蒼の夢 第四部

「蒼の夢」 第4部

プロローグ

大型公園の中にある芝生の広場、深夜、二人の少女が立っていた。
「今日は冷えます。蒼様、問題ありませんか?」
少女の内、背の高い方が聞く。
街灯に照らされた光の中で白い息がモヤモヤと漂う。
「問題ない、そもそも互いに寒さとか無視出来るだろ」
蒼と呼ばれた小柄な少女が答えた。
「いえ、温度感知は可能です。現在の気温は七℃、十一月初旬としては冷えています」
澄ました顔で背の高い方が言う。
その格好は長袖の装飾過剰なメイド服だけだった。
一般的には上着が欲しい気温だがメイド服と下着の二枚しか着ていない。
「まぁ、いいけど……」
蒼は辟易した顔で相手の言った事を流した。格好はセーラーカラーの付いた長袖のブレザーだ。どこかの学校の制服に見えた。
「とにかく初めてくれ、ラプリア」
「了解しました。――蒼様、これは仕上がりの確認試験です、こちらは全て致死攻撃を行います、構いませんか?」
メイド服の少女――ラプリアが抑揚なく物騒な事を述べる。
「ああ」
「では、始めます、エーテル機関戦闘モードへ切り替え、エーテル干渉デバイス展開、指定空間遮蔽」
ラプリアの背中に光が収束して瞬間的に金属で出来た翼が構成された。
そして、次のタイミングで二人を中心にして直径二十メートルほどの半円ドーム空間が現空間から隔絶された。
境目には人では気付けないレベルで景色が歪む透明な壁が出来上がる。
「空間遮蔽を確認。――蒼様、用意を」
「ああ。――リルラル、行くぞ」
蒼が言いながらラプリアから五メートル程度の距離を取る。
『はい、いつでも』
蒼の中で内なる存在が答えた。
その声は蒼にしか聞こえない。
「器官構築、エーテルドライブ起動」
蒼の背中にも差し渡し三メートルほどの翼状のものが構成された。材質は右側が白い石のような板状の物で、左側はラプリアと同じく金属だった。
左右の形は似ていて、材質の差による非調和はあまり感じられなかった。
「攻撃相展開」
そして、右手の甲から白いプレート状の剣が伸び、左手が蒼いトゲトゲした籠手状の物に覆われた。
右の器官と攻撃相は竜と呼ばれる種族の力。左の機械の翼は『無垢なる物』と呼ばれる竜をコピーした『人工物』の翼だった。
その蒼の変化を見届けて、
「参ります」
ラプリアが手刀を胸の前に構えて地面を蹴った。
一瞬で蒼との間合いを縮めて斜めに薙ぐ。
手刀には空間を切り裂く力が宿してあり、あらゆる物を空間ごと切断する事が出来た。
「はっ!」
右手の剣でラプリアの手刀を受け止め弾く。
ただ、実際には剣と手刀が触れ合う事はなく、互いの表面を覆った薄い力場同士が反発して弾かれた形だった。
「断裂多段展開即時対象収束」
ラプリアが後方に飛び退き一言発する。
「器官防御特化」
右の白いプレート翼と左の金属翼があり得ないような速さで変形して蒼を包み込む。
その翼の表面で多数の光の波紋が産まれては消えて行く。
それはラプリアが作りだした無数の空間の亀裂だった。
『蒼様、表層粒子収束コート崩壊まであと五秒です』
「突破する、収束率を上げて」
脳内で内なるリルラルと会話する。
『はい、蒼様』
リルラルが答えて翼が一気に左右に拡がった。
その勢いに合わせて、ラプリアが構築した空間断裂層が弾き飛ばされる。そして、出来た安全空間に蒼が走り抜ける。
そのままラプリアとの間合いを詰めて右のプレート剣を振り下ろした。
「空間歪曲防壁」
振り下ろした剣がラプリアの正面の空間で阻まれ、大きめの波紋が産まれた。
「剥ぎ取るっ!」


左の籠手の尖った指先を、その波紋に突き立てる。
硬い殻を纏った五本の指先が波紋に食い込み、それを剥ぐようにむしり取る。
出来た隙間に剣を突き立てラプリアを直接狙う。
「転移」
切っ先が届く瞬間、ラプリアの身体がその場から掻き消えた。
『流石に最強の防御を誇る私の妹です。転移場所解析します』
「ああ、頼む」
コンマ数秒、意識下のやり取りをしてリルラルがラプリアの転移先を解析する。
『真上です』
「分かったっ」
見上げた先にラプリアが出現していた。空間遮断面の天井部に逆さに立っている。
「増層歪曲面鋭角化」
呟いて、翼を瞬間的にクリスタル材質に変質させた。
『防御を貫く攻撃ですっ、回避を』
リルラルが頭上に逆円錐状に構成された空間断層の固まりを認識した。
防御しても、錐の先端が防壁を相殺突破して、下部の断裂の山を押し込まれてしまう。
「いや、いけるっ。――祖竜力開放、対象固定」
蒼の右のプレート翼の一枚一枚が根本から分離して、三十センチ程の蒼く半透明に輝く刃物となって、円錐を避けるようにカーブを描きつつラプリアに殺到する。
「空間歪曲防御展開」
同時に左の金属の羽を頭上に広げて、その正面に空間歪曲面を発生させる。
ズンっ!!
重い衝撃が走り、共に見えない歪曲面と円錐がぶつかる。
大きな波紋が空間に拡がった時、円錐が可視可能な半透明な物体と化して、ガラスが砕けるように消失した。
「――蒼様の勝利です」
ラプリアが空中で蒼く輝く刃物に四方を固められていた。
少しでも動けば刃がラプリアを傷付ける位置。
「いや、ラプリアなら返せるだろ、どうして攻撃をキャンセルした?」
ラプリアが攻撃を中断したことで、蒼も攻撃を途中で止めていた。
「現状、もう一度テレポートするには力がまだ溜まっていません。全ての分離攻撃相を表層絶対空間歪曲防壁で受け止めるのは、模擬戦での規定消耗範囲を超えるという判断です」
「貫けるかを試してみたいと言ったら?」
「リミッターを解除する事になりマスターの許可が必要です。また一般的なドールなら今の攻撃で終了します」
刃物に囲まれたまま、あくまで冷静にラプリアが言う。
その余裕は決して貫かれることはない、という自信の表れにしか見えなかった。
「……分かった。確かに目的とは違うな」
蒼が分離したプレートを退かせて元の翼に戻す。
すると、ラプリアがすぐに地上に降りて来た。
「攻撃相全解除」
蒼の方も手の剣と籠手を消し、背中の翼を仕舞う。
右のプレート翼は身体に収納されるように消え、左の金属翼は光の粒となって消え去った。
「空間遮蔽解除、通常モードに移行」
ラプリアの翼も同じく光の粒となって消える。
「お見事でした。始まりの五竜の力、少しなら使いこなせるようになったと判断出来ます」
「ああ、少しならな。ただ、やはり消耗が大きい、全力を出したら身体が持たないというのが良く分かる」
言う蒼の顔から、少し血の気が引いていた。
「それは真の身体を手に入れるまでの辛抱かと。今はエシスを倒せる程度の力があれば、それだけで」
「それは分かるけど、私が直接エシスを倒さなくても、ラプリアなら瞬殺出来る相手じゃないのか?」
「はい。ただ、エシスを攻撃する時に彼女が一人とは限りません。私は外野を引き受けます」
「確かにな、きっとラクティも出て来るだろうし」
「あの竜は相当にやっかいです。また、今回は五竜眷属の参戦が考えられます。それらと蒼様が一人で戦うのは非効率です」
「……そうだな」
眷属と言われて蒼の脳裏に一人の少女の事が浮かんだ。
その少女が参戦して来た場合、蒼には攻撃出来る自信が無かった。
「ともかく試験は合格です。これでエシスを誘い出す事が出来ます」
「どうやって誘い出すんだ?」
「好戦的な態度で呼べば、およそ九十八パーセントの確率でやって来ます。そう言う性格だという分析です」
「んー、まぁ、そんな気もする……」
エシスとは一度会って戦っただけだが、直情的な性格で煽りに弱そうなのは想像出来た。
「蒼様の用意がこれで万全なら明日にも呼びますが、どうしますか?」
「問題ない、任せる」
エシスと一度戦ってから約三週間、もう一度戦う必要があると聞いて、覚悟はすでに出来ていた。
三週間は同化したリルラルとの連携が完全になるまでの時間でしかなかった。
「分かりました。今夜の内に連絡を取ります」
「ああ」
「では、撤収です。戻ったら、よくお休みになってください」
「分かってる、じゃ、帰ろうか」
「はい」
二人は広場の端に向かい、そのまま夜の闇に姿を消した。

1章.思惑

深夜、エシスが占拠したマンションの一室、その寝室の空間が突如遮蔽された。
無垢なる物なら、どんなタイプの個体でも確実に気付く異変だった。
「――な、なに!?」
パジャマ姿でベッドから飛び起きて、周囲のエーテルドライブの反応を探る。
それはほとんど反射的に行われて、窓の外に反応を見付けた時には、その背中に機械の翼が発生していた。
四階の窓を開け放ちベランダから外を見る。
「ラプリアっ!?」
「――対象確認。予め注意、この個体は本体の合図を受けて起動した幻影個体、対象にメッセージを伝えた後、消滅する」
少し上の空中に半透明のラプリアが浮かんでいた。
エーテルの総量が本体と比べて極端に少ない、その事から言っている事が真実なのだろうと分かった。
「メッセージって何よっ?」
会話出来るのか分からなかったが聞き返す。
「これから明けて今日、日曜日、このポイントにてお昼から待っている。以前の決着を付けるため、臆病者でないのなら必ず来ると思っている、今度こそ、お前を破壊する」
ラプリアの幻影が空中にマップを表示して、そこの一点を光らせた。
エシスは脳内の地図情報で、そこがどこか即座に検索した。
今いる街から南東に四十五キロ程行った海岸の一カ所だった。
「また、何も無い場所ね、本気で戦う気?」
その場は地図上は単なる岩場だった。
「メッセージは以上、繰り返す必要があるか?」
「ないわ」
「了解」
幻影が瞬時に姿をかき消して、空間遮断が解かれた。
「なによ……予め仕込まれていたの?」
エシスがベランダの一点を睨む。
そこには小さな赤い石が転がっていた、その石が見ている間に砕けて砂になる。
今の幻影を発生させ、空間を遮断する為の力を溜めていたエーテル機関の粗悪なレプリカだった。
その石を誰かが置いた気配はなかった。
おそらく以前の襲撃の時に仕込まれ隠蔽されていた物だった。
「つまり、織り込み済みで私を殺る気満々という事? ――ふざけんなっ!!」
エシスは深夜という事を忘れて叫んだ。
マンション中に聞こえる大声だった。
直後、エシスの感覚上を竜の記憶操作の力が走った。
それから一分と掛からずに、玄関の扉が叩かれる。
「ちょっと今の何よっ!? エシス無事なのっ!?」
扉の向こうからくぐもった声が聞こえて来る。
「ああ、メンドイ、まっ、ばれない方が無理か……」
ぶつぶつ言いながら玄関に向かい施錠を外す。
「エシス、何があったのよっ?」
パジャマ姿のラクティがドアの外に立っていた。
「ラプリアから伝言、今日、お昼から果たし合いだって」
「当人が来た訳ないわよね……他の誰かが来たの?」
「違うわよ、予め仕掛けがされていた感じ、で、きっちり隠蔽されていたから、気付かなかっただけ」
「そう、けど、何のために……」
「私を壊すと言っていたわよ」
「貴方を?」
ラクティが不思議そうな顔をする。
以前、ラクティはラプリアが仕掛けてくる可能性は低いと予想していた。
「以前の決着を付けたいらしいわ」
「それはラプリアが? それとも蒼が?」
「さぁ?」
そこまでは伝言からは不明だった。
「ただ、伝言が悪戯とは思えない、呼び出された場所は何もないとこ。少し行った所の海岸」
「分かったわ、少しなら対策を練る時間があるわね、私は一度戻るから、着替えてから来て」
「これから朝まで夜通し会議でもするの?」
時間的には夜明けまで約三時間あった。
「互いに寝る絶対的な理由はないでしょ、待ってるからね」
ラクティが踵を返して戻って行く。
一つ上の階に居を構えていた。
「あー、もう、睡眠は娯楽なのよ、もう、もうっ」
エシスは思い切り嫌そうな顔をして、着替える為に一度自室に戻った。

十五分後――。
ラクティと達彦の住居であるマンションの五階のリビング。
「今、美佑と真由にも連絡がついたわ、すぐに来ると思う」
携帯を片手にラクティが言う。
すでにパジャマから着替えて、すぐに着れるフリルの付いた黒のワンピースを着ていた。
「全員招集? それ程の事?」
「蒼が来る可能性があるなら、みんな関係あるわ」
エシスと達彦は二つのソファーに向かい合って座っていた。ソファーの間には低いテーブルがある。
二人も着替えて、エシスはリボンの付いたセーターとミニスカートという格好だった。
「とりあえず飲み物でも用意するわ、紅茶でいい?」
「ああ」
「甘いので」
「分かっているわ」
ラクティがキッチンに向かいお茶の準備を始める。
まず、浄水器を通した新鮮な水をヤカンに汲んでコンロに掛ける。
キッチンは料理全般が好きなラクティに合わせて色々な調味料が並び、家庭用のワインセラーなどが設置されていた。
紅茶やコーヒーと言ったものにも、ラクティはうるさく各地の厳選茶葉が棚のガラス瓶に保管されていたりした。
そこからアッサムリーフを取り出して脇に置いた。
「…………」
水が沸騰する時間思考する。
蒼とラプリアが行動を起こした理由が想像出来なかった。
彼方に、こちらを襲う事に利点があるとは思えない自分がいた。蒼の現在の目的は真なる器である本体との融合の筈だった。
となれば本体の捜索が第一であり、こちらに構う必然性がない。
それなのに、以前からエシスと戦う事を想定していたとなると、相手の目的が、また別にあるという話になる。
「まさか単なる仕返しが目的とは思えないし、私や達彦に用事があるにしても、誘い出し方が派手過ぎる……何がしたいの?」
纏まらない考えが思わず口から出た時、沸騰した水が音を立てる。
「後は、みんなが来てからね」
一度考える事をやめて紅茶を用意して行く。
その手際はとても手馴れたものだった。

さらに十五分後――。
真由と美佑が到着してリビングに五人揃う。
蒼の事に深く関わっている五人だったが、全員人間では無かった。
「対策を立てるにも、もう今日の事だから大掛かりな事は出来ないわ。だから、まずは相手が何を狙って仕掛けて来たかを考えてみたいと思うのだけど」
ラクティが仕切る形で話が進む。
「こちらを完全に潰して、後顧の憂いを断つという事は考えられませんか?」
真由が手を挙げて言う。
始まりの五竜の眷属である彼女は、今は美佑に力の使い方を指導していた。
「ええ、相手が完璧主義とかなら充分にあるわね」
ラプリア及びラプリアのマスターの性格が分からないと断定は出来ないが、有り得ない事ではないと思った。
「そうだとすると、蒼ちゃんは、私と戦う気がある、という事ですよね……」
美佑が沈んだ顔をする。
彼女は蒼の親友であり、今は血を授かった蒼の眷属でもあった。
小学四年生という年齢だが、眷属になる時に受け継いだ記憶と知識が精神年齢を押し上げていた。
今のところ、その事を両親は知らず、社会的には一般家庭に住む普通の子という立場だが、夜中に記憶操作を使い家から抜け出す事くらいは、簡単に出来るようになっていた。
「そうね、こちらに美佑が居る上で仕掛けて来たのだから、仮に蒼本人が戦わなくても、ラプリアが貴方と戦う事は容認しているという事でしょうね」
「そうですよね……」
沈んだ顔がますます暗くなる。
「しかし、そこまでして、こっちに仕掛けるという事はよっぽどの理由が向こうにあるという事だと思うが? 後顧の憂いとか、そんなレベルじゃなくてさ」
達彦からみて蒼と美佑の仲の良さは疑いが挟めないくらいのものだった。
それを壊す覚悟で来るという事は、絶対に必要な何かがあるとしか思えなかった。
「まぁね、何かは確実にあるのでしょうし、複数の要因がある可能性も否定出来ないわ。――それで言える事は、こっちとやり合う事に関しては本気だという可能性が高い事。その上で別の目的があるとしても、多分、向こうは最初から全力で来るわ」
ラクティが自分の読みを伝える。
「私達を誘い出す陽動である可能性は?」
真由が意見を挟む。
「いま私達が守っているものが特にない以上、それは考えにくいわ。それに、蒼からしたら、仕掛けるという話だけでも美佑の事を考えて色々ある筈、だから、本気であると私は思うわ。もっとも、心が乗っ取られていないならね」
「そうですか、その事に関しては分からないので口は出せません。――皆さんはラクティさんの意見をどう思いますか?」
「俺はラクティの考えと同じだ」
「私は……そうあって欲しくないですが、よっぽどの事はあると思います」
「あー、私はどうでもいいし、ただ、決着を付けるというなら望む所なだけ」
最後に黙っていたエシスが言う。
彼女は会議に参加するつもりが元々無い。
「本気で来るという意見が三、棄権が一という事ですね、だとしたら、本気で来る事を前提で備えをするべきかと」
多数決で結論を出す。
「じゃ、相手が本気で来る事を前提にして対策を練るわよ。今のところ、ラプリアを抑えられるのは、多分私だけ。だから蒼が出て来た場合は、みんなに任せる事になるけど、戦える?」
主に達彦と美佑を見て言う。
「いや、直接的に蒼の相手をする事は出来そうにない、それに、今の俺じゃ、そこまでの戦闘は無理だ」
達彦は竜だが、竜としての力を全て使える訳ではない事情があった。
その為、竜同士の本気の戦いはまだ無理だった。
「私も蒼ちゃんとは戦えません。気持ち的にも力的にも……」
美佑も続く。
「そうよね……となると、エシスと真由さんに任せる事になるけど、行ける?」
ラクティが二人の方を見る。
「行けるも何も、あっちは私に挑んで来たのよっ、行くしかないわよっ!」
エシスが立ち上がってラクティを指差す。『無垢なる物』としては破格の力を持つ自信の表れだった。
「私は能力的に近接肉弾戦には向きません、蒼さんはそのタイプですから、エシスさんが抑えてくれているなら、竜詩による支援は可能です」
真由があくまで冷静に言う。
「別に支援なんていらないわ、ラプリアはともかく空間系の制御がそれほど得意では無い相手なら私に勝てる筈ないし」
今度は真由を指差す。
「そうですか、では、私は皆さんの身を守る程度のお手伝いとなります」
真由があっさりと退く。
「それでいいのよっ」
エシスが胸を張って得意そうにする。
「――そう簡単な話ではないと思うわね、多分真由さんにサポートして貰う事になるわ」
ラクティが頬に指先を当てて思慮深い瞳をする。
「なんでよっ、あの子くらい、私一人で大丈夫よっ!」
「祖竜の力を使えるようになっている可能性があるわ、だとしたら空間制御を行う事が出来る。私でも出来るのなら、祖竜なら余裕よ」
「うっ……そ、それでも、ラプリアより出力が弱いなら押し返せるもん」
眉をハの字にしながら語尾だけは強める。
ラクティはエシスから真由を向いて、
「真由さん、エシスが先行すると思うけど、後方支援、お願い出来る?」
「はい、問題ありません」
真由が頷く。
「ちょっと、二人で決めないでよっ!」
「落ち着けエシス。妥当な判断だと思うぞ」
食って掛かるエシスを達彦がなだめる。
「なによーっ、私が弱いって言いたいの?」
「そう言う話じゃない、役割分担だ、それに蒼の中にはもう一人いる、だから、一人じゃ危険だ」
蒼の中には『無垢なる物』リルラルが存在していた。
達彦は直接知らないが、厄介な相手だという事は聞いていた。
「それはそうだけど……」
不満そうだったが、エシスはそれ以上何も言わなかった。
リルラルの力を直接見た一人として、改めて危険さを理解したのだろう。
「これで、各自のする事は決まったとして、あと何かある?」
「そうですね、彼方が仮に此方を壊滅させる事が目的だった場合、完全に全力で彼方の存在を消し去る事を良しとしますか? 私は構いませんが、皆さんは気持ち的な問題があるかと」
真由が第三者としての立場から言う。
彼女は個人的な感情を、蒼とラプリアに対して持っていない。
蒼とは一時期同じ学校に居た事があるが、それだけの関係だった。
「そうね、全力を出した所で、向こうを消せるかは分からないけど、本気で敵に回るというなら、私はやるわ、そんなに甘くないから」
「ラクティさん……」
「美佑の気持ちは分かるけど、消すか消されるかになったら、躊躇わない」
言い切るラクティの決意は本物にみえた。
「私は言うまでもなく全力で行くわよ、手加減する理由なんてないしー」
「直接戦う二人がその覚悟なら、問題ありませんね」
「ええ、でも、ひとまずは相手の出方を見るわ、こっちとやり合う覚悟なのは確かだと思うけど、それだけが目的とは思えないから、それを探って戦闘を避けられるなら、それが一番だもの」
「貴方の予想だと、彼方が最初から前振り無しで全力という確率もあり得るのでは?」
「あり得るわね、その時はその時で言ったように全力を出すわ」
「分かりました。――では、私が言う事は何もありません」
「他に何か言う事がある人いる?」
ラクティが四人を見回して言う。
誰も口を開く気配は無かった。
「――特にない感じね、なら、各々明日に備えて。現地周辺までは車で行くから、明日の十時、ここのマンションの地下駐車場に集合で」
「車あるんですか? 誰が運転するんですか?」
美佑が聞く。
達彦宅に車があるという話は聞いた事が無かった。
「レンタカーでいいでしょ、手段は合法じゃないとしても、借りて返せばいいし、免許は達彦持っているでしょ?」
「まぁ、一応」
「それなら問題ないわね。持ってなかったら、私が運転しても良かったけど」
「ラクティさん、運転出来るのですか?」
「機械系の操作は一通り可能よ。免許なんて持っていないけどね」
少し得意そうにラクティが言って、その場はお開きになった。

翌日、達彦とラクティは午前中に近所のレンタカーショップで五人乗りのRVを借り、自宅マンションの地下駐車場への納車に立ち会っていた。
納車サービスは一般的には数日前予約が必要だが、その辺は竜の力である記憶操作の賜物だった。
「では、楽しいご旅行を」
ショップの人間が二台で来たうちの一台で戻り、その場に達彦とラクティだけになる。
ラクティはお気に入りの和洋折衷の着物にミニスカートという格好だった。
凛とした空気を纏い、これから戦う覚悟を決めた顔だ。
達彦がその顔に視線を合わせて、
「お前さ、昨晩あの後、戻っていただろ?」
ラクティが帰宅する場所は、もう一カ所達彦の家とは別に都市部にある大きなデパートがあった。
「ええ」
軽く頷く。
「アレを使う気なのか?」
デパートにはラクティにとって大切なものが隠されていた。
「サラマンダーに言って準備をして来てあるわ、デパートから半径千キロ以内なら一分以内で呼び出し可能よ」
「転送出来るのか?」
「ちょっと違うわ、こちらとは空間尺度が違う異空間に投げてあるだけ、向こうでの一センチがこちらでの一キロくらいで、こちらで千キロ移動しても、向こう では十メートル程度の誤差なの、だから、異空間に居るサラマンダーに本体を移動して貰って、そこにこちらから手を伸ばせば融合可能という話よ」
「それなら、サラマンダーがアレを百メートル移動させれば、一万キロ離れても融合可能って事か?」
「そうね、ただ、サラマンダーが運ぶのだから、待ち時間が必要になるけど」
「だろうな……」
達彦の頭の中でウーパールーパーの縫いぐるみが、でかい荷物をヨチヨチと運ぶ図が浮かんだ。
「今回は戦闘場所が決まっているから、予め亜空間のそのポイントに本体を配置済みよ、だから本当に瞬間でいけるわ」
「そこでサラマンダーが待機しているのか?」
「ええ、サラマンダーとの繋がりを利用しないと異空間の座標を私が特定出来ないから、もちろん直接潜り込んで探すことも出来るけど、それだと手間が増えるでしょ?」
「そうだな」
頷いて、達彦の視線がさまよう。何か言うことをためらっているような雰囲気だった。
「もしかして、心配?」
ラクティの方が達彦の顔を覗き込むようにして視線を合わせる。
「それはな……」
ラクティが準備していることは、彼女への負担がとても大きく、場合によっては取り返しが付かない事態を引き起こす内容だった。
「ありがとう、一応、本体との融合はなるべく控えるわ、これで済めば問題ない訳だし」
ラクティが胸元から銀のシガレットケースのような物を取り出して、中身を達彦に見せた。
そこには赤い液体が入った注射器が三本セットされている。
「それはそれで危険だろ」
「本体と融合するよりはマシよ」
「幾分はな……」
「使わずに勝てる相手ではないわ。それより貴方の用意はいいの? おそらく蒼と会えるのだから、達彦から何か言わないとマズイでしょ?」
「言うべきことは考えてある」
「そう……なら私は達彦を信じているから」
ラクティが柔らかく微笑む。
達彦と蒼とラクティの関係は、ラクティが達彦に告白したことで大きく変わってしまった。達彦はラクティと付き合うことを選び、蒼とは気まずい状態のまま別れていた。達彦的に、うやむやにして放置するというのは問題だと思っていた。
「蒼と話せるようなら答えは出す」
「なら、お願いね。私はラプリアを抑えることになって、そっちに構っていられないかも知れないから」
「ああ」
「じゃ、そろそろみんなが来る頃だから、私はエシスを呼んでくるわ」
「分かった」
ラクティがエレベーターに向かいそのまま階上に消えた。
「――さて、あと、二十分くらいか」
携帯の時計を見て、達彦は全員が揃うのを待った。

「蒼様、準備は?」
「問題ない」
喫茶店の駐車スペースに昨夜と同じ格好の蒼とラプリア、そのマスターであるアルバートが立っていた。
「で、俺は行かなくていいんだな?」
「はい、長距離テレポートを使用する場合、マスターは運べませんから」
「近くまで車で送ることは出来るぞ?」
「いえ、マスターは店番をお願いします」
「俺だけが店に居ても、お客への受けは悪いがな」
アルバートが経営する喫茶店のお客の半分は、ラプリアが居るから来るお客だ。また、日曜日という混雑する日に店員が居なくなるのも問題だった。
「仕方がないと判断、今回の作戦には私の力が必要です」
「それにしても、蒼の力が安定した途端にすぐ動くというのは、随分急ぎだが」
「マスターは急ぐ必要が無いと?」
「そうは言わないが、別に忙しい日じゃなくても」
「いえ、現状、蒼様の本体探索の結果が芳しくなく、本体がリエグ旧跡にある可能性が指摘されている中、アブソリュートの封印解除は最優先で即時に行うべきです」
「まぁ、そりゃ」
「ですので、異論は認めません。現地までは力の温存のため電車で向かいます」
「また堅実な移動手段だな」
「夏場は海水浴場として利用されているため、浜辺近くに駅があり向かう方法として最適と判断しました」
「そうかい、じゃ俺は留守番しておくぜ」
アルバートが踵を返す。
「マスター」
「何だ」
と、呼び止められて足を止める。
「リミッター全解除の許可を」
「全解除は今のお前じゃ無理だろ」
「壊れない程度で加減します。解除許可指示を」
「それ程の相手なのか?」
「何番の解除が必要か現状では判断出来ませんので、全てというだけです」
「分かった、目を閉じろ」
「はい、マスター」
ラプリアが瞳を閉じて頭を垂れる。
アルバートがその頭に手を置いて、
「『無垢なる物』ラプリア・ランプル・エルトリアの機能制限をマスター、アルバートの名において完全解除する事を認める」
「了解。リミッター解除準備確認、エーテルドライブ現状維持」
ラプリアが目を開いてアルバートの元から離れる。
見た目の変化は今のところ何も無かった。
「じゃあ、二人とも行ってこい」
「はい」
「――行ってくる」
アルバートが手を振って店に戻り、残った二人が駅に向かって歩き出した。

達彦達はラプリアが指定したポイントの一キロ手前の路上で車を停めた。
「隔離障壁」
全員が降りた後、真由が一言呟くと車がその場から消え去った。
「対象を不可視にして意思のある者を遠ざける障壁です。そのためハンドルミスなどでこの場所に突っ込んで来る車などには対応出来ません。よろしいですか?」
「それ、どれくらいの確率よ」
ラクティが周りを見渡して言う。
ひなびた田舎の風景が拡がっていた、休耕期の田んぼと数件の民家、それ以外に見えるものは林と遠くの野山くらいなものだった。
人の気配は全く無く、車を停めた道は完全に真っ直ぐで障害物も特に無い。
「この場所の情報がありませんが、短期視覚情報から判断した場合、十万時間に一度の割合です」
「それなら別に心配ないだろ、この道に入ってからすれ違った車が無いし」
達彦が答える。十万時間ということは十年以上だ。
「では、問題ないという事で」
「――じゃ十二時まで後一時間あるけど、すぐに向かう? それとも何か食べたりする?」
ラクティが場にいる五人全員を見渡す。
竜とその眷属、そして『無垢なる物』も、食料を摂る絶対的理由がない存在だったが、既に食事をすることが習慣化している場合、お腹が空くといった感覚がない訳ではなかった。
「いえ、なるべく早く向かうべきだと思います」
メンバーの中で一番人間に近い美佑が、少し焦ったように言う。
「分かったわ、場の確保という意味もあるし、すぐに動くことにしましょう。まず、私とエシスで様子を見て来るから三人は待ってて、何も無ければ携帯で呼ぶから」
「分かった。先に、俺の感覚で二人を捉えたら、そっちに連絡する」
達彦が五人の中では、もっとも遠くの気配を探る事が出来た。
「了解したわ。――行くわよ、エシス」
「分かってるわよっ」
ラクティとエシスの二人が道路を蹴り、電柱まで飛び上がり、その上を目的地まで一直線に駆けて行った。

「……」
「……」
蒼とラプリアの二人は電車に揺られていた。
都心部では、そんなに気にとめる人間も居なかったが、一度列車を乗り換えた辺りからラプリアの姿をチラチラ見る人間が増えていた。
ラプリアは完璧にメイド服を着こなしている外人にしか見えない。
その隣に、いかにも有名私立という雰囲気の制服を着た小学生が座っていれば、目立つのはなおさらだった。
「あいつが言っていたことにも、意味があったということだな」
蒼が呟く。
もし、一定以上に騒がれるようなら記憶処理をする必要があると考える。
「何の事ですか?」
「いや、常識的な行動を取れ、と言われた事を思い出しただけ」
周囲からの視線に気付かない蒼では無かった。
注目されていることに多少の気恥ずかしさを覚えてしまう。
「何故そのような事を?」
ラプリアが小首を傾げる。
「分からないならいい」
「了解」
物珍しげな視線に晒されつつ、二人は目的地まで向かった。

「特に罠の類は無い様子ね」
「そうね」
浜辺にラクティとエシスが立って周囲を見渡していた。
二人が、ラプリアが指定した海岸を竜詩と粒子操作を使い調べた結果、怪しい物は何も無いという結論に至った。
「単に人がいない場所を選んだという事かしら」
海水浴場として整備された浜と防砂林、少し離れた場所には岩場が広がっていた。
海の家的な建物はあるが、今の時期は無人で入り口には板が張られ、浜にも岩場の方にも誰の姿も無かった。
「あとあるとしたら、私の力は炎に関係する物が多いから、その対策?」
「炎に水……理に適ってはいるわね」
浜を歩きつつ海の方を見る。
穏やかな波の低い海だった。水の補給だけは無尽蔵に出来るだろう。
「それで、どうするの? こっちが罠でも仕掛ける?」
「その必要はないわ、下手な小細工が効く相手とは思えないし」
「分かったわ、なら、みんなを呼ぶ?」
「そうね」
ラクティが携帯を取り出して、残りの三人を呼んだ。
海の家を目印に集まる事にして、十五分程待つと三人が浜辺に現れた。
「こっちよっ」
ラクティが気付いて海の家の前から手を振る。
すぐに全員が集まり、建物の前にあるベンチに勝手に座る。
「あと、十五分少々でお昼だけど、まだ、来る気配はないわね」
「そうだな、何も感じない」
達彦が半径四百メートルの気配を探るが特に何もない。
「向こうが来る気なら、こちらが先に気付く事になるけど、みんな心構えはいい?」
「当然よ」
「ええ」
「……はい」
エシス、真由、美佑が答える。
美佑の声は強張り明らかに緊張していた。
「美佑、大丈夫?」
「はい、ただ、会って蒼ちゃんが何て言うかを考えると、会いたいけど怖いような」
会いたい気持ちは急いていたが、それ以上に緊張があるという雰囲気だった。
「会話が出来る雰囲気だと良いのだけど……」
いきなり戦闘というパターンは出来れば避けたい。
最低限相手の目的を探りたいと考えていた。
「――来た」
理解感覚に集中していた達彦が呟く。
「方向と速度は?」
「方向は北東、速度は車程度だ」
「なら、すぐに来るわね、――器官展開」
ラクティの背中に桜色の器官が拡がる。
左右に拡がる翼状の形態で、二つの軸を基部として丸っこい複数のプレートで構成されていた。
「エーテル機関戦闘モードスタンバイっ!」
続けてエシスの背中に光が集まり機械の翼が構成される。
金色の機械フレームに白の羽根が付いた翼だった。『無垢なる物』の翼は基本的にデザインが似ている物が多かった。
二人の背中の物体は、共に特殊な粒子を吸収する外部粒子操作吸収器官であり、竜であるラクティは間粒子を吸収して利用し、『無垢なる物』はエーテル粒子を吸収して利用する事で力を得ていた。
「ん、来たわね」
ラクティの感覚でも二人を捉える。
と、相手の移動が急に止まり、そこからゆっくりになる。
「乗り物を降りた感じね、向こうもこちらに気付かない訳ないのだから、いつ攻撃が来てもいいように備えて」
「随分とゆっくり来る感じね、余裕の徒歩かしら」
「超高速で接近され、即時開戦よりは随分と良いですよ」
真由が身構えつつ言う。
竜の眷属である彼女は、器官を出す事が出来る筈だが、まだ出したところを誰もみた事が無かった。
また、美佑も最近器官を出す事が出来るようになったが、その形状が蒼に似る為、今は好んで出そうとはしない傾向があった。
「そろそろ、見えるかしら」
ラクティが海の家の裏手、防砂林の方を見遣る。
気配はその方向から近づいて来ていた。

「視認」
「エシス以外は任せた」
林の向こう――浜辺の建物の付近に五人の姿があった。
その中に最重要ターゲットを見付けて、蒼とラプリアは戦闘態勢に入る。
「了解です」
ラプリアが背に翼を生やして地面から浮いた。
続いて蒼が左右の腕に攻撃相を形成して地面を蹴る。
二人は一気に五人との距離を縮め、最初にラプリアが仕掛けた。
「偽コア展開」
赤い三つの小さな結晶がラプリアの前に浮かび、それぞれが達彦、真由、美佑に向かって飛んだ。
『蒼様、行きます』
それに合わせて、蒼と融合しているリルラルが、エーテル操作による術を発動させる。
「炎球よ、その姿を躍らせ、降り注げ」
ラクティ達の上空に十センチ程度の小さな火球を呼び出し、五人を追うようにして降らせ爆発させる。
その攻撃によって五人がばらけ、それぞれの立ち位置に距離が開く。
誰もダメージを受けたようには見えなかったが問題はなかった。
ラプリアが一人になったラクティに迫り、
「空間遮蔽」
ラクティだけを取り込み空間を隔絶する。
その半径は十メートル程の比較的小さな遮蔽空間だった。
『空間遮蔽』
同じく蒼も一人になったエシスに迫り、彼女だけを取り込む規模の空間を遮蔽する。
そして、赤く光る三つの結晶体が、それぞれ残り三人を追って三人を閉じ込める遮蔽空間を個別に作り出した。
全てが流れるような瞬時の出来事だった。

「ふーん、こういう手で来るとはね」
ラクティがしてやられたという顔をする。
少し手前に空間を閉じたラプリアが浮かんでいた。
周囲の空間断絶面には、ただ何もない浜辺だけが映っている。
外の情報が見えないようにするための仕掛けが施されている様子だった。
「初めに警告、こちらに積極的交戦の意思無し。但し、一定時間この空間遮蔽を破壊しない事が条件」
蒼と話すのとは少し違う口調でラプリアが告げる。
「そんな条件を飲むと思うの? 個別撃破が目的?」
「条件拒否の場合、攻撃を加える」
ラプリアがラクティに答えることなく淡々と言う。
「あっそ、人形相手に話し掛けても無駄ね」
何も迷うことなく注射器の入ったケースを取り出し、三本を指の股に挟み太腿に突き立てた。
ラプリア相手に悠長に構えている時間は無かった。
赤い液体がラクティの身体に注入される。
「――っ!」
ドクンっと心臓が強く鼓動し、背中の器官が半透明化して一回り大きくなった。
淡い桜色の輝きを宿す。
「一気に行くわよっ!! ――我が敵となる物よ、永遠に凍結せよっ!」
宙に浮くラプリアの周辺が一瞬で凍り付いた。
空気中の物質の大半が凍結して、ラプリアを閉じ込める巨大な氷塊を作り出す。
「重ねて、多段空間断裂」
氷塊がある部分に無数の空間の亀裂を生み出して、氷塊を瞬間的に粉々にする。
当然、中に閉じ込められる形になったラプリアもバラバラになる筈の攻撃だった。
「――って、効く訳ないわね」
氷が砕ける直前に、その中からラプリアの姿が消えた。
「空間歪曲防壁展開っ!」
ラクティが言うのと、彼女の正面にラプリアが出現して右の手刀を振るうのは同時だった。
空間に波紋が出来てラプリアの手刀が弾かれる。
「硬い」
すぐに手刀を返し、今度は真っ直ぐにラクティに向かって突き入れる。
再び空間に波紋が生まれ防壁に手刀の先端がめり込む。
「一撃で防壁を壊せると思ったの? 計算違いだったわね」
「一番リミッター解除」
ラクティの言葉には答えず呟き、それに合わせてラプリアの背中の翼の羽パーツがクリスタル化し、手刀の表層が白く発光した。
空間に広がる波紋が激しく波打ち、そこにある見えない障壁の内側に徐々に手刀が入り込んで行く。
手首まで入った時、ラクティが軽く笑い、
「彼の人形を覆いし全てをねじ曲げる歪曲の表皮よ、我が力を受け入れよ」
ラプリアのためだけに創った竜詩を唱える。ラプリアの身体全体を覆っている『表層絶対空間歪曲防壁』は、あらゆる攻撃をねじ曲げ、ラプリア本体に届かせなくしている。
またラプリアの手刀の攻撃力は、その歪曲面を薄く揃えて空間を切り裂く刃とするものであり、どの道『表層絶対空間歪曲防壁』を何とかしないと、まともに戦えない相手だった。
「!」
ラプリアの顔に僅かに戸惑いの色が浮かんだ。
何かを察したように、即座に手刀を引っ込めようと動く、
「遅いわっ!」
見えない防壁を境にラプリアの手が切断される。
服の袖ごと手首に真っ直ぐ線が入り切り取られた。
「ふふ、どう?」
ラクティは取れたラプリアの手のパーツを地に落ちる前にキャッチして、握手をするようにして握り潰す。
それは脆いプラスチックのように砕けて粉々になった。
「どう? 少しは驚いた?」
「――」
ラプリアは表面上は全く動じた様子なく手の切断面を眺めた。
金属の骨組みと人工筋肉の蠢きが見える。
明らかに砕けた方の手の平とは違う構造体に見えた。
「想定以上の力を観測、要対象情報収集」
「話し合いでもする気になったの?」
「リミッター五番、十五番解除」
ラプリアがラクティの前から一気に後方に退き、残った左手を正面に突き出して広げた。
「限定対象空間内物質質量強制無限増大、及び荷電粒子反発力無効化」
「なっ、星でも創る気っ!? ――我が支配を逃れし世界の間となるモノ、今一度、我が支配へ」
ラクティ本体の周りの一定空間物質――空気、服といった物の重さが急激に増し、合わせてその構成原子が反発力を無効化された事で核融合を始める。
一気に青白く輝き、その輝きの中にラクティは飲み込まれてしまう。
が、その光の中からラクティの器官が左右に大きく広がり、青白い輝きに対抗するようにピンクの輝きを増した。
ピンクに押されるように青い光が消え、その場に轟音と共に風が吹き込む。
中心に居たラクティは無傷だったが着ていた服が完全に燃え尽きていた。
「いくらなんでもやりすぎよ」
裸を隠すことなく言う。
「こちらの詠唱時間内に対応出来ない相手なら情報収集対象外」
ラプリアが冷静に答える。
「随分とハードルの高い要求ね、私じゃなかったら燃え尽きていたわよ」
「貴方が打ち消す可能性は九十八パーセントと予測」
「残り二パーセントで消えたら、どうするつもりだったの?」
「任務妨害対象が排除されていただけ」
「そう、そういう態度なら私も全力で行くわよ、みんなのためにねっ!」
閉鎖された空間を撃破して全員を助けるには、目の前のラプリアを機能停止させるしかなかった。
ラクティの覚悟に合わせて背中の器官が変形を始める。
羽を構成するプレートが伸びて、表面に幾何学的な文様が浮かぶ。
さらに背中から二つの別の基部が生え、それが新たな器官としてプレート翼を展開する。


