」
リティスが散った全員に聞こえるように大声で言う。
「次、来ます」
ラプリアが落ち着いた顔で呟く。
「もうっ! 連射し過ぎっ!! 全員、なるべく高い位置に逃げてっ!」
今の反省を踏まえて、極光が空に抜ける結果になるように十月が指示する。
これで三撃目だが、撃つ間隔も早いし威力が落ちる感じもしない。
十月が仮に同じことをした場合、一発は溜めている力で撃てるが、二発目以降はチャージ時間がいる。
今日はすでに一発放っているため、チャージしないと次は撃てない状況だ。
全員がばらけて、狙われたのは美佑だった。
「美佑っ!」
蒼が叫ぶ。
「大丈夫っ!」
美佑は巨人の腕の狙いを極光が放たれるギリギリまで引き付けて、そこから思い切り加速して軸線からそれる。
極光は美佑の身体をギリギリそれて、また上空――宇宙へと突き抜けた。
「回避成功」
小さくガッツポーズを決める美佑。
三発撃った巨人は一度、揃えていた手を下ろした。
「対象の動きに変化を確認」
「――これはマズイです、蒼、ラプリア、リファィア、フィーヌの三人に浮遊の竜詩を使って、貴方の中のリルラルにも多少影響が来ると思うけど耐えてっ」
ラプリアとリティスが警告する。
「了解した――三点へ向かえ、宙に浮く力の元よ」
蒼がドール三人に力を送ったと同時に、巨人が長い腕を身体の前でクロスさせる。
キィーーン!!
途端に場に耳障りな高周波が響き渡った。
巨人の腕の合わせ部分から鳴っている。
「ぁ、ぅ」
「――」
「っ、きゃぁ!!」
その音はドール達に彼女達が想像しない異変を発生させた。
3
音は鳴り響く。
徐々に小さくはなっている様子だったが非常に不快だ。
『蒼様、この音は――くっ!』
「リルラルっ!? っ!」
こめかみを針で刺されたような頭痛が蒼に走る。
それでも何とか耐えて、周りを見渡すとドール三人の動きが停止し、空中に倒れ込む。
蒼が使用した浮遊の力で浮いてはいるが、意識を失っている様子だった。
「リティス、これは!?」
「『無垢なる物』に対しての強制一時停止コードを、あの巨人が発動させました。貴方の中のリルラルは貴方との融合率が高いため、おそらく止まることはないと思いますが」
倒れたラプリアの上に浮かぶ形でリティスが言う。
ずっとその場から離れないでいるが、ラプリアの稼働状態とは別に動ける様子だった。
「ああ、何とか……」
「蒼、ちょっとマズイわね、戦力的に止められないでしょ?」
腕に抱いているラクティが言う。
「……リティス、この巨人を放置して離脱出来る可能性と、離脱出来た場合、この巨人がどういう動きをするか予測出来るか?」
勝利は厳しいという判断から聞く。
「そうですね……現状、貴方達にメリアシスクからの直接運命干渉を、致命的になる範囲限定で打ち消していますから、離脱は可能だと思われます。しかし、離脱後、この巨人は、現在この海の海岸線上に集まっている他の竜達を襲撃すると思われます。目的は、その存在力の吸収です」
「それは、その後、もっと倒せなくなるということになるな」
逃げても状況の先送りでしかない上に事態が悪化してしまう。
ここで止めることが絶対。
「蒼、アルジアスの元に飛んで、融合する」
「いいのか?」
「止まった三人を守りながら、蒼と美佑で戦うとか、どうやっても無理でしょ?」
「そうだな……分かった」
無理なことは理解出来ていた。
ただ、ラクティの気持ちの問題が心配ではあったが、今は他に方法がない。
「アルジアス」
近くを浮遊して、静観していた様子のアルの元に飛ぶ。
「ふむ、余の力がいるということか?」
「ええ、状況的にね、貴方も死にたくはないでしょ?」
「まぁ、そうじゃな」
「それなら双方同意ということで、――リティス、融合に掛かる時間は? あと、さっき言っていたエネルギーの結晶化は終わっているの? ラプリア止まっているけど?」
ラクティが聞く。
「はい、所要融合時間はおよそ十分程度、結晶は出来ているので取り出します」