「私の本来の戦闘スタイルは基本的に立ったまま。それだけの粒子支配力を持つから動く必要がないのよ。突撃近接型の子とは相性最悪だけど」
情報が必要だというラプリアに聞かせるように言って、四つに増えた器官を発光させ背面に大きく拡げて行く。
「貴方の起動に必要な分のエーテルを制御させてもらうわ」
器官がピンク色に強く発光して遮断空間内のエーテルを支配下に置いていく。その作業自体は、戦いが始まった時から互いに行っていたが、その力は拮抗していて、場の有効粒子を半々に別ける形で決着していた。
その均衡をラクティは崩そうとする。しかし、それは防御や直接攻撃に回す力が減ってしまう危険な行為でもあった。
「愚策」
ラプリアがあざけり、隙が出来たラクティに突進する。
エーテル支配が終わるより前に、防御が薄い状態を攻撃すれば一気に片が付くと判断した上での攻撃。その攻撃力は、表層防壁に攻撃性を持たせて体当たりするものであり、対象を確実に切り裂く強さだ。
「素直で助かるわ」
ラクティが攻撃を読んでいたというように言い、フワリと浮き上がって突進をかわした。そのまま宙返りしてラプリアの背後に着地、ラプリアの翼を避けるように屈んで、その腰の下に抱き付いて、彼女の動きを止めた。
「何を?」
「すぐに分かるわよ」
ラクティが自身の輝く器官をラプリアの翼に重ねて、そのまま押し付けた。
するとクリスタル化していた翼が、いきなり元の白いプレートに戻ってしまう。
「!!」
ラプリアの顔に驚きの色が浮かぶ。
「表層に強干渉力感知、絶対空間歪曲防壁維持困難、エーテルドライブ起動維持困難」
「どう? 私の力は?」
「直接干渉」
「そうよ、無線より有線の方が、どんなものでも情報量を多く出来る、つまり接していれば、それだけ効果的という話」
「それでは説明出来ない、出力が一般的竜の範囲から逸脱」
見えているラプリアの姿に、電波状態の悪いテレビのようなノイズが乗る。
「さぁ、そろそろ貴方の本体が現れそうね」
ラプリアは全身を空間防壁が覆っていて、その外側に己の姿を投影している。
外側に投影されている姿が本当の姿なのか、それとも内側に別の姿があるのか、それは制作者とラプリアしか知らないことだった。
「――どの道、規約事項に触れますね」
急にラプリアの雰囲気が蒼と話しているような時に変わる。
「は?」
「手順が一つ変わってしまいますが、想定外の事態である以上仕方ありません、ここで蒼様から離れるわけにはいきませんから」
ラクティを無視して、自分自身に聞かせるように呟き目を閉じる。
「制約規定条件承諾、対竜戦モード始動、対応リミッターオール解除」
そして、目を開けて再び無機質に呟いた。
金属の歯車が回るような音が閉じた空間に響き、境目に映っていた景色が形容しがたい薄闇に変化する。
「秘密の力でも使う気かしら?」
空間の隔離度があがったことをラクティは認識した。
外からの探査を可能な限り妨害している。
「リミッター解除確認、オーバードライブ起動、アビリティーオープン」
「!!?」
突如、莫大な熱量を感じて、ラクティは反射的にラプリアから手を離して空中に飛び退いた。
ラプリアの翼から青白く輝く炎が噴き出し、その炎にラプリア自身が包まれた。
炎の内側は明るすぎて、何が起きているのか分からなくなる。
「流石に大戦時最強のドール、簡単に終わる筈もないようね」
炎が収まるまでに数秒――ラクティは自分が支配しているエーテルが、ラプリアの方へ流れ出すように離れて行くのを感じた。
だが、すぐに奪い返そうとはせずに成り行きを見守る。
「対竜戦モード能力解放完了」
唐突に青白い炎がかき消え、姿を変えたラプリアが現れた。


斬られた右手は再生され、身体は淡くパープルに輝く半透明のスーツに包まれ、手や足には装甲のようにクリスタルと紫色のパーツが張り付き、顔の左右にもクリスタルをはめ込んだパーツが付いて耳の辺りを覆う。
また、翼は背中から離れた位置で二つ浮かび、機械とクリスタルを合わせた流線型の物体に変わっていた。
その姿はどことなく竜の攻撃相を連想させるものだった。
「その姿で対竜モードね……全く、呆れるわ」
ラプリア達『無垢なる物』は竜に似せて創られた存在――その上で元となった竜を超えた存在を創ろうとした制作者もいた。
ラプリアの今の姿は、そんなことを考えた人間が創ったという証に見えた。
竜を超える力を持つ存在の創造。
それは竜からすれば失笑ものの話だった。
「まあ、どの程度なのか、お手並み拝見よ。――大気よ凍り付き飛礫と化せっ!」
場に窒素の小氷塊を大量に出現させて、それを地上のラプリアに向けてシュートする。
「物理衝撃戦闘開始」
ラプリアは頭上から殺到する氷の塊を全く気に留めず、地面を蹴って空中のラクティに向かう。
窒素の氷はラプリア本体に触れる事なく、ぶつかる直前で消えて行く。
ラプリアは再生した右手を覆うクリスタルを変形させて、手の甲から伸びるプレート状の剣を形成、そのまま一気に加速してラクティの胸を狙った突きを放つ。
「空間歪曲障壁っ!」
ラクティが空間防壁を作るが、クリスタルの剣はあっさりとそれを貫いた。
「ちっ」
切っ先が胸に届く寸前に上方に飛び退く。
しかし、空間遮断されている宙は高さ十メートル程で天井だ。
ずっと上に逃げることも出来ない。
「だから、突撃型の子の相手は、あまり得意じゃないって」
逃げたラクティを追ってラプリアが上昇する。
その動きはまるで空力を無視していて、空中で自在に曲がり最短距離でラクティを狙う。
「くっ、防壁多段展開っ!」
多数の空間の壁を作り出すが、その全てをラプリアは無言で次々と貫き破り、ラクティに迫る。
大量の防壁が壊れるまでの時間は稼げるが、数秒でしかない、あとは閉じた空間の中を逃げ回るしかなかった。
「それにしても……」
ラプリアの手の剣は、蒼の攻撃相にそっくりだった。
また、手を覆う装甲は蒼の左手を覆う装甲と似ている部分があった。
仮に蒼という祖竜を参考に創られた存在だとしたら、その力はラクティの想像を超える可能性があった。
「いつまで回避を続ける?」
急にラプリアが動きを止めて言う。
「なに? 疲れたの?」
「そのままその言葉を返す」
ラプリアが冷静に言う。
「……」
「現状、特殊な方法で力を強制的に上げている、しかし、それには限界がある」
「……あら、よく分かるわね」
ラプリアの指摘は事実だった。
今すぐ限界という事はないが決して長く持つものでもなく、限界が来た時の反動は抑えきれないレベルになる筈だった。
「力の秘密を話すなら、とどめを刺すことを止める」
「秘密を話して命乞いでもしろというの?」
「それが賢明な判断」
「大した自信ね、――でも、自信過剰よ」
ラプリアが指揮者のように優雅に両手を振った。
すると、彼女が逃げ回っていた箇所箇所から三十センチ程の人形が出現した。
フリルの付いたドレスを着た可愛い人形が四方合わせて三十体ほどだ。
「一斉光収束攻撃」
人形達から白いレーザービームがラプリアに照射された。
ラプリアも光速攻撃に対応する事は出来ず、全てを表層の絶対防壁で受け止めるしかなかった。
防壁がレーザービームを屈折させてラプリアを中心に四方に光線が飛び散る。
「まっ、予想通りね、反射角から空間断層ベクトル解析」
自分にも飛んでくるレーザービームを空間をねじ曲げて回避し、ラプリアが弾くレーザーの軌道を解析する。
ねじ曲げた空間を膜状にして身体を覆っているのなら、その曲がった方向に対して、曲がった攻撃をすれば、鍵穴に鍵を差し込むように攻撃が通るかも知れない。
それは、ある決まった進入角の攻撃は返せない可能性だった。
「悪い方法ではない」
ラプリアがレーザービームを、ほぼ無視するようにラクティに斬り掛かって来る。
「動いてくれた方がサンプルが取りやすいわ」
ラクティがラプリアの攻撃を空中を鮮やかに飛んで何度も回避する。
回避のタイミングで空間防壁を作り出し、ラプリアの剣の速度を遅くしたり、逸らしたりしていた。
「意味がない行為だと否定はしない、ただ、この空間での私の優位性が覆ることはない」
「そう言われて止めると思うの?」
「機能停止を選択したと判断――支配空間異空間化絶対歪曲面錐型構成」
「なっ!?」
ラプリアの呟きとラクティの驚きは、ほぼ同じタイミングだった。
瞬間、閉じられた空間の空気が異質な物に変わり、ラクティの五感全てが強烈な違和感を覚えた。
宙に浮いていた全てのドールが砂地に落下する。
この世界のモノではない違う世界の空間法則が働いていた。
あらゆる感覚、あらゆる計器が狂ってしまう世界だった。
そして全身を衝撃が貫く。
「っ……ぁ、がっ!」
ラクティの身体に直径三十センチほどの穴が複数開いた。
穴のサイズ的に、もはやその部分が欠けたという状態で、右肩が消失して右手がもげ、左肘と左脇腹が無くなり肘から下が落ち、股間と右太腿の間に穴が開き、左膝が消えそれから下が落下した。
背中側に広がっていた器官と髪も巻き込まれて、散り散りに千切れ飛ぶ。
しかしどこからも血が吹き出る事はなかった。
まるで、消失面を何かが抑えているように、そこの部分の肉がたわむ。
「がぁはっ……がっ、がぁ、ぐぁ!!」
一つ置いて、ラクティが吐血して咳き込む。
それでも他の部分からの出血は無い。
「っ……はぁ、はぁ、形を、決めた……異空間を、作り出したのね……」
血を吐き切って呟く。
左の肺は無傷で残ったので何とか声を出す事が出来た。
「はい。あと一つ錐形状を作れば、竜といえど再生不能の傷となる筈」
ラプリアは、ラクティの失った部分に『その形の空間』を創り出していた。
そこに完全に異質な空間があるため、ラクティの出血は抑えられていた。
近い攻撃方法は異物を肉体に瞬間移動させるタイプの攻撃だが、それ以上に避けよう無い攻撃だった。
「それは、ね」
「もう一度聞く、力の秘密の開示を行うか?」
ラプリアがラクティの眼前にクリスタルの剣を突きつける。
「さっきのが……最終じゃ、なかったの?」
口の端を上げて言う。
隙間から血が垂れた。
「追いつめた方が協力的になる事例が多々メモリー」
「じゃ、逆に……一つ聞くわ」
「会話に費やす時間が多く残っているようには見えない」
「だから、一つと言っているでしょ……異空間創世能力は、ドールが持てるものではない、貴方……何が混じっているの?」
「察している筈、私のコアにはリティス様から授かったイデア干渉コードがインプット済み」
「そう……」
リティスとは蒼の祖竜としての名だ。
リティスを参考にして創ったのではなく、過去にリティス自身が創り上げた物だとすれば今のラプリアの力は納得出来る。
祖竜の力は神と同一といえる力だ。
「この姿を晒す事になったのは想定外。貴方の力は祖竜の力に近い、そんな力が他にある筈がない」
「そう……褒め言葉として聞いておくわ、そんなに私のことを知りたいなら、教えてあげる、どの道この身体じゃ、っ、がはっ……も、もう持たないし」
口から流れる血の量がどっと増えた。
「期待します」
ラプリアが突き付けたクリスタルの剣を少し下げて、僅かに警戒を解く。
「サラマンダー、来て」
ラクティの言葉に合わせて、切っ先と顔との間の空間が裂けた。
「まさか、異空間に異空間で干渉……そんなことが……」
裂け目から別の空間があふれ出して、コンパクトになったラクティの身体を飲み込む。
白い不可視領域が構成され、その場に何も見えなくなった。
「……」
時間にして約十秒の沈黙。
卵を割るように白い空間が砕けて、その中にいた『何か』を認識する前にラプリアの意識回路は途絶えた。

紅蓮の炎が閉じた空間に充ち満ちて、全てを赤く染め上げた。
「はぁ、はぁ……これで、死んだでしょ」
その一カ所、炎の中でも一切燃える事なく宙に浮く存在がいた。
背中に機械の翼を拡げたエシスだった。
「もう終わりか?」
背後で声がして慌てて振り返り、繰り出された一撃を回避する。
「っ、一体なんなの!!?」
空間の炎が徐々に収まり、背後に現れた存在と空中で距離を取る。
エシスの視線の先には、器官を拡げた蒼が浮いていた。
右手からプレート剣を生やし、左手は威圧感のあるガントレットに覆われていた。
燃えさかる炎の中から出現したのに、着ている制服には焦げ目一つなかった。
「数発、お前の攻撃に付き合ったが、これ以上は意味がない様子だな」
「舐めないでよっ!! 攻撃モード制御解除『烈火凛』!」
エシスの手に光が集まり、スパークする光の剣が形作られる。
「特別コード使用、書き込み許可者――フィーヌ・ラキリ、空間制御、ジャンプっ!!」
エシスの姿がその場から消える。
『こんな所でフィーヌの名前を聞くとは思いませんでした、空間跳躍攻撃です、出現ポイントを伝えます』
「ああ」
脳内でリルラルが消えたエシスの出現ポイントを即座に計算して、その場に蒼が剣を振り下ろす。
その剣のラインとエシスの出現は同時だった。
バシュ!!
「なっ!?」
エシスが構えていた光の剣と蒼のプレート剣が交差衝突して激しくスパークする。
反動でエシスの身体が後ろに飛ばされる。
そのまま蒼の方は空中に留まった。
「今の攻撃は、私だけだったら回避出来なかったかも知れない」
「二人がかりなんて、卑怯よっ!」
衝撃を殺すように翼を拡げて宙で止まる。
「そうかも知れない、だが、今は手段を選んでいる場合じゃない」
『決着を付けますか?』
「ああ」
『分かりました。調整はこちらで行います――存分に』
リルラルとの会話を終えてエシスに向かって剣を構える。
「次で終わらせてもらう。――何か言い残す事はあるか?」
「はぁ? ふざけないでよっ!! 私を壊す気っ!?」
エシスが蒼の言葉に激高した。
まだ無傷のエシスに止めを刺すという宣言。
彼女のプライドを傷付けるには十分過ぎた。
「それより酷いことをする、何かあれば聞いておく」
蒼は怒るエシスに対して、あくまで冷静に聞く。
「その言葉そのまま返してあげるわっ!」
「分かった。――範囲空間エーテル強制制御、炎を操る物を拘束せよ」
「っ!!」
エシスの周りから、エシスがエネルギーとして使えるエーテルが消失した。
さらに全身に光る縄のような物が巻き付く。
「こ、このくらいっ!」
必死にエーテルの制御を取り戻して光の縄を切ろうとする。
「――アブソリュートディストーション凍結解除」
その様子を蒼は無視して、右手のプレートを消して代わりに制服のブレザーの下に隠してあった短剣を鞘から抜いた。
柄に細密な彫金のされたその剣の刀身は淡く輝いていた。
「な、なんで、その剣が、まだ……」
エシスの目が驚きで見開かれる。
それは、すでに壊れたと思われていた剣だった。
「リルラルの力は時間への干渉能力」
蒼はそれだけ答えて短剣を構えた。
「それで時間を止めて剣の崩壊を防いだの!?」
アブソリュートディストーションは、その強力な力に対する安全装置として、力を解放してから一定時間内に、剣を支える為の膨大な力を取り込まないと、刀身が崩れてしまう仕掛けがあった。
「この剣の事はお前なら良く知っているはず、そのコアを貰う」
「い、いやっ!」
初めてエシスがひるむ。
蒼はそんなエシスに一気に迫り躊躇いなく胸に切っ先を突き立てた。
まるで水面に刃を入れたように抵抗なく深々と刃がエシスの中に消えて行く。
「っ……あくっ!!」
エシスの身体が雷に打たれたように痙攣して、直後全身が弛緩した。
目から生気が消え、表情が失われる。
コアさえ無事ならどんな状態からでも復活する事が出来る『無垢なる物』の活動を一撃で完全に止めていた。
「コア吸収完了」
短剣をエシスの胸から抜く。
刀身の淡い輝きが消え、代わりに柄に填っていた赤い宝石が内側から輝き始めた。
それは周りを照らすような強い光ではなく、とても幻想的で淡く美しい光。
『目的達成ですね、空間閉鎖を解きます』
リルラルが空間遮断壁を消失させた。
同時に宙に捕らわれていたエシスの身体が砂地にドサリと落ちる。
「……」
周囲を見渡して気配を探る。
ラプリアが閉じた空間が近くに四つ存在していた。
「ラクティとはまだ決着が付かないのか」
『加勢しますか?』
「加勢はしない、テレポートで撤退する、ラプリアと連絡をとってくれ」
空間断絶した後、中のラプリアと連絡を取るにはリルラルのコアリンクを使うしかなかった。
『了解です。――コアリンク開始』
リルラルには妹であるラプリアのコアと自分のコアをリンク出来る特殊な調整がなされている。
そのリンクを使えば、距離や空間を無視して交信する事が可能で、使用に際して集中が必要になるが、二人のうち片方が集中して呼びかければ良いので、片方が戦闘中でも起動さえしていれば繋げる事が出来た。
『――え?』
「どうかした?」
リルラルの驚きの感情が蒼に流れ込む。
『ラプリアのコアが停止しています。蒼様、至急アブソリュートで空間を斬ってください、突入します』
「まさか、ラクティがラプリアを!?」
短剣を構えて空間壁まで飛び、そこを斬り付けて中に突入する。
アブソリュートは容易く空間を切り裂く事が出来る剣でもあった。
「?!!」
入ってすぐ中の空気が違う事に戸惑い、その場の光景に唖然となる。
完全な異世界だった。
地面の筈の砂地は消え、鈍く光る黒い壁に覆われた空間。
ラプリアが閉鎖した空間とは明らかに様相が違う。
「ラクティ……なのか?」
その場に何者かが蒼に背を向ける位置で浮かんでいた。
それはラプリアには全く見えなかったが、かといってラクティとも断定出来ないモノだった。
「貴方が来たという事は、エシスは敵わなかったのね」
その存在が異質で圧倒的な気配と共に振り返る。
顔と声はラクティのものだった。
「その姿……一体何が?」
「これが私の本当の身体であり攻撃相よ」
身体を蒼の方に向ける。
それは全身鎧に近い姿。ただ、金属で出来た鎧という訳ではない、赤黒い鉱物のようなもので出来た複数の細かいパーツが組み合わさり、その表面を脈動する 血管が覆い、腰からは長く太い節のある尻尾が伸び、背中には三角に出っ張った基部から左右合わせて十二枚の光の羽が生えていた。
左右の手と足には凶悪なサイズの黒い爪が伸び、その左の手、人差し指と親指の爪の先で赤い宝石を摘んでいた。
『あれはラプリアのコアですっ!』
リルラルが蒼の中で叫ぶ。
蒼が空間内を見渡すが、ラプリアの身体と思われるものは何一つ無かった。
「ラプリアをどうした? この空間はラクティが創ったのか?」
「あのドールならコアを抜き取って分解したわ、この空間はあのドールが創った閉鎖空間を引き継ぎ改変したものよ、まだ戦う必要があるかも知れないと思ったから、待っていたの」
「つまり、私とか?」
「ここに入って来たということは、エシスを片づけたということでしょ? それとも、真由や美佑も?」
「エシスは倒した」
事実だけを伝えた。
「そう、外で達彦が貴方に話しがあったのに、この状況では無理そうね」
「私に話はない」
今、達彦に会っても、何も言えない自分が想像できた。
「なら、そう伝えておくわ。――ところでその短剣だけど、なぜ起動しているのかしら?」
ラクティの目線が蒼の持つアブソリュートに注がれた。
「起動後に必要なエネルギーを確保したからだ」
「ふーん、じゃあ、エシスのコアを使ったのね」
ラクティが薄く瞳を閉じて軽く頷いた。
「で、蒼は『これ』が欲しい?」
腕を上げて爪先で持つコアを掲げる。
太く尖った先端がコアを危ういバランスで掴んでいた。
少し力を加えれば砕けてしまう、そんな風にしか見えなかった。
『蒼様、ラプリアのコアを奪って、そのまま緊急テレポートします。あの存在の力は異常です、今の蒼様でも……』
『分かってる』
頭の中で答える。
ラクティの気配は今までの彼女の物とは桁が違う大きさだった。
祖竜の力を持つ蒼ですら危険だと思える強さだった。
その上、その気配の性質も竜が敵として狩る魔竜に近い。
『リルラル一枚使うぞ』
『はい、ただ一度エシスの身体の所に飛び、次に長距離ジャンプします』
『何故だ?』
『エシスをラプリアの臨時のボディーにします。コアからの再生を待っていては、今後の活動に支障を来します』
『分かった、じゃ、速攻で仕掛ける』
蒼がアブソリュートを構えた。
その動きにラクティが反応する。
「そう、欲しいという事ね、なら貴方は敵よ」
異形の身体がかき消えた――空間跳躍だった。
蒼の方も同時に特殊な力を発動させた。
それは互いに刹那の争い。
『強制全方向全対象物ディレイ――レベル5』
蒼の左側の機械の翼、それを構成している七枚の羽の内、一枚が消失した。
次の瞬間、蒼の目の前にラクティが転移して来て、その右手を蒼の胸を狙って真っ直ぐ突き出す。
が、その動きが突然スローになった。
「はっ!」
蒼はラプリアのコアを持つラクティの左手を蹴り上げた。
赤い宝石が不思議な程にゆっくりと宙を舞う。
それをガントレットの填った左手でキャッチして、
『リルラル、デュアルコアモードスタートっ!』
『了解、ラプリア、きついと思いますが頑張ってください。――デュアルコアリンク、テレポート!』
ラクティが管理している異空間から元の空間のエシスの身体がある座標に転移する。
「エシス確保、連続長距離テレポートスタート」
浜辺に転がるエシスの身体に蒼が手を当てる。
『はい』
すぐにリルラルが、この場から一気に離れるテレポートを行う。
そして、蒼はエシスの身体ごと浜辺から消え去った。

「っ!!」
ラクティの右手がむなしく宙を突く。
「これは――あの力ね、時間を操れる子はやっかいね」
捕らえた筈のリルラルのコアを掴む事は出来なかった。
「――さて、なら他の事をしないと」
自分を取り巻く異空間を消し去り、同時に高めていた自らの力を抑える。
背中の光の翼が消失するが、鎧を纏ったような攻撃相が消えることはなかった。
ラクティの攻撃相は元に戻すことが出来ないタイプのものだった。
その姿で浜辺を歩き、達彦達を閉じ込めている擬コアによる空間遮蔽を破って回る。
遮断面に右手を突き入れるだけで、そのドーム型の壁は消失して中に閉じ込められた面々が出て来る。
そして、ラクティの変わってしまった姿を見て息を飲んだ。
「本体と融合したんだな……」
詳しく事情を知る達彦が暗い表情を作る。
「状況的に他に方法が無かったから、けど、ラプリアは破壊したわ」
「俺が全然役に立たないせいで、すまない」
「そんなこと気にしてないわ、私一人の方が戦いやすかった面もあるから」
実際、庇う対象がいたら、ラプリアと戦って勝ていたとは思えなかった。
向こうの隔離作戦は、その点では良かったといえた。
「それで、その身体、その、どういう具合なんだ?」
「初めて融合したから勝手が掴めない部分もあるけど、ひとまず元に戻るのは無理そうね、服が着れないのが痛いかしら……ラプリアにお気に入りも燃やされたし」
苦笑いする。
そんな笑い一つで済まされるようなマイナスではないことを達彦は知っていた。
「すまない」
重ねて謝る。
「だから、そんなに気にしてなくていいから。――それより、蒼から一応伝言よ、達彦と話すことはないって」
「会ったのか?」
「ええ、強くなっていたわ」
「そうか……ありがとう」
短く受けた。
今は蒼のことより、目の前のラクティのことの方が重要だった。
「――あの、少しよろしいですか?」
話が切れたとみて、真由が遠慮がちに言う。
「ええ」
「では、まず質問の前に参戦出来なかった事、謝ります。あの赤い宝石――おそらく『無垢なる物』のコピーコアですが、空間遮断だけに特化されていた様子で、その分で非常に強力で破壊に時間が掛かりました」
「別に貴方が謝る事ではないわ、こっちも想定外な事がいろいろあったし」
「すみません。では、質問させてください。エシスさんの姿がありませんが、どうなったかご存じですか? それと、その姿はラクティさんの攻撃相という事ですか?」
「エシスは直接確認してないけど、壊されたか自爆したか、どのみち、もう存在していないわ、蒼がやったみたい。あと、この姿は確かに私の攻撃相よ」
「祖竜エスリートからの知識の中に、今のラクティさんのような姿の竜はいません。一番近い存在は魔竜です」
真由は祖竜の眷属であり、その知識を受け継いでいた。
祖竜は竜を束ねる存在であり、祖竜が知らない竜などいる筈がなかった。
「それはそうでしょうね、けど、ラクティという存在がいる事は知識にあるでしょ?」
「はい、その情報はありますが、その攻撃相に関しての情報が欠落しています」
「話すと面倒なんだけど、元々の私の身体は別の竜の物で、これが私の本来の身体よ。気配や形状が魔竜に近いのは、この身体の維持に人間が必要だったから、と言っても少しずつ大量にだけど」
「人を喰らったという事ですか?」
竜は人を喰らう魔竜を狩る事を一つの使命としている。
しかし、竜にも人を喰らう事は可能で、その方が器官を使った間粒子の吸収よりも、はるかに効率よくエネルギーを得る事が出来た。
「ええ、殺してはいないけど」
「そこまでして、その身体の維持が必要だったと?」
「その事に理由があるとしたら私が死ぬからよ。死にたくないでしょ?」
「情報が少なすぎて判断出来ません。詳しく聞かせてもらえませんか?」
真由が難しい顔をする。
「別にいいけど場所を変えましょう? ここでは目立ち過ぎるし」
記憶操作が行えると言っても、見通しが良すぎる場所で異形を晒し続けるのは躊躇われた。
「分かりました。では、車まで戻りましょう」
「ええ。――達彦は美佑をお願いね」
ラクティと真由の二人が浜辺から跳躍する。
「ああ。――美佑、平気か?」
ずっと黙っている美佑に達彦が声を掛ける。
「あ、すみません、蒼ちゃんが近くに居たのに、私、何も出来なくて」
「気にする事じゃない」
「あ、一応、蒼ちゃんの状態を感じる事は出来ました。繋がりは、まだある様子です」
「そうか……」
美佑は蒼の血を受けて蒼の眷属となっている。
蒼の方が拒否しなければ、近くにいる時、その繋がりによって相手のバイタルステータス的な情報をある程度共有する事が出来た。
「私たちの所に戻って来てくれる可能性があるという事でしょうか?」
「それは……どうだろうな、少なくとも、俺達のような『処理出来る相手』を放置した事はあるが」
完全に敵に回るつもりなら、達彦達を見逃す理由はないだろう。
「私は信じたいです」
「それは、俺もだ。――とりあえず、ラクティ達を追うぞ」
「は、はい」
二人も浜辺から跳躍して車を止めた方へ向かった。

『全ての転移完了――リンク解除、オーバードライブ停止』
「大丈夫か?」
転移を繰り返して、喫茶店のあるビルの屋上に戻って来る。
緊急時に転移だけで帰還する事は想定していたが、『無垢なる物』のコアに負担が大きい事も事実だった。
『まず、余剰エネルギーを放熱します』
蒼の機械の翼の方が大きく広がり、そこから熱風が吹き出る。
『システム正常化へ移行中――蒼様、私は問題ありません、ラプリアの方がリミッターをカットしていたので、連続テレポートの負担が思ったより少なくて済みました』
「なら、ラプリアの方がまずいんじゃないのか?」
手の中にあるラプリアのコアを見る。
表面からは赤い宝石にしか見えないままだった。
『ともかく、翼が冷えたらラプリアのマスターの元に』
「ああ」
拡げた翼から熱の放出が続く。
屋上の一角だけ、まるで夏のような暑さになっていた。
「って、おいっ、緊急事態か!?」
階下に続くドアが乱暴に開いてアルバートが姿を見せた。
「下がっていろ、まだ、冷え切ってない」
蒼がドアの前にいるように命じて、
「状況説明する。ラプリアのボディーが破壊された、コアは無事だ、リルラルの提案でコアを無くしたエシスのボディーを代わりの身体として持って来た」
「ラプリアを壊したって、どんな相手だ?」
ドアの前で信じられないという顔をする。
「相手はラクティだ。それより、ラプリアを戻せるのか?」
再生出来るとは聞いているが、何も語らぬコアだけになってしまったラプリアの事が心配だった。
「可能だが、すぐに言うならここでは無理だ、クレイドルの現行日本支部に行く必要がある」
「それはどこだ?」
「ここからは遠い、とある大半導体工場がある町だ」
「すぐに発てるか?」
「ああ、連絡を付ける、向こうが良いと言えばすぐだ」
「なら、頼む」
「了解」
アルバートが扉の向こうに消えた。
何らかの連絡を取るのだろう。
「……ふぅ」
ラプリアが何とかなると分かり一応の安堵を得る。
『妹を心配してくださって、ありがとう御座います』
「いや、私達だけじゃ、この先の戦力が不安だから」
あくまで合理的な理由を言う。
『そうですね』
リルラルがクスっと笑って同意した。
「なんだ?」
『いえ、蒼様の心の動きは、全てこちらに伝わっているというだけです』
「な、何が言いたいっ」
『いえ、何も』
リルラルはそれきり何も言わなくなってしまう。
「っ、と、とにかく出かける準備をするから」
憮然とした顔で、そろそろ冷えた翼と器官をしまい、蒼は屋上から階下に降った。

2章.使徒

ラクティ達が車で事情を話しながら家まで戻った時には夕方近くになっていた。
「気を遣ったけど、やっぱり内装に傷がついたわね」
地下駐車場でラクティが車から降りる。
尖った装甲や尻尾によってシートなどに傷や穴が開いていた。
「――我の熱の残る物体よ、整っていた時の姿を思い出せ」
竜詩を唱えて傷を修復する。
結果的に完全に新品の状態まで戻ってしまうが、綺麗になっている事に文句を言うレンタルカーショップも無いだろう。
「じゃ、達彦はお店に車を戻して来て、私達は部屋に戻っているから」
「ああ、それで、お前――平気なのか?」
運転席から気遣う表情を見せる。
「調子は悪くないわよ、ただ、かなり強い破壊衝動が暴れているわね。この身体、相当じゃじゃ馬みたい」
その胸に手を当てて、わざと軽い口調で言う。
融合した時から、とにかく力を使いたい衝動に駆られていた。
それは、瞬間的に全てを破壊出来るくらい強力な力のざわめきで、その衝動をどれだけ抑えてられるのか、正直ラクティ自身にも全く判断出来ず、ある意味、笑いがこぼれるくらいに悪い状況だった。
「……これは」
と、達彦の顔が急に強ばる。
「!!」
合わせるように、その場に居た四人が身構えた。
「竜――それも大きいわ」
「二百メートル以内にいきなり来たな、転移か?」
達彦が捕らえられる四百メートルという範囲の外から、突然、二百メートル以内に強い竜の気配が出現した。
「その様子ね、もう来るわよっ!」


次の瞬間、地下駐車場の一角――四人から離れた位置に何者かが転移して来た。
竜は基本、非常に自意識が強く他の竜と仲良くなる事はあまり無い。
故に好んで接触するのは、新たな竜が生まれた時くらいで、それ以外は単独行動が多い。
その上で、このタイミングで接触して来る竜が、現状の事件に無関係とは思えなかった。
「はじめましてなのです。――フィテアと申しますのです」
出現した位置で、ゆったりとした口調で言う。
女性型の竜で、見慣れないが、ベールを被り純白に金の縁取りの修道服というすぐに職業の分かる服装をしていた。
「シスター……?」
大きなトランクを抱えて、ラクティ達に近付いて来る。
その顔がはっきり見える距離に来て、ラクティが息を飲んだ。
「え――」
驚きで完全に固まってしまう。
「えっと……え?」
美佑も戸惑い、他の二人は立ち尽くした。
「ラクティさん、その身体を使ってしまったのですね、ただ、予期はされていた事なのです」
「まさか、フィリア……なの……」
「いえ、フィテアなのです、フィリアは私の妹なのです」
ラクティの目の前にフィテアと名乗る竜が立つ。
その顔は鏡で映したようにラクティとそっくりだった。
ほとんど同じ顔のつくりで、ラクティの方が気持ち釣り目というくらいの差しかない。
「フィリアの姉……けど、竜に姉妹なんて」
「その説明は後なのです。その身体は、いずれラクティさんでは制御出来なくなります。ですので、別の身体を持って来たのです」
「別って、貴方、まさか自分の身体を!?」
異形の身体が小刻みに震えた。
ラクティの脳裏に元の身体を受け取った記憶が蘇る。
それはラクティにとって良い記憶とはいえないものだった。
「いいえ、違うのです。――妹の事は、ラクティさんには何の非もありません、落ち着いてください」
「いえ、アレは私のせいよ、謝れるのなら、ずっと謝りたいと思っていた」
勢い込んで言う。
「そんな必要はないのです。ともかく、落ち着いてくださいなのです」
フィテアが、とても優しく穏やかな口調で言う。
シスターの格好が嘘ではない雰囲気。
「え、ええ、分かったわ、フィテアと言ったかしら、さっきのこと、続きを聞かせて」
ラクティが気を取り直して言う。
「新しい身体を持って来たのです。どこか安全な場所はありますか? あるならすぐにラクティさんの基本構成意志力を、新しい身体に移植可能です」
「竜の力に耐えられる身体って……」
ラクティの視線が自然とフィテアが持っている大きなトランクに注がれる。
身体を折った人間が一人くらい入るサイズのトランクだ。
「はい、この中に入っているのです。この日が来ることを予見して、今のラクティさんのためにだけに創られた身体です」
「私のために創られた身体……? 一体、どんなものなの? 現物を見ないと」
「いえ、ここでは開けられません、高密度エーテルに浸けてあるので、こんなところで開けると、クレイドルが嗅ぎ付けるのです」
「エーテルって『無垢なる物』が入っているの?」
エーテルと言えば、今はリエグが創り出した『無垢なる物』関係以外ではあまり聞かない言葉だった。
「違いはしないのです」
「素体ということね、けど、そんなもの誰が?」
「リティス様です」
「リティスが? 込み入った話になりそうね、じゃ」
ラクティが色々と理解したという顔をして、
「達彦、悪いけどデパートまで車を回して、あそこでトランクを開けるから」
未だ唖然としている達彦に声を掛けた。
「いや、それはいいが、今の話は何だ? そちらの竜とは知り合いなのか?」
「知り合いではないけど、とても深い知り合いよ、肉親ともいえるかも知れないわ」
可能性としては、フィテアとラクティと血が繋がっているかも知れなかった。
「どういう意味だ?」
「とにかく信用出来る相手よ。私に似ていることを、その証明だと思って」
「……」
ラクティとフィテアの顔を見比べる。
まるで双子だった。
誰が見ても無関係とは思わないレベルだ。
「――分かった。なら、乗ってくれ」
後部座席のドアを開ける。
「じゃあ、二人は待ってて、急な展開でごめんね」
ラクティが美佑と真由に言う。
「あ、いえ」
「どの程度で戻りますか? 仮に帰還しない時は、こちらから向かう事になるので」
真由があくまで警戒している様子で問う。
「多分二時間くらいね、事が落ち着いたら一度電話するわ」
「分かりました。では三時間戻って来ない場合は、こちらから向かいます」
「うん、そうして。――なら、行ってくるわね」
ラクティが内装を引っ掻かないようにして車に乗り込む。
その隣に、フィテアが乗ろうとして、
「フィテアは前に乗ったら? トランクだけ後ろに置いて」
「つめれば、隣に乗れそうなのです」
「ううん、私の隣だと痛いわよ、つめたらなおさら」
自分の尖った外装を示して言う。
「あ、では――」
大きなトランクだけをラクティの隣に乗せて、
「失礼するのです」
フィテアは達彦の隣に乗った。
「えっと、フィテアさんだっけ? 俺は達彦だ」
「はい、祖竜一柱、リブオール様ですね、お目に掛かれて光栄なのです」
「ほとんど自覚は無いけどな」
「まだ時が来ていないという事なのです」
訳知り顔で言う。
「時か……いろいろと知っている感じだな?」
「私がここに来たことは、歯車が一つ回った事を意味しているのです。今、各地で他の歯車も回り始めているのです。私はラクティさんに対する鍵、貴方様の鍵は、また別の形で現れる事になるのです」
まるで説法を語るように笑顔で言葉を滑らせる。
「つまり、詳しく話す気はないという事だな?」
「それは私の役目ではないという事なのです」
「そうか分かった。――じゃ、出すぞ」
何かが動き始めている事は、当事者として実感を持って分かる事だった。
この先、何があるのか分からないが、今はラクティの事を何とかするのが先決だった。
達彦は車を出して、ラクティの住処である街のデパートを目指した。

蒼達はアルバートが運転する車で高速道路を走っていた。
「あとどのくらいで着くんだ?」
明らかに焦った様子で助手席の蒼が聞く。
「次の次のインターを降りたらすぐだ」
「――まだ掛かるな」
『蒼様、ここは焦っても仕方ないところです』
リルラルが脳内で静めるように言う。
「外向けは普通の半導体工場だからな、着いて騒ぐなよ」
「分かってる」
「それと、クレイドルの最高幹部の一人と会う事になる、日本支部は一年前に壊滅した後、本体から幹部が派遣されて立て直しの最中だからな」
「別に興味ない」
蒼当人としては『無垢なる物』の大半が敵としているクレイドルに関して、別段特別な感情は持って居なかった。
今、自身の身体を探す為にラプリアが属しているクレイドル側にいるだけのつもりだった。
「いや、多分そういう訳にもいかないと思うから予め言っておく」
「何だ、勿体ぶるな」
「いま日本に来ているクレイドルの幹部は、お前達が魔竜と呼んでいる存在の人型だ」
「そうか……」
微妙な顔をする。
「驚かないのか?」
「いや、竜に対するクレイドルの姿勢が変わってから、そんな気はしていた」
薄々気づいていた事だった。
リエグが滅んだ時から続く組織の構成員が人間だけの筈がない。
竜に味方している存在はいない筈だから、そうなると選択肢は限られて来る。
「察しが良いんだな、あと組織の話になるが、ベリテッド協会という竜案件部門のトップでもある、他の部署との意見の差はあるが、現状はベリテッド部の意見が大勢になりつつある」
「つまり、それだけ竜を重要視する流れということか」
魔竜が以前交戦したベリテッド協会のトップだというなら非常に分かりやすい。
クレイドルが竜を捕まえようとする行動も理解出来た。
魔竜からすれば竜は完全な敵だった。
「竜は魔竜を狩っているんだろ? 思ったより反応が薄いな」
「大戦時の記憶が無い訳じゃない。リティスの時の記憶が全てある訳ではないが、リルラルの記憶だけでも分かる、私は当時、魔竜に味方したんだろ?」
「そこまでの記憶があるのか、まぁ、俺は当時の事は知らないが、その時の恩でお前の身体を戻そうとしていると聞いた」
「なら、私が会った事がある魔竜という事だな」
記憶を探ってみる。
大戦の時にリティスとして存在していた蒼の記憶は、身体と力と知識を分断された時にかなり消えていた。
ここで言う知識は、あくまで祖竜として知っているべき事であり、記憶とは違うものだった。
その為、当時の事を思い出すには、融合したリルラルの記憶を頼りに自分の記憶の隙間を埋めるような作業をする必要があった。
「……」
「何か思い出したか?」
「いや、直接会えば分かると思う」
探った記憶の中で、リティスの願いの為にクレイドルと組み、結果魔竜とも組む事になった事実を思い出す。
その事で他の祖竜達と敵対し、身体を分離封印されるという結果を生んだ。
『なら、身体を取り戻したとして、私は当時の目的を再び遂行する必要があるのだろうか?』
頭の中でリルラルに聞く。
『それは蒼様次第です。今の私は蒼様に従いますし、ラプリアも蒼様に従う筈です』
『マスターが違う考えだったとしてもか?』
『その確率が高いと思います』
『そこまでするのは、過去の何かなのか?』
『いえ、私達の役割は私の記憶を調べて分かっている事だと思います』
『……』
蒼は黙った。
リルラル達が存在する理由は、リティスの為と言っていいものだった。
しかし、今の蒼はリティスの記憶も考え方も受け継いではいない、そんな自分が自分の意志で行動した時に、リルラル達が付いて来る理由は無い気がしていた。
『どうなったとしても、私は蒼様と一つの身体です。違う道を進む事など出来ません』
『分かってる』
自分の決断が二人の道を決めるのなら、もっと色々と知り、その上で目指す事を決定する必要があると思った。
そして、過去を知る魔竜と会えば、リティスが目指した事の再確認を行う事が出来るだろう。
また祖竜の知識を得てから、ずっと一人で考えていることの答えが見付かるかも知れない気もした。
「いい機会ということか……」
呟き、窓の外を流れて行く景色を目で追った。

デパートの地下、隠し部屋の宝物庫を三人が進む。
大量のロッカーが蛍光灯の白い光の下、整然と並んでいる空間だ。
「全てに集めたものが入っているのですか?」
「ええ、人形が多いわ、後は衣装と装飾品、それ以外は竜が作った小物とか、無垢なる物のパーツも少しはあるわね」
「そうなのですか」
「実験室はこっち、下の階よ」
ラクティが階段を降りて行く。
残りの二人はそれに続いた。
と、階段の下には縫いぐるみのサラマンダーが待っていた。
「色々とご苦労さま、実験室使うから付いて来て」
ラクティが優しく微笑むと、サラマンダーがその横に並んで歩き出した。
上階と変わって、どこかの化学工場の中のような空間を進む。
「遠隔人形なのですか?」
フィテアが興味深そうにサラマンダーを見る。
「まぁ、そんなものね」
歩きながら答える。
「可愛らしくて良いですね」
「ありがとう。――着いたわ、ここよ」
ラクティが手術室の前にあるような金属製の気密扉を開く。
中は特に何もない白い部屋だった。
「何もないな」
達彦は前に来た時に別の二部屋に案内されていたが、それとはかなり印象の違う部屋だった。
「あえて何もないのよ。達彦はサラマンダーと一緒に隣の部屋に居て」
ラクティが部屋の一カ所を指さすと、そこに扉が生まれた。
「ああ」
言われたように扉を開けて隣の部屋に移動する。
そこは、狭い部屋の中にピアノの鍵盤のような操作盤が置かれた部屋だった。
扉が閉まると暗くなり、サラマンダーが操作盤を弄ると壁の一面がガラスのように変化して、ラクティ達が居る部屋の様子を見る事が出来るようになった。
『達彦達はそっちで見ていて、こちら側で何が起きても、そちらに被害はない筈だから』
ラクティの声が少し遠く響いた。
隣の部屋の声が直接聞こえている訳ではなく、そこで拾った音を何かの方法で、達彦達が居る部屋に伝えている感じだった。
『サラマンダー、気密して』
サラマンダーが操作盤を押す。
すると、三人で入って来た気密扉の上にさらにシャッターが降りて、周りの白い壁と一体化した。
『じゃ、フィテアお願い、この部屋はあらゆる気配や力を遮断しているから、エーテルが漏れる心配もないわ』
『分かりましたなのです。――では』
フィテアが持ってきた大きなトランクを開いて行く。
何カ所もベルトで閉められ、かなり厳重な封がされているものだった。
全てのベルトが解かれ蓋が持ち上がる。
達彦達から中が見える位置でそれは開いた。
「おお」
思わず吐息が漏れる程に美しい裸の金髪の少女が入っていた。
人型の何かが入っている事は予想していたので、その分の驚きは少なかったが、神々しいまでの静かな輝きを放つ均整さに魅入るしかなかった。
『ミシリア・リキス・ユーリ――『透明な闇石』、ユーリ作の最後で最高の竜を核とする『無垢なる物』なのです』
『待って、その名前、私の記憶が正しいなら、レーナの妹で大戦時にラプリアと差し違えて消滅したドールじゃ?』
『はい、レーナの妹としてのミシリアは、暴走していたラプリアを停止して、さらにラプリアの本当の姿を隠す為に、そのコアと融合して消滅しました。ですから、ラプリアを壊されることなく現在まで保つことが出来たのです』
『どういう事?』
フィテアの言った単語の意味は分かったが、それが結果としてどういう意味なのかは全く分からない話だった。
『ラプリアの暴走はバグだったという事なのです。それを抑える為にミシリアが犠牲となり、結果、コアを失ったこの身体をユーリ様が後に起きる事の為に特別に作り替えて、私に託したという話なのです』
『待って、話が見えないわ、ラプリアとミシリアは何なの?』
『ラプリアは、リティス様が五竜内の三体を葬る為に創り出した竜の眷属としての最強の『無垢なる物』です。ただ、制作に失敗して暴走という結果を招き、保 険として創られていたミシリアが自分の身を挺して停止させ、さらに他の五竜に目的を悟られる事を防いだのです。知られていればラプリアのコアが残る事は無 かった筈なのです』
『ラプリアは、それ程の存在なの? でも待って、貴方は最初に、これは私の為に創られたボディーだと言ったわよね? その時から私の事がリティスに知れていたという事?』
ラクティが素早く状況を整理して、自分に関係ある疑問点を見付け出す。
少なくても彼女には話の意味が理解出来たようだった。
『リティス様の五竜としての力は運命確定予知です、また五竜筆頭メリアシスク様の力は決定未来創造です。二人の力は同時に存在出来ず同時にしか存在しませ ん。故に互いに絶対では無い事を示しています。そのリティス様が自らの運命を予知して、その予知のライン中に存在した全てに保険を掛けた事の中にラクティ さんがいるのです』
『全てこうなると分かっていたというの? けど、ラプリアの制作に失敗する事が分かっていたなら、そもそも創る必要が』
『ですから、それが力の限界、絶対では無い事の証です。逆を言えばメリアシスク様も全て分かっていた中で発生したバグ。そのバグまで予知して保険を掛けたという事なのです』
『頭の痛くなる話ね……なら、大戦から三千年という時間にも意味があるのよね? 私が生まれた時に、すぐにミシリアを持って来なかった理由が?』
『はい、一つにはラクティさんのその身体が、リティス様の器として成長するまでの時間なのです』
『え――?』
サラッと言われた内容にラクティが固まる。
それは自身の存在を否定された事と同等の意味だった。
代用品だという宣告。
『その身体は、もしリティス様の真なる器が発見出来ない及び消滅していた時の保険なのです。ですから、ラクティさん自身が自ら使われていると、困るのです』
明らかにラクティにとってショックな事を、フィテアは元々の笑顔のまま喋る。
『そう……つまり、私がこの身体を維持していた事は、最初から仕組まれていたという事なのね? フィリアを犠牲にしてまで』
ラクティが下を向き震える声で紡ぐ。
『はい』
フィテアはニッコリと頷いた。
『そう、じゃ、貴方とフィリアが姉妹だというのは?』
実質、個別に生まれる竜に姉妹などは普通、存在しない。
『一つの竜を二つに別けて育てた結果なのです。その片方が、よりラクティさんと適合度が高かったと言えば、理解して貰えると思うのです』
『そんなことまでされて、貴方はリティスに従っているというの?』
ラクティの声には敵意に近いものが含まれていた。
『私はリティス様の使徒なのです。それは妹も同じ、どんな犠牲も惜しみません』
迷いの無い宣言。
『…………』
沈黙。
聞いていた達彦も一度黙るしかない展開だった。
ラクティの身体を後で使う為に分離して、その為に身体を犠牲にした存在が居て、犠牲となった身体の姉が、その事実を笑って話すという現実。
示される結論は――狂信。
リティスの使徒という言葉に偽りはないのだろう。
故に、ラクティ本人の気持ちは全く考えていない所行だった。
『話はもう良いですか? そろそろ身体の取り替え作業に移りたいと思うのです』
平然とフィテアが言う。
『そうね、今後のためにもう少し聞きたい気もするけど、もういいわ、狂った計画が進行しているという事だけ分かれば』
下を向いたまま静かに答える。
『え? それは?』
『達彦、何かあった場合、後はサラマンダーに聞いて、今のその子は私の存在を無視して存在可能だから』
「ラクティ、おいっ!! まてっ!!」
すぐに何をする気なのか分かってしまう。
隔てるガラスをドンドンと叩く。
『そっちの部屋はサラマンダー用だから、達彦の声は聞こえないわ、けど、心配してくれてありがとう』
ラクティが達彦の方を向いて微笑む。
それが合図だった。
一拍の間の後――。
『ざけんなっ!!』
怒号と共に右の拳がフィテアの顔面を捕らえた。

過疎の町が対策として町全体で企業誘致を行う。
そんなよくある話を利用して、八ヶ月前にクレイドルは、とある町に巨大な半導体工場を建設した。
表向きはクレイドルと全く関係ない企業が建てた工場という事になっているが、現実は崩壊した日本支部の替わりとして、それは建てられていた。
工場は実際に半導体を製造している部署と、製品の研究開発を行う部署で別の建物になっており、研究開発部署は企業秘密の名目で特別な社員ではないと入れないエリアが多数あり、その最も奥にある建物の中の通路を蒼とアルバートは進んでいた。
車に乗せて運んで来たエシスのボディーは、工場についた時点で検査のために回収され二人の元には無かった。
「普通の研究施設だな……」
蒼が建物の感想を漏らす。
研究棟の内部は病院に似た内装で、ある意味とても健全な研究施設にみえた。
「まぁ、偽装している事もあるし、ここは一応『無垢なる物』の研究開発所だからな」
「開発という事は、あの複製コアや粗悪なドールを作っているという事か?」
「そうだ、まだゼロから完全なコアを作る事が出来ていないがな。――と、ここだ」
一つの扉の前でアルバートが立ち止まる。
扉にはインターホンがあり、
「参上しました」
『うむ、入れ』
短いやり取りでアルバートが扉を開ける。
中はいきなり竹が植わり視界を塞ぐ空間だった。
くの字の小道の周りに竹が植わり、そこを抜けると広い日本庭園が現れた。
天井は無く冬の宵闇の空が広がり、庭園の所々にあるライトが全体を幻想的に照らしていた。
その中央部に吹き抜けの東屋があり、腰掛けに一人の幼い和服少女が座っていた。
そこから明らかに異質な気配が立ちこめ、庭全体に緊張感を作り出している。
二人は飛び石の上を東屋まで進み、和服の少女と対面した。
「よう来たのぅ、主とは三千年振りかの、余の事を覚えておるか?」
少女はよく見ると袂から沢山のコードが伸びて腰掛けの一部と繋がっていた。
「……アルジアス」
少女の姿を見た途端、蒼の中で一つの記憶が蘇った。
昔、共に戦った戦友ともいえる存在だった。
「そうか、覚えていてくれて嬉しいぞ、では余の事はアルでよい、今の主の事はなんと呼べば良い?」
「蒼と呼んでくれ」
「蒼か、分かったぞ」
「そうか、そういう事か……それで、アルが動いているんだな」
蒼の中で過去の様々な記憶が、一つの切っ掛けを呼び水にして蘇って来る。
全てを思い出した訳でないが、アルジアスのやろうとしている事はしっかりと思い出した。
「まぁ、昔話をしている場合ではない、ラプリアの再生で来たのじゃったな」
「可能なのか?」
「ひとまず、ラプリアのコアを貸すのじゃ」
「ああ」
指輪ケースに入れてブレザーの内側にしまっていたラプリアのコアを差し出す。
「うむ」
それを受け取ったアルの手には手首までコードが絡んでいるのが見えた。
「このコードが気になるか?」
蒼の視線に気付いたように言う。
「これはのぅ、余の身体が限界という事じゃ、それに最近ちと無理してのぅ、身体を留めておく力が減っておる」
「大丈夫なのか?」
「なに、手は打ってある。それより、これじゃと……まぁ、問題なかろう」
コアをまじまじと見て言う。
「戻るのか?」
「完全に同じ状態までは無理じゃが、戦闘可能な程度までは戻せるじゃろう。エルトリアとリムシィートの作風は近いからのぅ。――では、預かるぞ」
ラプリアの作者がエルトリアであり、エシスの作者がリムシィートだった。
「ああ、任せる、どの程度で戻る?」
「エシスの身体損傷が軽度じゃから、ラプリア自体が、どの程度まで自己復元をしたいかによるな、見た目まで元の姿に近付けようとするなら、素材をエーテルで再構築するのに、まぁ、三日程度じゃろ」
「分かった」
蒼の感覚的には、特別短くも長くもない時間だった。
「しかし、身体があって良かったが、ラプリアを壊せる相手がいるとは驚きじゃな、他の五竜が動いた訳でもないじゃろ?」
「以前ベリテッド協会と交戦したラクティという竜だ。アルなら情報が入っている筈だと思う」
「アレか、この時期にラプリアを倒せる程の竜の出現……織り込み済みの存在という事じゃろうな……」
薄く瞳を閉じてアルが言う。
「どういう意味だ?」
「主の記憶がどの程度戻っておるか知らぬが、リティスはあらゆる可能性を予測して策を巡らせた、その一つかも知れぬという話じゃ」
「私が?」
「その様子じゃと記憶は断片的か……大戦の時、主が作った復活計画じゃ、ラプリアの破壊までは想定外かも知れぬが、それが出来る程強い竜の出現は計画に織り込まれている可能性が高い」
「ラクティが……」
思う事は、偶然の出会いだったとは言えない気がする点だった。
竜同士が出会う事は極めて稀であり、蒼は一年半近く前にキーとなる存在の達彦と出会っていた。
予測された計画があると知った上で、続けてラクティに出会った事が全くの偶然だと思うのは不自然な気がした。
「一体、何のために」
「そこまでは分からぬが、味方としての手勢、或いは喰うための食料……」
「……」
現状、どちらも有り得ない気がしていた。
敵対したと言っても、ラクティを喰らう気にはなれなかった。
「ともかくじゃ、三日はここにおるじゃろ? その間はゆるりとして行け、本当なら手合わせしたいところじゃが、この有様でな」
繋がったコードの束を見せる。
集中すれば、そこに力の流れがある事が分かった。
「――本当に大丈夫なのか?」
「そうじゃな、今のラプリアよりはマシじゃ、心配はいらぬ」
「ならいいんだが」
「では、これで話は終わりじゃ、アルバートもご苦労」
蒼の後ろに控えていたアルバートに労いの言葉を掛ける。
「はい、有り難う御座います」
「滞在の部屋は係の者に言ってある、ここを出たら案内がいる筈じゃ」
「分かりました」
「うむ、では、またな」
蒼達はアルに見送られて庭園を出た。
すると、入って来た扉の脇に白衣を着た少女が立っていた。
一見すると施設の研究員のように見えたが、まだ十七~八という年齢だった。
「はじめまして、蒼様。シムリナ・ニース・リムシィート『無垢なる物』です。アル様の命でお二人のお世話を担当いたします。アルバート様はお久し振りです」
丁寧にお辞儀する。
「まだ『無垢なる物』がいたのか」
現存している『無垢なる物』の大半がレーナ達の側に着いていると思っていた。
「私はコアだけで保管されていたドールですので、身体を創って頂いたクレイドル側に付いております。とはいえ、戦闘用ではないため、今は主にアル様の秘書的役目を担っております」
「出来る娘だぞ、元はクレイドルユーラシア本部に居た娘だからな」
「そんな存在が日本に来ているという事は、逆を言えば、日本が色々な意味で最前線という事だな」
「それは、アル様がこちらに来ていらっしゃる事でお分かりだと存じます」
「そうだな」
「それでは、お部屋の方にご案内いたします」
シムリナの先導で先に進む。
階を上がり一つの通路の先を曲がった所で、それまでの研究所というイメージから、ホテルというイメージに床と廊下が変化する。
「この先は応接用のフロアとなっております。部屋は二部屋用意致しましたが、よろしいでしょうか?」
「ああ」
アルバートと一緒の部屋で寝るつもりは無かった。
「では、まずは蒼様のお部屋の方へ、ご案内いたします」
そう言われて通された部屋は十二畳程度のワンルーム空間だった。
特別高級という感じはないが、普通のシティホテル風の部屋だと思えた。
「――では、ご用があれば室内のインターホンにて伺います」
「ああ」
シムリナが出て行き、アルバートと別の部屋に向かった。
蒼は室内のソファーに腰掛ける。部屋の窓からは工場敷地内の建物群が見えた。
『蒼様、ここは相当に警備が厳重な様子です』
『そうだな』
脳内でリルラルと会話する。
『先程の庭園は空も地下も竜詩によって完全に閉鎖されていました。あの場に魔竜が居る事、おそらくどんな存在も気付きません』
『アルがクレイドルにとって重要な存在だという事だろ、当時から生きている存在はクレイドル内でも少ない筈だ』
『クレイドル内では、私の知る範囲では『無垢なる物』を除けばアル様だけです。他、記憶を継承している存在がいると聞いていますが、身体は代替わりしています』
『少し聞いていいか? クレイドルには正直興味が無かったが、アルがいるなら少し知っておきたい』
蒼は自分の目的の為にクレイドル側にいるだけで、クレイドルに積極的に関わろうとは、この一ヶ月しないでいた。
だからリルラルの中にあるクレイドルの情報について探る事もしなかった。
『何を知りたいのですか?』
『クレイドルの目的は『無垢になる物』のコアを集めて、運命を計算するシステムを構築することの筈だ、今、その計画はどの程度進んでいる? そして、クレイドルが所有するドールは一体、何体いる?』
『ラプリアの情報からお伝えすることになりますが、システムの構築は八十五パーセントほどです。それからクレイドルが持つドールの数は不明です。壊れたコ アをある程度回復させる技術が確立した為、クレイドルが保管していた壊れたコアが復活しているからです』
『コアの再生か……』
以前のレーナの電話を思い出す。
話し方からしてコアを修復するのはかなり難しいことの筈だった。
『その技術が最近確立したのは何故だ? 単にずっと研究していた成果が実ったということか?』
色々とタイミングが良すぎる気がした。
『クレイドルが保管していた『無垢なる物』の一体に施されていた特殊詩編封印が解けた事が切っ掛けです、その『無垢なる物』は本来『無垢なる物』が知り得ない『無垢なる物』の製造方法に関する知識を有していました』
『それは明らかに今という時期を予測して仕組まれていたと見るべきだな』
達彦とエスリートと出会ったことから全てが始まっているとすれば、裏で祖竜が動いているのは確かだろう。
そして、自分の過去の姿であるリティスが噛んでいることも、間違いないと思った。
『はい、現状までは、リティス様の運命確定予知能力の予測範囲内の出来事です』
『私とリルラルが融合し、アブソリュートの力の解放、そして封印解除まで進む流れが、この先あるということだな』
『予知した未来は、そこまで具体的ではありません、ただ、蒼様がリティス様の力を取り戻すことが、確定予測されているだけです』
『分かった。ところで、リエグでエシスクラスの『無垢なる物』は何体程度創られたんだ?』
竜に対抗出来る相手の数を知りたかった。
『私達を入れるとして六体程度の筈です。私が知る六体の内一体を除けば現在も活動しています』
『ラプリア、リルラル、レーナ、封印の門番、あとは誰だ?』
蒼もその内の四体には心当たりがあった。
『クレイドル日本支部が壊滅した事件、あの時の『始まりの無垢なるモノ』であるフィーヌ・ラキリ・オプティーの起動と存在が確認されました』
『そうか、そうだったな』
エシスとの戦いの時に彼女が口にした名前であり『無垢なる物』なら必ず知っている存在だった。蒼もリルラルと融合して、知識のフィードバックとしては知っていたが、自分で思考したことはなかった。
『エシスが名を口走った点からしても、やはり復活は本当だった様子です。ラプリアが起動した時の最初の任務はフィーヌの探索でしたが、レーナ側が隠している為、現在発見出来ていません』
『ひとまず、それは例外として、今起動していないあと一体のドールとは?』
『大戦時にラプリアと差し違えたレーナの妹、ミシリアです。その強さは差し違えたということから分かると思います』
『レーナの妹か、分かった、ありがとう』
『いえ』
『今のところ脅威といえるのは、まず封印の門番、その上でレーナ側がどこまで妨害して来るか、だな』
『レーナは、私達が封印を解こうとすれば確実に動きます』
『出来れば気取られる前に一気に解いてしまいたいが』
『それはそうですが、封印内に蒼様の身体があったとしても、すぐに発見出来る確率は低い筈です、封印内部の詳しい構造は未知ですが、封印に関わった当時の リエグ人の証言記録では、内部は階層迷宮化しており、危険な物ほど内部の深い層に安置されているそうなので、入ってすぐの部分には、おそらく廃棄された量 産型の『無垢なる物』が居るだけかと』
『本体発見に時間が掛かればレーナとの交戦確率が上がるという事だな』
知人であるレーナとの交戦は出来れば避けたい思いがあった。
『そうなりますね』
『いっそ、封印目録でも作っていてくれれば封印を解く必要もないかも知れないのに』
『封印の門番が知っている可能性もありますが、口を割ることは無いでしょう』
『なら、封印の門番だけを倒して、そのコアから情報を得れば次の争いを避けられる可能性はあるな』
アブソリュートがある前提なら、どんな『無垢なる物』でも勝てる筈だった。
『いえ、クレイドルからの横槍がすぐに入ると思います。クレイドル目的はリエグの力の復興、そして未起動の『無垢なる者』の確保ですから』
『あ、そうか……』
失念していた。
クレイドルからすれば、蒼が封印の門番を倒せば、大歓迎ということだ。
即座に封印内の遺産に手を付けることになるだろう。
『クレイドル側の目論みに蒼様が協力するというのなら別ですが、封印の門番を倒してしまうのは得策ではありません』
『じゃ、リルラルやラプリアは封印を解く事に反対なのか?』
『私の場合は何とも言えません、蒼様の意識の影響を受けていますから、ただ、ラプリアは基本はマスターの意志に従うため、今のところは封印解除に賛成の筈です』
『そうか、分かった。ありがとう、今はもういい』
『はい』
脳内でリルラルが静かになる。
蒼はしばらく一人で、これからの事について考える事にした。

アルバートに充てられた部屋の入り口。
「そうか、ありがとう」
「それで、どこまで傍観しているつもりなのでしょうか?」
アルバートにシムリナが小さな記録媒体を渡した。
そのまま小声で会話を続ける。
「全てに平等が存在の意味という事を考えてくれ、おそらく、しばらくは動かないだろう」
「分かりました。――では、また」
シムリナが離れてアルバートが部屋に入った。
「均衡が崩れる時か、果たしてどちらが望んだ未来だったんだろうな」

壁まで吹っ飛んだフィテアが、赤くなった鼻頭を押さえて立ち上がる。
「突然、何をなさるのですか?」
驚いている様子はあったが、怒っている感じはまるでなかった。
「私が殴った理由が分からない貴方だから殴ったのよ」
「どういう意味か理解出来ないのです」
「だったら分かるように言ってあげるわ。この身体を交換するつもりはない、それだけの事よっ!」
フィテアの説明を聞いて素直に身体を返す気になれる筈がなかった。
何よりも今はプライドの方が重要だった。
ここで身体を返せば、自分は最初からずっと他人に操られていたのを認めることになってしまう。
「どういう事なのですか? その身体に意識を宿していると、早期に死んでしまう事は理解していると思うのです」
「でしょうね」
力は充ち満ちていたが、その満ちている力が恐ろしい速度で消費されている事も感じていた。
「それに、おそらくラクティさんの性格も変わってしまいます。リティス様でしか、その身体に宿る『人を喰らった禍』を抑える事は出来ないのです」
「それは要するに、このままだと死ななくても、魔竜化してしまうという事ね」
その実感もあった。
まるで、逃げられない獲物を前に狂乱する狩人のような心の昂ぶりが、ずっと内に存在していた。
「はい、ですから、その身体をこちらに渡してください。その事に何の損失もない筈なのです」
「何の損失もない? よく、そんな事が言えるわね」
もう一発殴りたくなってしまう。
「どういう意味なのですか?」
「それに答えるのも面倒になるくらい頭に来る話だという事よ。失う物はあるわ、タップリとね」
「ああ、もしかすると力を失うという話なのですか? それなら心配はないのです。このミシリアのボディーの力は、元のラクティさんより上なのです」
「はぁ……」
ラクティが額に手を当てる。
話が全く通じない相手との会話ほど疲れるものはなかった。
このまま話を続けるだけ無駄だった。
「あら? 違うのですか?」
「ええ、違うわよ。この身体の力が別段欲しい訳ではないわ」
「では、何故、引き渡しを拒むのですか?」
フィテアが本当に分からないという顔をする。
「理解出来ない貴方に答える理由はないわ、帰ってくれないかしら?」
叩きのめしたい気持ちが溢れていたが、その気持ち自体が魔竜化の現れのような気がして、穏便に済ませようとする。
「私に帰れと?」
「ええ」
「どうあっても、受け渡しに応じないというつもりなのですか?」
「そうよ」
断言する。
「理解出来ません」
「貴方に理解してもらえるとは、思っていないから」
「――残念です。では、強制執行に移ります」
残念そうにしていたフィテアの顔が、急に無表情な物に変わった。
ラクティが思わず身構える。
「無駄なのです、私は非暴力主義ですし、強制執行は、その名の通りに逆らえませんから」
「まさか――」
最初から何か仕込みがある可能性。
「――宗主リティスの名において、その使徒たるフィテアが執行する、器の回収を――」
フィテアが下げていた金の十字架を握り竜詩を唱えた。
「くっ!」
いきなり首から下の自由が奪われた。
棒立ちの姿勢のまま固まってしまう。
「では――」
フィテアの手がラクティの胸に伸びて触れた。
「安心してください、ミシリアの身体は置いて行きますので、それでは迅速に失礼させていただくのです」
「どうやって、ここから出る気?」
デパートの下部はラクティが張った結界によって何重にもシールドされ、仮に祖竜でも、直接テレポート等が出来ない空間になっていた。
「この場の結界の事なのですか? この結界、外からの侵入には強固ですが、内から外には抜け道があるのです。貴方の避難路ですか? それを利用させていただく形なのです」
「ちっ」
確かに結界の抜け道は作っていたが、他人に易々と発見されるとは思っていなかった。ここに来た時から解析を行っていたのだとしたら、とても用心深い性格だと言えるだろう。
「また会うかは分かりませんが、今日のところはこれで――」
フィテアの姿が消えた。そして、それに合わせてラクティの首から下も消えた。
床にラクティの頭が落ちて転がる。
「っ、痛たた、――綺麗にもって行かれたわね、サラマンダー、そこを開けていいわよ」
首だけのラクティが喋る。
出血は一切無く、身体との分離面は不思議な白い断面になっていた。
操作室の扉が開き、達彦が飛び出して来る。
「ラクティっ!!!」
「あー、声が大きいわよ、後五分くらいは死なないから、安心しなさい」
「五分って、安心出来る訳ないだろっ!!」
怒鳴る達彦の横から、ちょこちょことサラマンダーが出て来た。
「完全に分離しておいて良かったわ、元のままだったら、サラマンダーの方にも影響が出る状態だし」
「そんな事はいいから、どうするつもりなんだっ!」
「落ち着きなさい、――まぁ、現状選択の余地が無いから、そのミシリアの身体を使うわ、相当に癪だけど、このまま死んだらもっと癪だし」
「どうすればいいのか、分かるのか?」
「ええ、何となくね、おそらく正式に分離したとしても、私は一度この状態になる筈だから、それを想定して創られている筈、私の基本存在力を意識ごとミシリアに移せばいいと思うわ」
「俺に出来る事は?」
「抱えて、トランクの中のミシリアと物理接触させて、そうね……気分的にキスでお願い」
フィテアが持っていたトランクは、そのまま部屋の中に置かれていた。
「分かった」
達彦がラクティの首を抱えてトランクの前に持って行く。そしてトランクからミシリアの身体を起こす。
「この身体を使うとなると、貴方の抱き心地が変わってしまうわね」
ミシリアのボディーを見てラクティが言う。
元々のラクティの身体は小学生サイズだったが、ミシリアの身体は十五歳前後の少女の外見サイズだ。
身長にしても二十センチ近く高くなる事になる。
「そんなこと言っている場合か――行くぞ」
ラクティの首をミシリアの顔に近付ける。
ミシリアは目を閉じ、まるで眠っているような穏やかな表情だった。
「貴方の身体、使わせてもらうわよ」
ラクティも合わせるように目を閉じてミシリアと口づけをかわした。
次の瞬間、ラクティの首が光の粒子となって消え去り、代わりにミシリアの瞳が開いた。
その目はラクティと同じ碧眼で、顔の作りはラクティに似たものに変質した。
それは丁度ラクティが成長した時に、こんな顔になるのではないか? という顔だった。
「んっ――成功みたい、まずは安心して達彦」
手足をトランクの中から出して身じろぎする。
声は元のラクティの声だった。
「何か傷害は?」
「言うほどのことはないわ、慣れない部分があるだけで」
「そうか」
達彦の顔に安堵の色が浮かぶ。
「あと一つ、頼まれてくれる?」
「何だ?」
「サラマンダーに付いて行って、私の服を取って来て欲しいの、このまま動き回るのは、貴方の前だと恥ずかしいし」
「――あ、ああ」
達彦は、いま気付いたというように新しいラクティの身体から目を逸らした。
「サラマンダー、案内お願いね、場所は分かるでしょ? そう、大きいサイズの服よ」
ラクティとサラマンダーが意思の疎通をする。
すると、サラマンダーが操作室に一度戻り気密扉を開けてから、その外に出た。
「達彦、悪いけど付いて行って」
「分かった。待ってろ」
「うん」
ラクティはトランクから半分ほど出た姿勢で頷いた。

「ほぅ……一瞬だけみせた隙か、それとも罠か」
庭園内の腰掛けに座ったままのアルの口元が少しだけ笑った。
「どちらにせよ、掘り出し物じゃ」
何度か、その手を動かして握りを確かめる。
「あと一度か……頃合いじゃな」

サラマンダーに付いて、ロッカーの並んだ地下宝物庫を進む。
と、一つのロッカーの前で立ち止まり、短い腕を上げて指さす。
「ここか」
開けて中を確認する。
「何着もあるな……」
数着のワンピース型の服がハンガーに吊されていた。
手を入れて探ると全部で五着あり、どれもフリルの付いた可愛らしいデザインの服だった。
ただ色はベージュやグレーといった感じで、派手さはあまり無かった。
「とりあえず、これにするか」
欲しい服に対して細かい指定は無かったので、こちらで選んで構わないという事だと思い、達彦はベージュのスカートのリボンが付いた服を選んだ。
それを取り出してロッカーを閉めると、サラマンダーがズボンの裾を引っ張り、階段とは別の方を指さした。
「まだあるという事か……まあ、靴とかもいるか、あ――」
考えて下着をどうするのか、思い当たってしまう。
「無くても、死にはしないだろうが」
サラマンダーに下着まで取って来て、と命じているのか気になりつつ、別のロッカーを目指した。

それから、十五分ほど服と小物を集めて達彦はラクティが待っている部屋に戻った。
その中に下着の類は存在しなかった。
「――ありがとう、身につけるから少し出ていて」
「ああ」
衣服を受け取ったラクティの動きはどこか緩慢で、まだ身体の動かし方に慣れていない雰囲気だった。
部屋の外で待つ事数分。
「お待たせ」
服を着たラクティが中から壁に手をつきながら出て来た。
白の薄手のセーターの上にベージュのワンピースを重ね着して、足下は白のブーツを履いていた。
そして装飾として、長めの金髪は左右を小さなリボンで飾り、耳には金のイヤリングを付け、胸元には品の良いルビーのネックレスが光っていた。
元と大幅に違うのは背丈と金髪である事だ。
「色々いいのか?」
「他に言う事ないの?」
ラクティが少し腰を屈めて達彦の顔を下から覗き込む。
そんな様子に達彦は顔が熱くなるのを感じて、
「あ、いや、似合ってる、可愛いよ」
無難な一言を告げた。
「達彦は、もしかして小さい方が好みだった?」
「それはない、その、綺麗になったと思うよ」
結果的に成長したラクティは、少女としての可愛らしさを残しつつ、女性としての艶めかしさを覗かせる女の子になっていた。
「ありがとう。本当は、もっと可愛い服があるといいのだけど、流石に用意してなくて、後で買い揃えないとね」
「創り出すとかしないのか?」
竜の力なら、服の構成を変えて新しいデザインにすることも可能だった。
「他人が作った服だから面白いのよ。けど、髪の色が変わってしまったから、ちょっと私の服装選びのスタイルも変えないとダメね」
「確かに髪は金色のままなんだな? 融合中に顔はラクティに似ていくように変わったと思ったが?」
「それはどちらも『無垢なる物』の特性よ、コアに合わせて外観が変わるから、この身体はコアを消失したミシリアの外観のままで保管されていたみたいだけ ど、コアの特性として金色というのを持っているわ、その色が外見に出て、また、私が入ったことで新たにコアに私の情報が入って、私の顔になったの」
「なら、その顔は完全にはラクティの顔じゃないのか?」
「一部の顔のつくりはコアの元の特性の影響を受けているわ、最初に作られた『無垢なる物』が全ての『無垢なる物』のベースになっていて、あらゆる『無垢なる物』はその子に多少似るの、で、その子がもの凄く可愛いのよ」
「その子と会った事があるのか?」
まるで、その存在を知っている感じの口ぶりだった。
「いえ、ただ、レーナから写真は貰ったわ。基本、レーナも同じ論理で美人なのだけど、それ以上の子だったわよ」
「そうか」
「あと、ボディーラインとかも基本はその子がベースになるわ、このくらいのサイズの胸が一番良いという事かしらね」
ラクティが服の上から自分の胸のサイズを確かめる。
大きくもなく小さくもない平均サイズ。
さっき直に見た達彦の記憶から言えば、お椀型の綺麗な形の胸だった。
「前は揉める程に無かったから、達彦的には嬉しいかもね」
「なっ――」
一瞬で達彦の顔が赤くなる。
「冗談よ。――外に出たいわ、屋上まで連れて行ってもらえる?」
ラクティが達彦の身体に寄り添い、そのまま体重を掛けて来る。
「まだ、ちゃんと動かないのか?」
「ええ、数歩でよろけそうよ」
「分かった――」
達彦はラクティの身体に手を回して彼女を抱きかかえた。
「首に掴まれ」
「うん、あっちの階段から、業務員用のエレベーターのあるフロアに行けるから、記憶操作お願い」
ラクティは素直に抱かれて達彦に行き先を指示した。
達彦は背中から漆黒の器官を出して、周辺の人間の記憶を弄った上で、エレベーターで屋上を目指した。

「はい、どうなっていますか? そちらは?」
真由は達彦の家のリビングで、待っていたラクティ達からの電話に出た。
隣には緊張した顔で美佑が座っていた。
すぐにスピーカーモードに切り替える。
『ややトラブル発生だ、命に関わる話じゃないが、フィテアとは物別れに終わった』
「では、身体の交換は?」
『こっちの身体を強制的に奪われて、向こうは情けのつもりか、こっちに身体を残して立ち去った、今その身体をラクティが使っている』
「そうですか……融合に際して何か問題はありましたか?」
『今から、一通り試してみるそうだ』
「分かりました。では、それが終わったら、また連絡を」
『ああ、じゃあ』
通話が切れる。
「よかった、無事みたいですね」
美佑の顔が少しだけ緩む。
「その様子です。ただ、元々かなり無理のあった融合の後に、また別の異質なものとの融合ですから、ラクティさんの負担になっている事は確かだとは思います」
「――そうですよね」
「彼女の性格的に辛くても何も言いませんから、少しの変化でも見逃さないようにしてフォローする必要性があるでしょうね」
「はい、頑張ります」
両手を握って言う。
「頑張り過ぎて、悟られては意味がないですよ」
「あ、そうですね」
「では、もう少し待ちましょうか」
「はい」