リティスが、リティスからすれば抱えるサイズの銀色に輝く宝石を、その身体の前に呼び出す。
「受け取ってください」
そのまま大球転がしのように宝石を手で押して、蒼の横に宙を滑るように放る。
「これか」
手にした宝石は小さめのバスケットボールくらいのサイズはある多面体の物体だ。
「融合するなら早く、向こうがコードの打ち込みを完了して、次の攻撃に移ります」
「分かった、美佑、三人の回収を頼む、私はラクティ達が融合する間、敵を引き付ける」
「うん、了解、蒼ちゃん」
美佑が飛んで動きの止まったドール達を一カ所にまとめる。
「アル、ラクティを」
「ああ」
蒼は抱いていたラクティをアルに託して、二人の元から離れ巨人の前方、斜め上に立った。
見下ろす位置の巨人は、とにかくデカイ。
並の攻撃はおそらく全て通じない。
斬り掛かるにしても大きすぎる。
『どうしますか?』
『リルラル、停止コードの影響は大丈夫なのか?』
脳内でリルラルとの会話を高速で行う。
『はい、問題ありません、またコードの逆解析の結果、一時間程度で自動回復するレベルのものです』
『だったら、まずは安心だな、ただ、ここをしのげるかは別の話だが』
『ラクティ様が融合する時間を稼げたとしても、その後、状況を打破出来るかは未知数です、となると、蒼様がここで身体を張る意味も』
『あの二人をここで信じなくてどうする? 今の私よりはずっと強い』
『分かりました、では、時を止めますか?』
『後六回の内の一つか、止めるにしても……』
蒼は自分の機械の翼の方を見た。
そこには六枚の青白く光るガラスのような羽根が付いている。
元は八枚あったが、一つ一つがリルラルの時間操作系の特殊デバイスであり、一度使う毎に無くなってしまうが、間違いなく切り札と呼べるものだった。
『いや、待て――偽リティスが覚醒した時、こちらの時間を止められた、つまりリティスも時間を停止出来る筈だ』
『聞いてみます』
リルラルがリティスに念話を飛ばす。
返答は一瞬で帰って来た。
リティスの情報伝達機構はドール達と同じにすることも出来る様子だった。
『返答によると、無理だということです、リティス様はミスキルコアを元にして各ドールの技をコピーしていましたが今は破損しています、また、仮に起動していても、ミスキルコアが出来るのは、対象の体感時間を凍結するだけで、次元全体の時間干渉は出来ないとのことです』
『そうか』
完全にコピー出来ているとしたら便利だったが、そう上手い話はない。
となると、蒼がこの場で巨人の体感時間だけを止めて、ラクティの融合を待つというのが方法としては簡単だが、それは効かない可能性が大きかった。
リティスは対象の物理法則は異なると言っていた。
体感時間を止める場合、相手がこちらの術式と同じ系統の法則で動いている必要がある。
『まず効かないだろうな』
『次元空間時間を完全停止だと、今の蒼様の出力では六秒程度が限度です』
『その間に出来ることか』
考えるが、複雑な策を練っている時間はない。
『巨人の攻撃は、今のところあの腕を起点にしている、私の剣を大きくして切り落としてみるか? アブソリュートほどの切れ味はないが何とか切れるかも知れない』
『悪くはないと思われます、――では、ラクティ様、フィーヌ様の剣を回収します』
『ああ』
リルラルが念じて、気絶した十月が持つ剣と、融合を行おうとしているラクティが帯に挿していた剣が、蒼の元に飛んで来る。
『私が剣を大きくすることで敵の注意を引く、敵が攻撃する寸前で時間を止めてくれ』
『了解しました』
「よし、行くぞっ!!」
背中の右側――白い石のプレートのような器官がばらけ、一枚一枚が宙に浮いて蒼の周りを囲む。
そして、蒼が持つ剣の横に並んで、その刀身に重なり合う。
その様を見て巨人が動く。
再び両の腕を平行に構えて、その先を蒼に向ける。
このまま撃たせまくって回避を続けることも一瞬考えとしてよぎったが、同じ攻撃を続けてくれる保証はない。