デパートの屋上の一角で達彦が携帯を閉じる。
「あ、ちょっと貸して」
隣に居たラクティがそれをねだる。
「何だ、言い忘れた事でもあるのか?」
「違うわ、別に掛けたい所があるだけ、一応、番号教えてあるから、達彦の携帯からでも出ると思うし」
「何だ、勝手に誰かに教えたのか?」
「いいじゃない、こういう事態を考えて念のためよ」
「で、誰に掛けるんだ?」
携帯を渡しつつ聞く。
「レーナの所よ、エシスの件の報告もあるし」
ラクティが急に真面目な顔で言う。
エシスがどうなったのか、実のところ二人とも詳しく知らないが、蒼が倒したと口にした事と、そのボディーが無かった事から、おそらく消滅したのだろうと推測していた。
「番号は……」
ラクティが記憶でレーナの携帯番号に掛ける。
少し長めの呼び出しの後、携帯がつながった。
「あ、レーナ? 私、ラクティだけど、今、大丈夫?」
『はい、問題ありませんが、何かありましたか?』
「あまり良い報告ではないわ、一応覚悟して」
『はい』
「今から数時間前に交戦があって、エシスがおそらく消滅したわ」
『――ラプリアですか?』
それはラクティの一言で大体を理解した上での返しだった。
「違うわ、蒼――ティリの仕業」
『そうですか……残念です』
「私がもう少し早く全力を出していれば違った結果になっていたかも知れないから、ごめんなさい」
『いえ、エシスが自らそちらに残ると決めた以上、多少の覚悟はあったと思います。お気になさらずに』
「そう言ってもらえるなら助かるわ、それで、あともう一つ、言いにくい事があるのだけど」
『何ですか?』
「貴方の妹、ミシリアの身体が見つかったわ」
『それは――』
レーナが有り得ないというふうに息を飲む。
「本当の事よ」
『いえ、ミシリアは大戦の時、ラプリアにアブソリュートを刺した後、ラプリアの最後の抵抗に巻き込まれて四散した筈です』
「その経緯は知らないけど、身体は確かに”ここ”にあるわ」
発音を変えて言う。
『今、そこにあるという事ですか?』
「ええ、結論だけ言えば私がその身体を貰い受けた形。ミシリアのコア自体は、ここには無いから」
『それは、そちらに確認に行ってよろしいですか?』
「構わないわ、正直、電話だけで伝えるのも大変だし、一応この後、写真だけ送るわね」
『はい』
「あ、あと、ラプリアは私が破壊したわ、一応そっちにも関係あると思うから言っておくわね」
『そうですか、大戦闘があった様子ですね』
「ええ、それなりに」
『となると、クレイドルが動き出したと考えるべきですね、先日まで欧州の方でクレイドル本部の動きを探っていたのですが、封印がある海上にクレイドルの艦船が泊まっています』
「ふーん、そう。どちらにせよ一度会うべきね」
『はい、明日、そちらに向かいます』
「ええ、待ってるわ。――じゃ、詳しい事は明日」
『分かりました、では』
ラクティが通話を終える。
「はい、達彦――じゃ、写真撮って」
一度達彦に携帯を返す。
「ああ」
達彦がラクティの姿を携帯で一枚撮る。
そのまま待ち受けにしても良いくらいの絵が一発で撮れた。
「撮れた? 貸して」
ラクティが再び携帯を手にしてレーナ宛に写真を送る。
「――これで完了。はい、ありがとう」
「ああ」
達彦が携帯を受け取ってしまった。
「さて、なら、少し身体を動かしてみましょうか」
ラクティがその場で何度か前屈してから身体を後ろに反らせる。
「少しは慣れたのか?」
エレベーターに乗る前のヨタヨタした感じは無くなっていた。
「ええ、多少はね」
「そうか、それでさっきの話だが、あんな話を聞いて大丈夫なのか? 前後を完全に理解している訳じゃないが、完璧に騙されていた、というような話だろ?」
「心配してくれるの?」
ラクティが笑うような瞳で達彦を見た。
「当然だろ」
「平気よ。そもそも、まともな生まれ方をしてないから、意外な内容だったけど、理解出来ない話ではなかったわ。むしろ、私の強さの理由とか、分かったから」
自分がどれだけ特殊な存在であり、持っている力が何のためのものかをはっきりと自覚出来た。
「だったらいいんだが」
「ええ。じゃ、身体の調子をみてみるわ、最初は器官の展開かしらね、間粒子を直接使える感覚は残っているから出せるとは思うけど、『無垢なる物』は機械翼だし」
「出してみるしかないだろ」
周辺の人払いはとっくに済んでいた。
「そうね、じゃ――器官展開」
ラクティの背中に光が集まり『無垢なる物』が翼を創り出すような形で、光が翼の形になって行く。
そして、発光が収まり器官が実体化した。
「これは、また何とも……」
「変わった形ね」
ラクティが首を捻って自分の背後を見る。
そこに発生した器官は、竜のように背中から直接生えている形ではなく浮いて存在していた。また、構成素材は『無垢なる物』的な機械ではなく、流線型の透明な水晶のような物質で、それが左右に三個ずつ計六個展開している。
「全く見たことが無い形ね、変形させる事は出来るのかしら……」
ラクティが少し集中してみせる。
すると、流線型の水晶がたわむように蠢いた。
「ふーん、大体、感じは掴めたわ、普段は二個で足りそうね」
「扱えそうなのか?」
「全開で使うには数日は掛かるとは思うわ、身体構造が全く変わった事に意識が付いて行ってない部分があるし、それに、最大の変化があってそれに慣れないと駄目ね」
「何だ?」
「体内にコアが形成されているのよ、竜にはコアと呼ばれるものは無いけど、これは『無垢なる物』の身体だから、私の今の基本存在力は、そのコアを軸にして展開されているわ」
ラクティが自身の胸を指して言う。
「コアか……」
「竜の意識をコア化し、それを元に動く『無垢なる物』の身体というところね、『無垢なる物』は元々竜のコピーだから、そう言う風に創る事も出来たという事かしら」
「それが出来るなら、身体を失ったリティスは何故すぐにこの方法を使わなかったんだろうか?」
「さぁ、実は使ったのかも知れないわよ、その上でさらに身体を失ったとか、あと『無垢なる物』の内部構造にそんなに詳しい訳ではないけど、この身体が相当 に特別なのは分かるわ、こんなのを何体も創れたとは思えない、私の意識を固めてるコアを形成するエーテルも、何百年も掛けて溜めたデータの痕跡があるわ」
ボディーの製造時のデータ等が、融合時にラクティの頭の中に流れ込んでいた。
「リティスが入る程の器を製造出来なかった、もしくは出来ていたが、また別の問題が起きた可能性か」
「じゃなかったら、私が身体を育てるのを三千年も待った意味がないしね、どのみち、この身体ではリティスは入らないという事なのでしょうね、リティスの力が大きくて、収まらないというのだと少しむかつく話だけど」
ラクティの自負として、祖竜程の特別な力を持たずとも、それに匹敵するだけの意識量を持っていると思っていた。
「――で、とりあえずだけど、せっかくの『無垢なる物』の身体だから試してみたい事があるの、『無垢なる物』としては基本動作だから」
「何のだ?」
「器官で飛ぶのよ、竜の背中の器官は半ば格好の良さの為に翼に近い形になっているけど、それだけで飛ぶ事は出来ないわ。けど『無垢なる物』の翼は、それだけで飛ぶ力を宿している、まぁ、出さなくても飛べる『無垢なる物』もいるけど」
「ほぅ」
「かなり特別な翼だけど、これが『無垢なる物』のパーツとして機能するのか、試してみたいの、その為に屋上に来たのよ」
ラクティの中で、どこまで『無垢なる物』としての力を使う事が出来るのか見極める必要があった。『無垢なる物』の後期型は竜の戦闘能力だけを強化して集 めたような物体であり、元々のミシリアの機能が生きているなら、この先の戦いを非常に有利に進める事が出来ると思われた。
「やってみるわね」
器官に浮遊のイメージを送る。
あとは自動的に浮かぶ筈だった。
「――っと」
ラクティの身体が屋上のコンクリートからふわりと離れた。
水晶の器官から光の微粒子が少量こぼれ落ちる。
二人の感覚でそれが可視エーテルであると理解する。
「やっぱりエーテルで飛ぶ事になるのね」
「間粒子を直接操って浮くのは出来ないのか?」
「出来るとは思うけど、私、通常空間で浮くのは好きじゃないみたいな話をした事なかったかしら? 下からの攻撃に晒されて隙が増えるだけよ」
「聞いたような覚えもあるが、そっちの機能が生きているのかと思って」
「そうね、切り替えてみるわ」
ラクティが一度コンクリートに足を付ける。
「地と認識する面に対して意のままに反発せよ」
竜詩と共に浮き上がる。
背中の水晶は何も変化しない。
「出来るみたいだけど、この分に力を回さずに自動的に浮かぶ方が楽ね」
「そうか」
「じゃ、大体、身体の感じは分かったから今日はもう帰りましょう」
「その様子だと車だよな」
「ええ、車でお願い」
「なら、駐車場まで戻るか――」
達彦がエレベーターの方に身体を向けた時。
急にその足を止めて、真顔でラクティに向き直った。
「何か感じたのね?」
「ああ、多分これはさっきの竜だ、三百メートル程先で突然気配が現れて、ほぼ同時に空間断絶した、今は空間が途切れている気配だけある」
「あの竜が何かに対して仕掛けたの? 相手の気配はあった?」
空間を閉じると言ったら戦闘以外の理由は少ない。
「一瞬だったからはっきりとは言えないが、魔竜――それも有り得ない気配の強さの存在だった」
「それ、私の身体の方の気配じゃなくて?」
「ああ、違う」
「そう……」
考えられる事は、ラクティの身体に魔竜が惹かれた可能性。
ただ、フィテアが魔竜に気付かれるようなミスをするのか? という疑問もあった。
そもそも魔竜の反応が早すぎる。
「様子を見に行くかどうかは任せるわ、今の私はこんなだし」
気にはなったが冷静に言った。
「今は、無駄な事に首を突っ込むべきじゃないだろ、美佑達も待っているし」
「そう、そう言う判断なら、それでいいわ、帰りましょう」
「一応聞くが、あっちの身体に未練はないのか?」
「あまり無いわ、それに、この身体の方が寿命があるみたいだし」
奪われた事は、この上なく腹立たしい事だったが、全く抵抗出来ずに奪われてしまった以上、諦めるしかない気持ちになっていた。
「――分かった。なら帰ろう」
「ええ」
二人は一緒にエレベーターに乗って地下駐車場に向かった。

3章.強襲

「全く予想外なのです」
大きなトランクを抱えてフィテアが曖昧な空間に立ち尽くす。
「では、計算にミスでもあったという事かのぅ、どっちにしても、それを奪うだけじゃが」
それに対して赤い振り袖を着て、機械と融合した漆黒の器官を出したアルが言う。
「これですか? これは駄目なのですよ」
フィテアが大きすぎて抱ききれないトランクを自分に密着させる。
「しかし、それは、どこから持ち出した? そのような物があるとは余とて予想外じゃぞ?」
「秘密なのです、私の動きは全ての軸線から、今日までは外れるように予定されていましたから」
「今日動いた理由があるということじゃな?」
「はい、ある程度日付の前後はありましたが、概ね予想範囲なのです。けれど、貴方の出現は予測にないのです」
「余とて無為に時間を過ごしていた訳でないからのぅ、このジャンプは誰にも予測出来ぬ」
「想定外の事態に対応する事になってしまったのです」
「それでどうするつもりじゃ?」
「――異なる空間、異なる理、我が意思に従わぬ世界、我の声によって変化せよ、次元を跨ぐ橋となれ」
フィテアが躊躇いなく背中に白に金の縁取りがある器官を出現させて竜詩を唱える。
それは逃亡の詩編だった。
「逃げるというかっ」
フィテアの竜詩がアルが創り出した異空間に逃亡のための干渉を始めた。
戦う事を前提にしていたアルは対応が一手遅れてしまう。
「戦う事はしたくないのです」
フィテアの眼前の空間が不自然にゆがむ。
「戯けたことをっ! ここで主を逃がす訳には行かぬ、――理よ、再び余に従え、かの者の動きを封じよっ」
アルがゆがみを修正しようと力を注ぐ。
「――なおも我が意思に逆らう世界よ、我、祖竜の使徒として運命を予想する、小さき世界の崩壊の運命を――」
「リティスの力を使うか、余としてリティスの盟友ぞ」
「知っているのです。ですが、貴方の役目はもう終わっているのです」
「そうであろうな、リティスはそういう奴じゃった、じゃがな余には余の矜持がある――場よ定められた通りに動け」
――場よ定められた通りに動け」
アルの顔に昔を懐かしむ表情が浮かんだ。
「私の空間解析分解の方が早いのです」
「そうかも知れぬな、じゃが、余はそのトランクだけあれば良いのじゃ。――世界よ無慈悲に爆ぜよっ!」
瞬間、アルの創り出した異空間が全て爆発した。
隙間なくあらゆる場所での炸裂。
そこに居た全ての者にとって防御も回避も不可能な攻撃だった。
同時に異空間が消滅して現空間に戻る。
「――ふ、不覚なのです、っ……これでは、実質の自爆……」
夕闇に包まれた路上でフィテアが片膝を付く。
白い服が破れ、その奥で血が滲む。
器官にも欠損が生じて血が流れていた。
抱えていたトランクも爆風で手から離れ、フィテアが見える範囲には無かった。
「まだまだ甘いのぅ」
一拍遅れてアルの声が現空間に響く。
「まさか、そんな、筈は……」
フィテアが驚きの表情で固まる。
「自爆攻撃は最終手段じゃが――」
アルの姿は白いマネキンのようなものに変わっていた。その上に振り袖を着ている。
「まぁ、どの道、余の身体は限界じゃった――使わせてもらうぞ」
トランクを路上に置き、その中の物体と口づけする。
マネキンの身体が振り袖を残して崩れて行き、光の粒子となって消え去る。
「……自爆して、その隙に精神を一時待避する別体を呼んだのですか? ……座標が少しでもずれたら消滅するかも知れないというのに……」
フィテアにアルの行為を止める気力は無かった。
全身の修復に力を優先して使う。
「――ふむ」
トランクの端から黒い小手に覆われたような手が覗いた。そこから二の腕が見え全身が起き上がる。
「これはなかなかに具合が良い」
アルがラクティの攻撃相を自分の身体として、その場に立った。
「それはリティス様のものなのです……他者が使う事は、許されていないのです」
何とか身体を起こしてアルと向き合う。
「くだらぬ、余に関係はないわっ」
「何としても、返していただくのです」
「ほう……一度、使われておるのじゃな、ありがたい、警告となってくれたぞ」
「なに……を?」
「強制的に引き剥がされた痕跡があるという話じゃ、主が内側に何か仕掛けているの?」
アルがニヤリと笑う。
「っ、宗主リティスの名において、その使徒たるフィテアが執行する、器の――」
焦った顔でフィテアが早口で詩編の起動を試みるが、
「たわけ、もう解除した後じゃっ!」
アルがそれを封じた。
「くっ」
掛けてあった詩編の発動が感じられない事で、フィテアも黙るしか無かった。
「この身体、元々魔竜の物じゃな? 馴染み過ぎるぞ、これならば――」
アルが瞳を閉じて集中した。
黒い鎧のような攻撃相が淡い光に包まれて、その形を変えて行く。
数秒後、一糸まとわぬ黒髪の少女がそこに出現した。
「これで元通りじゃ、いや、少し外見が老けたかのぅ」
自らの姿を確認して言う。
元のアルより約十五センチ成長したボディーだった。
「使いこなせるというのですか……」
フィテアが呆然となる。
「何か問題か? ――支配空間展開――」
アルが路上に落ちた己の着物の中から襦袢だけを拾い上げて身に付ける。
同時に付近の空間を隔絶して、内部の間粒子を器官も出さずに支配下に置く。
通常空間との境に揺らぎが生まれた。
「さて、主の処遇じゃが、どうしたものかのぅ? 取り返すつもりなら余と戦うか?」
その目がフィテアに向けて細められる。
「……」
「その気が無いなら、余に喰らわれてみるというのはどうじゃ? 強い竜を喰うのは実に久しぶりじゃ」
「……」
フィテアが後退る。
祖竜リティスの使徒が、祖竜リティスの器と戦って勝てる道理はなかった。
「どうしたのじゃ? 主の事を話しておるのじゃぞ? 何か言えぬのか?」
腰紐で襦袢を締めて一応の体裁を作り、フィテアに近付く。
「その身体、そのまま使えると思わないでください、必ず取り戻すのです」
「ほう? どうやってじゃ?」
わざとらしく驚いた口ぶりで聞き返す。
「甘く見ないで欲しいのです――宗主リティスの名において、我が力の封印解除の許しを――」
胸に下がる金の十字架を握りしめる。
フィテアの気配が大きく膨らみ始めた。
「ほう、簡単に喰らうとはいかぬ様子じゃな」
フィテアの身体が見る間に変形して行く。
足下から揺らめく白い炎が吹き上がり、ぼろぼろになった修道服を焼き、それに合わせて、金属質の白銀のプレートが鎧のように全身を覆って行く。
背中の白い器官もより硬質な輝きを放ち、その形状が大きく変化する。
平たい扇型の物体が二個背中から離れた位置で浮かび、何かを噴射するようにも見える形になる。
頭も兜で覆われ、全身鎧を装着したようなその姿は、先ほどまでのラクティの身体と似ていると言えない事もなかった。


「――平行分離攻撃」
言葉の後に鎧姿がぼやけたかと思うと、一気に十二体に増え、全てがアルに向かって殺到した。
「それがリティスの使徒としての攻撃か、面白いぞっ!」
アルがニヤリと笑い瞬時に、十二体の接近コースを予測して、捌ききれない分のコースに光障壁を張り、受けられると思った相手の分は、その手に漆黒の剣を出現させて待ちかまえた。
バシュッ!!!
アルに向かって集まったフィテア達の姿によって、アルの姿が瞬間見えなくなる。
が、アルの光壁によって分身の内七体が光壁と共に消滅、そして、アルの剣捌きによって三体が斬り捨てられた。
残った二体は、アルの剣が戻る前に、それぞれアルの左右から迫り、一体がアルの正面を狙い、もう一体がアルの背面を狙った。
「はっ!」
アルが身体を派手に捻り右からの一体を剣で受け、左からの一体を回転蹴りで迎え撃つ――その瞬間だった。
「――閃光撹乱」
右の一体が強い閃光を放って爆発。
合わせてアルの感覚の全てが強力な竜詩によって妨害された。
「ちっ」
アルはその時、相手の目的を悟った。攻撃行為自体は隙を作る囮で、フィテアは最初から撤退しか考えていなかったのだ。
感覚が回復するまで一秒と掛からなかったが、その時には左にいた筈のフィテアが消えていた。
空間に穴をこじ開けた痕跡だけがその場にあった。
「どうあっても戦わぬ気か……」
見事な撤退だとしか言えなかった。
空間制御を解き現空間に戻る。
無駄だと思いつつ、一応周辺を探るが気配は完全に消えていた。
「これは追えぬな、戻るか……」
そして、アルの姿がその場からかき消えた。

マンションの地下駐車場で待っていた美佑と真由の二人は、降りて来たラクティの姿を見て息を飲んだ。
元々ラクティはかなり可愛い方だったが、戻って来た彼女は女性ですら見蕩れるレベルになっていた。
それは美しさと可愛さを兼ね備え、そこにいるだけで気品が溢れ、それでいて親しみやすさを失っておらず、さらに清楚さも感じられる、まるでどこかの国のお姫様と言っても問題ない水準だった。
「それが『無垢なる物』の身体なのですか?」
真由が聞く。
「ええ、レーナの妹、ミシリアの身体らしいわ、私の力がコアになっているから、ミシリアのパーソナルとの融合ではないけど」
「私の知識では、その名のドールはラプリアと差し違えて機能停止したという事になっていますが?」
「その後、ボディーだけを竜に合わせた形で創り直したらしいわ、詳しい話は聞いていないから分からないけど」
「そうですか……何か機能的に不都合とかはありませんか?」
そう言う真由の横で、美佑が心配そうな視線を向けていた。
「特にないわ、でも、流石に今すぐ全力バトルとかは出来ないけどね」
ラクティが微笑して答える。
「大きな不都合はないと?」
「そう思って――じゃ、詳しい話は部屋でしましょ?」
「はい」
「なら、俺は車を戻してくるから、先にメシでも食べていてくれ」
まだ車の中に居た達彦が言って車のドアを閉めた。
「悪いわね、じゃ、お願いするわ」
「いや、行ってくる」
車がスタートして地下駐車場から地上に出て行った。
残った三人はエレベーターに乗った。

午後七時、蒼の部屋のインターホンが鳴った。
出ると夕食をどうするかを訪ねるものだった。
あまり何かを食べる気分では無かったため、一度断ったのだが、
「アルジアス様が是非にという誘いです」
「――分かった、なら、受ける」
半ば押し切られる形で誘いを受ける事になった。
その後、しばらく待っているように言われたので、蒼は部屋のソファーに座っている事にした。
そして、部屋の扉を叩く音がした。
「蒼様、シムリナです」
「ああ、今行く」
呼びに来たのだと思いソファーから立ち上がって部屋の扉を開ける。
「お召し替えの準備が整いましたので伺いました」
シムリナが、その手にハンガーに掛かった状態でビニールに覆われた服を持って立っていた。
「いや、食事の話だと思ったんだが」
思わぬ事に戸惑う。
「いえ、食事の話です。ただ、その前にその衣装では社交の場に相応しくないという判断がアルジアス様によってなされ、着替えをお持ちした次第です」
「そうか……?」
蒼はこの所ずっと学校の制服を着ていた。
それは単に、達彦の所から離れた時に着ていた服をずっと着ているだけであり、特別な理由は無かった。
また、基本的に、それほど服装への拘りがない事も原因だった。
「ともかくお着替えください」
シムリナがやや強引に部屋の中に入って来て、蒼を部屋の中央付近に立たせる。
「まぁ、着替えるのはいいが」
相手が勧めているなら、着替え自体は構わないと思ったが、シムリナが持っている服を良く見て、やや躊躇いが生まれる。
「また、その手の服か……」
「何か?」
「いや、ここ一ヶ月程、アルバートの店で働いているんだが、その時に着せられている服に似ている」
シムリナが持っている服は黒をベースに白のフリルが沢山付いたドレスだった。
一般的に可愛いと言われるタイプの服であり、ラプリアが普段着ている装飾過剰のメイド服に似たデザインだった。
蒼は自分が可愛い格好をするということに多少の違和感を覚えていた。
あまり似合っている気がしないのが最大の要因だ。
「ラプリアのメイド服の事ですか?」
「ああ」
「あれとこれとは違います。これはゴシックロリータ系ドレスです、ラプリアのメイド服とシルエットは似ていますが、別物だとお考えください」
シムリナが少し勢い込んで語る。
「どう別なんだ?」
「発生した経緯が違います。ラプリアが着ているタイプのメイド服は、あくまでメイド服を可愛くする為にフリル等の装飾を付けたもので、こちらの場合はシックな装いの中に女の子らしい可愛さを取り込もうとした矛盾の中で生まれたものです」
「そう言われても……まぁ、解説はもういい、着ろというなら着るから」
正直、蒼にはよく分からない話だった。
ただ一つ『メイド服も元々シックな服であって、それを可愛くした結果がラプリアの服では?』と思ったが、反論はしなかった。
「では、お召し替えをお手伝い致します」
「いや、別に自分で着替えられるから」
「そう言わず、お任せください」
シムリナが蒼の上着のブレザーに手を掛けて、するすると脱がせてしまう。
その手つきは妙に手慣れていて止める暇すら無かった。
「――好きにしてくれ」
抵抗するだけ無駄だと思い、シムリナにされるがまま脱がされて行く。
腰に巻いていたアブソリュートの鞘とベルトだけは自分で外す。
数秒後には下着姿にされてドレスを身体に合わせられる。
「サイズはよろしい様子ですね」
「みたいだな」
「では、まずこちらのタイツに履き替えてください」
「ああ」
白のニーソックスを脱いで黒のタイツに履き替える。
そして、アブソリュートの鞘を固定したベルトを太腿に巻き直す。
「――靴はこちらです」
「分かった」
やや厚底でヒールのある黒のエナメルの靴を履く。
「では、ドレスを――」
「ああ」
ワンピース型のドレスに跨ぐように足を通すと、シムリナがするすると胸まで上げる。
「袖を」
「ん」
長袖に手を通す。
その段階で背中側のボタンがかけられて、腰のリボンが結ばれて全体を整えられる。
「髪はどういたしますか? まとめますか?」
ストレートの黒髪を襟口から引き抜かれて聞かれる。
「任せる」
「では――これはアクセントです」
シムリナが髪を左右に分けてリボンを巻き付け、最後に猫耳の付いたヘッドドレスを乗せる。
「これでよろしいかと思われます」
「そうか」
軽く自分の格好に視線を落として確認する。
ラクティが着れば似合うような服だと思ったりした。
パニエ付きのスカートがふわりと広がり、袖も広がっていてやや動きにくいが、戦う訳でも無ければ特に問題ない。
「お綺麗です」
「別にそういうのはいいから、アルはどこにいるんだ?」
「ご案内いたします」
シムリナが部屋の扉の前まで移動する。
蒼もそれに付いて行きアルの元に向かった。

「私も行くよ」
「駄目です。何のために普通の人間に偽装していると思っているのですか?」
「えー、だって、竜に会うの久しぶりだし、エシスちゃんの事、直接聞きたいから」
リビングとおぼしき部屋で二人の女子が向き合っていた。
片一方は『無垢なる物』のまとめ役であるレーナであり、もう一人はとても明るい雰囲気を持つ少女だった。
「私と一緒に竜と会えば、ほぼ確実にクレイドルに捕捉されますよ」
「それはそうだけど、どの道、そろそろ隠れているのも限界じゃない?」
「確かにそうですが、ばれた途端に恭司さんとの普通の生活が崩れますよ?」
「まぁ、それは恭司くんも理解してくれると思う。このままでは良いとは思っていないと思うし」
「――分かりました。けど、十月さん、何かあっても戦闘は避けてください、再生後にダブルコアシステムを一度も起動していない状態で、再起動させる事になるのは危険過ぎますから、下手すると次元崩壊を引き起こします」
「大げさね、それくらい分かっているし、仮にシステムを起動する事になっても、そんなミスはしないから」
十月と呼ばれた少女が自信満々に答えた。

蒼が通された部屋は、洒落たピアノバーのような部屋だった。
暗めの照明の中、黒いテーブルとピアノが置かれ、壁にはガラス張りのワインセラーにワインが並び、その隅にはウェイトレスが二人静かに待機していた。
「来たか、――シムリナは下がれ」
「はい、失礼いたします」
ピアノの辺りからアルの声がして、蒼の隣にいたシムリナが下がり、部屋の扉が閉められた。
「また、さっきとは随分違う雰囲気の場所だな」
蒼が部屋の中に進み、おそらくピアノの裏に居るアルの元に向かう。
「主に洋服を着せたでのぅ、それに合わせただけじゃ」
「別に拘らないけど――」
蒼の視界にアルの姿が入った。
数時間前に見たアルとは異なるアルがそこに居た。
ピアノの椅子に座る彼女は、その背丈が伸び、顔も幾分大人びていて、十二~三歳に見える容姿になっていた。
衣装も和服ではなく、蒼に合わせたような黒と赤を基調とするフリルの付いた可愛いデザインの洋服で、その手に繋がっていたコードの類も無くなっていた。
「何かあったんだな?」
「うむ、良きことがな」
「私がここに来た事と関係あるのか?」
「いや、偶然じゃ。今し方偶然にこの身体を発見して融合した」
「そんなに簡単に落ちている物じゃないだろ?」
アルの気配を探る。
基本小さく抑えられているが、近距離で探ると、有り得ないレベルの力が渦巻いている感じがあった。
「用意されていたものじゃという話じゃったが、余が戴いた」
アルが何故か口元に笑みを貼り付けて言う。
「別に興味はない。ただ、私の中の記憶の友として祝っておこう」
記憶の中では肩を並べて戦った戦友だが、今の蒼にその実感はあまり無かった。
元々、蒼は真面目に魔竜を狩る立場の竜だった。
それが、魔竜を前に平然としている状況に蒼自身が少し驚いていた。
それだけ記憶の影響があるという事であり、また、それでも、その記憶が全てではないという気持ちだった。
「うむ、めでたい事じゃ」
「――ところで、そこに座っているという事は弾けるのか?」
違う話題を振る。
「あまり動けぬ身であったからのぅ、暇潰しで始めた程度の腕じゃがな」
「ずっとクレイドルの内部で、事を操っていたのか?」
動けなかった分、組織の内部で策を巡らせる時間は十分にあっただろう。
「『弾けるか』と聞いておいて、そう切り返して来るか? 趣の無い奴じゃのぅ」
アルが不満そうに口を尖らせる。
「単にピアノという物体とアルの関係が気になっただけだ、弾ける事が分かればそれでいい」
思っている事をそのまま答える。
「愛想もないのぅ」
「ある方だとは思っていない」
「まっ、昔の主も扱いにくい相手じゃったが、今の主も別の意味で扱いにくいのぅ」
「――とりあえず食事だと聞いたのだが?」
話が進まない気がしたので本題を切り出す。
「そうじゃな、まずそこに座れ、食事はいま持って来させる」
アルがテーブルの椅子の一つを勧める。
壁に控えていたウェイトレスの一人が直ぐさまその椅子を引き、待ちの体勢を作った。
蒼が腰掛けて、後ろのウェイトレスが下がる。
「食事が来るまで一曲弾いてやるぞ? リクエストはあるか?」
「私が曲を知っているように見えるのか?」
「ふむ……では、モーツァルト、ピアノソナタ 第十二番の第三楽章を弾こうかのぅ」
アルの手が鍵盤に伸びて曲が始まった。
それはとても早い曲でアルの技巧が分かる曲だった。また、曲調は楽しく盛り上がる流れで、今のアルの気持ちがメロディーに乗っていた。
「上手いな」
曲が終わり蒼は素直な感想を述べた。
「世辞はいらぬが、主の言葉なら聞いておこう」
笑顔で言う。
「上機嫌なのは分かるが、その力で再び五竜と戦う気なのか?」
アルが昔戦っていた理由は五竜を滅ぼす事だった。
「アウトラインにいる存在として、運命を創り出して世界を縛る存在に対するのは当然じゃろう?」
「私は本来インラインの存在だ」
「では、大戦時にメリアシスクと敵対し、余に味方したのは何故じゃ?」
「協力したのはリティスだ、そして、私にはリティスとして答えることは出来ない、ただ、リティスが考えていた事を想像するなら人類の味方をする為だ。メリアシスクは自らを進化させる為に人類を利用している」
「クレイドルの目的はリエグが到達して、メリアシスクが危険視した運命を確定予想する力を手に入れる事じゃ、余はその力でメリアシスクと渡り合う」
アルがピアノのフタをゆっくりと閉じる。
「それはアルの目的だろ? クレイドルが一枚岩でないことは知っている」
「まぁ、確かにそうじゃが、ドール達を使った演算システムが完成すれば、余はそのように力を使うぞ、他の者がどう使うかは知らぬがな」
「メリアシスクを抑えるという点では、お前に協力しても良いと思っている」
「まぁ、主がそう言ってくれるなら、その身体が元に戻る事に、こちらも協力するぞ」
閉じた蓋の上に片肘をつき指先で頬を支える。
「分かった、ありがとう」
「ふむ、あと、今の内に聞いておくが主は身体を元に戻した後、その力を何に使う気じゃ? メリアシスクを倒すのか? 倒した後はどうする?」
「……」
答えを考えて蒼は黙った。
リティスとしての記憶から、その答えを述べることは出来たが、それは今の自分の考えとは違う気がした。
祖竜の力は、この世界において神の力と言っても良い。
メリアシスクは、今その力で世界の運命を支配して、自分の都合が良いように人類と竜を利用している。
蒼はリティスの知識を得て、その事を知った。
リティスはそれを止めさせる為に、大戦時にクレイドルを味方にしてメリアシスクと戦った。しかし戦いに負け、リティスは力を奪われ、神に近付く可能性のあったリエグの技術も封印された。
その過去を踏まえた上で、蒼は自分がどうするべきなのか、まだ決めかねていた。
得た知識の中には、竜の存在意義を否定するようなことすら含まれていたからだ。
「新たな世界の神となる力、その力を手に入れた時に、何の理念も無いのでは、それは害悪でしかないぞ?」
アルが目を細めて蒼を量るように見つめる。
「害悪……」
もっともなことに思えた。
「ただ、仮に何もしないと絶対的に決めておるなら、それもまた一つの理念となるがな」
「いま言えるのは、神になるつもりはない、ということだけだ」
蒼自身、自分が神の器だとは思えなかった。
また、想像も出来ない話だった。
「では、余が新たな神となっても良いのか?」
「アルが、それを本当に行動に移す時があるなら、その時に答える」
「それは、ずるい答えよ、のぅ」
「……」
ずるい言われても反論は出来なかった。
アルとクレイドルを全面的に認めている訳ではない、そして、否定している訳でもない状態。
あくまで利害関係が一致しているから共闘しているだけの関係であり、共に裏切らない保証はない。
「まぁ、良かろう、今は互いに先のことを言っている場合でもない」
「私の答えで納得してくれるのか?」
「いや、単に現状、共にやるべきことがあるというだけじゃ、その点については異論はないであろう、リエグの封印を解くという目的じゃ」
「そうだな」
「そうじゃ、そうじゃ。主は、まだリティスとしての知識を受け継いで日も浅い、急に答えを求められても難しかろう」
「すまない」
力を手にした後に目指す事、そして、自分に従うという存在に対しての態度、蒼が考えるべきことは沢山あった。
「いや、気にするでない、そろそろ食事が来る頃じゃ、話はしまいとして、くつろごうではないか?」
「ああ」
すぐに気持ちを切り替えることは出来そうになかったが、表面上くらいはアルの言うとおりにする事にした。

翌日――。
人影のない大きな部屋の中心にあるガラス張りの小部屋の中でラプリアは再起動した。
小部屋は高密度エーテルで満たされており、その中にあるベッドの上で裸のラプリアが身を起こす。元エシスの身体は一晩で変質して、セミロングだった金色 の髪は長く伸び、色は薄く紫掛かった銀髪。顔のつくりもあどけないエシスの物から、どこか無機質なラプリアの物になっていた。
ボディーサイズだけは、やや小柄だったエシスのままで、元のラプリアより十センチ程度小さくなっていた。
「――専用回路構築率七十五%、外装変化率八十九%、絶対空間歪曲防壁展開可能まで推定七千二百秒」
自分の髪を撫でつつ、焦点の消失した目で自身の状態把握を行う。
エシスの身体にコアを馴染ませる事には成功していた、コアから再生だと二ヶ月程度掛かるところが、エシスのボディーを使う事で何とか一日で起きあがれるところまでは回復出来ていた。
「内蔵特殊パーツ全消滅、使命遂行に支障あり。――予備パーツ現存確率0.0九%」
ほんの僅かに沈んだ表情になる。
ラプリアの元のボディーの中には、他の『無垢なる物』が持たない特別なパーツが複数入っていて、そのパーツだけはコアの力だけで再構成不可能だった。
特殊なパーツが持つ力は主に対竜戦闘装備と竜支援装備であり、それを失う事は彼女の存在理由を揺るがすレベルの話だった。
「特殊パーツ強制構築モード発動、現パーツより変換切り出し」
エシスの身体の中にあるパーツから使える物をより集めて、特殊パーツの代品を組み立てる作業を内部で開始する。
同じものは創れなくても、最低限の働きをする物を生み出せば、一応ラプリアのプライドを保つ事が出来た。
「――」
集中する作業に入り、ラプリアは外部への表面反応を切った。

「――って、聞いているのか?」
「ん? なんじゃ?」
日本庭園の真ん中にある東屋の腰掛けに蒼とアルが座っていた。
冬の透明な空気の中、午前中の横から来る弱い光が壁の無い東屋の中に入り、二人の影を石詰めの床に落としていた。
そして、その影が妙に膨らみフワフワとしていた。
「どうして今朝もこの格好に着替える必要があったのか? という話だ」
蒼の格好は昨夜のゴスロリドレスだった。
「いや、主が気に入った様子じゃったからのぅ」
答えるアルの衣装は昨日とは別の黄色と赤の振り袖だった。
「別にそんな事は一言も言っていない、これ以外の服が置いてなかったからだ」
「そうじゃったかのぅ?」
アルが楽しそうに笑い口元を袖で隠す。
「からかっているのか?」
「そんなつもりはないが、そんなに気に入らぬか? 似合っておるぞ」
「……あえて言うなら、場違いだ、昨日の場所ならまだ納得したが」
日本風の空間の中で黒のフリフリの衣装は浮いていた。それくらいはファッションに疎い蒼でも分かった。
「まぁ、そう言うな、茶菓子でもどうじゃ?」
切り分けた栗羊羹を皿ごと蒼に勧める。
「食べ物で誤魔化されると思うな」
「うーむ、いけずじゃのぅ、ここにおる間くらい、余の玩具になってくれてもよかろう」
口を尖られて駄々っ子のように言う。
「何故?」
「余が暇じゃからじゃ」
「――どうでもいい」
軽いため息が出てしまう。
「そういうが、一応、着てくれてはおるのは何故じゃ?」
アルが流し目を蒼に送る。
「最低限の付き合いのつもりだ」
視線を無視して庭の方を向いて答えた。
実際、客という立場で一つの着替えしか用意されていない状態では、選択の余地は無かった。
着て来た制服は、まだ返して貰っていなかった。
「ならば、もう少し付き合ってくれぬか? 場所に合わぬというなら余の振り袖を貸し出すぞ?」
「いい」
アルの振り袖姿は似合っていたが、自分が着るとなると別だった。
基本、動きにくい服は嫌いだった。その意味でも、いま身につけているゴスロリドレスも好きではなかった。
「遠慮はいらぬのにのぅ……」
やや寂しそうに下を向いて指遊びを始める。
「……」
その様子を見ていると、蒼の方が罪悪感を覚えてしまう。
少しは構ってあげるべきかと思い直した時――。
「な――」
「む」
二人の表情が同時に固まった。
突如、日本庭園を囲むように空間が遮蔽された。 そして、その内部に異質な気配が五体出現し二人を取り囲む。
『蒼様っ!』
『分かってるっ!』
リルラルが脳内で反応して蒼の背中に器官が構成された。
「ここに直接とは何奴じゃ?」
アルもその手に黒い気を集めて槍状の武器を構成した。
空気を震わせ五つの気配が空中にその姿を現す。
それは、ドラゴンとしか言えない形状の存在だった――黒色の鱗に覆われた二メートル程の身体、四つ脚に生えた黄色く鋭い爪、コウモリの皮膜のような灰色の大翼と長い尾、そして裂けた口に生える牙と頭の左右の角。
どこから見ても異様な五体のドラゴンの出現に場の空気が緊張する。
「我等ユーシリアの使徒たるソウルナイツ、汝の力、調和を乱すもの、我が主の裁定により返上を命ずる」
一体が前に出てアルを指さして、日本語で喋った。
「祖竜ユーシリアか……そんな奴もおったのぅ」
アルが心底嫌そうな顔をして、喋ったドラゴンに矛先を突きつけた。
「断ると言ったら、どうする気じゃ?」
「我等の力を持って殲滅する」
「……面倒な話じゃのぅ……」
アルが蒼に何気なく視線を合わせた。
その途端、蒼の中にソウルナイツに関しての情報が圧縮された形で流れ込む。
『アル様からの情報伝達術です、解析結果をお伝えします』
『ああ』
リルラルが仲介して蒼に情報の展開結果が伝えられた。
『五体のドラゴン――ソウルナイツは祖竜ユーシリア様の眷属であり、過去に捕らえ吸収した魔竜の魂そのものです』
『ユーシリアの力は吸収利用だったな』
祖竜としてのユーシリアは、自分に向けられた全ての力を吸収して利用する事が出来る特性をもっていた。
それは防御において無敵であり、故にユーシリアは全ての戦いに関与しない立場を取って、リエグでの大戦の後この次元から離れていた筈だった。
『ユーシリア様の理念は全ての均衡が取れている状態を保つ事にあります。大きな戦いを避けるためです』
『それは知っている』
『アル様の情報によると、その力の調和が著しく崩れた時、自らの眷属を派遣して調和を崩している存在を、争いが始まる前に始末してしまうという事です』
『リティスの知識には無いぞ?』
『竜に対しては完全秘匿の情報であり、ユーシリア様に関する特殊な情報を知り得た竜の記憶を変化させているという事です』
『それでユーシリアに関する情報を竜の大半が持たない訳か……』
前にラクティと話をした時にも、五竜の内、ユーシリアだけが影が薄いというか、その存在が無視されている雰囲気を感じていた。
それ自体がユーシリアの思惑だったと言われれば納得だった。
影でコソコソするタイプだと蒼は認識した。
『アル様は戦う気満々です、どうなさいますか? 私から返信出来ます』
『空間遮蔽に巻き込まれた以上、やるしかないだろ、二体は引き受ける』
三体と言いたかったが、アルの方が三体欲しいだろうと思い二体という事にした。
『了解です、返信します』
リルラルが蒼の瞳を使ってアルを見て情報を送り返した。
『アル様了解です。アル様が知り得るソウルナイツのスペックを展開します。戦闘に役立ててください』
瞬時のやり取りが終了して、蒼の脳内に眼前の敵の情報が浮かび上がる。
『――これは面倒な相手だな』
素早くスカートを捲りアブソリュートを抜く。


「アル、こっちはいつでもいいぞ」
「うむ」
アルが頷き、前に出ているソウルナイツに向き直る。
「返答しようぞ、――返す気は毛頭無いわっ、掛かってくるが良いっ!」
「――その返答で後悔はないか?」
表情の分からない竜顔が言葉に威圧を篭めて確認する。
「余の言葉に訂正などない。――行くぞっ!」
手に持つ黒槍を、喋るドラゴンに投げ付ける。
それが戦闘開始の合図だった。
五体のドラゴンが一斉に牙の生えた口を大きく開けて灼炎のブレスを吐き出す。
庭園内が白に近い色の炎に包まれ、黒槍が焼き消え、二人の居た東屋が蒸発するように燃え、石詰めの床が真っ赤に焼けて溶けてしまう。
まさに殲滅攻撃。
『容赦なしですね』
『ああ』
蒼はブレスを短距離テレポートで回避して、そのまま宙に浮き、一体の竜の背後を取った。
「魔の気配を持つ者よ、その精神を祖竜の名において喰らうっ!」
アブソリュートをソウルナイツの翼の付け根付近に突き立てる。
アルからの情報だと、ソウルナイトは実体を持たない物理攻撃ユニットで全ての物理攻撃を基本無効化してしまう。
その為、その基本構成力に対して直接ダメージを与えるしか倒す方法が無く、竜ならば相手を喰らうつもりで意識支配するしかなかった。
蒼は突き立てたアブソリュートを通してソウルナイツの魂を意識で探り、それを喰らう。
アブソリュートは空間歪曲防御を貫き『無垢なる物』のコアを探り出して破壊することが可能な短剣だが、その本来の力は『意思が集まる部分』を探り出して、それを捕らえる力だ。
それは竜にも大ダメージを与えられることを意味し、リエグ製の究極武器の一つだった。
とは言え、無制限に使える武器ではなく一度の起動で一時間程度しか使えず、起動毎に『無垢なる物』のコアを一つ消耗するという燃費の悪さを抱えている。
しかし、蒼は『起動状態の剣の時間』をリルラルの力でゆっくりにすることで、蒼が持つ限りは永続的に使用可能としていた。
「相手が悪かったな!」
ソウルナイトの意思を捕らえて、それを蒼が竜として喰らって行く。
一気にその姿が薄く半透明になって行き、最後は崩れるように消滅してしまう。
「次っ!」
周囲を見渡して手近なソウルナイツの元にテレポートする。
アルの様子まで気にしている暇はなかったが、気配はあるので最初のブレスは回避したのだろう。
『蒼様、強度空間干渉です』
『ちっ』
瞬間、蒼の姿が消えたが、また、ほぼ同じ場所に出現する。
ソウルナイツが自らの空間支配力を強めて、並のテレポートを封じて来た。
『攻撃来ます』
『器官障壁防御っ!』
器官の表面に光の防壁を張り、それを後ろから身体を覆うように拡げる。
そこにソウルナイツからのブレス攻撃が直撃――火炎が四方に分散して流れて行く。
『分解出来ない攻撃は厄介だ』
『仕方ありません』
ソウルナイツの吐くブレスは、間粒子操作で生み出した物ではあるが、彼らが魔竜の特性として体内に溜めた間粒子に対干渉対策を付与しているため、瞬間的に分解するのが不可能に近い攻撃だった。
『途切れたら一気に行く』
『はい』
器官を楯にする形で灼熱の息をやり過ごす。
まぶたを閉じても目に焼き付くような高温攻撃に、器官表面に張った防御壁が徐々に削れて行く。
相手の息が切れる前に防御壁が壊れるとやっかいな状態だった。
「ちんたらやっておるのぅ。――切り裂け、余の裂帛と共にっ!! はぁっ!!!」
すぐ近くでアルの声がして、目の前のブレスが左右に分かれ消え失せた。
「アル、こっちで二体引き受けた筈だぞ」
「ちまちましておるからじゃ、余は二体仕留めたぞ」
「流石だな」
周囲を見渡すと浮いているドラゴンは蒼の前の一体と、おそらく最初に話しかけた一体だけになっていた。
「あと、一匹ずつじゃ、さっさと片付けるぞ」
「ああ」
アルが遠い方の一体に向かい、蒼が今ブレスを吐いていた方に突進する。
「容認水準を著しく越えると判断、我が主の名において調停力を行使する」
アルが向かった方のドラゴンが言い、その途端、蒼が向かった方のドラゴンの身体が閃光と共に弾けた。
「っ!」
閃光自体に熱量は無く、ただ眩しいだけの光だったが、光が収まった時、遮蔽空間内が全て瞬時に異次元化した。
現れた異界は、まるで深海のような重密度の空間で、蒼の全身に有り得ない重さがのし掛かった。
『なんだこれは……解析出来ない』
『位相転移を操る超空間攻撃だと思われます、構成意志力を保ってください、弱まれれば砕かれますっ』
口を開く事すら出来ない全方向からの圧力。
背中の器官がミシミシときしむ。
全ての方向から均等に圧力が掛かっている為、根本から折れるという事なく内側に圧縮されて行くのを感じた。
『ちっ……アブソリュートで切り裂けば』
手を動かそうとするが、握ったままの形で全く動かなかった。
まるで空間に縫い付けられたように身動きが取れなくなってしまう。
「ほぅ……随分と派手な事をするのぅ」
その中でアルの声が響く。
その動きは止まっていたが、喋る事は出来る様子だった。
「これは、争いを強制的に止める力、そして、我が主の直接の裁定を待つ為の場ならし」
「つまり、調停者としてユーシリアが来るというのか?」
「この場はその為のもの――降臨の道しるべ」
閉じた異空間のほぼ中央に急速に光が集まり、それが人影を形成して行く。
「ソウルナイツの手に負えない相手ですか……何千年振りですかね」
「主がユーシリアか?」
人影は小柄な人間の少年になった。
神官のような白い長衣を纏い、金色の瞳が不思議な許容力をたたえていた。
「ええ、まず状況を確認させてください」
ユーシリアがアルと蒼の双方を見てから、ソウルナイトと視線を合わせる。
「そうですか、リティスと魔竜の争いではなく、著しく突破した力を感知したという事ですか、了解です」
「まっ、余の事であろうな」
「その様子ですね」
「では、余の方も一つ確認して良いかのぅ?」
「何をですか?」
「――とりあえずじゃ」
アルがその手に漆黒の弓と矢を創り出す。
矢は最初から番えた状態で、出現と同時にユーシリアに向かって放たれていた。
「……」
ユーシリアは矢面から動かず、そのまま漆黒の矢の直撃を受けるかに見えた。
しかし、矢はユーシリアに届く前に光の壁に当たり、その直後180度方向を変えてアルに向かった。
「――はっ」
アルは弓で飛んで来た矢を叩き落とした。
「反射の力、本物のようじゃのぅ」
「はい――ところで貴方の今の力は決定未来上には存在していません。リティスの差し金ですか?」
ユーシリアが蒼の方を向く。
すると、蒼の身体に掛かっている圧力の一部が弱まり口が動くようになる。
「私は知らない」
短く答えた。
「リティスとして関与していないということですか?」
「そういう意味じゃない、私にはリティスとしての記憶があまりない」
正直リティスと名指しされても実感はあまり無かった。
「完全に戻った訳ではない――という事ですか、ところでその短剣、僕の勘が危険だと告げるのですが、どこで見付けたものですか?」
「リエグ製だ」
「となると大戦の時に封印しそこねた遺物という事ですね、貴方が完全に力を取り戻して、その短剣を振るうと著しい脅威になると判断します。――この場で再び我等の側に付くか、その短剣を廃棄するか、選んでください」
「すぐに決められる話だと思うのか?」
「僕の出現時間には限りがあります。すぐに決めてもらわないと、強制的に廃棄する事になりますが?」
完全に一方的な要求だった。
「……」
考えるが、思考がまとまらなかった。
あまりに事の流れが速すぎて、ユーシリア側に付くという事が正確にどういう意味なのか理解する為の情報が不足していた。
昨日から色々な事が一度に起きすぎだった。
まるで、堰を切ったように想像を超えた事が発生していた。
『蒼様、ここは一度、考えをまとめるだけの時間を要求するべきかと』
『さっき否定されたぞ』
『しかし、こちらが不利すぎる要求です』
『それはそうだが』
リルラルの意見はもっともであり、それが出来るなら一番だった。
「余の事を無視しておらぬか?」
と、アルが憮然として言う。
「ああ、すみません、貴方はその力を返す気はないという報告ですが、その意思に変化はありませんか?」
蒼に何の執着もないように、今度はアルに向き直る。
「ある訳なかろう」
「そうですか、では、貴方の理念は何ですか?」
「全てを統べるつもりでいる存在に対して一矢報いる事じゃ」
アルの答えには何の迷いも無かった。
「世界は安定しているというのに、それを崩すという事ですか?」
「そう見えるとしたら、その目は節穴じゃな」
「……分かりました」
心底残念そうな顔をする。
「殲滅以外の選択肢はないと判断します」
「そう来ると思っておったわ、――余の力、甘くみるでないっ!」
拘束されていたアルの身体があっさりと動いた。
そして、その背中に赤黒い金属のような器官が広がり姿が黒く霞む。
霞は即座に晴れて、そこには変身したアルの姿があった。
長い尾と頭から生える二本の角、赤と黒の鎧に合わせて意匠された和服を纏い、その両手に闇色の燃える炎で出来た大剣を握る。
見る者を圧倒する姿と気配を有し、空間を蹴ってユーシリアに斬り掛かる。
「僕に攻撃は効きませんよ」
「主とて全てを反射出来る訳でもなかろう? 受けてみよっ、余の一撃っ!!」
アルの両手の剣が振り下ろされ、ユーシリアが微動だにせずそれを受けた。

「――緊急事態、非再現部分、現一時凍結、半強制起動モード」
寝ていたラプリアがむくりと身体を起こした。
「エシス内、空間干渉コード再利用、ラプリア・ランプル・エルトリアの名において書き換え完了」
「強制介入開始」
ラプリアの背中に機械の翼が展開された。

アルの二本の大剣による攻撃は、ユーシリアに届く前に彼の前に展開されたシールドによって阻まれた。
激しい衝突によって異空間内の重い空気が震え上がる。
そこまでは、どちらにとっても予想通りの展開だった。
「――っ」
直後、余裕だったユーシリアの顔に緊張が走った。
「どうした? 吸収して反射してみせよ」
好対照にアルの口元が緩む。
「これ程の力ですか、明らかに『用意されていたモノ』ですね」
「持っていた輩が、そんなことを言っておったな」
フィテアの言葉を思い出す。
祖竜リティスの為に用意された身体であるという事。
「なおさら貴方に預けておく訳にはいきません、しかし、今は押し返す事に専念する必要がある様子ですね」
ユーシリアが視線を蒼に向けた。
「協力を要請します。この場で僕に協力するのであれば、リティスとしての力の全てを戻してあげましょう」
口調は至って普通だったが、祖竜が押され助けを求めている状況だった。
蒼の周りの圧力が完全に無くなる。
「蒼、甘い言葉に黙されるでないぞっ、余に協力せよ、あと一押しでユーシリアを駆逐出来るやも知れんっ!」
アルがすぐに口を挟む。
多分その通りの状態で、今、蒼が手を貸した方が勝つ事は明らかだった。
しかし、蒼は二人を前にして動けないでいた。
『どういう事……だ』
『今のアル様の気配は、前にも……』
『ああ、あれはラクティの身体だ、尾や手のパーツは同じ物だ』
ラクティが纏っていた時の異様さは消えていたが、パーツ単位で同じ部分があり、気配はほぼ同一と言えるものだった。
それはアルの固有の気配に乗っかるような形で、その気配を膨らませていた。
『何らかの方法で、複製したということでしょうか?』
『いや、これだけの気配をもつ身体を複製出来る訳がない、間違いなくラクティ本人のものだ』
脳内で結論を出す。
「アル、一つだけ聞く」
抑えた声で紡ぐ。
「その身体は誰から手に入れた?」
「そんな場合か?」
二本の剣を押し付けつつアルが答える。
「答えてくれ」
蒼はただ真っ直ぐにアルを見て言った。
「ある竜を倒して奪った、まぁ、逃げられたがな」
アルの回答は致命的だった。
「――分かった」
『蒼様、どうなさるのですか? まさかユーシリアに協力を?』
『あんな信用するな、と身体で言っているような奴の事を信じられるか』
『では、一体?』
『リルラルは感じないのか? このチリチリする感じ』
先ほどから、蒼の意識にチリチリとした何かが呼び掛けて来ていた。
『えっと……外部からの接触など、この異空間に対して不可能な筈では……?』
『そうか……私とラプリアだけの繋がりなんだな、ラプリアが外で呼んでる、アブソリュートで空間を斬った後、ラプリアのガイドに沿って超長距離テレポートを行う』
『どちらにも協力せず撤退するというのですか? どちらからも敵と認識されますよ?』
『構わない』
それは蒼なりに覚悟を決めた言葉だった。
現状から逃げる事にはなるかも知れないが、少なくとも自分の意思を通して、自分が良いと思う道に進む事になるとは思った。
『分かりました――サポートします』
『ありがとう、祖竜力解放――超長距離転移準備』
蒼の背中の右側の器官が半透明化し、左側の機械の翼がブルーホワイトに発光した。
そして告げる。
「私の答えは『どちらにも協力する気はない』だ、今この場の争いに関わる気はないっ!」
アブソリュートを構えて眼前の空間を切り裂く。
開いた空間の裂け目は次元がずれているらしく元の空間では無かったが、ユーシリアの支配空間に穴が空いた事には変わりなかった。
「な!? 待つのじゃ、蒼っ!!」
アルが本気で驚いた顔をして剣を退き蒼の元に来ようとする。
「空間を斬る武器ですかっ、ソウルナイツ修繕をっ!」
ユーシリアの顔にも驚きが浮かび、アルを追撃する事を無視してソウルナイツに指示を出す。
だが、二人の動きより蒼の行動の方が素早かった。
「繋がった――リルラル、ラプリアのコアとリンクして」
『はい、デュアルコアシステム起動』
「超長距離転移」
外のラプリアの存在を道標にして蒼は空間を跳躍して、アルとユーシリアの前から消えた。

「ユーシリア様の異空間から転移して探査範囲外に逃げ去りました」
シムリナが屋上の柵に手を掛けて言う。
その背後にはアルバートの姿があった。
「ラプリアも一緒にか?」
「はい」
「一度壊れておかしくなったのか? こちらの支配が優勢の筈だろ?」
「いえ、おそらくこうなるようにプログラムされていたと考えます。リティスの能力は運命確定予知ですから」
「ちっ、してやられたな」
アルバートが頭を乱暴にかきむしる。
「私達はどうしますか? ユーシリア様を呼んだ事、おそらくアルジアス様に悟られます」
「お前は残れ俺が囮になって消える、俺が内通していたと、お前が報告すればいい」
「はい、分かりました」

転移先の条件は周辺に大型生物の反応がなく、珪素か炭素を多量に固めたものが無い場所だった。
そして――。
『転移完了』
「っ、!?」
いきなり水中に出て蒼は流石に焦った。
即座に上下を認識して水面に向かう。
「――ぷはっ、はぁ、はぁ……」
顔を出すと、どうやら海上の様子だった。
荒く息を吐く、口に入った水が塩辛い。
竜に呼吸する絶対的な理由は無いが、人間形態の時は呼吸しているので息苦しいという感覚はあった。
「ラプリアは!?」
「はい、後ろです」
立ち泳ぎで背後に振り返ると、裸のラプリアが犬かきで浮かんでいた。
「なんで、海なんだ!? あと、なんで裸なんだ?」
「とにかく距離を稼ぐ転移を優先し、尚かつ大型生命体が存在しない場所を探した結果、この場所が最適だったという判断です、それとも上空千メートルの方が良かったですか?」
「いや……まぁ、空よりはマシかも知れないが……」
飛ぶ事は出来たが、降下する時に発見される事もあり得るし、その時に発見されないように力を使えば探査される可能性もあった。
『ラプリアはこういう部分でバグっていますから、ご容赦を』
リルラルが脳内でフォローを入れて来る。
「では、陸地に。しばらくは力の利用は控えての移動推奨となります」
「それはいいが、その……裸のままは不味いだろ?」
「表層防壁に服のデータを展開すれば、着ていることになります。無駄に力を使うと探知の恐れがあるので、もう少し距離を稼いでからとなりますが」
「いや、だったら、陸に上がって何か探さないと。しばらく裸ということだろ?」
「――それなら」
ラプリアが泳いで少し離れる、その方向を見るとビニールに包まれた何かが数点浮かんでいた。
それらを拾い集めて戻って来る。
「蒼様の元の服を転移前に発見しておきました、小物も。これに蒼様が着替えて、蒼様が今着ている服を私に」
それは着て来た制服一式とポケットの中に入れてあった小物の類だった。
制服はクリーニングされた後なのだろう、綺麗になって袋の中に入っていた。
幸い中に水が入った様子は、まだない。
「ありがとう、気が利くな」
素直にお礼を言う。
「いえ、問題ありません」
答えつつ、それらをまとめて頭の上に乗せ、そのまま器用にバランスを取って犬かきを続ける。
「陸地を」
「あ、ああ」
そんなラプリアの行動に、やや戸惑いつつ二人は陸地を目指した。
約一キロ程度先に海岸線が見えていた。

「状況的に仕方ありません、ここは一旦、退きましょう」
「余も興がそがれたわ」
「では、――今度まみえる時までに返却の決断を」
ユーシリアの姿とソウルナイツの姿が瞬時に消えた。
同時に異空間が消失して元の日本庭園に戻る。
「――」
アルが変身を解除して赤の振り袖姿になり、ゆっくりと地面に降りる。
庭園内は酷い有様だった。
灼熱のブレスを浴びた部分は、まるでマグマが流れた後のように黒ずみと化し、全体を見ても、小さな火の手があちこちであがっていた。
生木で無ければ、とっくに一面が火の海になっていただろう。
「これを直すくらいなら、職人を呼んで一から作らせた方が良いのぅ」
アルが惨状を見渡して言う。
「消火だけしておくか――水よ、我がの意のままに――」
庭園にアルだけを避ける形で雨が降り始め、大量の水蒸気が立ち籠める。
「しかし……この場が看破されたとなると、内通者を考えるべきかのぅ……」
その呟きは白いモヤの中に消えていった。

4章.目的

レーナ達との待ち合わせ場所は、レーナにクレイドルの監視が付いている事を前提にして、あえて人が多い街中で会う事にした。
いきなりの戦闘を避けるには、人が大勢いる以上の保険はなかった。
「――で、向こうはいつ来るんだ?」
「十三時過ぎと言っていたから、そろそろでしょ」
達彦とラクティの二人が、繁華街の中にあるコーヒーショップの奥の席にいた。
あと二人来る事を前提に四人掛けのテーブルだ。
お昼過ぎの店内はほぼ満席でお客の出入りも激しい。
「偉い人なんだろ? 俺が居ていいのか?」
「ええ、貴方も祖竜の一人なのだし、格という点では問題はないわ」
「それでも、なんか緊張して来るな」
「別に普通でいいわよ、表の社会的立場としてはレーナは単なる大学生だし」
「それでも、実年齢は俺の記憶がある期間より遙かに長い」
「そんなの私だって同じじゃない。達彦は祖竜としてドッシリしていればいいのよ」
「まぁ、基本は傍観しておくさ」
コーヒーを一口飲む。
と、新しいお客が入って来るのが視線の先に見えた。
顔は見えない位置だったが、その立ち振る舞いだけでも、オーラが違うというか、まるでトップモデルのような雰囲気が漂っている感じがした。
「――来たみたいだ」
気配を探ると普通の人間と基本的に変わらないが、強く探ればそれが偽装である事が達彦には分かった。
「ほんと?」
向かい合うラクティが振り返る。
「こんにちは」
落ち着いたグレーのコート姿の女性が挨拶する。
カウンターでの注文を終えた後の様子だ、カウンターには、もう一人白いコートを着た娘が注文の品待ちをしていた。
「レーナ、久しぶりね」
「本当にミシリアの身体なのですね」
グレーのコートを脱いでラクティの隣に座る。
「複雑な気持ちになるのは分かるけど、それ以上に色々と動いているから、今はその話を」
「ええ、分かっています。それと一応尾行はまいておきました」
「そう、じゃ、パパッと紹介しておくわ、この人が達彦、祖竜リブオールの転生体。で、達彦、この人がレーナ」
「はじめまして、レーナ・テルチェ・ユーリと申します。こちらでは篠崎由梨香(しのざきゆりか)と名乗っています」
レーナが達彦に向かってぺこりと頭を下げた。
「どうも、俺は山内達彦、実感は無いが一応祖竜の一人という事らしい」
「リブオールは大戦時にリティスを庇う形で、裁定を受けたという話は聞いています。私は大戦末期に創られた後期型ですから、あまり詳しい事は知りませんが」
「いや、そういう事情を知っているだけでも、俺よりはリブオールの事に詳しいよ」
「全ての記憶が無いという事ですか?」
「ああ」
「それは困りますね」
整った顔に憂いを浮かべる。
それは全く嫌みではない同情だった。
「お待たせー」
と、そこに少し高い少女の声が響く。
白いコートを着た娘がトレーを持って三人が座るテーブルにやって来た。
「私はそこね」
トレーをテーブルに置いた後、コートを脱ぎつつ達彦の隣に全く躊躇無く座った。
「あ、はじめまして、二石十月(ふたいしとつき)と言います。由梨香先輩と同じ大学に通っています、よろしくお願いしますっ」
元気よく挨拶する。
「それはいいけど、レーナこの娘は? 無関係では無いわよね?」
ラクティが戸惑った様子で隣のレーナに視線を向ける。
「ええ。十月ちゃんは『始まりの存在』最初の『無垢なる物』フィーヌ・ラキリ・オプティーです」
「え――この娘が?」
唖然となる。
そんな気配は抑えてる前提としても全く感じられなかった。
「今はコア以外は普通の人間と変わりませんから判別は不可能だと思います、ですが真実です」
「そろそろ私も休んでいる状況じゃないと思ってね」
「参戦するという事?」
「そうよ、一応最強だからね、封印の門番は私の妹だし」
「リエグ最高の頭脳、オプティー作の最初にして最強の完全自立型ドールの参戦ね……心強い話だけど、クレイドルが黙っていないでしょ?」
「はい、私と一緒に竜と会えば確実に反応されると思い止めたのですが、本人がエシスの事もあるからと」
「敵討ち?」
「そのつもり、エシスちゃんとは仲良かったし」
十月は最初だけ敬語だったが、すぐに砕けたしゃべり方になっていた。
人見知りという事が全くない性格のようである。
「そう」
ラクティがやや複雑な顔をする。
エシスを壊したのは確証は無いが九割九分蒼であり、その蒼に対する気持ちの整理が付いていないという顔だった。
「――すまん、ちょっといいか?」
話が途切れた瞬間、達彦が割って入る。
「なに?」
ラクティが受けた。
「いや……二石さんに、聞きたい事がある」
「ん? 十月でいいよ、ええっと」
達彦の顔をマジマジと見て小首を傾げる。
「山内達彦だ」
「達彦さん、じゃ、改めて何かな?」
「前にどこかで会った事がないか?」
「えっと――それは、凄い古い手口の口説き? 私、心に決めた人がいるからパスなんだけど」
何かの冗談? という風に十月が流す。
「いや、真面目な話だ」
達彦も十月の事をマジマジと見つめた。
「ちょっと達彦、私の前でいきなり他の子にアタックとか、どうなの?」
ラクティが頬を膨らませる。
「そういう話じゃ本当にない、君には明らかに竜の気配がある」
達彦の気配を探る能力は誰よりも高い。
隣に居る相手なら、どんな偽装も貫く事が可能だった。
「え、それって、どういう?」
困惑した顔でレーナの方を見る。
「十月ちゃん、もう一個のコアの方、あれの話じゃ?」
「でも、アレは関係ないと思うけど、私の戦闘モード用のコアだし」
「心当たりがあるなら、ちょっと探らせてくれないか、どこか身体を手で触れさせてくれるだけでいい」
達彦が真剣に訴える。
自分でも理由が分からないくらい十月の気配が気になっていた。
「わたしはいいけど……」
十月の視線が厳しい顔つきのラクティに移る。
「達彦がどうしてもというなら、許可するわ、それほど嫉妬深い訳じゃないから」
思い切りそっぽを向いて言う。
怒りのオーラが迸っていた。
「すまん、どうしてもだ」
「なら、勝手にしたら」
「じゃ、二石さん、手を」
「十月でいいです」
言いながら、十月が達彦に右手を差し出す。
達彦がその手を握り十月の内側を探る。
コアが二つある事にはすぐに気付いた。現在、片方だけが起動しており、もう片方は休止状態にあるようだったが、その休んでいる方が問題だった。
「……これは」
そのコアは何重にもシールドされ半ば封印されたようなコアだった。そして、その封印の奥にアクセスする事は、どう考えても容易な事ではない筈なのに、何故か達彦には、その手順が分かる気がした。
まるでシールド解除の鍵が達彦自身であるかのような反応だった。
「君、このコア、シールドを完全に解除した事があるかい?」
「完全解除は一度もないわよ、お父様に禁止されている事だし、そこまでしなくてもダブルコアシステムは起動出来るから」
「じゃ、このコアの中身を知らない訳だな?」
「コアの中身って……基本構成情報がエーテルドライブに記入されているだけでしょ?」
それは一般的な『無垢なる物』のコアの場合の話だった。
「このコアはエーテルドライブじゃない、そう見えるように偽装されているだけで、竜の基本存在力を固めたものだ」
「竜の? そんな話、知らないけど」
完全に疑いの眼差しを達彦に向ける。
「君に分かる所まで、俺がシールドを開けてみせる」
「ちょ、ちょっと待ってよ、勝手に私の中にっ――!!!」
達彦が言った後、十月の表情が固まった。
「達彦、何をやっているのよっ!?」
ラクティが身を乗り出して、達彦が握っている手を振り解こうとする。
「待って下さい」
その動きをレーナが止めた。
「って……なに、これ……分離プログラム? ラストコアの座標? お父様からの伝言?」
固まった顔のまま十月の口が意味深な事を呟く。
「色々とまずい感じですね、尾行に場所が悟られますが、周囲の人間の記憶を飛ばします」
レーナがテーブルの上で指先で記憶操作術の発動陣を描く。
こちらの騒ぎに視線を向けていた人間が、全て興味を失ったように視線を外す。
「――そういう事ね、分かったわ、お父様」
十月の顔に表情が戻り、達彦がその手を離した。
「すまなかった、いきなり仕掛けが動くとは思わなかった」
「いいわよ、『無垢なる物』の内部の仕掛けなんて、竜には分からなかっただろうし、こうなる事が予想されていて発動条件が決まっていたみたいだから」
頭を下げる達彦に対して十月が笑顔で返した。
二人の間でコアに干渉した時に何か通じた物があった様子だった。
「とりあえず説明してくれるかしら? どっちでもいいから」
憮然とした顔でラクティが言う。
「私が説明するわね、私の中の事だし、簡単に言うと、私の中には二つのコアがあって、その片方が竜の魂と言えるものだったという話よ」
「簡潔過ぎて、逆に意味が分からないのだけど」
「えっと、じゃ、前振りから話すと、リブオールの力は裁定時にバラバラにされて異次元に封印されたのだけど、そうなる事が予知出来た段階で、予め力の半分を『無垢なる物』のコアに偽装して私の中に隠したの、いつか本人が回収する日の為にね」
「それじゃ、貴方の中に達彦の竜の存在力があるって事?」
信じられないという顔をする。
「そういう事、――で、山内さん、この力どうする? 返却は拒まない、ただ、そうすると私は弱くなるから、一度戦力から外れてしまうけど」
「少し考えさせてくれ」
十月の中を探った時、達彦の方にも事のあらましが伝わった。
要は祖竜としての力が、即座に半分戻ってくるという話だった。
話そのものは嘘のようで実感が無かったが、十月の中に触れた時に感じた力の気配は本物だった。
ラクティを守る力は欲しいと思っていたが、それどころじゃない力の大きさに戸惑ってしまう。
ただ、ふとフィテアが言った『自分に対しての鍵』という言葉が思い出された。
それは間違いなく十月の事であり、彼女と出会った事で、また歯車が一つ回ったという事なのだろう。
最近の事件の連続から、その事に意味が無いとは思えない――つまり、力が必要になる事態が起きる可能性が濃厚だと思われた。
それを踏まえるなら、すぐに力を返却してもらっておいた方が良いかも知れない。
「返却して欲しい、出来れば早めに」
結論を言う。
「分かった、私はそれで構わない。ただ、どこで返すかは考えないと、私のコアを露出する事になるから静かな場所がいいし、けど、これから動くとクレイドルの尾行が付いて来ると思うの、さっき先輩が力を使ったから気取られている筈だし」
「すまない、それは俺がいきなり過ぎたから」
「いえ、どのみちずっと尾行をまける訳ではありませんから、それは気にしないでください」
頭を下げた達彦にレーナが言う。
「まぁ、仕方がないわね、私のデパートに行くしかないでしょ、あそこもマークされているけど、地下の結界の中で何かしている分には、その内容が外に漏れる事はないから」
ラクティの提案に異論があるメンツは居なかった。
四人はそのままラクティの住居であるデパートの地下に向かった。

海から上がった蒼とラプリアは冬の海岸を岩に身を隠しつつ進んでいた。
蒼の濡れた長い髪は軽く叩くように絞ってから一旦ポニーテールにまとめ、裸のラプリアも同じように髪をまとめて蒼の後に続く。
「とりあえず、あの大きな岩陰で服を着ろ」
二人の前方には大きな岩が三~四個あって、丁度着替えられるくらい岩陰があった。
「構いませんが、蒼様の方がこちらを着て、私が蒼様が着ている物を着た方が良いのでは?」
ラプリアがビニールに入った制服を蒼に差し出して言う。
「いちいち脱ぐのが面倒だ」
蒼は濡れたままのゴスロリ服を着ていた。
普通なら寒くて凍えてしまう状況だったが、そう言った事を無視出来る竜には関係なかった。
「ですが、これは蒼様の服ですし、立場上、私の方が濡れていない服を着ているというのも」
「別に問題ない、そのうち体温で乾く」
「ですが――」
「いいから」
尚も何か言おうとするラプリアに対して、蒼は差し出された制服を押し返した。
ゴスロリ服が気に入っている訳ではなかったが、濡れた服を誰かに着せる事が嫌だった。
「分かりました」
ラプリアは渋々という様子で納得した様子だった。
『ラプリアの為にありがとう御座います』
頭の中でリルラルが言う。
『いや、服を持ち出したのはラプリアだし、そのまま着ればいいだけだ』
岩陰に向かい、そこでラプリアは蒼の制服を身につけた。
蒼とラプリアの身長の差は多少あったが、ラプリアが縮んだこともあって着れない程のサイズ差はなかった。
「これは蒼様が」
着替え終わって、制服と一緒になっていた小物を蒼に返す。
その中にお財布と携帯があった。
「ああ」
携帯を受け取り、ラクティに連絡するべきか考えて止める。
今はもう少し動ける体勢を作る方が先だと思った。
「では、これからどう致しますか? もう少し距離を稼げば、力を使用した場合でもこちらの探知は出来なくなる筈です」
「なら、まず距離を稼ぐしかないな」
「では、肉体能力だけで人目を避けつつ工場から遠離る事を第一とします」
「分かった」
二人は岩場から出て海沿いを走る二車線の道路に移動する。
歩いている人影はなく車の通りも少ない道で、すぐ脇は草の生えた軽い斜面になっていて目立った人工物は電信柱だけだった。
「――移動に障害はない様子です」
「そうだな。じゃ、どっちに向かう?」
「どこでも構いません」
「なら、一度ラクティ達に会いたい」
色々と話したいことがあった。
これからどうするかも、移動中に考えておいて話し合う必要があるだろう。
「そうだとすると、直線では東南に向かう事になりますが山脈があります、道なりに行く場合は南に向かう事になります」
「探査範囲外で一番近い幹線の駅はどっちだ?」
ずっと肉体だけに頼った移動方法では時間が掛かりすぎた。
距離を稼げばテレポートも可能だったが、祖竜の力で超長距離テレポートを行った今、あまり力の余裕がなかった。
ラプリアも新しいボディーに換装直後で万全ではない。
そうなると効率の良い移動方法は列車だった。
「南になります」
「なら南に向かう、行くよ」
蒼が道路を蹴って、近くの電柱の上に飛び上がった。
そのまま電柱の上をジャンプして行く。
「――はい」
ラプリアも同じくジャンプして蒼の後を追った。

フィテアは日本列島を北上していた。
彼女の行動は祖竜リティスが運命確定予知によって予言した未来を元にしていた。
その為、もしラクティの身体を別の誰かが奪い使用した場合にも対処出来るだけの用意が、すでに成されていた。
蒼が三千年後に日本にいる事も予言されていたので、その用意も本州の北の地に成されていた。
「予知パターンBを基本に、派生確率の十五番目くらいに移相しているなのです」
高速で冬の山野を駆けつつ呟く。
姿はアルと対峙した白い鎧姿だった。背後の器官からジェットのように粒子を噴射しつつ、深く積もった雪の上を滑るように進む。
雪景色にその姿は完全に溶け込み、それを目で追える存在は誰も居なかった。

デパートに移動したラクティ達一行は、地下宝物庫のロッカールームを通って、もう一つ下層に向かっていた。
「ここは――良い物が一杯ある香りがするね」
十月が閉まった大量のロッカーを前にして言う。
「香りね……どう分かるの?」
「質の高い物は、大抵人間の『想い』が残り、物体の固有エーテルに干渉して変質するから、それが分かるだけ、あと『無垢なる物』のパーツもあるでしょ?」
「ええ、『無垢なる物』の特殊パーツは殆どが宝石だから大戦の直後、戦場に行って拾っておいたの、単独じゃ使い道が無いから封印対象外だったみたいだし」
それはラクティの単なる趣味だった。
「ふーん、私達も結構集めたけど、他にも集めた人が居たのね」
「リエグが黒海に沈むまでに時間があったし、その間、あの辺り一帯に人払いをしていたでしょ? まぁ、私も生まれたばかりで物珍しさから行ってみただけ」
生まれてすぐ明らかに人外の力が広範囲に使われている所があれば行ってみたいと思うのは、好奇心という点では普通だろう。
結果的にラクティは、その場で他の竜や『無垢なる物』と知り合う事になったのだ。
「そう、時間があったら後で見せてね」
「ええ、いいわよ」
そんな会話をしながら四人は地下に降りた。
地下ではサラマンダーが待って居て四人を出迎えた。
「サラマンダー久しぶりですね」
レーナが見知っているらしく挨拶する。
サラマンダーは何も答えないが、二人の間には何か通じた様子だった。
「実験室はこっちよ」
ラクティがフィテアとまみえた部屋へと全員を案内した。
「ここなら外からの探知は不可能よ」
「そうなんだ、じゃ、達彦さんの準備がいいなら、私のコアを出すけど?」
「構わない始めてくれ」
「待って、一応聞くけど、突然巨大化したり暴れたりとかの危険は?」
ラクティが真面目な顔で聞く。
「大丈夫だ、単に自分の力が戻って来るだけだから何ともない」
「んーっと、メモリーされている手順に特に危険はないかな」
達彦と十月が答える。
「そう、じゃ、始めてくれて構わないわ」
「ん、分かった。達彦さんは少しあっち向いててね、上半身脱ぐから」
「あ、ああ」
無垢なる物のコアは体内に埋められている。
出すとなると脱ぐ必要があるのは必然だった。
十月が着ていた白いコートを脱いで、その下のセーターと下着類も脱ぎ、上半身裸になる。
そして、おもむろに胸骨付近に指を三本差し差し込み、しばらく内部を探るようにして真っ黒いコアを一つ取り出す。
小さく小指の先程しかないコアだった。
「――っん。レーナ、ちょっと持ってて、セーターだけ着るから」
「はい」
それをレーナに渡しセーターを着て、
「達彦さん、もう、こっち見てもいいよ。――レーナ、返して」
レーナの手から自分の黒いコアを受け取る。
「はい、これがラキリコア――達彦さんの力の結晶」
「これが」
十月からコアを受け取る、手にした瞬間に、どうすれば身体に取り込めるのかという事や、取り込んだ後の起動方法などの知識が達彦に流れ込んだ。
取り込めば、今すぐに祖竜としての力の半分が復活するアイテムだと理解する。
「……」
緊張で喉がゴクリと鳴ってしまう。
「何しているの? すぐに取り込めるのでしょ?」
ラクティが達彦の背を軽くつついた。
「分かった」
黒い結晶体を右手で握り念じる。それだけで良かった。
キンッ!
高音の音が弾けて、手の中で砕けて消える。すぐに右手からゾクゾクする感覚が昇って来た。
それは、とても心地の良い刺激で全身の細胞の全てが活性化して行く。
五感が研ぎ澄まされて、達彦の理解感覚の範囲が一気に膨れあがった。
「これは……凄いな」
元々の約四百メートルの感覚範囲が一キロ程度まで拡がり、その範囲内全ての意識体の情報が脳内を駆けめぐる。
恐ろしく精度が高く、今まで感知出来ないレベルのものまで拾い上げた。
その上で、その情報を処理出来ないということは不思議となく、自動的にリスト化された情報表として理解出来た。
ただ、いま、その全てに目を通している時間はなく、細かい内容までは不明だが、整理すれば祖竜としての知識を得られることが分かった。
「クレイドルのオートドールが一キロ四方に五体ほどいる。二体はデパート内に入っているが、このラボの中にはいない、ラクティの結界が阻んでいる様子だ」
現状、危険視するべき情報を伝える。
「という事は、うまく取り込めたのね? それにしても一キロとか、そこまで分かるの?」
ラクティが感心した様子で言う。
「自分で言うのも変な話だが、五竜としてのリブオールの力は、今を知る力と突破力だ。本来なら距離は関係ない」
「未来を見るもの、今を見るもの、過去を記録するもの、という事ですね」
レーナが静かに言う。
「それで見付けたオートドールは処理する? 私達には感知出来てないけど?」
「デパートに居るのは極端に気配が小さく隠蔽に優れたタイプみたいだな、大した力は無いと思うが、どうするかは任せる」
ドールに対する知識はそれほど無かったが、持っている気配の総量から術の一つも使えないタイプのドールっぽい感じだった。
「まぁ、自宅を監視されている趣味はないし、私が片づけて来るわ、達彦一緒に来て」
「ああ」
「じゃ、二人は倉庫の中でも見て待っていて、サラマンダーが案内するわ」
レーナと十月に向けて言う。
「はい、では、見せていただくことにします」
「うん」
「使えそうなものがあったら言ってね。じゃ、サラマンダー、後はよろしくね。――行って来るわ」
ラクティは達彦と共にレーナ達と別れて、上階の売り場フロアに向かった。
地下駐車場から、お客も利用する正当ルートのエレベーターに乗って監視ドールの気配があった一階で降りる。
「で、どこにいるの? いきなり潰すと騒ぎになるフロア内でしょ?」
一階は流行のブランド服のテナントが多数存在するフロアで、お昼過ぎのこの時間沢山のお客がいた。
「どういう形で居るのか分からないが、フロア内に居るのは確かだ」
「私達が近付いたら反応するという事はないかしら?」
「現状動いていないから、何とも言えない、誰かが運んで元々移動しないタイプの可能性もある」
達彦の感覚が強まって初めて気付けた対象だ。
その場所にどうやってやって来たのか、までは分からない。
「そうね……まぁ、記憶を飛ばす用意だけはしておくわ」
フロアにいるお客の様子を見ながら言う。
「なら、まず近い方から行くぞ、こっちだ」
「ええ」
二人がフロアを歩き出した時、ラクティの携帯電話が震えた。
マナーモードにしておいた為、誰かすぐに分からない。
「電話ね、美佑達からかも知れないから出るわよ」
フロアの壁の方に移動して液晶画面を確認する。
「え、蒼?」
表示された番号は蒼の携帯だった。
二人とも驚くが、とにかく通話に出る。
「もしもし、蒼なの?」
『ああ、ラクティか?』
「そうだけど……」
何を言うべきか言葉が出ない。
つい昨日本気で戦った相手だ。
『何ともないのか?』
蒼の声はこちらを心配しているような声だった。
「それは、どういう意味? こちらであったことを知っているの?」
クレイドル側で何か情報を掴んでいる可能性もあった。
『今のラクティの身体は誰のものだ?』
「そう、そんなふうに聞くなら知っているのね。今の私の身体は『無垢なる物』のボディーよ、それより蒼は私の元の身体がどうなったか知っているの?」
『知っている。ラクティの本体は魔竜アルジアスが使用している、交戦したのか?』
「魔竜アルジアス? いえ、私は戦っていないわ、ただ……貴方の眷属が私の本体を持ち去った後、魔竜が接触した気配があったと達彦から聞いているわ」
予想外の内容だったが想像出来ないことではなかった。
フィテアと魔竜との間で戦闘があり、フィテアが負けたのだろう。
『私の眷属だと? 誰だ?』
「名前はフィテアと言っていたわ、リティスの記憶にない?」
『フィテア……情報としては記憶されている、白竜フィテア、リティスが自らの一部を分け与えた存在だ』
「かなりの強さに思えたけど、アルジアスと戦って負けたということなのかしら?」
『それは分からない、ただ、アルジアスが消耗していた様子はなかった。激戦があったとは思えない』
「そう、分かったわ。――それで用事はそれだけなの?」
『一度会って話がしたい』
「離れて行ったのは、蒼の方からだったと思うけど?」
『状況が変わった。私はクレイドルから離れた、互いの立場を確認する必要がある』
「そう、こちらも相当に状況が変わったわ、話がしたいというなら私は別にいいけど、美佑にはなんて言うつもり?」
『謝る』
「自身の眷属を置き去りにするなんて、最低の行為なのよ?」
『分かってる』
「それなら、また置き去りにするということは無いのでしょうね?」
『なるべく、そうならないようにしたい』
「そう、美佑のことをちゃんとするなら、会ってもいいわ。いつにする?」
『早くて今日十七時にはそっちに向かえる、余裕をみるなら明日』
「だったら、今日で」
『分かった。近くに着いたらまた連絡する、じゃあ』
蒼が通話を切った。
ラクティが携帯をしまって達彦を見る。
「何か状況の変化があった様子ね」
「こっちに来るって話に聞こえたが?」
「ええ、今日の夕方五時に会う約束をしたわ」
「五時か、それまでにこっちの用事を片づけないとな」
「余裕でしょ。パッパッと壊して回るわよ」
「ああ、なら、こっちだ」
達彦の案内で最初の一体目の場所に向かう。
近づいてもドールの方に動きはなく、完全に監視が目的のドールの様子だった。
「アレだな」
そのまま進み、達彦がデパートの天井の一カ所を指差した。
そこには半球体の監視カメラが取り付けられていた。
「まんまね、まぁ、下手に加工した物体である必要もないけど」
「で、壊すのか?」
「ええ、手が届かないから、力で潰すわ」
ラクティがその背にクリスタルの器官を一対二翼出現させた。
ほぼ自動的に周囲の人間の認識からラクティと達彦が消え、二人の起こす事象にも無反応になった。
「こっそりやらなくていいのか? クレイドル側に全て見られているんだぞ?」
「別に結果は同じでしょ? ばれないようにこっそり壊しても、全部破壊すれば変だと思って探って来るでしょうし、だったら見せ付けてやるわ。――対象よ、重さを集めて圧壊せよ」
監視カメラ状の物体がグシャリと潰れて床に落ちた。
ラクティがそれを拾って構成を空気に分解してしまう。
「はい、一つ片付いたわ。あと、もう一つは?」
「四階だ」
「じゃ、行きましょう」
二人は四階へ向かうエスカレーターに向かった。