「大剣構築」
重なり合った幾枚ものプレートが発光して、その姿を一つの巨大な剣へと変えた。
刃渡り五メートルはあるサイズ。
「これだけあれば腕の一本くらいっ!!」
大剣を振り上げて、巨人の右側面を目指して突進する。
剣の重みは質量粒子の操作によって、インパクトの瞬間のみ最大になるように調整されている。
巨人は身体の向きを素早く変えて、迫る蒼に狙いを付けようとする。
『参ります――現時空間、一例外を除き時間進行停止』
ピッタリのタイミングでリルラルが時間を止めた。
蒼の左側の機械の羽のプレートが一枚砕けて消滅、同時に全ての時の流れが六秒間停止した。
「やぁぁぁっ!!!」
動きの止まった巨人の右腕の付け根に渾身の力で大剣を振り下ろす。おそろしく硬い手応えを感じたが、刃は何とかめり込み、直径一メートルはある腕の軸の半分程度を切った。
「もう一度っ!!」
その場で大剣を再び振り上げて同じ場所を切り付ける。
岩石を切るような衝撃の後、大剣にヒビが入るが、その場所を完全に切断した。
『動きます』
「ああ」
時が動き出すと、切断された右腕は海面に落ちて、そのまま沈んで行った。
巨人の方に腕を切られて動じる様子は表面上は特にない。
「これで、大出力の攻撃が出来なくなってくれると助かるが」
ヒビの入った大剣を軽く振るうと、再び元のプレート群に分離して、手には一振りの剣だけが残った。
プレートは背中側に回って器官の付け根に再度融合する。
大剣の時に入ったヒビはそのまま残っていた。
『器官の修復に一時間程は有します、エネルギー取り込み効率が三十六パーセント低下しました』
「無茶は一撃が限界か」
一旦巨人から上空に距離を取って、動きを観察する。
すると残った左の腕を高く垂直に持ち上げて、その先端に細かい穴が複数開く。
「撃ってくるのかっ!」
『粒子ビームです』
「引き付ける」
蒼はわざわざ巨人に向かって急降下する。
巨人の腕の先が眩しく光り、数十本のビームの束が向かって来る蒼に対して発射された。
「相殺用光球召喚」
蒼の周りに複数の光の球が浮いて、何本も迫り来るビームの中に降り注ぐ。
『光壁防御』
合わせてリルラルが防壁を発生させる、同時に閃光と共に爆発が起きて熱風と煙が渦巻く。
その煙を切り裂いて蒼が出現。
一気に巨人の腕の先端まで迫り、そこを斜めに斬る。
先は細くなっているため二十センチ程の幅しかないが、それでも相当な手応えを感じつつ切断――ビーム発射口の上部のみを破壊したことになる。
「やはり硬いな」
一度海面近くまで降下して、巨人の正面に付ける位置まで昇る。
握っている剣が一部刃こぼれしていた。
『硬度的には、ほぼこちらの器官を強化した時と同等です』
「全身がその硬さだと、破壊は容易じゃないな」
『今はそれより時間を稼ぐことが優先です』
「分かってる」
巨人の次の攻撃に備える。
思惑通りに大出力の攻撃が出来なくなっているのか、その点を確かめるためには煽るしかない。
『掻き消されても構わない、リルラル、炎弾で気を惹いてくれ』
再び頭の中で会話する。
『分かりました、お任せください、蒼様はあちらの動きに対して回避を取れるようにお願いします』
『ああ』
攻撃をリルラルに任せて、蒼は巨人の動きだけに注視。
そして、リルラルが火炎弾を放つと巨人が反応して高速で動いた。
腕を振るい衝撃波で炎弾を消滅させると、その腕で蒼を捉え、直接叩きつぶすような軌道で迫る。
「どの程度の力か試すっ!」
攻撃の威力を探る意味で剣を構え、蒼から見て右やや上から来る巨大な手を剣で受ける。
無理ならすぐに受け流す体勢。
「くっ!!」
流石に重い攻撃で、横にそのまま吹っ飛ばされないように、空中で耐えるのがやっとだった。
剣を握る手がジンジンと痺れる。
そして、巨人が思ったよりはるかに素早く腕を戻し、蒼に向けて上方から振り下ろす。
「!!」