「アレやこれやと煩わしいのぅ、その件は余に回す程のことでも無かろう、シムリナに回せ」
赤い振り袖を着たアルジアスが、裾を割って畳の上であぐらを組んでいた。
部屋は六畳ほどの畳部屋で、肘掛けと低いテーブルがあり、その上にレーザーフィールド端末が乗っている。
その端末に表示される人物の画像に、アルが音声で指示を飛ばす。
「大体、これで細事は片づいたか」
肘掛けに手をついて立ち上がる。
裾を直して部屋の壁まで進んだ。
「さて、彼奴の様子でも見るかのぅ。――我が閉じた無数の空間の内、今の我が望む空間を引き寄せ、開け」
アルの目の前の壁に縦に真っ直ぐ亀裂が走り、その向こうに白い空間が見えた。
そこへ足を踏み入れて、アルの姿が六畳間から消えた。
「――どうじゃ調子は?」
白い空間に入ったアルの前には、身構える七瀬の姿があった。
七瀬は以前の戦いによって、アルに異次元空間に閉じ込められていた。
同じスーツ姿で、アルが付けた傷は完治している様子だった。
「嘲(あざけ)りにでも来たのですか?」
「いや――ただ、祖竜としては随分と弱い、それは事実じゃろ?」
「……」
七瀬が押し黙った。
「そなたは、本来こちらの世界に居るべき存在ではない筈じゃ? 力を制限されてまでこちらに来ている理由はなんじゃ?」
「それを話すことは出来ません」
「そうか、余が目指すことと、もしや近いと思ったが、話してくれぬことにはどうにも出来ぬ」
「基本的なことはもう済んでいます。後は私が居なくても回るはず」
「ふむ、故に無理に次元封印を解こうとはせぬ訳か、いや、力の温存かも知れぬな」
いくら力の制限を受けているとは言え祖竜の力を使えば、アルが創り出した異空間からの脱出は可能な筈だった。
「どう考えてもらっても構いません」
「まぁ、動かぬというのなら、別に良い。ただ、少々こちらの都合で手駒が欲しい」
「まさか、協力しろ、というのですか?」
「いや、そなたが動く必要はないぞ、ただ、その力の一部を借りようというだけじゃ」
「どういう意味ですか?」
身構えていた七瀬がさらに警戒を強くする。
「なに、少しばかり、そなたの血を貰うだけじゃ」
アルが右手に黒い霧を集めて、瞬時に一本の細い剣を創り出す。
「くっ」
「別に殺すような傷は付けぬ、――霧よ、縛めとなれ」
アルから逃げようとした七瀬の手足に黒い霧がまとわりつき、まるでロープのようにその身体を拘束した。
「血を採ってどうするつもりですか? そんなに簡単に扱えると思わないでください」
逃げられないと悟った様子で睨む。
「ドールによる並列演算システム、本格稼働はまだ出来ぬが、試験的な稼働は始まっておる、それによって、そなたの力の隠された異空間座標の特定が出来てな」
片手で剣を引いた位置に構えながら言う。
「そこから力を引き出すというの?」
「そう言う話じゃ、以前の余では、そこまでの力は無かったが、分かるであろう?」
「…………」
七瀬があからさまに顔を曇らせた。
「まぁ、そういう訳じゃ。――では、いただくぞ」
切っ先が七瀬の左肩に軽く刺さる。
「っ」
不思議と血が出ることはなく、スーツが血で染まるようなこともなかった。
剣がそのまま血を吸い取っている様子だった。
「よし――こんなものかのぉ」
剣を抜いて七瀬から距離を取る。
「私の力を外で使えば、対抗力であるリブオールの力を誘発する結果になりますよ?」
剣が抜かれた肩を押さえつつ言う。
血が出なくても痛みはある様子だった。
「直接介入は出来まい、運命改変自体は余に効かぬ」
「貴方以外の存在の立ち位置が変われば、貴方も影響を受ける筈です」
「それは折り込み済みじゃ、――異空間封印を解いて追って来たいなら好きにすると良い」
「私には、私の未来予測の結果がありますから」
「そうか」
七瀬の言ったことは『追う気はない』という意味だった。
「それならば、次に会う時に世界が変わっていても焦るでないぞ、さらばじゃ」
アルが空間に亀裂を作り、その中に身体を入れた。
すぐに元の六畳間に戻って来る。
「あとは器の構成じゃな」
手にした剣が黒い霧に戻り、次の瞬間には赤い液体の入った小瓶と化した。
それを手にアルは部屋から出た。

十六時半――駅前の広場。
達彦の内心は複雑だった。
良い別れ方をしたとは言えない相手との再会。
行動した結果による結論は出ていたが、それで互いに納得出来ているのかを考えると、わだかまりが残っているとしか思えない。
ただ、結果を結果として押し通せば、無理矢理に事態をまとめることは出来るだろう。
しかし、その場合は互いのすれ違いが酷くなるだけだった。
「…………」
「達彦、大丈夫?」
彼の隣には黒のショートコートとグレンチェックのグレーのフレアスカートを着て、長い金髪をキラキラとなびかせるラクティが居た。
小学生くらいの身体から高校生ほどのサイズに変化した彼女の姿は、誰が見ても息を飲むような美貌だ。
元の銀髪の彼女を知る者からすると多少の違和感が残るが、それでも整った顔のラクティに長い金髪は似合っていた。
「気持ちは分かるけど、しっかりしてよね? 私のことを選んでくれたのでしょ?」
「ああ」
ラクティに視線を合わせて答える。
蒼とラクティ――二人の内、達彦はラクティを選んだ。
その選択に後悔は無かったし、いまさらラクティを裏切るようなことも出来なかった。
ラクティが好きだという想いに嘘はない。
だが、だからと言って蒼のことを切り捨てることは出来なかった。
蒼のことが気に掛かるというのも、保護者的な立場として事実だった。
「私も蒼のことは心配だから、けど、蒼がいま何を考えているのか分からない、だから話をして、どうするべきか互いに決めないと」
「そうだな」
自分の気持ちだけで結論が出せないのなら、相手の話を聞くしかない。
「それと、そのことは別として、いま一番問題になっているのは、蒼がエシスをどうにかしてしまったこと、あっちの二人はエシスの件で残っているのだからね」
ラクティが少し離れた建物の壁際にいるレーナと十月を見た。
「穏便な雰囲気を保つのは難しいだろうな」
仲間を壊されたとしたら、黙っているようには思えなかった。
「まぁ、レーナが居るから、いきなり戦闘ということはないとしても、蒼がエシスを破壊したのが事実として確定したら、そのことを許すとは思えないわ」
「当然だろうな……」
「始まりはエシスが一方的に蒼を攻撃したことらしいけど、それにしても、私達が間に入って上手くまとめないと、場所を変えて戦闘ということになるかも知れないし」
「それは止めないとな」
「ええ、祖竜と『始まりのモノ』の激突なんて見たくないし、そんな戦いを引き起こした段階でクレイドルに付け込まれるわ」
「そんな戦いは、俺達には得が一つも無いしな」
クレイドルからすれば、敵対勢力が一気に双方共倒れとも言える状況だろう。
「でも、止めると言ってもレーナも強いし、正直、私だけでは無理だから、その時には達彦にも頑張ってもらうわよ」
「俺で役に立つのか?」
「少なくても蒼は止められるでしょ?」
「それは、保護者としての俺に期待しての発言か?」
「ええ、それに、きっと蒼は貴方の言うことなら良く聞くから」
「だといいけど」
達彦は仰ぐように暗くなり始めた空を見た。

四人から離れた位置に美佑と真由が居た。共に蒼が来るのを待っている。
「もし、蒼ちゃんが、達彦さん達と別の方向に向かうと言った場合、私はどうするべきだと思いますか?」
「そうですね、基本的に眷属はマスターに従うものですから、蒼さんの方に付いて行くべきだとは思いますが、美佑さんの場合、達彦さんの眷属でもある訳ですから、血の割合の強い方に付く、というのは?」
「そこまで割り切るのは、少し……」
血の割合的にも、気持ち的にも蒼の方を優先したいと思っていたが、かといって達彦のことを裏切るようなことも出来ないと思っていた。
どちらか一方――という判断を迫られた時、美佑の気持ちは定まっていなかった。

「……」
電車からホームに降り立つ。
後ろにラプリアが続いた。
海水に浸かったゴスロリ服は工場から充分に離れた段階で、力を使って乾かし塩気を抜いていた。
後ろで結ったままのポニーテールがフワリと揺れる。
ラプリアは蒼の制服のまま。
表層防壁に別の服のデータを映すことも可能な筈だが、特にその必要がないと判断している様子だった。
『すでに認識されていると思いますが、竜が二、眷属が二、『無垢なる物』が一、それぞれ集まっている様子です』
『そうだな、あと『無垢なる物』の近くに動かない人間がいる、マスターの可能性があるな』
『その可能性が高いかと』
蒼の脳内でリルラルとの会話が行われる。
人間がいるとして、全く無関係な存在が来ているとは思えなかった。
「蒼様、この『無垢なる物』の気配は、レーナ・テルチェ・ユーリです、事情を知って来ているとなると、エシスのことで話がこじれます」
「そうか、どの道やってしまったことは変えられない、事情を話した上で向こうがどうするかは、私の決めることじゃない」
「分かりました」
二人は他に降りた乗客の流れに合わせて、ホームから改札に向かい、そのまま六人が待つ出口に向かった。
その中には達彦がいることが気配で分かった。
頭の中で、なるべく思い浮かべないようにして来た相手だった。
三週間と少し前にラクティが達彦に告白したことで、蒼と達彦の関係は揺れていた。
蒼は達彦と一緒に暮らしていた。
その関係の中で、蒼は達彦の事が好きだという気持ちを抱いていた。ただ、ラクティのように告白するまでの気持ちは無かった。
色々な気持ちが交錯して迷っていたのかも知れない――結果、ラクティに先を越されてしまった。
今、再会する直前になっても、その部分の迷いは迷いのまま、蒼の心はモヤモヤしている。
その迷いを押し殺すように、蒼は封印に関わることやエシスのことばかりを考えていた。
そして、駅前に立つと、互いの気配に気付いていることもあり、特に捜す必要なく目的の一団と視線が合った。
「あら、お洒落しているのね、そう言う服に興味はなかったのでは?」
最初に声を掛けて来たのはラクティだった。
姿はそれなりに変わっていたが雰囲気は同じだ。
「ラクティの方こそ今日は割と地味な格好だな?」
「今、サイズが合う服がないだけよ、急に大きくなったのだから」
「確かに、その様子だな」
服程度なら創り出すことも可能だろう。しかし、今までの付き合いから、ラクティは誰かが仕立てた服を着る方が好きなように思えた。
「とりあえず、場所を移動しない?」
「どこか良い場所があるのか?」
一触即発もあり得る状況だ。
周辺被害が少ない場所を選ぶのが順当だとも言えた。
「近くの公園の一角を人払いしてあるわ」
「――分かった」
「なら付いて来て」
ラクティが歩道を歩き出す。
それを合図に場のメンバー全員が同じ方向に移動する。
ラクティの隣に達彦が並び、その後に蒼とラプリア、さらに少し後から他の四人が続く形。
全員が無言だった。
やがて大きめの公園が見えて、その一角に集まる。
石の腰掛けがあり、座る者が適当に座った段階でラクティが口を開いた。
「じゃ、各自色々あるとは思うけど、一度に全員が話すわけにも行かないから、ここはまず、話があると言い出した蒼達からでいい?」
実質の進行役という様子だった。
異論は上がらず、無言の肯定が行われる。
「じゃ、私から、まず私とラプリアの立場を言っておく、私達は現在クレイドルとは関係ない、完全に自分の意思で行動している、その上で私の目的は私の身体を取り戻すことだ。そのためにリエグの封印を解きたい、状況的に、そこにある可能性が一番高いからだ」
封印を守るレーナが居る状態でいきなり話すのは躊躇われたが、隠しても仕方のないことだと考えて話した。
もし、ぶつかることになってしまうなら、早めに片付けたいという心理も働く。
「それは私達と敵対するということですか?」
レーナが当然の反応をした。
「いや、私にそのつもりは無い」
出来れば戦いたくはなかった。
話し合いだけで解決出来るなら最良だった。
「と言われても、封印を解く気のある相手と仲良く、とは行きません」
「そうだろうな、レーナがどうしても封印を守るというなら、敵対することになってしまう」
「そこまでの覚悟で封印を解きたいということですか? 元の身体を取り戻したいという気持ちは理解します。ですが、それが封印の奥にあるとは限らないのですよ?」
「分かっている。ただ、一番可能性が高いと考えるだけだ」
「可能性だけで『無垢なる物』のほぼ全てを敵に回すのは得策ではないと思いますが」
「だから事前に話をしているつもりだ、もし、仮に封印した物の目録のようなものがあるなら、それを見せて貰うだけでも済むかも知れない」
「そういった物は存在しません。ただ、祖竜の本体クラスの遺物が封印されているとしたら、封印の門番なら知っている筈です」
「取り次いで貰うことは出来るか?」
単刀直入に聞く。
「私の知り得る範囲ではありません」
レーナが半ば答えることを放棄する。
と、
「んー、どうかな、あの子は『無垢なる物』の規定から外れるから、一般会話は困難だよ」
レーナの横に居た人間の女の子が言う。
蒼がこの場で唯一知らない存在。
「あ、始めましてだよね、私は二石十月、今は完全に人間の構成になっているけど、一応『無垢なる物』だから」
蒼の視線を受けて名乗る。
「人間の構成? どういう意味だ?」
単純な意味自体は分かったが、言葉の繋がりが示す意味が不明だった。
『蒼様……まさかとは思いますが、その意味を考えると『始まりのモノ』である可能性が』
蒼の疑問に頭の中でリルラルが答える。
「んーと、構成を自由に作り替えられるエーテル干渉能力で人間になっている存在と言えば、そこの子なら理解出来るよね?」
十月が蒼の脇に目を閉じて控えているラプリアに向けて言う。
「言葉だけでは確証は持てません」
ラプリアが目をゆっくりと開き、機械的な口調で答えた。
「そっか、まぁ、今の私は完全に人間と変わらないから、そう思っても仕方ないよね。じゃ――フィーヌコア起動、来たれグァーズーユ」
言葉に合わせて十月の右手の中に西洋剣の柄のような物が構築される。
それは青みがかった水晶が装飾された美しい物体だった。
「リエグ王家の宝剣――グァーズーユ」
ラプリアが自身のメモリーから同じ物を見付ける。
「こんな物を持っている一般人がいる訳ないでしょ。信じた?」
「『始まりのモノ』フィーヌ・ラキリ・オプティー」
「そう、よろしくね」
ラプリアと蒼の両方に向けて言う。
「ああ」
「それで話を戻すけど、封印の門番、リファィア・ラーヌ・オプティーは封印を守ることだけに特化しているシステムと言っていい存在で感情とか無いから。殆どコミュニケーション出来ないと思った方がいいよ」
出した剣の柄を消し去りつつ言う。
「お前は封印の門番と会ったことがあるのか?」
蒼が聞く。
「私のことは十月って呼んで欲しいな、貴方はなんて呼んだらいい?」
「私は蒼でいい」
簡単な名乗りで済ませる。
事情を知っている相手に、詳しく説明する必要もないだろう。
「そう、蒼ね――了解。で、会ったことはあるよ、一応、私の妹にあたる個体だし。でも、封印の門番として起動した後は会ってないよ、基本、近付く者は全て排除するという子だから、不用意に近付けないし」
「全く接触不可能ということはない筈だ。リエグの封印は『解く』ことも考えられている筈だ」
それは祖竜リティスの知識から得たことだった。
「もちろん、一定の手順を踏めば攻撃されずに本人に会うことは出来るけど、その状況でも、まともにコミュニケーション出来る保証はないよ」
「出来る限り穏便に事を運びたい、封印の門番と戦うことなく会える方法があるなら、それを教えて欲しい」
「方法を言うだけなら簡単だよ。『無垢なる物』の内、レーナは絶対必須として他後期型九体――合わせて十体が同時に封印の第一外周部に接触すれば道は開ける、今は蒼自身も『無垢なる物』のコアを持つから、残りレーナ込みで九体集めればいいわ」
「分かった……情報、ありがとう」
現在、この場にある『無垢なる物』のコアの数は五つだ。
エシスのコアはアブソリュートと一体化していて、コアとして機能していないためカウント出来ない。
残り五体についての目星は無いが、どうにもならない数とは思えなかった。
「じゃ、あと、蒼から何かある?」
場を仕切るラクティが聞く。
「エシスの件について話しておきたい」
言いながら蒼はスカートを捲り、太腿に巻いた鞘からアブソリュートディストーションを抜く。
「この剣が起動状態で存在しているのは、私の中のリルラルが時間の流れを遅くして、エシスのコアを取り込んだ結果だ」
剣の柄に填る赤い宝石が内側から淡く輝く。
その輝きが周囲をぼんやりと照らす中、蒼とラプリア以外が難しい顔をした。
「起動条件である『無垢なる物』のコア一つ分のエネルギーを得て、安全装置である時間制限を事実上無効化しているということですね」
レーナはすぐに状況を理解した様子だった。
「そうなる」
「では、それはつまり、私達と敵対する覚悟があった上での行動ですね?」
「本当は話さずに事を済ませるつもりだった。先にも言ったが全面的な抗争は望んでいない」
正直なところを言う。
ただ、封印の門番と戦う場合、もしくは、封印そのものを破壊するには、どうしても空間を斬ることが出来るアブソリュートの力が必要であり、その為に犠牲にしたのがエシスであるという事実は変わらない。
「その剣は、私のマスターが持つラクステリアと同じく対ドール戦の切り札となる武器です。それを有し、さらに私の友人であるエシスを破壊したという相手と、仲良く出来ると思いますか?」
レーナの口調は冷静だった。
しかし静かな態度は、そのまま本気の現れでもあった。
ここで、相手を刺激すれば即座に戦いに発展してもおかしくない。
「エシスの件は一応方法がある、今のラプリアのボディーはエシスのものだ」
蒼は切り札として考えていたことを言った。
「エシスの?」
「ああ。そして、私の中のリルラルが時間をゆっくりにしている限り、アブソリュートに取り込まれているエシスのコアが消えることもない、全てが終わったあと、アブソリュートから取り出して、元のボディーに戻すことも可能だ」
「そんなことが……」
レーナが困惑した表情になる。
その横で、
「ふーん、それでラプリアが昨日の今日で再生しているのね、スペアのボディーでも持っていたのかと思ったわ」
ラクティが納得したように言う。
一般的に『無垢なる物』はコア単独からボディーを再生する能力を持つが、どんなに早くても一ヶ月、状況によっては一年程度掛かるとされる。
また、エシスやラプリアと言った強力なドールはボディー自体も特別製で、リエグの技術が再現出来ない状態ではボディーの完全な再生は無理とされていた。
「言い方は悪いが、私達はエシスを壊した訳ではない」
「壊していないから、協力して欲しいというのですか?」
レーナの声がやや震えた。
怒りをこらえているのが伝わる。
「ああ」
だが、蒼はあえて頷いた。
事実を隠さず伝えた以上、今さら弱気の姿勢を取ることも出来ない。
隠し事があるのではないかと、相手に疑われる結果になってしまう。
「協力して得られる利益より不利益が大きいと判断します。それに、貴方のやっていることは、エシスを人質に取っているようなものです」
「そうだな」
仮にリルラルが時間制御を止めれば、一定の時間の後にエシスのコアはアブソリュートに使われ消滅することになる。
つまり、蒼とリルラルがエシスの命を握っていると言っても良い。
「こんな話で、私が承諾すると思っているのですか?」
「気持ちとして承諾出来ないのは分かる、だが、エシスの復活を考えるなら、私達と協力する方がいい筈だ、仮にこの剣を奪っても、そちらでは何も出来ない」
剣だけあっても、すぐにエシスのコアを抜き出す方法がなかった。
抜き出しに時間を掛けていればコアは消滅する。
どうしても、時間を緩やかにするリルラルの力が必要だった。
「……」
レーナが目線を逸らす。明らかな迷いが見えていた。
「まぁ、まぁ、二人とも、そんなに熱くならないで」
と、ラクティが割って入って来る。
「聞いた話だけど、最初にエシスが蒼を攻撃したところから、この問題は発生しているのよね? つまり形としては、そちらが先に仕掛けて来たのよ」
言ってレーナの方を見る。
「だから、その非を償えということですか?」
「それもあるし、ここで仲違いしても、私達の誰も得はしないという事。現状、貴方が蒼を攻撃するなら、私は蒼の側に付くわ。一応、私は蒼に血を飲ませているからね」
「では、ラクティも封印解除の手助けをするということですか?」
「そこまで飛躍はしないわ、ただ、この場で貴方が非協力的な態度を取っても良いことはないという話なだけ」
「半ば脅しですね」
レーナが呆れ顔になる。
確かに数の有利という、力にものをいわす発言だった。
「別にいいんじゃない? ラプリアがクレイドルから抜けてこっちに来てくれるなら、私達にも利点はあるし」
少しの間、黙っていた十月が言う。
「それはそうですが」
「どっちみち、ここで戦いになったら、レーナはラクティを攻撃出来ないでしょ? ミシリアの身体なんだし」
「確かにそうですね、――分かりました、エシスのことは納得します。ですが、封印に干渉するとなればまた別の話です」
蒼の方を見て言う。
「分かった。ただ、私が封印を解かなくても、おそらくクレイドルが動く、この事はラクティに聞かれてから話そうと思ったが、アルジアスがラクティの本体を手に入れて力を増している、危険と判断したユーシリアが出て来るくらいだ」
「祖竜ユーシリアがですか? かの竜はこちらの世界には非干渉の立場の筈では?」
「力の均衡が崩れた場合には排除に動く。アルジアスの力がそれ程だということだ」
「封印に単独で干渉出来るほどの力だと?」
「ああ、封印の門番と一戦交える可能性も高い」
「そうですか、どっちにしても私は封印を守る立場として戦う必要がある様子ですね」
「私としては戦うよりも、もし封印を全部解かずに中に入る方法があるなら、それが最良だと思っている」
一時的、もしくは人一人通れるスペースを空けてもらうようなことが出来るなら、それが一番穏便な方法だろう。
「そのようなことが出来るという知識は私にはありません。知っているとすれば封印の門番ですが、彼女は一方通行システム的存在ですから、教えてくれるとは思えません」
「そうだろうな。――あと、一応言っておく、仮にクレイドルが自力で封印を解いた場合でも私達はクレイドルに付く気はない、独自に動く」
「分かりました。では、こちらの質問を二つよろしいですか?」
「ああ」
「今のラプリアのマスターは? その子は特殊なドールの筈です。マスターの許可なく単独行動が出来るようには創られてはいないと聞いています」
ずっと蒼の横に控えるラプリアを見て言う。
そのラプリアが蒼に目線で訴えた。
「そうだな、説明はラプリアに任せる」
「はい、今の私はリティス様の使徒として起動中。本来そのように創られた存在であり、現状のリティス様は蒼様という認識」
「そう言う仕組みですか、リティスが全てを予見した上で、貴方は創られたということですね?」
「はい」
ラプリアが頷く。
「その話、フィテアも言っていたわね、リティスが自らに仕える最強のドールとしてラプリアを創り上げたと」
ラクティが口を挟む。
「はい、私のアークマスターはリティス様であり、蒼様は現行のマスターとは別に私に命令することが可能です」
「分かりました。では、もう一つの質問です、クレイドルはコアによる演算システムを完成させて、具体的に何をする気なのですか? 知っているなら答えて下さい」
レーナやラクティ達が把握している目的は、未来を完全に計算することで神の力を得るというものだ。
だが、その力を得て具体的に何をするつもりなのかは不明だった。『無垢なる物』はリエグの力の復活を阻止することを目的に戦っているが、その行動原理はプログラムであり、相手の具体的な目的を大して気にして来なかった。
しかし、ここに来てクレイドルが力を付け、目的を達する可能性が出て来て、より具体的に何を目指しているのか、確認する必要があると考えたのだ。
「そのことに関してクレイドル内部の統括意見はありません。力は無制限です、各々が望むように未来を確定して行くことになると思われます」
「そう、では質問を変えます、神官達の派閥は何を考えているのですか?」
レーナが敵とするのは、リエグを封印した時に戦った、リエグ封印反対派閥の神官達だった。
その神官達の生き残りが今もクレイドル内にいて、一応の軸としてクレイドルを動かしていた。
「神官達は、もう一つ別の世界を創ろうとしています。メリアシスクの支配の及ばない世界の構築が目的です」
「まだそんなことを言っているのですね、魔竜と協力関係にあるのも、メリアシスクが共通の敵ということなのですね」
「神官はメリアシスクを倒そうとはしていません、ただ、もし、メリアシスクが滅びるなら、それは歓迎することだというだけです」
「分かりました。そういうことなら、私達はやはりクレイドルと戦うしかありません」
レーナが納得した様子で言った。
おそらく自分なりの戦う意味の確認行為だったのだろう。
「では質問は以上ですか?」
「ええ、私からは以上です」
「だったら、次は私が聞いていいかしら?」
待っていたラクティが言う。
「はい、構いません」
「じゃ、私は蒼に聞きたいことがあるわ、今の貴方はリティスの意思に則して動いているの? それとも力を取り戻したいというのは自身の意思なの?」
「半々だ、私にリティスの意識がある訳ではない、ただ、漠然とした記憶があるだけだ」
「だったら力を取り戻してどうする気なの? 竜の使命は、この世界で唯一の脅威となり得る魔竜を強くしないこと、あとは何の制約も受けていない、その上で祖竜の力を何に使う気?」
「……」
昨日、アルに同じ質問をされた。
だが、たった一日で状況は大きく変わっていた。
「まずはメリアシスクが握っている力に干渉する」
「つまりメリアシスクを倒す気なの?」
「その可能性もある」
「メリアシスクを倒した後はどうするつもり?」
「最終的には、この世界から竜を消し去りたい、竜がこの世界に現れたのは、洗練された意識の絶対総量が多い、この星をエサ場にする為だ。そのことを私はリティスの知識から知った」
蒼は、その特殊な生まれ方のため『竜』という自らの存在に対する知識が欠落していた。
その知識の欠落が急に埋まって知った事実。
ずっと誰にも相談することもなく考えていた。
祖竜と呼ばれる竜は、自らが居た世界を喰らい尽くして神の力を手にいれた存在。
そして、その力の維持と強化のために次元を渡り、この世界を見付け、今度は喰らい尽くさないために、一つのシステムを生み出した。
魔竜が人の意識を喰らい集め、それを竜が倒すことで、魔竜の集めた意識が祖竜の元に届くという茶番劇。
故に、決して魔竜を滅ばさぬ数、竜は生まれて、魔竜は人類を喰らい尽くす数になる前に必ず竜に滅ぼされる循環が存在していた。
竜も魔竜も単に祖竜に利用される為だけに創り出されたという真実。
普通の竜として、魔竜を狩っていたことのある蒼にとっては衝撃の事実。
だが、リティスはそれを間違いだと言い、変えようとした祖竜だった。
そのことがあったから、蒼は自分を保つことが出来ていた。
「竜がこの世界にいるのは間違っている」
「それ、どういうことよ?」
ラクティが戸惑いの顔で蒼を見つめた。
全てを話せばラクティを混乱させることは確実だ。
それでも蒼は言うべきだと思った。
「祖竜以外の竜は、祖竜の都合のために作られた存在であり、魔竜もまた同じだ。ただ、操り人形という訳ではなく、個々の意思を持ちつつ、上手く利用されている状態だという話だ」
「魔竜も祖竜が創った? 何のためによ?」
「祖竜は魔竜が喰うことで集めた純度の高い意識の固まりを、竜が魔竜を狩る時に吸収している。だから、魔竜が喰った人間がそのまま復活することは絶対にな い、例えパーツがあっても意識が戻らないからだ、そして、竜が魔竜を狩る使命感は祖竜によって植え付けられたものだ」
「それじゃ……竜がやっていることは全くの無意味だというの?」
ラクティの顔から表情が抜ける。
「いや、個々の意思はあると言った。だからアルジアスのような存在も生まれるし、竜が魔竜を狩ることを自分の意思で止めるなら、人類は確実に滅亡に向かう。だが、そうはならないという予測があったから、個々の意思を残したとも言える」
「全ては祖竜の手のひらの上だと?」
「そうだ、だからリティスはそれを変えようとした」
「だとしたら随分と勝手な話ね。リティスだって私を利用して、自身の復活の時の保険にしたのに」
ラクティが震える声で言う。
「何の話だ?」
「知らないとは言わせないわよ? フィテアが言っていたのよ、私を利用してスペアの身体を育てていたこと、その為にフィリアの身体を犠牲にしてまで」
「待ってくれ、そんな話は知らないぞ、どういう意味だ?」
自分の中のリティスの記憶を探るが、該当するような記憶はなかった。
ただ、フィテアの名前だけは使徒の一人として記憶されてはいた。
「そう、蒼は知らないのね、なら別にいいわ、つまり、後ろめたいことは自分の分身にも秘密でやっただけの話ね。その方が分身を思うように操れると考えたのかしら?」
「話が分からないが、私はリティスが考えていたことをそのまま実行しようとは思っていない、ただ、今の祖竜が作ったシステムを排除したいと思うだけだ」
「それなら竜はどうなるというの? 私が把握している竜は十体、たったそれだけだから滅ぼすと?」
「これ以上魔竜が生まれないシステムを新たに作り出す。そして、今いる竜には寿命まで生きてもらい、竜もこれ以上生まれないようにしたい」
「祖竜はどうするの? 力を維持出来なくなるとしたら、滅びるの?」
「ああ、それを良しとしない祖竜とは戦うことになる」
「そう、分かったわ。だとすると、私より達彦と話すべきね、私の結論として、今この場で蒼と敵対する気はないけど、全面的に協力する気もない、ただ、も し、この話の流れで、レーナ達が蒼と戦闘するというなら止める立場をとることにするわ、蒼とレーナが共倒れたらクレイドルの思う壺だもの」
そう言ってラクティが黙る。
この場にいる祖竜は蒼の他にもう一人達彦がいた。
「バトンタッチか、じゃ、悪いが俺は蒼と美佑とだけで話がしたい、三人が抱えている問題があるからな」
「別にいいわよ、私は」
ラクティがレーナ達の方に視線を送る。
「そうですね、互い探知出来る距離でなら別に構いません。私達が移動しますか?」
「いや、俺達が一時間程度離れる、蒼、美佑、いいか?」
「ああ」
「はい」
「なら、この公園の向かいに茶店がある、そこまで行くぞ」
達彦が先に歩き出して蒼と美佑が後に続いた。
「こっちはこっちで、話を進めておくわ。――また後で」
ラクティが見送り、達彦がそれに手で答えた。
そして、公園を出て横断歩道を渡り、向かいに建つ茶店に入って四人掛けの席に着いた。
適当に注文した後、達彦が切り出す。
「さっきの話はひとまず無しだ。ラクティに俺が告白された夜からの話をしたい」
「それはもう終わった話だ。それに私から先に言いたいことがある、美佑」
達彦の言ったことを表情一つ変えずに流して、美佑に向き直る。
「な、なに?」
「色々とすまなかった。ずっと放置する形になって」
「それは、あの状況じゃ仕方ないよ、蒼ちゃんだって、身体を治すために療養していたようなものだし」
「そういう言い方をすれば、そうかも知れないが、自分の眷属を放置する竜なんて最低だ」
力を回復する為に『無垢なる物』と融合して、その調整に掛かった期間だと言えば、それはそれで事実だった。
だが、それでも自分勝手な理由で美佑との繋がりを無視したことも事実だった。
「蒼ちゃんがそう思ってくれているなら、私は別に平気だよ」
「ごめん、本当に悪かった」
深々と頭を下げる。
「ううん、ちょっと寂しかったけど、これで戻って来てくれるのでしょ?」
「戻るというか、連れ出すことになるかも知れない。学校とか問題があると思うが」
「蒼ちゃんがどこかに行くなら、それに付いて行く。私だって竜の眷属としての知識と自覚はあるから」
「ありがとう。ただ、美佑は達彦の血も飲んでる、祖竜二人の血で眷属化した例を私は知らない、どの程度の力が使えるんだ?」
基本的に眷属は本体の三割程度の力を引き継ぐことが多い。
ただ、二体の竜の眷属となった場合はどうなるのか分からなかった。
「多分、そこそこだと思うよ。真由さんに色々と教わったから、空間遮断も出来るし」
「そうか、真由にお礼を言う必要があるな」
眷属に力の使い方を教えるのは、血を与えた竜の仕事だった。
「大体の話は終わったようだな、なら俺の話に戻していいか?」
タイミングを見計らっていた様子の達彦が言う。
「さっきの話なら、もう終わったと答えた筈だ」
「いや、変な別れ方をして、少なくても俺は引きずっている、だから聞きたい、蒼は俺のことをどう思っているんだ?」
まだはっきりと聞かれたことがない質問だった。
「私は、何も見ていないし、知らないと答えた筈だ」
あえて言い切った。
「蒼ちゃん、本当にそれでいいの?」
美佑が蒼の服の裾を掴んだ。
内心を見通すような目で蒼を見つめる。
「……」
心が揺れた。
本当は、ラクティが達彦に告白した現場を完全に見ていた。
出来れば同じように気持ちを告げたかった。
しかし、自分はそれが出来ずラクティに負けた。
なるべく考えないようにして来たことだが、もう結論が出たことで、すでに自分の出る幕はない。
それに、言葉に出すことはしなかったが、成長したラクティの姿を見た時、達彦とお似合いだと思った。
だから『終わった話』だと言った。
割り切った筈だった。
「今、蒼ちゃんが、言うべきことがあると思う」
「別に……何も……」
美佑に答える声が揺れてしまう。
「嘘だよ、たとえどんな結果でも、いま言わないとダメ」
袖を強く美佑が引く。
「っ」
言っても無駄なことだ。
それに、易々と言える内容でもない。
言う覚悟が無かったからラクティに負けた。
「このまま何も言わないつもりなの?」
美佑が見つめて来る。
確かに達彦に言いたいことがない訳ではない。
ただ、上手く言う自信がなかった、だから考えた上で何とか言えることを選ぶ。
「だったら事実を言う。過去、リティスとリブオールは協力関係だった」
言葉を絞り出す。
「そして、この時間に、私は達彦と出会った、それで、もう答えは出ている」
その出会いが仕組まれていたものだったとしても、再び、自然と協力関係になるものだと思っていた。
出来れば関係を修復したい。
「嫌いな相手と協力しようとは思わない、私は出来れば達彦に協力して欲しい」
「――分かった。なら、俺の気持ちを言う、蒼のことを妹みたいに感じている、その妹が協力して欲しいというなら、断るつもりはない」
「妹……」
定義として納得は出来た。
ラクティを選んだ状況で、半端なことを言われるよりは、ずっと気持ちが楽になる答えだった。
「なら、達彦さんは、もし蒼ちゃんが、ラクティさんより早く、さっきの話をしたとしても同じことを言ったのですか?」
美佑が真剣な顔で達彦に聞いた。
「ああ、同じように答えた筈だ」
「それは、蒼ちゃんが子供だからですか?」
「それも当然ある、だけど、それ以外にも、そもそも蒼の気持ちがどこまで固まっているのか、俺には分からない。ラクティは完全に固まっていた、その差もある」
「そうですか――分かりました」
美佑が軽く頭を下げて退いた。
「……」
蒼はただ黙っていた。
言われたことは、その通りだった。
自分の気持ちを、完全に決め切れていないことはよく分かっていた。
達彦のことは好きだ、だが、恋しているか、と言われたら分からない。
ラクティはきっと達彦に恋しているのだろう。
そこに差があると言われたら何も言えなかった。
ただ、モヤモヤとした気持ちだけが残るが、抑え込む以外には方法はない。
「蒼が俺を頼ってくれるなら、あくまで家族として、また一緒に住んでもいい、現状それどころではない事態になっているが、全てが終わった後でも」
「そんなの、ラクティが認めるわけないだろ」
自分としても嫌だった。
今の気持ちのまま、ラクティと毎日顔を合わせるのは無理だ。
達彦の善意は嬉しかったが、それ以上に自分の気持ちが整理出来ない。
「なら、完全に別れるか? 今のお前の社会的立場は俺の娘という形だが」
「事が終わったら、そうするべきだ」
現状では、それが最良に思えた。
「分かった。蒼がそういうなら、俺にはこれ以上言えない」
「――それじゃ、ラクティと話していた話をしていいか?」
「構わない」
「簡潔に言う、メリアシスクを倒すことに協力してくれるか?」
気持ちを切り替える。
それは、祖竜リティスとして祖竜リブオールに対しての質問。
「多分、気付いていると思うが、俺は祖竜としての力を半分程度取り戻した。知識については整理中だが、お前が言った事柄を重点的に調べた。だから、大体のことは理解出来ている、当時お前に協力したこともだ」
「そうか、おそらく達彦が力を取り戻すことも計算されていた事象なのだろう。タイミングが良すぎるからな、それで、私に協力してくれるのか?」
「ああ、協力するつもりだ。お前がやろうとしていることには、俺の祖竜としての力が必要になる筈だからな」
「本当にいいのか?」
達彦の言葉は蒼にとって意外なものだった。
ラクティが事実上中立の立場を取ると答えたように、達彦も同じように答えると思っていた。
「リブオールの力は絶対変革と祖竜最大の直接攻撃力。メリアシスクが決定した未来を強制変革出来る力だ」
達彦が自分の能力を語る。
「それは私が創りだした運命を変える力でもある」
「ああ、詰まるところ、決まっている運命を変えることが出来る力だ。だから、当時リティスはリブオールに協力を求めた」
「過去リブオールは協力してくれた、そして戦いに負け、力を分割封印された上に人間に転生という罰を受けた。その事を恨んでいないのか?」
完全な被害者といえる立場の存在に、再び同じお願いをして、引き受けて貰えるとは普通考えないだろう。
「リブオールは俺本人じゃない、それに現状が間違っていると思うのは、俺も同じだからな。当時のリブオールもそう思ってお前に協力した筈だ」
「そうか……ありがとう」
気持ちを同じくしてくれている、そのことで随分と蒼の心は軽くなった。
事を起こす第一段階が完了したと言ってもいい。
「ちなみに聞くが具体的にどうするつもりだ? この次元からではメリアシスクのやっていることに一切干渉出来ないぞ?」
メリアシスクが居る場所は、この場より高い次元で、そこから下方次元に対しての介入は可能だが、逆に下方次元からの介入は一切不可能な場だった。
まず、その場に行くか、何らかの方法で介入する方法を探らないと、当人と向き合うことすら無理という話だ。
「私が力を取り戻した後、使徒の力を借りて次元跳躍する。その為のラプリアであり、リルラルだ」
「リルラルはお前の中に居るんだよな? どういう状態なんだ?」
「身体の左側を『無垢なる物』のコアが占有している、器官がもげた部分にはリルラルの翼が生える」
「意識は?」
「基本的には私のものだが交代することも可能だ。ただ、リルラルが表面に出ている状態では消耗が激しい」
「分かった。なら、実質、戦闘の時以外はリルラルが表に出ることはないという話だな?」
「そうなる」
意識すれば自分の隣にリルラルがいるような感覚がある。
そちらに振れば、すぐに頭の中で返答してくれるだろう。
「あと一つ、ラプリアはどの程度、お前の味方なんだ? 元々、クレイドルが復元したドールだろ?」
「ラプリアはリティスからの直接の命令に従っている。リティスがアークマスターというのはそう言うことだ。そして『無垢なる物』がマスターに逆らうことはない」
「それでも、今のマスターはまだクレイドルに居るんだろ?」
「ああ、だが、こちらが封印解除に動くなら、それを止めることはしない筈だ。封印を解くことはクレイドルの目的と合致しているからな」
「そうか、俺からはもういい。何かあれば後は二人で」
「この後、達彦の家に向かっていいか? 私の荷物を運び出したい」
「それは構わないが、運び出した後、行く当てはあるのか?」
「言い方的に悪いが、エシスが使っていた部屋が空いているだろ? そこに入る」
「まぁ、協力関係なら近くに居た方がいいだろうからな」
「そういうことだ。私からの話もこれで終わりだ、美佑は何かあるか?」
「うん、後どのくらいしたら動くつもりなの? 封印があるのは黒海なのでしょ?」
「そうだな、ラプリアの内部修復が完全に終わるまでは最低待つ。ラクティも新しい身体で力が出し切れないだろうし、一週間後くらいをみているが」
「分かった、ならその間に私も準備しておくね」
「ありがとう。――なら、話は終わったな、ラクティ達のところに戻ろう」
蒼が席を立ち、三人一緒に茶店から外に出た。

5章.咆哮

「ラクティさん、大丈夫ですか?」
レーナが後ろからラクティの肩にそっと触れた。
「なんのこと?」
振り返って答える。
「いえ、かなりショックな事実を知らされたのではないかと」
「そのことね、平気よ、心配してくれてありがとう。私の場合はこの身体になった時に自分が利用されていたことを知ったから、その時に気持ちの整理は付いていたわ。確かに全ての竜が利用されているというのは驚いたけどね」
軽く笑って言う。
「そうですか、それでラクティさんは、祖竜メリアシスクと敵対するつもりなのですか?」
「流れ的にそうなるでしょうね。蒼のやろうとしていることに協力するかは別としても」
「蒼さんが言った内容を他の竜達に知らせるようなことは?」
「しないわ、竜は横の繋がりがあまりないから、私も特別に知り合いという竜は、蒼達以外にはいないし」
「分かりました。『無垢なる物』としては祖竜との決戦というのは判断出来ない話ですが、そこに封印解除が絡む以上傍観も出来ません。この後の状況において個々に判断して、戦う必要がある時は参戦します」
「そう、私の方からは、その意見に対しては特にはないわ。実質、ぶつかる点は封印解除を蒼が行おうとした時だけだし、それはその時に考えるしかないわね」
「そうですね」
二人の会話が終わる。
その後ろで、十月がやや複雑な顔をして話を聞いていた。
「封印解除か……」
「何かあるのですか?」
十月の呟きをラプリアが拾う。
「ううん、別に。少し気になることがあるけど、確定しているわけじゃないから」
「了解です」
「そう言えば、貴方のデュアルコア能力は私のダブルコアシステムの派生よね?」
「はい、一つの身体に二つのコアを収めることが出来なかったために生まれたものです、フィーヌのダブルコアシステムは他に成功例がありません」
「私のことは十月でいいから。それで、それ以外の特殊システムは、今、どの程度まで使えるの?」
「現状、内蔵特殊武装は破損中、復旧には二日程度掛かる見込み。また、エーテル粒子支配翼の構築もまだ終わっていません」
「ということは、空間支配系は起動しているということ?」
「はい、表層絶対空間歪曲防壁は展開中です」
ラプリアの外側を全て覆っている防壁のことだ。
「あの? 少し良いですか?」
レーナが話に入って来る。
「私が知っている貴方の能力は、空間支配と粒子支配の二種だけなのですが、内蔵武装というのは、大戦で見せていない武器があるということですか?」
「はい、私は対竜戦を想定して武装されています。但し、使用には制約があります。――それよりもレーナの方は七つ全て使える状態なのですか?」
「実体物は、ベルゲトリープ、ラの破片、ラクステリアの三つだけです、あとは私の力でコピーしたものを使っています」
「バレスアレアが存在していないことが難点。あの道具があれば全てと対等に戦う力を一時的に得ることが可能」
「ですから封印されたのです。今のコピーでも上手く使えば充分に強いですよ」
「使用条件が限定され過ぎと判断。となると、十月のダブルコアシステムを再び使えるようにするのが最良かと」
ラプリアが十月を見て言う。
「ダブルコアシステムを復活させるには、お父様が残したコアを隠したところまで直接行く必要があるから、すぐは無理」
「そうですか、では、現状の戦力はレーナとラクティの二人と認識」
「私は勘定に入らないのですね?」
黙っていた真由が静かな声で言う。
「眷属は、主と離れている状態では全力は出せない、違いますか?」
「それでも、眷属として一通りのサポートは出来るつもりですが」
「サポートなら今の私でも可能です」
二人とも譲らないという顔でにらみ合う。
「まぁ、喧嘩しないで、今、この五人の中でもっとも戦力になるのは、レーナということでいいでしょ? あと、主にラプリアには後でちょっと見て欲しいものがあるの、いい?」
ラクティが間に入る。
「何でしょうか?」
「私が集めた『無垢なる物』のパーツがあるのよ、貴方なら使えるものがあるかも知れないから」
「それは私だけではなく、レーナ、十月にも言えることでは?」
「二人には大体見て貰った後よ、けど、レーナはある意味特殊タイプだし、十月も今の状態では内蔵武器は無理だから」
「そうですか、了解しました」
ラプリアが答えた、その時だった。
「!!」
場の四人が息を飲む。
「次元転移反応、三十七メートル先にアルジアスが転移」
その中でラプリアだけが冷静に反応した。
「蒼達の方ね、こっちに誘えると良いのだけど」
戦いになった場合、道路よりは人払い済みの公園の方が色々と楽だった。
「すぐに戦闘という気配のサイズではありませんね、私達はここで動かずにいた方が良いと思われます」
レーナの意見に他の四人が頷いた。

蒼達が公園に戻る為に横断歩道まで行こうとした時――。
「ほぉ、随分と集まっている様子じゃのぅ」
何の前触れもなく目の前の空間が割れ、そこから赤い振り袖を着たアルジアスが空中に出現した。
「アルっ!」
「こいつが魔竜アルジアスか!?」
「蒼ちゃんっ!」
蒼は達彦と美佑の前に出て二人を庇う位置に立った。
後ろの二人も身構えて状況を探る。
周辺の通行人はアルの出現と同時に蒼達に気を払わなくなっていた。おそらくアルが広範囲の記憶操作を展開したのだろう。
アル以外の敵性気配は特に無い。
「そう殺気立つな、まずは話をするつもりで来た。確認したいのじゃ、蒼は余の元から離れる気か?」
「そのつもりだ」
即答する。
「何故じゃ? 目的は同じ筈ぞ?」
「その身体は私の友達のものだ、それを奪った時点で相容れない」
「ほぅ、それは面白い話よの、では話すが、この身体を持っていたのは主の使徒たるフィテアであるぞ、つまり主が最初に奪えと命じたようなものではないか?」
「そんな話、私は知らない」
ラクティも同じようなことを言っていた。
ただ、過去にリティスが何かをして、その結果、ラクティを巻き込んだのは確かなようだった。
だとすれば、巻き込んだ責任を取る必要があった。
身体をラクティに返すという形で。
「知らんというか、それも良かろう。――では、余と共に事を起こす気はないということじゃな?」
「ああ」
「悲しい話じゃの、ならば余はこれで帰るしかないのぅ」
「待て、その身体を返して貰う」
「それはこの場で一戦交えるというのか?」
「私の意思が変わることはない、だったら、アルが現れた今がチャンスだ」
追い掛けて簡単に会える対象でもなかった。
ラプリアの力を借りてテレポートしても、その直後に戦闘になるのでは力の回復が間に合わない。
「ふむ、仕方ないのぅ」
アルが機械と融合した黒い器官を背中に展開した。
戦闘の意思を示すものだ。
「蒼ちゃん、ラクティちゃんと合流する? それとも、ここで空間を閉じる?」
美佑が使徒として役目を果たそうとする。
一定以上の竜の戦闘は空間を閉じて、その中で行うことが多い。
力の差があるなら、閉じた空間内の間粒子支配量の差だけで決着が付くからだ。
「いや、アルは次元を渡る、閉じるだけ無駄だ」
「別に閉じたければ、閉じても構わぬぞ、間粒子の量が限られる空間では共に全力は出せぬ、ルールがある試合のようなものだ。無駄な消耗も避けられるしのぅ」
「私にそんなつもりはないし、そっちが、本当にそのルールに従う保証がない、幾らでも別次元に飛べるのだからな」
「信用がないのぅ。だが、通常空間のままで我らが戦えば回りが吹き飛ぶぞ」
駅前の繁華街全域が焦土と化しても不思議ではない力を双方が秘めていた。
「そうなる前にお前を黙らせる」
言い切る自信があった。
一対一では厳しいが、今は数の上で圧倒的に有利。
クレイドルの幹部であるアルが敵ならばレーナ達の協力も得られる。その有利を使えば抑え込めると考えた。
「そうか、そこまで言われると、こちらも退けぬな。――エスリートよ、向こうの輩も範囲に入れられるか? 閉じてくれ」
「可能です、能力展開します」
何もない場所から聞き覚えのある声がした。
「エスリート!?」
「――異空創造、世界を変異せよ」
蒼達が反応した瞬間、世界が一変した。
地面も空も消え、ただの薄闇に幾つかの小さな光が浮き、それが現れては消える世界。
閉じられた異空間がその場に創られた。直径にして六十メートル程度のドーム型の空間だった。
そして、浮かぶアルの側に一人の女性が出現する。
丈の短い法衣のような黒い衣装を着た村井七瀬こと、祖竜エスリートだった。
「ど、どうして!? 貴方は私達を助けてくれていたのではっ?」
蒼が叫ぶ。
現にエスリートの眷属である真由は蒼達側に居た。
「……」
エスリートは冷静な表情のまま何も答えない。
「その存在は私のマスターではありませんっ!」
と、離れた位置から真由の声がした。異空間となって障害物が消えて、その方向にラクティ達全員が居るのが見えた。
「同じ要素はありますが私とのリンクがありません。おそらく、マスターの血を使ったコピー体です」
「ほぅ、流石にエスリートの眷属がいると誤魔化しは効かぬか、その推測の通りじゃ、手駒が不足しての、余が創り出したのじゃ」
アルが真由の方を向いて答える。
「マスターの力は封じられています。その状態で、こんな形で強制発動させれば、そのコピー体の負担は相当な筈、分かってやっているのですか?」
「当然じゃ、余の予測では、異空間を創造する程の敵と対するのは、余の願いが成就するまでに精々六回。つまり、あと五回持てば複製の役目は足りる」
「マスターの血を使い捨てる気ですかっ?」
いつも冷静な真由の声に珍しく怒気が籠もる。
「何が悪い」
「たかが魔竜風情が思い上がらないでくださいっ!!」
「たかが眷属に言われる筋合いはないわっ! 余の力、味わうがよいっ!」
アルが右手を掲げて振り下ろした。
合わせて黒い槍が瞬間構成されて真由にめがけて飛ぶ。
「――ラの破片、楯となれっ!」
レーナの声が響き、槍の投擲軌道ラインに巨大な石の塊が突如現れる。
槍はそれに当たり衝撃と共に黒い霧となって散った。
「魔竜アルジアス、戦闘開始の前に『無垢なる物』レーナ・テルチェ・ユーリとして問います。貴方は私のコアが欲しいのですか?」
レーナがいつの間にかアルの近距離に浮かんでいた。
背中に機械の翼を出し、右手に凝った彫刻が成された半円形の飾りが付いた杖を持っている。
「主がレーナか、直接会うのは初めてじゃのぅ、大戦の時から名は知っていたが」
「貴方の存在は、こちらでは確認していませんでした。『無垢なる物』は魔竜との戦闘を経験していません。ですから貴方の目的を確認したいのです」
「目的か……余は封印を解く、その邪魔をするというなら余の敵じゃ。この答えで満足か?」
「分かりました。――では、封印に対する危機レベル最大と認識、全武装を解除します」
レーナの背中の翼が光を放ちクリスタル化する。
「人形は厄介よのぅ、力の行使にいちいち条件がいるなど、馬鹿らしくならんのか?」
「創られた存在ですので当然です。貴方の相手は私がします」
杖の先をアルに突き付ける。
「レーナ待てっ、一人じゃ無理だっ!」
蒼が器官と機械翼を出してレーナの隣に滑るように付ける。
「余は別に何人でも構わぬぞ。――が、現状まともに戦えるのは主等二人か、いや……」
アルの視線が残りの六人を順番に追って、達彦を見た時に止まる。
「エスリート、そこの男の相手を頼む」
「はい」
エスリートが達彦に向かって空を駆けた。

「達彦っ!!」
蒼が叫びレーナの横から動こうとする。
「問題ない、俺が対処する」
達彦は言って、蒼の動きを止めた。
祖竜の力の受け渡しを終えて間もないが、それでも力の使用方法は理解出来た。
「器官発現――光壁展開」
達彦の背中に黒色の器官が生え、エスリートの直進コースに光の壁が形成された。
「攻撃相使用、干渉開始」
エスリートが壁の前で止まり、その額から一本の赤い角を生やした。
途端に光の壁が消え失せる。
「達彦さん、気をつけてくださいっ! マスターの祖竜としての能力は祖竜最大の間粒子支配力です」
「分かってる、こっちも対抗する。――支配力最大っ!」
エスリートの角が出現した途端に、自由に使える場の間粒子が激減し、大半がエスリートの支配に入ってしまう。
達彦は己の器官に力を込めて、場の間粒子の支配を取り戻す。
外から間粒子を吸収利用出来ない状態では竜詩の発現も難しい上に、自身の活動も危うくなる。
祖竜エスリートがひとたびその力を使えば竜による戦闘の全てが停止してしまうのだ。
「ちっ、コピーした力と言っても、これは凄いな」
どれ程頑張っても、間粒子全体の一割程度の支配を取り戻すのがやっとだった。
このままでは他の全員も戦闘不能で負けてしまうことになる。
「今、余に従うと答えるなら、これ以上のことはせぬぞ?」
アルが余裕の態度で言う。
「随分な言い方だな、だが従う気はない」
「なに?」
「俺にも祖竜としての力がある。リブオールは大戦前に力を半分切り離して隠したからな、リブオールが具体的に何が出来るかは誰も知らない筈だ」
「決定した運命を変革出来る力と聞いておるがの、それがどうしたというのじゃ?」
「見せてやるさ――祖竜リブオールとして言い渡す、場の支配を変革する、決定された支配より全てを解き放つ!」
達彦の黒い器官が闇色に輝く。
それは周囲の光を飲み込む逆の輝きだった。達彦を中心にして完全な闇が一気に膨れあがる。
閉ざされた異空間全体が一瞬闇に包まれ、そして弾けた。
視界が戻った時、場にいる全員が自分が扱える間粒子及びエーテル量が戻ったことを実感する。
「元通りにしてやったぞ、さぁ、どうする?」
「小賢しい、ならば余の実力で蹴散らすのみ、――エスリートも好きに暴れよっ!」
アルの姿が黒い霧に包まれて変化する。
鎧と和服で飾った二本の角と長い尾を持つ元ラクティの身体だ。


「アルの相手は私とレーナでやる、行くぞ!」
蒼が加速してアルに斬り掛かる。
「なら、私達でエスリートのコピーの相手ね、ラプリアどのくらい行ける? 少しの間抑えて欲しいのだけど?」
ラクティが流線型のクリスタルの器官を二つ出現させた。
「五分程度なら可能だと推測」
ラプリアの背中にも機械の羽根が形成され、エスリートの前まで飛んで達彦の前に割って入る。
「排除対象『無垢なる物』変更、――摂理を超えた硬き物、礫と成りて降り注げ」
エスリートが器官を出さないままで竜詩を使う。
「空間歪曲面拡張、及び素材解析」
ラプリアに対して銀色のこぶし大の礫が大量に降り注ぎ、ラプリアはそれを空間をねじ曲げることで回避する。
ラプリアから逸らされた礫が、次々と異空間の境目に突き刺さって行く。
「――礫よ餌を貪る小魚のように舞え」
境目に突き刺さっていた礫が再び舞い上がり、四方八方からラプリアに殺到した。
「素材解析完了、順次分解」
ラプリアの表層に礫が触れた途端に、それが光となって弾けて行く。

「あれなら任せておいて平気ね、十月、真由、二人とも付いて来てっ!」
ラクティが達彦の元まで走る。指名された二人は頷き無言で従った。
「ラクティ」
合流して美佑と合わせて五人固まる。
「達彦、貴方、力が戻ったのだから攻撃相を出せるわよね?」
「ああ、自分の意思で使ったことはないが」
一度身体を乗っ取られた状態で出したことがあるだけだった。
「じゃ、ラプリアが抑えている間に攻撃相を展開して、祖竜の攻撃相なら半分の力でもコピーくらいの相手は出来る筈よ」
「そうだな、やってみる」
「お願いね、なら、真由、美佑は自己の防御と達彦の防御を合わせてお願い、ラプリアへの援護は十月と私で、出来る?」
「やってみるわ」
「そう、なら行くわよ」
ラクティと十月が宙に浮かび、礫を分解しているラプリアの後ろに付いた。

「はぁっ!!」
蒼が右手の甲に剣状の攻撃相を出現させてアルに斬り掛かる。
「遅いわっ!」
アルは宙で屈むような姿勢を作り回避。
そこから手を前に突き出し、それに合わせて黒い霧から長剣を創り出して蒼の胸部を狙う。
「!」
蒼は上体を反らして切っ先を避け、そのままバク転。
上がる足先でアルの突き出した手を蹴る。
「ぬっ!」
浅くヒットした後、蒼のフリルのスカートが翻り、回り切ったところで再びアルに斬り掛かる。
『後方より攻撃、光壁展開』
同時にリルラルの声が脳内に響いて、背面に光の防壁が張り巡らされた。
そこに黒い球体がぶつかり弾ける。
蒼が回っている間に、アルが巨大な鎖鉄球を創りだして、それを振るっていた。
鉄球が光壁と共に弾けた衝撃で、蒼の注意が後方に一瞬だけ逸れ、その隙にアルが今度は槍を構成、蒼の肩を狙って突く。
「くっ!」
身体を捻ってかわすがパフスリーブの膨らみ部分を穂先が貫いた。
一旦、後ろに飛んで距離を取る。
即座にレーナが隣に来て、
「手強いですね、支配力が実質平均化された閉鎖空間内では消費の大きい術式は組めません、物理戦闘で抑え込める自信がありますか?」
「厳しい、アルはどこからでも好きな武器を出すことが出来る、だから戦法に幅がありすぎて対処が追い付かない」
小声で話しつつアルとの間合いを計る。
すでに槍を消して両手は空になっていた。
次に何を出して来るのか全く予想出来ない。
「黒い霧がその元ということですか?」
「ああ、アルが異次元に溜めた意志力と間粒子を混ぜて一つにしたような物だ。アルの意識に反応して、どんなものにでも姿を変える、おそらくエスリートのコピーも、素体はそうやって創り出したものだと思う」
「だとすると、これで、黒い霧に干渉すれば何とかなるかも知れません」
レーナが手の平に一本の白い糸を出した。十五センチほどの短いものだ。
「それは?」
『イシティリアスの糸――ハッキング兵器です、現品ならあらゆる物に対して乗っ取りを掛けられますが、これはコピーのようです』
頭の中でリルラルが答えた。
「説明は後です。これをアルジアス本人の何処かに触れさせてください、それで何とか出来るかも知れません」
レーナから糸が渡される。
「いや、いまリルラルから聞いた、やってみる」
糸を触れさせるくらいなら可能だと思えた。
「戦法は決まったか? では、そろそろ本気で参るぞっ!」
アルが両手に黒い炎を纏った剣を出現させて蒼達に突進して来る。
「レーナは下がっていてくれっ!」
蒼は左手を装甲化させた上で右手の剣を構え、向かって来るアルに備える。
糸は左手の中に指一つで押さえていた。
「余の剣の力、受けてみよっ!!」
左右の剣で違う角度から舞うような高速斬撃。
「っ!!」
瞬時に反応して、左手の甲と右手の剣でそれぞれ受け止める。
とてつもなく重い一撃で、全力で押し返さなければ力負けしそうだった。
ギリギリと左手の装甲が軋んだ音を立てる。
「フッ、お返しじゃ!」
と、アルが唐突に剣を消す。
「!」
蒼は掛けていた力の行き場を急に失う形になり体勢を崩した。
その隙を突く形でアルが右足で回し蹴りを放つ。
「ぁぐっ!!」
左の脇腹に足先がヒット。
浅く入った一撃だったが、それでもかなりの衝撃が走る。
だが、その足が引かれる前に蒼は左手でアルの足首を掴む――そして、糸を触れさせた。
そこから右手の剣の間合いまでアルを引き寄せようとするが、
「はぁっ!」
アルが左手に大鎌を出して蒼を薙ぎ払う。
刃が届くより前に蒼はアルの足首を離して上方に飛び退く。
そして、
「レーナ、やったぞっ!」
「はい、――イシティリアス、干渉開始」
レーナが頷き、クリスタルの翼がリーンと澄んだ音を鳴らした。
「なっ、面倒なことをっ!」
アルが眉根を寄せた。
「行くぞ!」
効いたと判断して、蒼が上から斬り掛かる。
「ちっ」
アルは最後に出した大鎌でそれを受け止めた。
剣と鎌の押し合いになる。
「器官可変攻撃っ!」
蒼はその体勢から器官の一枚一枚を伸ばして、舞う剣のようにしてアルを狙う。
「余とてっ!」
アルの機械と融合した器官が変形し、楯のように広がり蒼の剣化した器官を全て弾いた。
「武具の創造は出来なくなった様子だな?」
アルが己の器官を使って防御するというのは、黒霧から何も創れなくなった証だった。
「小賢しい」
アルが大鎌を弾いて後ろに飛び、構え直す。
『蒼様、イシティリアスの起動は残り三百秒程度です、その間に決めてください』
リルラルが残り時間を告げる。
『分かった』
蒼は右手の剣を構えて再びアルに斬り掛かった。
長い得物のアルに対して、懐に潜り込めば勝機は充分にあるはずだった。

ラプリアとエスリートが交戦を始めてから約三分が経過していた。
現状、ラクティと十月が加勢して三対一になっているが、それでもエスリートを押し切ることは出来なかった。
三人が共に万全ではないとは言っても、エスリートの力は脅威だった。
祖竜最大の間粒子支配力ということは、最強の竜詩使いということでもある。
超高熱、超低温、超重力、空間歪曲と多岐に渡る力が発現しては打ち消される事態が繰り返されていた。
空間内の粒子量が限られているため、大型の術式が発動出来ないことが救いと言える状況。
「本当にコピーした力なのか?」
達彦は自分の内の力に集中しつつ呟いた。
祖竜リブオールとしての力の半分が戻った今、竜として攻撃相を出せる筈だが、なかなか上手くイメージ出来ずに手こずっていた。
焦りもあったし、意思力で自らの形状を変えるという行為に全く慣れていないこともあった。
「達彦さん、自分の力の形を強くイメージしてください。竜は個々の意思の力によってどんな形にでもなれる存在です。上手く出来ないのは人間だったという意識が邪魔している可能性もあります」
達彦の前で防壁を展開する真由が言う。
エスリートから放たれる流れ弾を美佑と一緒に防いでくれていた。
「俺の力の形か」
色々と考えている時間はもう無かった。
ラプリアが後一分強で限界を迎えればそこから崩れて来る。
リブオールとしての記憶は無いため、過去の自分の姿は分からない。ただ、漠然とした力として自分の身体の中に存在しているだけだ。
そこに形を与えるイメージを行う。
「こんな感じか? ――攻撃相展開っ!」
閃くように感じた形状を具象化する。
達彦の右手が黒い炎に包まれ、前腕部の外側に細長い円筒型の物体が構成される。
パーツの一部が手の平側で握られる形で、それは全体で砲のように見えた。
炎は着ていた服を燃やすことなく収まり、砲の先がエスリートを捉える。
「これが俺の攻撃相か」
初めての形成だったが使い方は知識として理解出来ていた。
見た目通りに砲撃可能な武装。
しっくりと身体に馴染む。
「やりましたね、使えそうですか?」
「ああ、真由と美佑は、もう下がってくれ」
「分かりました」
「はい、お任せします」
二人が防壁を解いて達彦の前を開けた。
ラプリアの限界まで、おそらく一分を切っている。
そう何発も撃つ時間はない。
実質、一発でエスリートが止められないとマズい。
「決めるところってことか」
砲身に力を込めて行く。
攻撃方法は、実体物を構成して弾にする実弾砲と、荷電粒子を収束させるビーム砲の二種類を選択可能だ。
意識すれば、砲の内部構造がどちらかのタイプに即座に変わる仕組みだった。
達彦は分解困難な実弾型をイメージして攻撃相たる砲身に力を込める。
それは無意識に竜詩を使う行為だった。
対象となるエスリートは竜詩を行使するだけで特に動いていない、初めて狙う的として丁度良かった。
ラクティ達三人を避ける砲撃ラインを見いだし、
「よし、行けるっ――当たれっ!!」
砲口から竜詩によって自動的に練り込まれた圧縮中性子弾を放つ。
その弾は、エスリートがラクティ達の攻撃を弾く為に張っていた防壁をあっさりと貫き彼女に直撃した。
全てが一瞬の中の出来事。
光のラインが達彦から真っ直ぐに伸びて、ある一点で空間に波紋を刻み、その向こう側に抜けた直後に炸裂した。
周囲に響き渡る轟音が響き渡る。
それはまるで巨大な獣の鳴き声のようだった。

「――!!」
エスリートの目が見開かれ、その額から伸びる赤い角が根本からへし折れた。
「時空揺らぎ発生、異空間崩壊開始確認」
ラプリアがピタリと戦闘行為を止めて冷静に呟く。
「いきなり!? 誰か一時肩代わりして、現空間に異常が出るわっ!」
対してラクティが慌てた顔で叫ぶ、
「仕方ないなぁーっ、――空間干渉開始、干渉者フィーヌ・ラキリ・オプティー!」
十月が言葉の途中で目を閉じて、背中に出していた機械の翼を半透明化させて輝かせた。
閉じられた異空間の内景色が十月を中心に塗り変わって行く。
薄闇に光が射すように白く、それでいて眩しくない閃光が空間を染め、全てが白く染まった後、バラバラと崩れて、その向こう側に元の現実の景色が現れる。
「――広範囲記憶操作開始」
一つ遅れてラプリアが言い、世界が完全に元に戻る。
「くっ!!」
同時にアルが呻く。喉元に蒼の剣先が接していた。
世界が戻る時、一瞬だけ体勢を崩したアルの隙を蒼がついた形だ。
「まだやるか?」
異空間が崩れた現状で、これ以上戦うということは、無尽蔵にある間粒子を意思力が続く限り使い放題ということだった。
祖竜クラスでそれをやれば、この場で他の祖竜を呼び寄せる大抗争が始まってもおかしくない。
そのことは全員が分かっていた。
「ちっ――アウトラインに居ると、こういう時は困るものよの、予測が出来ぬ事態に成り得る」
アルが背中の器官を素早くしまった。
「負けを認めるんだな? だったら私の言うことを聞いてもらう」
切っ先を突き付けたまま言う。
「余は、主の意思確認と説得に来ただけじゃ、負けも何もない、単に説得に失敗しただけじゃ」
「従う気はないというのか?」
「予測を外したと言っても、帰るための支度くらいはあるのでな」
「なに――!?」
アルが呟き、蒼が切っ先を動かす。
しかし、切っ先がアルの喉に届くことはなく空間に飲み込まれてしまう。
即座に引き抜くと同時にアルの姿が揺らいだ。
「まてっ! 逃げる気か!?」
「余の目的は語った筈じゃ」
その上で残る理由は無いと判断した上での逃亡だろう。
「ではな――」
別れの言葉が揺らいだ空間に消えようとした時、
「!!」
不意に蒼の背後から光のラインが伸びた。
光は揺らいだアルの姿にぶつかり炸裂――その直後アルは現空間から消えた。
「くそっ、逃げられたか!」
蒼の耳に達彦の声が届く。
「達彦、攻撃相を出せたんだな!?」
宙から降りて達彦の元に向かう。
達彦達が相手をしていたエスリートはアルと同時に消えていた。
他のメンバーも地上にいる達彦達のところに集まった。
「これは、前に見た時よりも形が整っているな」
達彦の手には砲と形容出来るものが付いている。
「前のことは覚えていないがな、何とか出せて良かった、最後の一発も手応えはあったから当たっている筈だ」
「ああ、おそらく当たっている」
「はいはい、話は後よ。みんな武器とか器官とか翼とかしまって、一旦、私の家まで戻るわよ」
ラクティが全員を見渡して言う。
横断歩道の前にいつまでも溜まっている訳にはいかない。
ラプリアが周辺の人間の記憶を改変しているために、認識はされていないが、ずっと立っているのに適した場所ではなかった。
「それが妥当でしょうね」
レーナが同意すると他のメンバーも頷き、一行はラクティの家である駅前のデパートに向かった。

「祖竜二体の上に……レーナの相手は流石に厳しいということか……」
アルが再び現れたのは、以前ラプリアが再生のために寝かされていた部屋だった。
大部屋の壁に手を突いて、変身を解き全裸になる。
息が乱れていた。
「エスリート、回復を頼む」
「はい」
そんなアルの後ろにエスリートが立つ。
と、何か大きな物がドサっと下に落ちた。そして、その何かを中心にして真っ赤な血が白い床に広がって行く。
それはアルの肩から下の左腕全てだった。もげた肩口からは骨が見え、脈に合わせて千切れた筋肉の奥から血が噴き出る。
「では」
エスリートが落ちた左腕を拾って、アルの肩口に押し付ける。
「くっ!」
「接合開始します――かのもののあるべき姿に今一度」
片手でもげたアルの腕を持ち、もう一方の手を切断面にかざす。
淡い光が発生した。
「付きそうか?」
「問題ありません、ただ、イシティリアスの残存微干渉力を感知、回復に影響は微弱、但し、ある程度の情報の漏れが発生中です」
「影響はいつ消える?」
「四〇秒後です」
「こちらの負傷が伝わるということか、今は仕方あるまい」
「了解、治療に専念します」

蒼達八人がデパートの地下に集まって五十分が経過していた。
互いに決まったことを話し合った上で今のところの結論が出た。
「黒海に直接行くしかない――という結論でいい?」
議長役のラクティがまとめる。
各々は部屋の好きな場所で紅茶を片手に話に参加していた。
部屋はがらんどうの自動車整備庫という感じの雰囲気で、幾つかの椅子とティーサーバーだけがあった。
「異論はありません、その後の行動は別としてですが」
レーナが答えた。
「まぁ、現地で状況が変わるかも知れないし、今はまずは封印の現状確認が必要でしょ?」
「そうですね、アルジアスも今すぐは動けないでしょうし」
レーナはイシティリアスの残滓からアルが負傷したことを知り、それを全員に伝えていた。
「アルが動けないうちに現地に移動するのは良案だと思う。回復すれば、またいつ仕掛けて来てもおかしくない」
蒼がアルとはっきり決別したことで、アルの方には遠慮は全くないと思えた。
「私のラストコアも黒海の近辺にあることになっているから、どのみち、私は取りに行く必要があるけどね」
「そうなると人選ですね。全員が日本から居なくなる訳にも行きません。クレイドルの新たな日本支部の位置も分かったことですし」
「じゃ、まず絶対に行く必要があるメンバーは? 十月と蒼でしょ、二人に付いて行きたいというのは?」
「私は付いて行きます」
美佑が手を挙げた。
「俺も行く必要があるだろ」
達彦が続く。
「同行」
ラプリアが言う。
これで合わせて五人が決定した。
「レーナはどうするの?」
「私は残ります、私はこちらでやることがあるので」
「そう、じゃ、真由はどうする?」
「残ります。アルジアスがまだ日本にいるなら、マスターの手掛かりも日本にあるということですから」
「分かったわ」
「で、最後にラクティはどうするんだ?」
蒼が聞く。
「私は残るわ、ここを離れるのは最小限にしたいから」
「まだ守る何かがあるのか?」
「一応ね、本拠地にするために建てた建物だからね、代わりにサラマンダーを持っていって」
ラクティは胸に縫いぐるみにしか見えないサラマンダーを抱いていた。
「この子で異次元構築を行えば距離を縮めて飛べるから」
「それって、本体を浜辺に呼び出した時のアレか?」
達彦が知っている顔をする。
「そうよ、流石に地球半周する距離になると、数秒で移動とはいかないけど九千キロちょっとだから、十分くらいかしらね」
「便利な力ねー」
十月が感心した顔になる。
空間跳躍が可能な『無垢なる物』でも、数千キロを飛ぶのは無理だった。
「サラマンダーの構築には二千九百年掛かっているから、大概の便利機能は搭載してあるわ、今まで私の力の方が足りなかったけど、今なら並の竜以上に強いわよ」
誇らしげに言うが、どう見てもファンシーな縫いぐるみにしか見えないサラマンダーが強いとは、誰も信じられなかった。
「それはそれとして、出発はいつにする?」
蒼が話を戻す。
「そうね、私が決めることでもないと思うけど」
「いや、ラクティが決めてもいい、ラクティが力に慣れるまで待っていないと、私達がいない間に、ここを攻められるとマズイ」
「私はあと四日くらいよ」
「思ったより早いな」
「そう? 確か、ラプリアの方は後二日よね?」
同じく全力ではない相手に視線を送る。
「二日で基本機能は回復」
「なら、その間に、ウチの倉庫から使えそうなものを見付けて取り込んで、それでかなり万全になるんじゃない?」
「何があるのかによって違いますが」
「じゃ、取り込み後の調整を入れて四日をみておけばいいわよね。となると、最速で四日後ね」
「だったら、そのまま四日後でいいだろ、時間を掛けてアルの方が回復したのでは意味がない」
「そうね、四日後で決定ということにしましょう。それで黒海と言ってもどのルートから向かうの? ロシア側? 東ヨーロッパ側?」
「あ、それなら私が詳しいかな、一応現地出身だし」
十月が手を挙げる。
「どこかいい所ある?」
「アナトリア側から入るわ、漁港が多いから船の準備も出来るし」
「分かったわ、その辺は任せるわね」
「任されたわ」
「あと、年長者として保護者的なことは達彦に任せるわよ、何かあっても、蒼達にあまり無茶はさせないようにしてね」
「期待してくれるのはいいが、このメンバーで最年長って事でも実はないだろ」
美佑を除いて外見年齢と中身が大幅にずれた集まりだった。
「女の子は外見が全てなの、それに達彦も祖竜の知識が戻ったんだから、それだけの経験値が増えてるだろうし」
ラクティが少し怖い顔をして言う。
「そ、そうだな」
達彦以外が全員女性という状況では反論は出来なかった。
「これで一応結論は出たから、後はみんなどうする? 解散してもいいし、ここに泊まってもいいわよ」
「私と十月はすぐに帰ります、マスターに報告もあるので」
「そう」
「あの、レーナさん、私もそちらに付いて行ってよいでしょうか?」
真由が言う。
「構いませんが、何かあるのですか?」
「クレイドルに関して何か手を打つなら、アルジアスと出会う可能性もあると思われるので」
「そういうことなら分かりました。歓迎します」
「お願いします」
頭をぺこりと下げる。
「じゃ、残りのメンツはここに泊まる? 何処かに行くにしても、単独でいることになるのは避けた方がいいと思うけど?」
戦力が分散した時に狙われるのが最悪だった。
アルが動けないと言っても、他の敵の存在もあり得た。
「私とラプリアは、ここでお世話になりたい」
「構わないわよ」
「じゃあ、私も」
美佑が続く。
「となると、俺だけ一人というのも無理だろ、ラクティ、頼む」
「そうね、なら五人ということで用意するわ」
「何をだ?」
蒼が聞き返した。
「当然、夕食よ」
ラクティはニッコリと言った。

真っ白に雪が積もった山中の一角に修道服姿のフィテアが居た。
時刻は夜中、周囲は完全な闇に包まれ、生き物の気配はまるでない。
凍り付くような寒さの中、雪をまとった木々の間で竜詩が響く。
「――目覚めよ」
最後の一編が終わり、雪の地面が光る。
そこには雪の下に巨石があった。
その巨石が一メートルほど積もった雪の下で輝き、それに合わせて、周囲の木が次々と瞬間的に消えて行った。
そして、木が消えた場所に人影のようなものが出現する。
闇の中、白く輝く鎧姿の人型。
「リティスの従者――白蒼の騎士達よ、我に従い、盟主の願いを成就させよ」
フィテアの声に合わせ、鎧姿の騎士達はある一点の方角を睨んだ。