何とか剣で受けるが、押し返すようなことはまるで出来ない重さを持った一撃。
少なくとも打ち合いが出来るレベルではない。
今は場に制動を掛けて止まっているから良いが、蒼も動いている状態で流動的に打ち合えば、間違いなく吹き飛ばされる。
『直接攻撃が続くようなら、受け流しつつ、ラクティ様から距離を』
『ああ、そうだな』
その二人の考え通りに、巨人は蒼を狙って今度は横に腕を振るった。
剣を身体の横に立て、高速で迫る腕を受け、少し剣を斜めに滑らせるようにして、腕が来た方に身体を側転してやり過ごす。
巨人は振るった腕を返して、やや不安定な体勢になった蒼を狙う。
再び横から巨人の腕が迫る状況になった蒼は、そこに自分の剣を当て、反動で空中を移動、巨人が付いて来るかを確認しつつ、適度な距離で停止。
巨人は蒼を追う形で、揃えた足を動かさずに水面を滑る。
『このまま少しずつ、ラクティから離すぞ』
『問題ないかと』
移動して来た巨人が蒼に向けて、また巨大な腕を振るう。
速度はあるが、何回か見て見切れないことはないと思えた。
蒼はそのまま巨人の攻撃を避け続け、ラクティ達から徐々に離れて行った。
*
海上に浮遊するアルジアスの側に、ラクティの姿は無かった。
融合を開始した途端に、ラクティの身体は光の粒と化して消失したからだ。
それから数分間、アルジアスは目を閉じて完全に動きを止めた。
そして、変化は唐突に始まる。
背中から伸びる機械と生体パーツが融合したような器官が、一度体内に飲み込まれて、桜色の器官が左右に二対ずつ合計四枚伸びる。
形状は細く長いツバメの羽のようで、一部が半透明構造でピンク色に淡く発光していた。
次に着ていた和甲冑のような衣装が光に包まれて弾けて、新たな衣装が足下から生成されて行く。
白の足袋を模したニーソックスに、赤いヒダの緋袴を模したミニスカート。
上に来て巫女服の白衣に似た振り袖の上着、その上に、部分に赤い装甲パーツが付く。
さらに、顔もラクティをベースにした物に変化して、開いた目の色はブルー。
角と尾は消えて、髪は長さのみ少し短くなって色はアルジアスと同じ黒のまま。
全体の身長と雰囲気はアルジアスの時と変わらず十二~三歳にの少女に見えた。
『じゃ、この戦いの間は私の意識が上位ということで』
『ふむ、了解したぞ』
「美佑、終わったから、十月達のことよろしく」
数メートル離れた場所に居た美佑に呼び掛けて、ラクティがその場から飛ぶ。
「あ、はい、蒼ちゃんのことお願いします」
「任せて」
自信に溢れた顔で頷き返して、蒼達が戦っている方向を目指す。
蒼がこちらから引き離すように動いてくれたため、五百メートルくらいは離れてしまっていた。
『で、どうするのじゃ? 余達の初陣となるのだぞ、派手に決めてくれぬことにはな』
「そうね、どこかの世界から呼び出され物体だとしたら、追い返すのが筋かしらね」
ラクティが巨人に約百メートルまで接近して止まった。
声がギリギリ届く距離で、
「蒼、ありがとう、もう引いていいわ、大規模術式を展開するからっ!!」
「分かったっ!!」
短く明瞭な返答が帰って来て、蒼が巨人の側から離脱する。
「さて、開始するわ。――かの巨人を拘束せよ」
突如、巨人の周りに風が渦巻き桜の花びらが舞う。
花びらは一筋の流れを作り、螺旋を描いて巨人の周りを取り巻いた。
巨人は手を開いてその花びらの渦に対抗しようとするが、渦の勢いの方が強い。
「蒼が片手を切り落としておいて助かったわ、これなら座標を固定出来る」
やがて完全に花びらの渦の力が増し、巨人の身体を縄のように締め付けた。
「対象座標固定完了――圧縮開始」
次に巨人の左右の空間に巨人と同じ高さの光の板が一対出現する。
板は平行に向かい合い、間に挟んだ巨人を左右からじわじわと押して行く。
巨人の片方だけの腕が動いて、板の圧迫に抵抗したが、それを意に介さない速度で光の板の左右間隔が狭まる。
すると、巨人の顔の部分が眩しく光り、