蒼は夜のデパートの屋上に居た。
フェンスに寄り掛かって内側に視線を向けている。
「こうして二人で話すのは久し振りだな」
「そうね」
蒼の視線の先にあるベンチにラクティが座っていた。
二人とも夕方と同じ服を着ていた。
「夕食は美味しかった」
「蒼の口からそんな言葉が出るのは意外ね」
「久し振りに食べて、味の違いに気付いたから」
「私の料理を食べさせ続けた甲斐があったということかしら?」
「そうかも知れない」
蒼は食べるもの全般に拘りがなかった。
それが、料理の上手いラクティと居たことで少しだけ変わっていた。
「それで、そんなことだけを伝えるために呼び出したわけではないのでしょ?」
「ああ」
前振りを終えて、蒼は一つ深く息をした。
常時灯のオレンジ色の光に白い息が消えて行く。
「達彦に、好きだとは言えなかったが、別の言葉で気持ちを伝えた」
「そう」
「達彦は私のことを妹のようなものだと言った」
「そう」
「ラクティは、達彦になんて言われたんだ?」
「記憶にある限りでは、直接好きだと言われたことはないわ」
とても普通な顔であっさりとした言い方。
「確認したことがないのか?」
意外な答えに蒼は少し戸惑った。
「無いわ、むしろ、聞くのが怖いから」
「けど、達彦はラクティの気持ちを受け入れたのだろ?」
「ええ、一緒には居てくれているわ、けど、それが達彦の中で本当はどういう理由なのかは分からない」
「……」
「私は信じていたいの、だから本当のことなんて知らなくても、達彦が私を受け止めてくれているなら、それでいいと思っているわ」
「達彦が、自分を好きでいてくれていることをか?」
「そうよ」
「……」
その態度は強気であり臆病でもあると思えた。
好きだと言えない蒼が、ラクティのことを臆病だと言えた義理はないが、だからこそラクティの態度が理解出来た。
「何よ? 確認しろとでも言うつもり?」
「いや、それはない」
きっぱりと言う。
「そう。ところで、さっきの話だけど、達彦が妹だの娘だので言葉を濁しているのは、彼に迷いがあるからよ、それは教えておいてあげるわ」
「そんなことを私に教えていいのか?」
「ここで貴方が退いたら、楽しくないもの」
「本気で言っているのか?」
「さぁ」
ラクティが両脚を持ち上げてプラプラする。
仮に本気で言っているなら、蒼と勝負したいという意味だった。
「まさか、黒海に行かないと言ったのは、私が動き易いようにか?」
「そこまで優しくはないつもりだけど、結果的にはそうなるかも知れないわね」
「礼は言わない」
「だから、違うと言っているでしょ、あくまで結果よ。それに、このところ私の方はずっと達彦と二人きりだったのだから、これで対等でしょ?」
「……」
好意として素直に受けるべきだと思い黙った。
「じゃ、黒海の方は任せたわよ、それからついでになるけど、もし良かったら、蒼の中のフィテアに関する情報を聞かせて欲しいの、私の前の身体は、フィテアの妹、フィリアの物だったから」
「フィテアか……少し待ってくれ」
頭の中でリティスの知識にアクセスする。
随分と慣れた行為になっていた。
「大戦以前からリティスの眷属として仕えている竜だ。本人は使徒と名乗っている、私の記憶にはフィテアの戦闘記録はないが、全身装甲型の攻撃相を展開する ことが可能で、その時は器官の形も変質する、また、次元干渉能力を有して、五百メートル程度の範囲でのテレポートが可能、但し十分以内での連続使用は不 可、――大体、こんなところだ」
「戦闘していないのは本人の性格?」
「そうだ、戦いを極端に避ける傾向がある、シスターの格好をしているのも、その考えを体現しているからだ」
「他に何か変わった点は?」
「そうだな、リティスから直接の命令を受けて現在も行動している竜という点では、ある意味、私よりリティスの目的に忠実だと思う。それから、ラプリアと共闘する可能性を踏まえて自身の能力を調整したらしい」
「それは使徒になった後、自らの基本構成部分に手を加えたということ?」
「ああ、祖竜の血の管理下に入れば、自らの身体を創り変えるくらいは可能だからな」
「本当にリティスに全てを捧げた竜ということね」
「そうなるな」
「その上で、未だリティスの記憶と力を引き継ぐ蒼に連絡無しということね?」
「ああ、今のところ何の連絡もない」
「それ、蒼は少し不気味だと思わない?」
「そうだな、ラクティに聞くまで単独で動いていることすら知らなかったからな、今は何とも言えない」
未来を予見していたリティスが、色々と現在の事情のために何かを仕掛けていることは考えにあった。
その一つとしてフィテアが動いていたとしても不思議で無いし、また逆に会ったことも無い相手が何かをしている、と言われても実感が湧かなかった。
「私の直感だと気をつけた方が良い感じね」
「害になることをやって来ると?」
「多分、今の蒼の考えとは違う目的を目指している気がするわ、だから、正反対では無いにしても、相違部分で反発して来る可能性はある」
「分かった、気をつけることにする」
一度出会ったラクティが言う忠告は価値のある情報だった。
「そうしておいて」
「ああ、こちらに残るなら、アルジアスの情報も伝えておく。アルは次元操作能力に特化した魔竜だ、三百キロ程度を一気に飛べる、それと別次元に特殊な力の 元を溜め込んでいて、そこから大概の物体を瞬時に構成可能だ。主に武器や防壁の構築に使うが、時間があれば大掛かりなモノも創れる。また、竜詩の行使は竜 詩対抗時や空間断絶時に使う程度で、直接攻撃に使うことは少ない、ただ、使う場合は炎を軸にすることが多い」
「厄介なのは、その何でも出せる力ね」
「魔竜として限度なく人を喰らって溜めた力だからな、数時間程度の戦闘時間で考えた場合、実質の無尽蔵だ」
「その上、空間を遮断しても次元を渡って逃げるのでしょ?」
「ああ、アルがこじ開けられない特殊な異空間でも構築すれば別だが、今の私では出来ない、おそらく『無垢なる物』達も無理だろう」
「その辺は本来エスリートの得意分野よね、その力もアルが押さえていると……実は八方ふさがり?」
「私か達彦が力を完全に取り戻せば対抗は可能だ」
「その意味でもリエグの封印を解くという話になる訳ね。――それにしてもアルだけが強くなりすぎじゃない? 私の元の身体を持って行ったことで、最大出力を出せるようになっているみたいだし、ここまでのことは祖竜側の予測にはなかったの?」
「リティスの予測にはない。アルはメリアシスクの支配から離れるために己の運命を不確定化して、祖竜の予測軸から外れている存在だからな」
「どういう意味?」
「竜と魔竜はメリアシスクが創り出した存在だ。その時点で基本的にはメリアシスクの加護という強運に守られている、具体的には事故などで死ぬことが無い等だ。その加護をキャンセルして自らの存在を不安定化させているのがアルだ」
「不安定化すると死にやすくなるってこと?」
「魔竜は狩られる側の者として、その存在が元々不安定だ。それを『自然には消えない』というメリアシスクの加護で支えている、それが無いアルは、ラクティ の身体を手に入れるまでは、いつ消えてもおかしくない存在だった、今はその弱点を克服したということになるが」
「ふーん、じゃあ、どうしても私の身体が必要だったということね、しかも、私よりも上手く使っているし」
「見た目の装甲は減っていたように見えたが?」
「アレでいいのよ、全装甲化するのは消耗が激しすぎるし、大気がある場所でやるべきじゃない、軽く音速超えるのよ。自分で言うのも変な話だけど、化け物のような力を秘めた身体だったのだから」
「他にどんな力を使える身体だったんだ?」
一度対峙した時に、凄まじい力を感じて逃げた記憶がある。
また蒼は直接状況を見ていないが、ラプリアと戦って勝った身体でもあった。
「そうね、あとは、決まれば一撃でどんな相手でも破壊する力かしら」
漠然としつつも恐ろしい答えだった。
「それはウィークポイントを見切る力のようなものか?」
「大体そんな感じでいいわ、ただ、見た目は地味な力よ」
「そんな力をアルに使われると面倒だな」
変幻自在の攻撃をするアルが持てば、さらに恐ろしい力になるのは確実だった。
「ええ、けど使ってくると分かっていれば回避は可能よ。回避出来ない未来を確定させるリティスの力よりは大人しいかもね」
「今の私には、その力は負担が大きすぎて使えないがな、器を手に入れずに祖竜の力を使い続ければ、この身体は崩壊して力も消滅してしまう」
「でも、それなりに使っていたわよね?」
「制御出来る部分で使っているだけだ、連続使用すれば器官がオーバーヒートする」
「色々と上手くは行かないものね」
「私も竜である以上、メリアシスクの干渉も知らずに受けている筈だからな、ここまで事が進んでいるだけでも、実は上手く行っているのかも知れない」
メリアシスクの能力は未来を決定して行く力だ。
リティスの力と実質同じであり、同時に存在出来ない力であるからこそ釣り合っているという矛盾の関係。
共に独断が出来ないようにするための縛りでもあった。
「――じゃ、今日はありがとう。私からはもうない」
「私からも今はもうないわ」
「なら、戻ろう、達彦と美佑が気付く」
「ええ」
ラクティがベンチから立ち上がり、二人は屋上から降りた。
後には冬の冷たい空気を照らす常時灯の光だけが残った。

蒼の夢第四部 完

●蒼の夢第4部 おまけ●

「お店を長く休みにすることは、あまりよろしくないと、ふと気付きました」
ラプリアがそう言ったのは、アルジアスを退けた次の日――火曜日の朝だった。
事情を聞くと、ラプリアのマスターは喫茶店を経営しており、ラプリアはその店の店員として働いているという。
その上でラプリアは喫茶店の仕事に対して情熱を持っている様子で、彼女の基本衣装がメイド服なのも、その茶店のコスチュームなのだと言う。
そして、仮にこの先、長く店を空ける事態になったとしても、一度は戻って様子をみる必要があると言い切った。
また、蒼も数週間分の生活私物を取りに行きたいということで、その喫茶店に関係者が移動することになった。

そんな訳で午後の都内の某所の茶店にかしましいメンバーが集まっていた。
「ちょっとっ! 何でそんなに普通にしているのよっ、貴方のマスターはまだクレイドル側にいるのでしょ? 互いが知っているポイントなんだから危なくないの?」
ラクティの大声が響く。
彼女はカウンター席の前で眉をつり上げていた。
店の中には他に蒼、ラプリア、十月、美佑の姿がある。達彦はレーナと一緒に彼女のマスターに挨拶に行き別行動。
ラプリアはその二人から店での行動は充分に注意するようにと言われていた。
「そうですね、私達の行動は、この場所にある監視装置によりほぼクレイドルに筒抜けです。監視装置を壊したとしても壊したという情報が伝わります」
「だったら――」
言い掛けたラクティをラプリアが手で止める。
彼女は、お店に来る段階で昨日着ていた蒼の制服から、いつものメイド服に着替えていた。
「いえ、現状、私達に仕掛けて来る可能性は限りなくゼロです。何故なら戦力差があり過ぎるからです、ここにこれだけの人数がいることが抑止力となり、この場は安全と言えます」
「そうだとしても、もう少し緊張感とか……」
「特別に危険が無い以上、無駄に緊張することもありません」
「無駄では無いわよ、そもそも、私はここに来ることに反対したんだから」
「しかし、結果多数決により来ることが決定し、今、この場に来ています」
「ぅ……」
ラクティがジト目で賛成した残りのメンツを見る。理由がある蒼は仕方ないとしても、十月と美佑まで賛成したのは意外だった。
「……ぁ」
美佑と目が合うと、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「ラクティは心配し過ぎじゃない? クレイドルだって見境無しという訳じゃないのよ?」
十月が座っている回転椅子を脚で回しながら言う。
彼女は、ずっとクレイドルと戦っている分、相手の出方はよく分かっている筈だった。
「確かにその点は私には判断出来ないわ、クレイドルのことは詳しくないし。けど、普通はもっと慎重になるべきだと思うというだけよ」
「普通って言うけど、何が普通かは判定が難しいと思うなぁ、とにかく、私達が大丈夫だって言うんだから平気よ」
「それは、緊急事態になりそうにないことは認めるけど……」
今すぐに何かあるとはラクティにも思えなかった。
店の中は至って普通、外にもおかしな気配は感じられない。
「それにしても綺麗なお店ね、実は結構人気店だったりするの? この辺のお店は詳しくないのだけど」
十月が店内を見渡しつつ呟く。
店はカウンター席とテーブルが五つという広さで、全体に木工製品が使われアンティークな雰囲気を漂わせていた。カウンターの椅子だけは支柱が金属の丸椅子だが、なるべく金属が目立たないように木製のパーツが付いている。
また、外と内を仕切る壁面には曇りガラスが張られ、淡い光を通すことで店内に柔らかな空気を作り出す。
設計した人間の拘りが分かる空間と言えた。
「地域人気ランクでは十二位、隠れた名店というポジションです」
すました顔のラプリアがとても客観的に言う。
「ラプリアが言うと自店のことでも妙な説得力ね」
「そうね」
同意しつつ、ラクティはまるで検索エンジンの回答のようだと思った。
それに、ラプリアの場合、実際にネットワーク情報にアクセスして答えている可能性もある。
「それで『隠れた』というのは? 今の時代、本当に味なりが良かったら、いつまでも隠れてはいられないでしょ?」
十月が聞く。
「理由としては不定期に休みが多いこと、マスターの人柄に慣れるお客と慣れないお客がいることなどです」
「それって、その二つが解決すれば、もっと上位に来るっていう意味の発言よね?」
「間違いなく」
即座に断言。
「言い切る自信はあるということ? それはコーヒーの味とか?」
「それもありますが、色々と知って貰う方が早いと考えます」
「どういう意味?」
「店を開けるのが早道という意味」
「開けるの? マスターがいないのに大丈夫なの?」
「人手的には充分に足りると考えます。マスターの味の再現なら九十八パーセントまで私で可能」
「ふーん、要するに手伝えって話なのね、私は別にいいわよ、けど九十八パーセントってマスター形無しね」
十月がアゴに手を当てた後、笑って答える。
「いえ、残りの二パーセントに真の価値があります」
「そんなもの?」
「ちょっと待ちなさい」
ラクティが話を進める二人に割り込む。
「何で店を開けるとかいう話になっている訳? 荷物を取りに来ただけでしょ?」
「えー、それだけで帰ってもつまらないしー、別にいいじゃん」
十月がぶーぶーと口を尖らせる。
完全にその気になっていた。
「良くないでしょ? いくらなんでも緩み過ぎよ」
ラクティには、どうしたら敵地とも言える場所でお店を開けるという発想になるのか理解出来ない。
「むしろ、そんなに気が張っている方が変だと思うよ」
「そんなことないわ、蒼だってそう思うでしょ?」
自分の味方をしてくれそうな相手を探して店内に視線を巡らせる。
しかし、さっきまで居た筈の蒼の姿が忽然と消えていた。
さらにラプリアの姿もない。
「なに? まさか、もう何か始めているわけ?」
怪訝な顔をして十月に視線を向ける。
「私は別に、ラプリアが何かしているんじゃない?」
十月がしれっと答える。
と――。
「お待たせしました」
ラプリアがカウンター席の奥にある従業員口から出て来た。
そして、その後ろからラプリアとほぼ同じデザインのメイド服を着た蒼が現れる。
もじもじした様子でラプリアの背に隠れるようにしての登場だ。
「蒼、その格好は……?」
答えは予想出来たが、ラクティには聞かずにはいられなかった。
「この店の……制服だ」
小さな声で答える。
基本黒色のメイド服は黒髪の蒼にはよく似合っていた。ツインに分けられた髪の上に付けられたフリルカチューシャも可愛い。
「蒼もお店を開けるつもりなの?」
「基本的には反対だが、ここでは、その……ラプリアに逆らえない」
「何かあったの?」
蒼とラプリアを交互に見遣る。
「……」
「いえ、単にここに居る間、お店を手伝っていただいていただけです」
蒼が黙り、ラプリアが静かに答えた。
その蒼の様子は怖い先生に怯える生徒のようにも見えた。
「そう」
ラクティは深い事情を察して短く返した。
その上で、
「本当にお店を開ける気なの?」
ラプリアに念押しで聞く。
「はい」
全く迷いの無い返答。
「分かったわ、止めても無駄なら私は傍観するから」
カウンター席に腰掛けて、ある意味、半分無視を決め込むことにした。
お店を開けて、一般人が入ってくれば危険性は結果として下がる。それなら、それで問題ないし、自分が関わることでも無かった。
お店を開けたいというメンツの気が済むまで放置するのが一番だと思った。
「分かりました。では、開店させます」
ラプリアがカウベルの付いた店のドアから外に出て『OPEN』の札を下げて戻って来る。
時間は午後三時、遅い開店だった。
「ねぇ、蒼ちゃん、私も手伝うよ」
美佑が蒼のメイド服の背中を軽くつまんで言う。
「出来るのか?」
「メニュー取りくらいなら、多分」
「わかった、なら、ラプリアに手伝うと言ってくれ」
「うん」
美佑がラプリアの元に駆け寄る。
「じゃ、私も手伝おうかなー。ねぇ、ラプリア、手伝うなら、その制服着れるのでしょ?」
十月が回転椅子から降りる。
「はい、多少のデザインパターンも揃えてあります」
「それは嬉しいかも、じゃ、更衣室に案内して」
「はい、美佑様も、どうぞこちらに」
「あ、『様』とかいいよ、美佑で」
「では、美佑も、こちらに」
三人がカウンター裏の扉に消えて行く。
今、誰か来たらどうする気なのか? とラクティは思ってしまう。
カラン、コロン――。
響くカウベルの音。
「いらっしゃいませ」
蒼がほとんど反射のように言って入って来たお客を出迎える。
それなりに形になっているとラクティは思いつつ、お客の方に視線を送って――。
「あ」
思わず口を開けて固まった。
「え」
「うわ」
それは蒼と入って来たお客も同じだった。
「蒼、なんで、こんな所にいるの!?」
お客は蒼のクラスメイトの崎白悠美香だった。
その後ろに姉の真央と、美鏡さくらの姿もある。
蒼は数週間学校を休んでいたので、久し振りに会ったことになる。
「いや、ちょっと手伝いで」
「手伝いって、学校来てなかったのと関係あるの?」
「それは――」
蒼が完全に困った顔になる。
「ああ、もうっ! 蒼、適当にストーリーを作って記憶干渉するわ、貴方にも情報を投げるから」
ラクティが咄嗟に背中に小さく器官を出して、入って来た三人の記憶を弄る。
ここで何もかも口頭で説明することは大変すぎた。
即興で、蒼が海外の親戚の元に行っていて戻って来たが、またすぐに海外に戻ることになっているという話を、予め知っていたことにする。
自分自身の姿の変化については、元から今の姿で蒼の歳の離れた姉という設定に収めた。
銀髪から金髪に変わって身長が二十センチ近く伸びているが、顔はほぼ同じなので何も設定しないままでは、説明に窮することは見えていた。
記憶干渉が完了すると、
「戻って来ていたなら、そう言ってくれないと、ねぇ?」
「はい、そうですわね」
悠美香とさくらが納得した顔になる。
「蒼ちゃん、久し振りだね、元気だった?」
悠美香の姉の真央が、すこし屈んで蒼の顔を覗き込んだ。
「あ、はい、問題ないです」
「ここは手伝い? お店の人と知り合いなの?」
「そうです。今、ちょっと人手が足りなくて、戻ってきたら手伝って欲しいと言われて」
「そうかー、なら仕方ないよね」
「はい、では、こちらにどうぞ」
蒼が慣れた感じで三人をテーブル席に案内する。
三人とも私服だったが、悠美香だけ少しおめかしした格好をしていた。
「悠美香、何かあったの?」
蒼が店員としてではなく友達として悠美香に聞く。
「えっと、今日、私の誕生日なんだ、だから、ケーキをここに食べに来たんだけど」
「このお店、美味しいって、ネットで見て、まさか蒼ちゃんの知り合いのお店だとは思わなかったな」
真央が言う。
「そうですわね」
さくらが同意する。
「あ、おめでとう。――じゃ、注文はケーキ?」
「そうだけど、都合悪かったりする?」
「いや、ちょっと待って、聞いてくるから。――他に注文は?」
「紅茶をお願いします」
「私はブレンドコーヒーでお願いね」
「カフェオレで」
さくら、真央、悠美香の順の注文。
「かしこまりました」
蒼が注文をメモしてカウンター裏の扉に向かう。
その様子をラクティは心配そうな視線で見守っていた。
蒼の接客に問題はないが、現状ケーキを作る余裕があるのだろうか?
コーヒーや紅茶ならラプリアが対応すると思ったが、彼女にケーキまで作れるのかは謎だった。
仮に作れたとして問題は時間。
普通に考えれば焼きケーキとして一時間、冷やし固めるタイプなら二時間以上だ。
昨日はおそらく閉まっていたのだから、作り置きがあるとは思えない。
「ちょっと無理よね……」
もし今から作り上げるとしたら、普通ではない方法を使うしかなかった。
「ねぇ、ラクティさん? こっち来ない?」
と、テーブルの方から悠美香に呼ばれる。
記憶への干渉はうまく行っている様子。
「ええ」
カウンター席からテーブル席に移動する。
「こちらラクティさん、蒼ちゃんのお姉さん、真央ねぇとは初めてですよね?」
悠美香が自分の姉にラクティを紹介する。
ラクティが真央と会うのは確かに初めてだった。
「ええ、はじめまして、蒼の姉のラクティ・ラ・キアラ・山内-オーディアールと言います」
優雅な感じで名乗ってみる。
「は、はぁ、フランスの方?」
真央がやや押され気味に対応した。
「ええ」
「蒼ちゃんと一緒にこちらに?」
「そうですね、一旦戻るという蒼に付き添う形です」
「蒼ちゃんだけで、飛行機で海外往復というのも大変ですからね」
「そんな感じです。――それより、悠美香ちゃん、誕生日おめでとう御座います」
礼儀として祝いの言葉を述べておく。
ラクティ自身は誕生日というものを好きではなかった。自分の生まれが相当に異常だったせいだ。
「あ、ありがとう。そんなにかしこまって言われると、照れるな」
「こういうことは、ちゃんとしておきたいから」
「そうかも知れないけど……」
悠美香が顔を赤くして沈黙してしまう。
「いえ、ラクティさんの意見で正しいですわよ、悠美香さん」
さくらが微笑むと、悠美香の顔がますます赤くなる。
「ラクティさんは、この後、用事があるの? 私達、ここでケーキを食べた後はウチで誕生会の予定なのですけど、良かったら?」
真央が話題を切り替えるようにラクティを誘う。
「すみません、お誘いは嬉しいですが、少し用事があるので」
今の立場で余計なことに関わるべきではないという判断で断る。
一般人を無駄に危険に晒すことになりかねない。
「そうなんだ、残念です」
「すみません、みんなで楽しんでください」
「いえ、時間があればと思って誘っただけだから」
真央が胸の前で手を振って言う。
その時、蒼がカウンター席の裏から戻って来る。
表情が少し沈んでいる。
「あ、ちょっと、ごめんなさい」
ラクティがそれを見て席を立ち、蒼がテーブル席に来る前に彼女の前に立つ。
「ケーキ無理だったんでしょ?」
小声で言う。
「ああ、作るとしても、時間が掛かるという話だから、断るしかないという結論だ」
「やっぱりね、何の用意も無しで開けるとか、ラプリアも実はあまり何も考えてないのかも」
「ラプリアのことは正直よく分からない、リルラルは少し抜けている子だというが……」
「貴方の中の『無垢なる物』の話ね」
「ああ」
「ともかく、ここでケーキ無しはマズイわ」
「なら、どうするんだ?」
「仕方がないから私が作るわ、厨房はその扉の裏? 蒼は三人の相手をしていて」
「作れるのか?」
「私は料理得意だって知っているでしょ? 時間的に竜詩を使うけど、味は誤魔化さずにやるから」
「ありがとう、助かる」
「いいから。――じゃ、また後で」
ラクティは言って、カウンターの裏の扉を開けて中に入った。
入ってすぐ銀色のシンクや棚の並んだ厨房で、その奥にさらに扉があった。
ラプリアとメイド服に着替えた美佑と十月はシンクの前に居た。
「ラクティ、どうしたのですか?」
「ケーキを作りに来たのよ、材料くらいはあるわよね?」
全く材料がないなら、買いに行くところから始めなくてはならない。
「はい、材料はあります、生クリーム、フルーツの類も」
「そう、なら問題ないわ、少しそこをどいて、美佑は悠美香達に会って来たら? 記憶は調整してあるから、貴方が少し休んでいた事は気にしない筈よ」
着ていたセーターを腕まくりする。
その腕をラプリアが横から無言で掴んだ。
「え? なに?」
「作業するなら着替えて貰う決まりです」
「そのメイド服に?」
「はい、決まりですので」
ラプリアが真剣な顔でラクティを見る。
「――分かったわ、時間の無駄は避けたいのだけど、ここで問答する方が時間の無駄っぽいし、更衣室は?」
「こちらです、案内します」
手を取って歩き出す。
「あ、じゃ、私達二人で、何か下ごしらえ的なことしておくけど、何かある?」
十月が美佑と目配せしつつ聞く。
「それなら、薄力粉をふるって、あと卵を割ってボールに入れておいて、二十七センチで作るから七つで」
「了解」
「分かりました、やっておきます」
「お願いね」
「では、こちらに」
ラクティはラプリアと共に更衣室に入った。
ロッカーが並ぶ普通の更衣室だ。一つだけ空いたロッカーがあり、そこには十月の着ていた服が乱雑に入れられていた。
「ラクティはどんなタイプの服を好みますか?」
「多少デザイン差があるんだっけ?」
「はい」
「そうね、この身体だと、すこしカチっとした感じかしら。他のみんなは可愛い系だから、同じでも面白くないし」
「了解しました。――これを」
さっと、どこからとなくビニールに梱包されたメイド服を出して、ラクティに手渡す。
最強の『無垢なる物』を相手にどこから出したのかを聞くほどラクティも馬鹿ではない。
「どんなのかしらね」
ビニールを破いて服を取り出して全体を見てみる。
ワンピース構造にチョッキを合わせた、メイドというより少しバーテンダー風の衣装だった。
「ふーん、いいんじゃない」
割と気に入って、着ている服を脱いでロッカーの中に入れて行く。時間がない以上、素早くやる必要があった。
すぐに着替えを完了させて鏡の前に立つ。
「問題ないわね」
「お似合いです」
「じゃ、戻るわよ」
厨房に再び移動して、十月達の下準備を確認する。
「どう、終わった?」
着替えている時間は五分はあった。普通のペースなら終わっている作業の筈。
「終わったけど……」
十月が少しばつの悪そうな顔をする。
「なに? 何か失敗したの?」
「そう言う訳じゃないけどね~、私の力って、やや不安定だから」
十月がふるいに掛けた薄力粉の方に視線を向ける。
ラクティもその方を見た。
すると、ボールの中にどう見ても白くない粉がそこにあった。
「え? ココアパウダーでも混ぜたの?」
「うんん、私が作ると、大抵のものがチョコに変質するの、これくらいの作業なら平気かなと思ったけど、とりあえず、卵は割らなくてセーフだったかも」
「と言うことは、全てココアパウダー化したということ?」
ラクティがボールの粉に軽く指を入れて一舐めした。
「――ん、一応小麦粉の味もあるわね、これならチョコ味のスポンジに出来るから、問題ないわよ」
自分の頭の中でレシピを組み替える。
元々は普通のスポンジケーキを作ってデコレーションするつもりだったが、チョコスポンジにして、少し大人な味付けにすることに。
「そう? なら良かった。私はもう手伝わない方がいいよね?」
「貴方、何でもチョコに出来るの?」
「まぁ、大体は」
言いながら中指で長い髪を軽く絡める。
「なら、生クリームをチョコクリームに生成しておいて。――用意するから」
ボールに素早く生クリームを開けて、十月にヘラごと渡す。
「はい」
「うん、分かったわ」
十月がそれを混ぜて行く。
すると、見る間に真っ白なクリームが茶色になって行く、かなり不思議な光景だったが誰も特には驚かない。
「あと、卵は?」
「はい、砂糖を入れて泡立てています」
美佑が湯煎しながらボールをかき混ぜていた。
ある程度、作り方を知っているのだろう、指示した以上の作業だった。
「あら、分かっているのね、ありがとう、後は私がやるわ、美佑は表に出て来て」
「はい、じゃ後は任せますね」
美佑が悠美香達の方に行く。
ラクティが代わりに卵をかき混ぜる。
厨房にはラクティ、ラプリア、十月の三人になった。
「それで、これ、お店に来た子が誕生日なんでしょ? で、さらに蒼達のクラスメイトってことだよね?」
外の様子を見ていない十月が聞く。
「そうよ」
「ふーん、傍観すると言っていたのに、手伝うことにしたのは蒼のため?」
「いいえ、誕生日の子のためよ、一応、私も少しの間はクラスメイトだったから」
「そうか、ラクティは蒼と一緒に小学校に行ったことがあるんだもんね」
「ええ、付き合いよ」
「ふーん」
十月が目を平たくしてラクティを眺める。
「なに? 手が止まっているわよ」
「ラクティって、蒼のことが好きなんだね」
「ええ、そうね、妹のようなものよ」
蒼のことを好きか、嫌いかで聞かれたら好きだった。
家族愛とも言える感情だ。
「ふーん、思ったより淡泊な反応かも、割とドライな性格?」
「貴方と敵対する気はないけど、それは失礼な言い方ではない?」
十月の馴れ馴れしい感じは少し苦手だと思った。
少なくとも自分とは全く違うタイプ。
「そんな気はなかったけど、ごめんね。ラクティは由梨香と気が合いそう」
「まぁ、レーナとは仲良くやっている方かもね」
同じような性格のため論議になることもあったが、レーナこと篠崎由梨香とは付き合いやすかった。
「付き合いは長いんだっけ?」
「レーナは竜との不戦を約束した存在だし、それなりには、私は大戦後に生まれた存在だけど、それでも、大戦直後だったから二千九百八十年程度前からの知り合いね」
「へー。大戦直後ね、誕生日はいつなの? 私は十月十日だけど」
「十二月三日よ」
短く答えた。
「近いね、ということは、私達が黒海に行っている間に来ちゃうかも」
「別にどうでもいいわよ、特別祝おうと思ったことはないから」
祝うような日ではない。
おそらく、リティスの予測によって確定された日に生まれただけ。
そして、用意された身体となる竜に意思を流し込んだだけの日だ。
「そっか、色々あるんだもんね、また、余計なこと言ったみたいで、ごめんね」
十月もラクティの事情に気付いたようだった。
「いいわよ、この身体に移動して、多少はすっきりしたし、レーナには申し訳ない気もするけど」
今のラクティの身体はレーナの妹の個体である『無垢なる物』ミシリア・リキス・ユーリ、その当人だ。
コアが破壊されているためミシリアの意識はないが、内蔵している特殊な武装等は受け継ぐ形になった。
その武装自体は、大戦時に、ラプリアに対抗するために作られたものであり、今、ラクティの後ろにラプリアが居ることを考えると、因果のようなものを感じてしまう。
「で、ラプリアは何かする気はあるの?」
佇んだままのラプリアに聞いてみる。
「私は完全自立型のドールではありませんので」
「……そうだったっけ?」
本気でラプリアの言葉を疑ってしまう。
しかし、超武装を持つラプリアは、それ故に大量の制約を受けており、自立行動も制限された、非自立型の『無垢なる物』だったことを思い出す。
となると、今のマスターである蒼の指示が絶対だった。
「まさか、蒼の指示がないと何も出来ないとか言わないわよね?」
「基本的には」
「じゃ、さっきのお店を開けるという判断は?」
「蒼様の深層心理による命令を聞きました」
「…………」
突っ込むべきではあったが、何か言う方が負けな気がした。
とりあえず、普通の受け答えは期待しない方がいいキャラ。
そう思うことにした。
「なにか?」
平然とした顔で言う。
「いいえ、じゃ、表に出て、蒼に用事を聞いて来て、飲み物の注文があった筈だし、飲み物はカウンターの横で作るんでしょ?」
「はい、確かにそうでした。では、失礼いたします」
ラプリアが厨房から出て行く。
店長のコーヒーの味を再現出来るという彼女の腕は厨房では生かせない。
外での活躍を願うことにする。
「さて、卵は良いわね、あとは粉を混ぜて。――十月はオーブンの方、温めて」
「はーい」
十月が生成したチョコクリームを置いてオーブンのスイッチを入れる。
手際を見ている限り、料理の作業そのものは普通に出来るようだった。
そして、生地を作り終えて型に流す。
あとは焼くだけで、基本的な部分は完成だが、そこが時間が掛かる。
「じゃ、ここからズルするわよ。――反応熱よ、私の声のままに対象をふんわりと焼き上げて、焦がさぬように、対象の中心に熱源を移動、内側から加熱」
竜詩を唱えて、まるで電子レンジのようにケーキ本体を内側から焼いて行く。
外側と内側から焼くことで、ふんわり感を残しつつ、超短時間で焼き上げてしまうことが可能だった。
「はい、焼き上がり。チョコレートスポンジケーキ」
五分ほどで焼き上げてしまう。
「うわ、凄いね、間粒子操作法を料理方向に使うなんて、聞いたことない」
「単なる趣味よ」
「凄い繊細な操作が必要な筈だよね? やっぱり、その辺は竜の方が上手いよね」
「私達は『操作』という感覚ではないから、イメージの延長線でやっているだけよ」
「イメージで出来るのは楽だよね、私達のは面倒で、特に私は細かいのが苦手だから」
「けど、貴方達の方が理論に基づいているだけあって、術の発動時の効果が同じ結果に定まりやすい筈でしょ? 細かいも何も、そういう術式にすればいいだけではないの?」
十月やラプリア達、『無垢なる物』が使うエーテル術式は『間粒子操作法』と言い、エーテルを触媒として間粒子を扱い、不思議な現象を引き起こす。
それに対して、竜は『竜詩』によって間粒子を直接意識下において操る。
この力の使い方の差は、竜の力を再現しようとして作られた『無垢な物』が、どこまで研究しても、直接的に間粒子を操ることが出来なかったことによる差だ。
また、竜の中にもエーテルを使って、わざわざワンクッションを置いて間粒子を操る存在もいる。
それは、間粒子を直接支配下におくための集中力が得られない時や、そのことだけに集中したくない時などに行われ、戦略的に意味があることもあるからだ。
「細かい結果を生む術式は、それはそれで細かくなるから面倒なんだよね、特に私は制御系が大雑把に作られているから、大出力だけど、その分、余波も大きくて、余波のことは聞いてるでしょ?」
「雨が降る件でしょ? それだけ空間粒子を使えるのだから大したものよ」
十月は空気を分解してエーテルと間粒子を作り出すタイプの『無垢なる物』だ。
その分解された空気の穴を埋める為に、周りの空気を吸い込み、低気圧を作り出すという、副作用がある。
その最大出力は『器官』を使って物質から間粒子だけを直接吸収する竜と比べても劣らない。
「もう少し副作用が抑えられると使いやすいんだけどね」
「いきなり室内が真空になったりとかは、ならないようになっているのでしょ?」
「それはね、ある程度遠くの空気を使えるから」
「そう言う部分は便利ね、竜は近々のものだけを使う形だし」
「器官のサイズと能力次第でしょ?」
「確かにそれは、そうだけど、そんなに特別な器官を持っている竜はいないのよ、五竜とかそういうのばかりではないし」
「それ言うなら、私だって特別製だし、ラプリアも同じ。基本的には『無垢なる物』は竜には勝てない設計だから」
「状況がそれだけ特別ということかしらね、特別な竜と特別な『無垢なる物』が集まっている。――って、そろそろ冷めたしトッピングよ」
「あ、うん。何か手伝うことある?」
「貴方、フルーツを切るだけで、チョコになったりするの?」
「それくらいなら大丈夫、みかんの皮を剥くくらいのことならセーフ」
「じゃ、苺のヘタ取りをお願い」
「はーい」
二人、テキパキと作業をこなして行く。
そして数分後イチゴチョコレートケーキが完成した。
上部にホワイトチョコで『Happy Birthday』と書き込まれ、歳の数のロウソクも刺さっている。十歳の誕生日なので十本だ。
「完成ね、持って行くわよ」
ラクティがケーキを持つ。
「じゃ、扉をあけるよ」
両手の塞がったラクティの代わりに十月が厨房の扉を開けて、ケーキが運び出された。
外では、ラプリアを除く五人がテーブルに着いて、ラプリアは厨房への扉のすぐ横、カウンターの裏に居た。
「出来ましたか?」
ティーカップをトレーに乗せながらラプリアが聞く。
「ええ、お茶の準備もいいみたいね?」
「はい、問題ありません」
「なら、運ぶわ」
ラクティがケーキとお茶のトレーを器用に二つ持ってテーブルに運ぶ。
普段からやっているように見えるくらい妙に様になっていた。


「お待たせしたわね」
「わー、ありがとう」
悠美香が素直に喜ぶ。
「ラクティさんが作ったんですか?」
真央が聞く。
「ええ、ここのマスターの味を期待して来たのだろうけど、ご免なさい。今、留守だから私が代わりに」
「全然、そんな、用意はしてあったのでしょ?」
掛かった時間から、そう思うのが妥当だろう。
「ええ、まぁ」
深くは答えずにケーキをテーブルの中央に置く。
「ロウソク点けたら、お店の照明消した方がいいよね?」
テーブルの横に立った十月が言う。
「そうね、じゃ、その辺はラプリアお願い」
照明のスイッチの位置を知っているのはラプリアか蒼だろう。
「分かりました」
ラプリアがカウンターの裏で少し移動した。
おそらくスイッチの前に動いたのだろう。
「はい、用意した」
蒼が携帯着火機をラクティに手渡す。
「私が点けてもいいの?」
「こういうのは作った人がやるべきじゃない?」
十月が言う。
「そう、分かったわ」
ラクティが十本のロウソクに火を点ける。
合わせて、ラプリアが店内の照明を落とした。
外からの光は入るが充分に暗くなる。
「では、後は主役に」
ケーキの上のロウソクの炎に周りが温かい色に照らされる。
「あ、うん、みんな、ありがとうね――」
スゥと悠美香が息を吸い込む。
「フゥゥゥ」
一気に吐いて、ロウソクの炎が全部消えた。
そして、パチっと照明が点く。
「お誕生日おめでとう」
全員の声がほぼハモる。
「ありがとう。――それじゃ、切るね」
悠美香が笑顔で答える。
「悠美香、出来る?」
真央が手を貸そうとする。
「八個に分けるなら、半分にして、それを半分の半分にしていけばいいだけだし、出来るよ」
「それなら任せるけど」
「小皿はこっちね」
十月が小皿を用意して、座っている五人の前に並べる。
「私は後でいいわ」
「私も後で構いません」
立っているラクティとラプリアが言う
ロウソクを取り除き、悠美香がケーキを切り分け、それが小皿に乗せられて行く。
「美味しそうですわ」
さくらが少しうっとりしたような響きで言う。
ケーキの出来は、どう見てもプロが作った出来で見た目がとても美しかった。
「ラクティさんって、もの凄い器用だったりするの?」
悠美香が聞く。
「料理には多少自信があるだけよ」
一応の自負だった。
「主役から食べてみて」
「うん、頂きます」
悠美香がケーキをフォークで切って口に運ぶ。
「――美味しい、なにこれ、凄いふっくらしている」
「そんなにですの?」
悠美香の感想を受けてさくらが一口食べる。
「――これは、凄いですわ、食べたことがない美味しさですの、ふんわり感と固まったチョコのパリっとした感じが見事に合わさって、全体としても、甘すぎず上品な仕上がり」
美食家のようなコメント。
実際、さくらは高級な料理やお菓子を食べ慣れていた。
「褒めてくれてありがとう」
ラクティがはにかんだ。
「ほほう、どれどれ」
十月が残った三切れのウチの一つを小皿に乗せて、立ったままフォークで切って口に運ぶ。
「うん、これは、美味しいかも、って私も手伝ったんだけど」
チョコの味のブレンド自体は十月の能力によるところが大きい。
彼女が作るチョコの味は最高レベルの味なのだ。
「そうね、十月もありがとう」
「いえいえ」
「――では、私も」
ラプリアがいつの間にかにテーブルの側まで来ていて、ケーキを小皿に乗せる。
「はむ――」
一口食べて目を瞑る。出来を吟味している様子だった。
「マスターの作る味とは違いますが、勝るとも劣らない味です」
合格と言っていた。
「ありがとう」
「いえ、こちらこそ、手伝っていただいて」
ぺこりと頭を下げる。
「状況的に手伝っただけよ、じゃ、私は着替えてくるわ」
手伝いが終わった以上、いつまでもメイド服を着ている必要はなかった。
「えー、勿体ない、折角似合っているのに」
「そうだよー」
真央と悠美香から声が上がった。
「ここの店員でも無いのだから、そう言われても」
ラクティが困った様子で呟くと、
「では、一つ提案が」
ラプリアが挙手した。
「なに?」
「私達が留守の間、このお店をラクティに任せます。店長も私も、この先、しばらく不在ですから」
「はい?」
全く予想外のことを言われた。
「この腕なら、安心して任せられます。よろしくお願いします」
「任されても、受けるとは言ってないわよ」
「それいいですわね、このケーキをまた食べられますし」
「何だか知らないけど賛成」
さくらと悠美香が賛同する。
「だから、そんな勝手にっ」
「まぁ、いいんじゃない、ラクティだけ日本に居ても暇でしょ? 由梨香に言って手伝いの子は手配するから」
十月が言う。
手伝いの子とは、間違いなく『無垢なる物』だ。
その作られた完璧な容姿から考えれば、ラプリアの代わりが充分に務まるウェイトレスだろう。
「そこまでされても……」
逃げ道が無くなって行く気がした。
「ラクティ、諦めろ、こうなったら、もう覚悟を決めるしかない」
蒼がラクティの肩をぽんと叩いた。
「……ぅ」
暇は確かに暇だった。
しかし、日本に残ると決めたのは、消えたフィテアの動向が気になるからで、喫茶店を経営するためではない。
「これが鍵です。あとで電源系の見取り図もお渡しします」
ラプリアがラクティの手に店の鍵を握らせる。
「渡してくれなくてもいいわよ、ここは、だってアレでしょ?」
クレイドルに監視されているポイントだということを目で伝えた。
「あの件は、私が何とかします」
「何とか出来るの!?」
だったら、この店に最初に来た時の話は何だったのか? ということになる。
「それなりに力は使いますが、問題なく」
「はぁ、そう……もう、どうでもいいわよ」
ラプリアの相手をしていると、どっと疲れる。
「じゃ、決定ね。レーナに今から話を回すから、ちょっとごめん」
十月が携帯電話を手に店から出る。暇な『無垢なる物』の手配を頼むのだろう。
日本に数はいない筈だが、下手すると海外から呼んでくる可能性すらある。
「ああ、もうっ、仕方ないわね、やればいいんでしょ、やれば、分かったわよ」
押し切られる形で気持ちを決める。
ここで絶対にやらないというのも、周りへの心証を悪くしてしまう。
「じゃ、ラクティさんが仮店長ということですよね、店長就任祝いをしないと」
真央が言う。
「そうですね、ラプリアさん、乾杯用のジュース全員分、お願いします」
「了解しました。美佑」
ラプリアがサッとカウンターに移動して人数分のジュースを用意する。
「もう、誰のお祝いだったのか、分からないわよ」
愚痴をこぼすラクティの顔は、どこか楽しそうに見えた。

蒼の夢第4部 おまけ完