「防壁展開」
ラクティに向けて粒子ビームが放たれたが、彼女が即座に張った防壁によって完全に弾き返された。
続けて、もう一度撃って来るが結果は同じで、夜空に向けて弾かれたビームが光の筋を描く。
「次元ゲート開放――消えなさい」
巨人の胴体中央に、急に黒い球体が現れた。
その球体を渦の中心とするように巨人の身体が歪み、その球に飲み込まれて行く。
外側から押す光の板が、飲み込みの速度を加速させているようにも見えた。
一気に光の板の間隔が狭まり、巨人の形が判別出来ない程に潰れ、黒い球体に絞りかすのように吸い込まれて消えた。
巨人の全身が消えた段階で、光の板と黒い球体も消失する。
「完了ね」
「圧倒的だったな、――それで何て呼べばいい?」
作業を終えたラクティの元に蒼が飛んで来る。
「今はラクティで構わないわ」
「発現表層で、アルジアスと意識が混在している訳ではないんだな?」
「ええ、混じっている訳ではないわ、片方が起きている時は片方は裏にいる感じね」
「分かった、ともかくリティスの所まで戻ろう」
「そうね」
二人で少し離れたリティス達のところまで戻る。
「リティス、何か追撃は有りそうか?」
「いえ、この場への干渉は流石にもう難しい様子です。一つの事象に対して、あまり連続で干渉を行うことは出来ないので」
ラプリアの上で浮かんでいるリティスが目を閉じた状態で答える。
おそらく、運命の流れを観ているのだろう。
「じゃ、退けたということね」
ラクティが背中に出していた器官を収納した。
蒼もそれに続いて器官をしまう。
「二人ともお疲れ様」
美佑がねぎらう。
「ああ、そうだ、三人が目覚めるにはあと二十分くらい掛かる」
「その時間この場にいるのは暇ね」
「戻るのであれば私が亜空間に道を構築します。ラプリアが行ったことのある場所で約千キロ以内なら、ショートカットルートを構築可能ですから」
リティスが言いながらその手を広げて空間に小さな模様を描いた。
するとその模様が大きく拡がり、異空間に通じるゲートとなる。
「どこに繋げますか?」
「ナリシの家の前と言って分かるかしら?」
「はい」
「流石祖竜ね、では、戻りましょうか」
「ああ、三人は私が術でそのまま引っ張る」
「じゃあ、戻ろう」
そして、蒼達はナリシの家へと戻った。
*
「この展開が貴方の予想した未来だったのですか?」
「さて、どうでしょうか? ただ、これで私と貴方が戦う理由も無くなりましたが」
暗く閉じた空間の中、同一の容姿をした二人の女性が向き合っていた。
双方共に身体中に傷が出来て、浮いた足下に血が流れ落ちていた。
「確かにそうですね」
黒い法衣を着ている方が、手の中に溜めていたエネルギーの塊を消失させた。
「良かったです」
対する相手は血に汚れた白のスーツ姿で、背中に出していた真紅の器官を引っ込めた。
「では、この後、貴方は私をどうする気ですか? 貴方が戻って来た以上、この先、私達の意識混濁は必然的に発生します」
「そうですね、混濁すれば結局双方の今の意識に沿う形で、その後の行動を決定する訳でから、先に融合してしまうというのは如何でしょうか?」
「確かにそれが妥当な気がします」
「同意が得られたとなれば、話は早いですね」
「私の身体は仮初めのものですので、そちらに入る形でお願いします」
「ええ、問題ありません」
黒い法衣の方が白いスーツの方の前に移動して、その手を相手の胸の上に置いた。
すると、身体が一瞬で黒い霧となって消え去り、何か光の塊が白いスーツの胸の中に消えた。
「――融合および意識の完全統合完了です。さて」
指で空間をなぞると、閉じた暗い場が崩れ落ちて、現空間に戻る。
そこは、アルジアスが居た日本家屋の庭先だった。
薄く積もった雪の上に降り立ち、同時に着ていた服を完全に元の形に再生した。
「一度、フィテアに会ってから事を進めるべきでしょうね」
一人呟いて地面を蹴り、夕闇の空へと消えた。
蒼の夢第五部 完